皇霊祭と神殿祭:春(秋)分の日の宮中祭祀

 

  • 皇霊祭と神殿祭とは?

 

春分(秋分)の日の「お彼岸」には、家々で祖先の御霊をお祭りし、お墓参りをするのが風習となっていますが、宮中でも「春季(秋季)皇霊祭(こうれいさい)」と「春季(秋季)神殿祭(しんでんさい)」が行われています。

 

春季皇霊祭の儀(秋季皇霊祭の儀)」とは、毎年春分(秋分)の日に、天皇自ら、宮中三殿の一つである「皇霊殿(こうれいでん)」において、歴代天皇はじめ皇后・皇族すべての皇祖(天皇家の祖先)の神霊(御霊)を祀られる皇室の祭儀です。

 

春季神殿祭の儀(秋季神殿祭の儀)」とは、皇霊祭に続き、天皇自ら、宮中三殿の一つである「神殿(しんでん)」において、天神地祇(てんじんちぎ)(天地の神々のこと)、八百万神(やおよろずのかみ)を祀る祭祀(親祭)です。

 

宮中三殿は、皇居内になある賢所(かしこどころ)、皇霊殿、神殿のことで、「皇霊殿」には、歴代天皇や皇后、皇族の皇霊が祀られ、「神殿」には、全国の天神地祇の神々が祀られています。

 

皇霊祭、神殿祭ともに、天皇による祭祀として行われ、天皇のみが着用する「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」をまとわれた陛下、自ら玉串を捧げて御拝礼され、皇祖皇宗の神霊に告げられる御告文(ごこうぶん/ごこくぶん/ごこうもん)を奏せられます。皇后さまや皇族方も御出席、拝礼されます。

 

当日、皇霊祭拝礼の後、皇霊殿前庭で「東遊(あずまあそび)」と呼ばれる雅楽(神楽)が奉納されます(正式には「東遊の儀」という)。これは第27代安閑天皇の頃に、駿河の有度(うど)浜(今の三保松原付近)に舞ひ降りてきた天人の姿を象った(かたどった)舞と言い伝えられています。なお、神殿祭の際に「東游の儀」はありません。

 

9月の秋分の日(3月の春分の日)にも、毎年「秋季(春季)皇霊祭」、「秋季(春季)神殿祭」が春(秋)と同様に行われます。また、皇居でけでなく、伊勢神宮をはじめ全国の神社でも同様の祭儀(遙拝式)が挙行されます。

 

 

  • 皇霊祭・神殿祭の歴史

 

古くは記紀(古事記・日本書記)などの古典から、皇室において、皇祖の御霊(みたま)を祀る祭儀が行われていたことが伺えます。

 

実際は、平安中期から江戸時代まで、京都御所清涼殿(せいりょうでん)内の御黒戸(おくろど)の間(ま)というところで、一般の先祖供養に当たる「追孝の義」が行われていました。み祭りは神仏習合の影響で仏式でした。

 

明治になると、神仏分も離によって神式による祭典となりました。当初は神祇官(じんぎかん)にて崩御日に正辰祭(しょうしんさい)(命日祭)として行われてました(辰は「日取り、日程」の意味がある)。その後、1878年(明治11)から、春分(秋分)の中日に、皇霊殿と神殿で、天皇の親祭による春秋二季の「皇霊祭」、「神殿祭」が始められました。つまり、現在の春分・秋分の日の祝日は、それぞれ「春季皇霊祭」「秋季皇霊祭」と呼ばれていたのです。

 

しかし、戦後、占領下でGHQによって、「春季皇霊祭」「秋季皇霊祭」は、春分、秋分の日と改変されました。1948(昭和)23年、春分の日、秋分の日は、宗教色を廃し、「祖先を敬い、亡くなった人を偲ぶ」、民間の先祖供養の日として国民の祝日に制定されました。もちろん、皇居では「皇霊祭」と「皇霊祭」が古来から継続して行われています。

 

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2020年3月28日(最終更新日2022年3月20日)