帝国憲法41~51条:日本国憲法は帝国憲法の写し?

 

私たちが学校で教えられてきた「明治憲法(悪)・日本国憲法(善)」の固定観念に疑いの目を向ける「明治憲法への冤罪をほどく!」を連載でお届けしています。今回は、第3章「帝国議会」の中の議会の運営についてです。日本国憲法は、帝国憲法(明治憲法)を批判的に解釈しながら説明されますが、帝国憲法の条文が日本国憲法には数多く採用されています。

 

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帝国憲法 第41条(議会の召集)

帝国議会ハ毎年之ヲ召集ス

帝国議会は毎年召集される。

 

日本国憲法 52条(常会)

国会の常会は、毎年一回これを召集する。

 

 

帝国憲法 第42条(議会の会期)

帝国議会ハ三箇月ヲ以テ会期トス 必要アル場合ニ於テハ 勅命ヲ以テ之ヲ延長スルコトアルヘシ

帝国議会は三ヶ月を会期とし、必要がある場合には、勅命(天皇の命令)によって会期を延長することがある。

本条では、帝国議会の会期が規定されていますが、日本国憲法では、会期は国会法に委ねられています。

 

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帝国憲法 第43条(臨時会)

  • 臨時緊急ノ必要アル場合ニ於テ 常会ノ外 臨時会ヲ召集スヘシ

臨時、緊急の必要がある場合は、常会のほかに臨時会を召集しなければならない。

  • 臨時会ノ会期ヲ定ムルハ勅命ニ依ル

臨時会の会期は勅命によって定める。

 

日本国憲法 53条(臨時会)

内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

 

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帝国憲法 第44条(両議院の同時活動)

  • 帝国議会ノ開会閉会 会期ノ延長 及停会ハ両院同時ニ之ヲ行フヘシ 

帝国議会の開会・閉会、会期の延長および停会は、両院同時に行わなければならない。

  • 衆議院解散ヲ命セラレタルトキハ 貴族院ハ同時ニ停会セラルヘシ

衆議院解散を命じられたときは、貴族院も同時に停会しなければならない。

 

<既存の解釈>

本条で定められた「両院同時活動の原則」というのは、貴族院と衆議院は同時に活動していなければならないとする規定で、例えば貴族院の審議を経ずに、衆議院の議決だけで法律とすることや、貴族院の会期外に衆議院の会議を有効とすることはできない。これは、明治の指導者は自由民権派が中心の衆議院が単独で法律を発案、審議、議決することを恐れたからだと解される。

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<善意の解釈>

「両院同時活動の原則」は現憲法下でも採用されていますし、二院制を採用している国であれば当然と言えます。

 

日本国憲法 54

2.衆議院が解散されたときは、参議院は同時に閉会となる。(後略)

 

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帝国憲法 第45条(衆議院解散)

衆議院解散ヲ命セラレタルトキハ 勅令(ちょくれい)ヲ以テ新(あらた)ニ議員ヲ選挙セシメ 解散ノ日ヨリ五箇月以内ニ之ヲ召集スヘシ

衆議院の解散を命じられたときは、勅命によって新たに議員を選挙し、解散の日より五ヶ月以内に召集すること。

 

<既存の解釈>

衆議院の解散は、信任と責任の関係にある議院内閣制にあって、衆議院による内閣不信任決議が可決された(信任の否決)場合、内閣に憲法上与えられた権限である。これは民主主義の具体的な表れであるが、本条の主体は、絶対的な権限をもった天皇であり、民主的に機能したとは言い難い。

 

また、衆議院解散から最大5カ月、新たに議会が召集されない間に、緊急事態が生じることは十分考えられる。明治憲法下では議会が開かれていない場合の緊急事態については、天皇の緊急勅令、緊急処分を使って政府の独断で処理されていた。

 

これに対して、日本国憲法では、衆議院解散から次に国会が召集されるまでの空白期間を最大で70日にとどめている。また、国に緊急の必要があるときに備えて、参議院に、単独で国会の機能を代行させる緊急集会制度を定めている。

 

日本国憲法 第54条

  • 衆議院が解散されたときは、解散の日から40日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から30日以内に、国会を召集しなければならない。
  • 衆議院が解散されたときは―――内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。

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こうした見方に対して、帝国憲法を起草した伊藤博文の意図は何だったのでしょうか?

