帝国憲法2条 (皇室典範):憲法と同格だった!

 

私たちが学校で教えられてきた「明治憲法(悪)・日本国憲法(善)」の固定観念に疑いの目を向ける「明治憲法への冤罪をほどく!」を連載でお届けしています。今回は、第1章「天皇」の第2条について考えます。皇室の家憲(家法)とされた皇室典範は、戦前と戦後でどのように変わったのでしょうか?

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帝国憲法 第2条(皇位継承)

皇位ハ皇室典範(てんぱん)ノ定ムル所ニ依リ 皇男子孫(こうだんしそん)之ヲ継承(けいしょう)ス

皇位(天皇の地位)は皇室典範の定めに従って、皇統の男系男子が継承する

 

<既存の解釈>

皇室典範とは「皇位の継承、後続の範囲、皇族の身分、皇族の婚姻等について規定」した皇室に関する法律、すなわち皇室の家法で、1889(明治22)年2月11日に制定されていた。その内容は、皇族会議と枢密院(天皇の最高顧問機関)に諮(はか)って決定され、帝国議会の承認を得る必要もなく、皇室典範の改定の必要が生じた場合も、帝国議会で改正することはできなかった。つまり、皇室典範は憲法と対等同格の地位にある特別な法律であった。

 

また、明治憲法は官報で広く公表されたのに対して、皇室典範は明治40年までは、国民には知らされなかった。むろし、国民はその内容を知る必要のないものとされていた。このように、皇室典範は帝国議会と国民の手の届かない「法典」であった。

 

なお、皇室典範第1条9には、帝国憲法2条と同じ趣旨で「大日本国皇位は祖宗の皇統にして男系の男子これを繼承す」と記されていた。

 

一方、帝国憲法2条に対して、日本国憲法では次のように定められている。 

 

日本国憲法第2条

皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 

現憲法において、皇位は世襲(子が親の地位や財産を代々受け継ぐ制度)であるとしか規定されていない。明治憲法下にあった男系子孫という文言が抜けており、現憲法では、男系男子が皇位を継承することまでは、求めていないということになる。

 

もっとも、旧皇室典範が廃止された後の1947(昭和22)年1月16日に制定された現在の皇室典範では、その第1条には、「皇位は皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とあり、やはり、皇位は現在も皇位は男系男子が継承するという伝統が受け継がれている。

 

しかし、現行の皇室典範は、旧皇室典範と異なり、国会の議決に基づいて制定された単なる法律の一つです。他の法律と同じなので、国会の議決でこれを改正することができる。憲法改正しなくても、国民の代表者からなる国会で、皇室典範さえ改正すれば、女子の皇位継承も可能となるなど、国民の意思で、天皇制のあり方も変更することができるのである。

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こうした見解に対して、帝国憲法3条にかけた伊藤博文と井上毅の真意はどこにあったのでしょうか?

 

<善意の解釈>

前述したように、日本の皇統(天皇の血統)は、初代の神武天皇から今上天皇(現在の天皇のこと)まで、125代、男系の血筋だけで続いています。

 

皇室典範は、祖宗(皇室の先祖)から受け継がれてきた皇室の家憲で、長年の伝統になっていた習慣、慣例を体系的に整理し、成文の法規とされました。制定された時点で大日本帝国憲法と同格に扱われました(このことをもって典憲体制という)。

 

また、皇位の継承については、当時、明治天皇まで122代の皇位は男系男子による皇位継承の形が不動であったという歴史的事実から、その後も変わる事は想定されていませんでした。ですから、将来、外部からの干渉を要れないためにも、皇室典範の内容は詳細に記載せず、憲法の中に組み込まれなかったと言われています。

 

現在の皇室典範は単なる法律と同じ扱いです。一時の多数決で2000年続いた皇室のあり方を変えてしまうということは、明治の典憲体制では考えられないことでした。

 

男系と女系、女性天皇と女系天皇の違い

男系とは、天皇の父方をたどると、第一代の神武天皇にたどり着く系統です。つまり、即位された天皇の父親はすべて天皇であったことを意味し、そうでない場合は女系となります。

 

たとえば、(男系男子の)天皇の内親王(ご息女)は男系女子で、天皇の内親王(ご息女)の親汪(ご子息)は女系男子となります。そしてその天皇の内親王が天皇になると男系の(女性)天皇、天皇の内親王のご子息が天皇になると女系の天皇ということになります。

 

仮に、現行の皇室典範が改正されて、天皇陛下のご息女の愛子さま(正しくは愛子内親王殿下)が即位されるとすると、男系の女性天皇となります。また、愛子内親王殿下が一般の方とご結婚され男子が誕生し、その子が即位した場合、女系天皇(女系の男性天皇)となり、また、子が女性で即位すれば、女系女性天皇となります。

 

日本の歴史上、女性天皇は推古天皇など8人いましたが、神武天皇から数えても(徳仁天皇は126代)すべて男系でこれまで女系の天皇は一人もいません。

 

推古天皇は欽明天皇の子なので、男系の女性天皇です。女性天皇は結婚が禁止され、あくまでも次の男系天皇への一時的な橋渡しの役目を担われました。「万世一系」を守るということは、皇位継承の流れはすべて男系でつなぐことでもあったのです。

 

 

<参照>

他の条文などについては以下のサイトから参照下さい。

⇒ 明治憲法への冤罪をほどく!

日本国憲法の条文ついては、以下のサイトから参照下さい。

⇒ 知られざる日本国憲法のなりたち

 

<参考>

明治憲法の思想(八木秀次、PHP新書)

帝国憲法の真実(倉山満、扶桑社新書)

憲法義解(伊藤博文、岩波文庫)

憲法(伊藤真、弘文社)

 

(2022年10月22日)