「神の島」久高島の伝承:沖縄の神々による創生

 

沖縄は、本土とは異質で独特な神話・伝承があり、多くの日本人を魅了しています。とりわけ、沖縄本島東南端から東海上5.3kmにある久高島は、「神の島」と呼ばれ、琉球王朝時代からの伝統と信仰が守り継がれています。

 

 

  • アマミキヨと久高島

 

琉球の神話によれば、今から遡ること数千百年前、天にある最高神、日の大神が、琉球を神の住むべき霊所であると認め、アマミキヨという神さま(女神)に、島づくり国づくりを命じました。これを受けて、アマミキヨが、東の果てにある天上の神の世界、ニライカナイ(ニラーハラー)から、琉球の地に降り立ち、沖縄諸島を創りました。それゆえに、アマミキヨ(別名、アマミヤ、アマミヤハンジャナシー)は、沖縄の人々から、琉球民族の祖霊神、創世神、開闢の神などと呼ばれているそうです。

 

このアマミキヨが、異界から最初に降り立った場所が、沖縄本島の南東に位置する久高島(くだかじま)(南城市)でした。より正確には、久高島北端のカベール岬に降り立ったとされ、この時、海の彼方から白馬の姿で降臨したとも言われています。また、久高島には、アマミキヨが腰かけたという石も伝承されています。

 

琉球の神話では、久高島の創生の様子を次のようにも描いています。

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その頃の島はまだ波に洗われる状態で、アマミキヨは持って来たシマグシナーという棒をそこに立て、天の神に頼んで天から土、石、草、木を降ろしてもらい、それで土地が大きくなって久高島ができた。

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この島建てに使ったとされる棒(シマグシナー)は、今でも久高島の旧家で島の始祖家の一つとされるイチャリ小(イチャリグヮー)に残っており、この家系がシマグシナーを祀り、その拝所を管理しているとされています。

 

 

  • 琉球七御嶽

 

さて、アマミキヨは、久高島を皮切りに、沖縄の島々をつくりますが、その過程で御嶽(うたき)と呼ばれる、神が降臨し先祖神を祀るなどの祭祀を行う施設を9箇所作ったと言われています。現在はその中の7箇所が、「琉球開闢(かいびゃく)七御嶽」として確認されています。

 

その琉球七御嶽のなかでも、久高島の中央の西側にある、フボー御嶽(クボー御嶽)は、久高島はもとより沖縄県内でも第一の聖域、最も神聖な御嶽として位置づけられています。フボー御嶽がどれほど神聖かというと、そこは、ノロという女性祭司がイザイホーという秘祭の時にのみ立ち入ることが許された場所で、男子禁制でした。しかも現在、イザイホーが途絶えたことにより(後述)、今は誰も立ち入ることができない場所になっています。

 

琉球王朝の時代に、王国最高位の女性神官「聞得大君(きこえおおきみ)」を頂点とした「ノロ(ヌル)」による神女組織が確立していました。ノロヌル)(神女=祝女)とは、琉球の信仰における女性の祭司(神官、巫/かんなぎ)で、地域の祭祀を取りしきり、御嶽(うたき)を管理します。久高島には、久高家外間(ほかま)の2つの巫女(みこ)集団がいて、組織化、系列化されているそうです。

 

 

  • 秘祭イザイホー

 

久高島では、12年に一度行われる秘祭イザイホーを頂点に、現代まで年に二十数回の祭祀が続けられていると言われています。イザイホーは、久高島で生まれ育った30歳から41(42)歳までの既婚女性がノロ(神女)となるための誕生(就任)儀礼で、12年に一度の午(うま)年の旧暦11月15日の満月の日から、5(6)日間行われました。

 

祭祀を通じて、その女性は、神(アマミキヨ)の声を聞き、先祖の霊と交流して神霊を受け継ぐとされています。新たにノロ(神女)になると(新入りの神女をナンチュという)、久高島では一人前の女性として認められ、神がかりして、祖霊と一体となり、祈りの力で、家族、とくに海に出ている男たちを加護する神的な力を得るとされています。