 

<善意の解釈>

伊藤博文は、帝国憲法の解説書「憲法義解」に中で、本条について、「議会の為に永久に保障を与える」と述べています。つまり、衆議院が解散しても、公選議員による新たな議会が誕生することによって議会は永続的に存立するというのです。

 

ですから、衆議院解散から新たな議会が召集される間の期間の長さ以前の問題として、衆議院の解散について規定されたこと自体に意味があります。解散は旧議員を解職して、新議員を召集する行為ですが、もし憲法が衆議院解散の後に新たに召集する時期を明示しなければ、議会不在のまま、政府の意のままに政治が行われてしまう恐れがあります。その点、本条において、新たに議会を召集する時期を一定にしたことで、議会の存立が保障されたと言えます。

 

次の46条から48条の規定は、基本的に日本国憲法で同様に定められています。これは、日本国憲法が、帝国憲法を参考にして作られたことの証の一つであることを意味しています。

 

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帝国憲法 第46条(定足数)

両議院ハ各々其ノ総議員三分ノ一以上出席スルニ非サレハ 議事ヲ開キ議決ヲ為ス事ヲ得(え)ス

両議院はそれぞれその議院の総議員の三分の一以上出席しなければ、議事を開き議決する事ができない。

 

帝国憲法 第47条(表決数)

両議院ノ議事ハ過半数ヲ以テ決ス 可否同数ナルトキハ議長ノ決スル所ニ依(よ)ル

両議院の議事は過半数で決まる。可否同数となった場合は議長が決する。

 

日本国憲法 56条(定足数と表決数)

①両議院は、各々その総議員の3分の1以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。

②両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。

 

 

帝国憲法 第48条(会議の公開)

両議院ノ会議ハ公開ス 但シ政府ノ要求又ハ其ノ院ノ決議ニ依リ 秘密会ト為スコトヲ得(う)

両議院の会議は公開とする。ただし、政府の要求またはその院の決議によって、秘密会とする事ができる。

 

日本国憲法 57条(会議公開の原則)

  1. 両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の3分の2以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。

 

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帝国憲法 第49条(両議院の上奏権)

両議院ハ各々天皇ニ上奏スルコトヲ得(う)

両議院はそれぞれ天皇に上奏することができる。

 

*上奏(じょうそう):文書を上呈して天皇に申し述べること

 

<既存の解釈>

天皇主権の明治憲法下にあって、帝国議会の両議院が臣民を代表して天皇に対して上奏できた。しかし、現行憲法では、天皇に国政に関する機能をもたせず、認められた国事行為も内閣の助言と承認が必要で、すべて内閣の責任を負うことから、本条のような規定はない。

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本条に対する帝国憲法起草者、伊藤博文の意図は深慮に満ちていたことが伺えます。

 

<善意の解釈>

帝国憲法起草者の伊藤博文は、上奏の内容について、「勅語(天皇のお言葉)に答え申し上げ、慶賀や弔事の言葉を上表(文書を奉ること)し、意見を建白し請願を申し上げるなどの類」と指摘し、上奏の際に『迫り立てるような強硬な姿勢』を示さない」など、相当の敬意と礼節を求めています。

 

このことは、伊藤らが天皇の尊厳を侵すことを最も恐れていることが伺えると同時に、実際に上奏が行われることを想定しての規定であることがわかります。もし、明治の日本が天皇の独裁的な統治体制だったならば、本条に保障される上奏権など認められていないでしょう。

 

◆ 議会の上奏権の実際

 

日清戦争前の初期議会では,衆議院で反藩閥の民党が多数を占め続けていたので、予算案を最大の争点に、藩閥内閣と民党の正面から衝突が繰り返しました。その際、民党は憲法第49条の天皇への上奏権を藩閥内閣に対抗する有効な手段として頻用しました。例えば、1893年,第4議会では伊藤内閣不信任が上奏され,それに対して,天皇は「和衷協同の詔」を渙発して,民党と内閣双方が痛みを分かつような裁定を下して,対立を調停し国政の紛糾を収拾されました。

 

「和衷協同の詔」では,天皇の聖断は,超然性,公平中立性を備え国民全般を心服させるものでなければならなかったので、激突した民党と藩閥内閣も譲歩して和協したのです。

 

