帝国憲法20条 (兵役の義務):「戦争に駆り立てた」は時代錯誤!

 

私たちが学校で教えられてきた「明治憲法(悪)・日本国憲法(善)」の固定観念に疑いの目を向ける「明治憲法への冤罪をほどく!」を連載でお届けしています。今回は、第2章「臣民権利義務」の中の「兵役の義務」です。現在、「兵役の義務=戦争=悪い明治憲法」と結びつけられそうですが、まっとうな歴史認識に基づけば、兵役の義務のない近代憲法は、憲法と呼べるものでありませんでした。

 

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帝国憲法 第20条(兵役の義務)

日本臣民ハ 法律ノ定ムル所ニ従ヒ 兵役(へいえき)ノ義務ヲ有ス

日本臣民は法律の定めに従って、兵役(軍務に服する)の義務を有する

 

<既存の解釈>

明治憲法下では徴兵制が敷かれ、若者たちは国のために戦い、その尊いたくさんの命が失われた。しかし、現在の日本では、徴兵制を採用しておらず、平和憲法の日本国憲法にはこれに該当する条文はない。

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現憲法に慣れ親しんでいる私たちは、当然、この解釈に納得し、安心することでしょう。しかし、帝国憲法が公布された1898年の頃の時代とそれまでの歴史を考慮すれば、起草者の伊藤博文と井上毅の見解もまた納得できることでしょう。

 

<善意の解釈>

帝国憲法の起草者、伊藤博文は、その解説書「憲法義解」の中で、兵役の義務について次のように述べています(要約)

 

「全国の臣民を、兵役に服する義務を執らせ、身分にかかわらず集め、平生より一体となって訓練し、その士気を高め強靭な体を作り上げておく。これは一国の武勇の気風を保持して、将来に失われないようにするためである。古代以来、日本臣民(国民)は、国家に不測の事態が発生すれば、自分の身や家を犠牲にしても、国を守ってきた。また、こうした忠義の精神は、栄誉の感情とともに、人々の祖先代々引き継がれ、今も心身に深く浸透して、その気風が形成された。」

 

日本の歴史を振り返れば、徴兵制そのものは、持統天皇の治世(686~697年)において始まったとされています。武家政権の時代には、武士と農民の職が分けられ、徴兵制は長らく行われませんでしたが、維新の後、明治5年に復活しました。

 

徴兵制というと、平和な現代にあっては、戦争に駆り立てられるという負のイメージしかありませんが、戦争は違法ではなく、いつ列強に攻められてもおかしくなかった時代、武士の身分が解かれた以上、当時の価値観からして、「兵役の義務」はある意味、当然とみなされ、これに反対する向きもほとんどありませんでした。現代の価値観(ものさし)で、本条を含めて帝国憲法を批判すべきではないでしょう。

 

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帝国憲法 第21条(納税の義務)

日本臣民ハ 法律ノ定ムル所ニ従ヒ 納税ノ義務ヲ有ス

日本臣民は、法律の定めに従って、納税の義務を有する。

 

納税の義務は、日本国憲法下でも同じように国民の義務とされています。

 

<善意の解釈>

兵役の義務(20条)と納税の義務(21条)は、帝国憲法の時代における国民(臣民)の2大義務です。ただし、これらの義務は「法律の定めに従って」課される、つまり国民の意思が反映された帝国議会の協賛があってはじめて制定される法律によらなければそれらを課すことができないもので、政府から強制されるものではありません。伊藤博文も、20条と21条を「義務というだけでなく、法律によって支えられた権利の保障というべきである」と説いています。

 

 

<参照>

帝国憲法の他の条文などについては以下のサイトから参照下さい。

⇒ 明治憲法への冤罪をほどく!

日本国憲法の条文ついては、以下のサイトから参照下さい。

⇒ 知られざる日本国憲法のなりたち

 

 

<参考>

明治憲法の思想(八木秀次、PHP新書)

帝国憲法の真実(倉山満、扶桑社新書)

憲法義解(伊藤博文、岩波文庫)

憲法(伊藤真、弘文社)

Wikipediaなど

 

(2022年11月1日)