 

秘祭とされていたイザイホーは1966年と1978年の祭祀では、島外からの取材、撮影が許されたことから全国的に有名になりました。ただし、1990年に行われるはずであったイザイホーは、新しく神女となる女性がおらず、また儀式を熟知していた久高ノロの補佐役であった西銘シズという方が亡くなり、実施することができませんでした。この状況は変わらず、2002年、2014年とイザイホーは行われていません。

 

 

  • イシキ浜

 

一方、久高島には、クボー御嶽(フボー御嶽)だけでなく、島の中央部の東海岸にあるイシキ浜という琉球七御嶽(うたき)の一つに数えられる聖地があります。浜への入口に御嶽(うたき)があり、そのあたりは遊泳禁止となっています。

 

イシキ浜には、麦や粟などの種子が入った五穀の壷が流れてきて、それから久高島、沖縄本島へと穀物が広まったとされる伝説があります(島の伝承では流れ着いたのは壷ではなく瓢箪という説もある)。イシキ浜は、琉球の農業がから始まった五穀発祥の地として、聖地化されているのです。

 

さらに、この浜は、今も海の彼方の異界ニライカナイに面する聖地で、穀物もニライカナイからもたらされたとして、現在も感謝の祈りを捧げる祭祀が行われています。琉球時代の「麦の穂祭り」など多くの五穀発祥にまつわる祭祀が年中行事として現在も残っているそうです。

 

 

  • 斎場御嶽

 

琉球王朝の時代、「神の島」久高島は直轄領として島民の税は免除されており、国王も本島から久高島に巡礼をする習わしがありました。もっとも、国王の巡礼先は、久高島から、後に沖縄本島にある斎場御嶽(せいふぁーうたき)に変わりました(斎場御嶽も琉球七御嶽の一つ)。

 

なぜ、斎場御嶽になったのかと言えば、もちろん、琉球神話の源である神アマミキヨが創った沖縄本島最高の聖地とみなされていたからですが、それだけではなく、そこが久高島からの霊力(セジ)を最も集める場所であると信じられていたからだと言われています。

 

 

  • 浜比嘉島

 

久高島から北に位置する浜比嘉島(はまひがじま)も、神が降臨した聖地、「神の住む島」と言われています。この浜比嘉島に伝わる神話では、天上のニライカナイから、アマミキヨだけではなく、シネリキヨという男神が降りてきたとされます。アマミキヨとシネリキヨは、古事記のイザナミ(女神)とイザナギ(男神)とに当たり、二神は子を授かって洞窟に暮らしたと伝えられています(その子孫が人間として繁栄した)。洞窟はシルミチュー霊場として祀られているそうです。

 

さて、久高島に伝わる人造りに関する伝承では、異界ニライカナイから降りてきたアマミキヨは島々をつくると、そこに一組の男女を住まわせ、二人の間からは三男二女が生まれたとあります。

 

その後、久高島の対岸にある百名(ひゃくな)から、兄と妹が船で島にやってきました。そして島の南に有る徳仁(とくじん)という港で寝る場所を七回変えて漁をしながら暮らしていたそうです。最終的に、二人は、島の始祖家のひとつとされるガルガナー家に世話になることになりました。この二人とガルガナー家の間にできた子ども達が現在の久高島の人達の始祖とされています。

 

このように、創生神・祖霊神アマミキヨが、天上のニライカナイから、最初に降り立った久高島をはじめとする沖縄諸島は、神話と伝承の神秘に満ちた神の島々で、古来、神の島、神聖な土地、異界との窓口、五穀豊穣をもたらす島などと崇められています。

 

(2021年3月29日更新)

 

<参考>

神の島・久高島 沖縄観光・沖縄情報IMA

アマミキヨが降り立った海の中に建つ聖地「ヤハラヅカサ」 | 沖縄 …

久高島 アマミキヨの流れ着いた島

歴史と神話 沖縄まるわかり 沖縄観光情報WEBサイト・おきなわ

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