日清戦争後は,藩閥政府と政党との間で協議がなされ、内閣と議会の妥協によって国政が運営されるようになりました。これは、民権派の力が弱くなるとともに、伊藤博文が立憲政友会を立ち上げるなど、日本でも藩閥政府が徐々に政党を認めるようになっていったことが背景にあります。このため、帝国議会内では、内閣を批判するために、天皇への上奏権を行使することは少なくなっていきました。

 

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帝国憲法 第50条(両議院の請願受理権)

両議院ハ臣民ヨリ呈出スル請願書ヲ受クルコトヲ得(う)

両議院は臣民より提出された請願書を受け取ることができる。

 

<既存の解釈>

帝国憲法第30条では臣民に対して請願権を保障していたが、本条では、この権利を行使する臣民が提出する請願書を受け取るのは、臣民の代表である帝国議会の両議院であることを定めている。

 

臣民の代表である帝国議会の両議院は、各人の請願を受けて審査し、単に政府に紹介することもできれば、意見書を付して政府に報告を求めることもできた。ただし、議院は必ずしも請願の内容を議会にかける義務があったわけではなく、政府も必ずしも請願を許可する義務があるわけでもなかった。

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では、帝国憲法の起草者である伊藤博文や井上毅が本条を定めた意図は何だったのでしょうか?

 

<善意の解釈>

日本国憲法には、請願権の規定はありますが、本条のような請願先を定めた条文はありません。請願書受領機関としての議会の役割に関する規定まで、憲法に明記されたことは、当時議会政治がまだ発達しておらず、国民にとって意見や要望をだす手段としての請願権の意義は大きかったことが推察されます。また同時に、明治の日本が天皇の独裁的な統治体制だったならば、ここまでの詳細な規定を憲法に明記されなかったことでしょう。前条同様、帝国憲法の民主的要素が表れています。

 

日本国憲法第16条(請願権)

何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

 

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帝国憲法 第51条(両議院の内部規則制定権)

両議院ハ此ノ憲法及議院法ニ掲クルモノヽ外 内部ノ整理ニ必要ナル諸規則ヲ定ムルコトヲ得(う)

両議院はこの憲法と議院法に掲げてあるもの以外に、院内の整理に必要な諸規則を定めることができる。

 

<既存の解釈>

本条は、帝国議会の両議院が、憲法や議院法の範囲内で、内閣や裁判所など他の国家機関からの干渉を受けず、自主的に組織内の諸規則を、議院自ら制定することができるという議院の自律権について定めている。

 

ただし、「内部ノ整理ニ必要ナル諸規則」についての具体的な規定がない。日本国憲法では、議院の資格訴訟の裁判権、役員選任権、議院規則制定権、議院懲罰権など、議院の自律権を詳細に保障している。

 

 

日本国憲法 第55条(資格争訟裁判権)
両議院は、各々その議員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする。

 

日本国憲法 第58条(役員選任権・議員規則制定権・懲罰権)

  1. 両議院は、各々その議長その他の役員を選任する。
  2. 両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

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第2章の「臣民の権利」の規定のところでもあったように、本条に対する伊藤博文の見解は、帝国憲法の特質をよく表しています。

 

<善意の解釈>

確かに、日本国憲法の規定が詳細なのかもしれませんが、簡潔を旨とする帝国憲法にあっては、本条のように総論的な条文規定で十分で(「内部の整理に必要なる諸規則」という表現にとどめている)、取り立てて憲法に記載する必要はないと解されていたようです。

 

もっとも、憲法起草者の伊藤博文は「憲法義解」の中で、「内部の整理に必要なる諸規則」とは、議長の推選、議長及び事務局の職務、各部署の分設、委員の推選、委員の事務、議事規則、議事記録、請願取扱い規則、議院休暇規則、紀律及び議院会計などをいうと説明しています。

 

 

<参照>

帝国憲法の他の条文などについては以下のサイトから参照下さい。

⇒ 明治憲法への冤罪をほどく!

日本国憲法の条文ついては、以下のサイトから参照下さい。

⇒ 知られざる日本国憲法のなりたち

 

 

<参考>

明治憲法の思想(八木秀次、PHP新書)

帝国憲法の真実(倉山満、扶桑社新書)

憲法義解(伊藤博文、岩波文庫)

憲法(伊藤真、弘文社)

Wikipediaなど

 

(2022年11月5日)