生存権 (25条):日本人の手で書かれた稀有な条文

 

日本国憲法の制定過程や、各条文の成立経緯を検証した「知られざる日本国憲法のなりたち」を連載でお届けしています。第3章の「国民の権利及び義務」の中から、今回は、日本国憲法の人権規定の中で最も有名ともいえる生存権(25条)をとりあげます。25条1項の誕生には意外な展開がありました。

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第25条(生存権)

  1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
  2. 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 

第1項は、「健康で文化的な最低限度」の生活を営む権利についての規定で、資本主義経済の下、社会的・経済的に弱い立場にある人が、劣悪な生活環境に陥らないようにすることを謳っています。

 

ただし、この内容については、政治の指針・目標を示すのみの政治的・道義的宣言であり、個々の国民に対して本条を根拠に裁判所に生存権の侵害を訴えることができるような具体的権利を保障したものではないと解されています。これをプログラム規定説と言います。

 

日本でどうしてプログラム規定説が採用されたかというと、資本主義社会では、自立して生計を立てる自助の原則が前提にあることと、戦後の食糧難の時代に、政府には貧窮者を手厚く保護する余裕がなかったという事情などがあります。つまり、国民に最低限度の生活を保障するための予算の配分は国の財政政策に関わる問題であって、国の裁量に委ねられていたのです。

 

第2項は、1項を受けて、国家に目標(政治上の義務)の実現のために、「社会福祉、社会保障、公衆衛生の向上と増進」に努力することを求めています。これを受けて具体的には、現在、生活保護法、国民健康保険法、国民年金法、雇用保険法、介護保険法、大気汚染防止法など様々な法律が制定されています。

 

 

<生存権とワイマール憲法>

 

資本主義諸国の憲法典で、生存権の思想をはじめて条文に取り入れたのは、1919年のワイマール憲法(1919年8月11日制定)です。その第151条で、経済生活秩序の目的として「人たるに値する生活」を保障すること(生存権の保障)を掲げています。

 

ワイマール憲法(第151条第1項)

経済生活の秩序は、すべての者に人間たるに値する生活を保障する目的を持つ正義の原則に適合しなければならない。この限界内で、個人の経済的自由は確保されなければならない。

 

この記述(筆者が引いた下線)は、現在の日本国憲法25条1項の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の保障」の主旨と、ほぼ一致するものであり、日本国憲法への強い影響が伺えます。

 

また、当時のドイツの学説はこの生存権規定を国政の指針(プログラム)を宣言したもの解釈しました。日本国憲法25条の生存権もこの考え方を採用したわけです。ということは、25条は、「アメリカ製」ではなく「ドイツ製」ということになります。実際、自由主義の国、自助努力の国アメリカの憲法には、生存権を含む社会権的な内容の規定はありません。

 

 

<21条2項の成立経緯>

 

こうした背景から、ワイマール憲法よりも先にできた帝国憲法には、生存権を含む社会権の規定はなく、帝国憲法の各条文を改正しようとした日本政府案(松本案)にも、当初「生存権」規定はありませんでした。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)にしても、生存権に関する規定を草案に盛り込みましたが、「健康で文化的な最低限度の生活」という文言はありませんでした。

 

  • GHQ案

あらゆる生活範囲において法律は社会的福祉、自由、正義および民主主義の向上発展のために立案せらるべし

自由、普遍的かつ強制的なる教育を設立すべる
児童の私利的酷使はこれを禁止すべし
公共衛生を改善すべし
社会的安寧を計るべし
労働条件、賃金および勤務時間の規準を定むべし

 

 

この草案は、日本国憲法第25条第2項につながる内容で、GHQ民生局行政部所属C.F.サムス准将が、ワイマール憲法 第161条①を参考にして起案したとされています。

 

ワイマール憲法 第161条1項

健康および労働能力を維持し、母性を保護し、かつ、老齢、虚弱および、生活の転変にそなえるために、国は被保険者の適切な協力のもとに、包括的保険制度を設ける。

 

世界で初めて生存権を規定したドイツのワイマール憲法は、当時、世界で最も民主的な憲法と高く評価されました。ただし、見方を変えれば、ワイマール憲法は、自由主義国に最初に社会主義的な要素が盛り込まれた憲法です。ですから、生存権など社会権規定は、共産主義(社会主義)の国の憲法に定められて然るべき項目です。実際、1936年のスターリン憲法(ソビエト社会主義共和国同盟憲法)にも、ワイマール憲法161条1項と日本国憲法25条2項の生存権に関する類似の規定があります。

 

スターリン憲法 第120条1項

ソ連同盟の市民は、老齢、ならびに病気および労働能力喪失の場合に、物質的保障をうける権利を有する。(後略)

 

こうした社会主義的規定を嫌ったのか、GHQ案への対案としての政府案(3月2日案)では、政府はGHQ案そのものを削除しました。しかし、議会に提出する帝国憲法改正案の作成時に、GHQの「要請」で次のように復活し、現行の25条第2項として結実しました。

 

  • 帝国憲法改正案

法律は、すべての生活部面について、社会の福祉、生活の保障及び公衆衛生の向上及び増進のために立案されなければならない。

ということは、議会に提出されるまで、現行25条の1項は存在しなかったことになります。実際、GHQ案にも政府の帝国憲法改正案にもなかった25条(生存権)第1項は、GHQの押しつけではなく、回帝国議会の審議(修正協議)の中で、日本人の手によって生みだされたのでした。

 

 

<憲法研究会 森戸の執念>

 

衆院の特別委員会(芦田均委員長)の小委員会で、旧日本社会党(社会党)議員であった経済学者の森戸辰男は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利は敗戦後の日本にこそ必要だ」と訴え、社会党の鈴木義男らとともに、25条1項の生存権規定を、ドイツ帝国のワイマール憲法第151条第1項を参考にして起案したのでした。

 

経済学者の森戸は戦前、貧困の問題に取り組んでいましたが、言論弾圧で大学を追われ、その後、ドイツに留学し、ワイマール憲法を学んだと言われています。敗戦後、焦土化した日本では、人々の生活は困窮し、餓死者が続出していたことを目の当たりにした森戸は、ワイマール憲法の理想を日本で実現したいと考えたとされています。議会では、生存権が無くても、法律で社会保障を実現できると森戸の提案に否定的な意見もありましたが、森戸の粘り強い説得によって提案は採用されました。

 

本シリーズの「日本国憲法がわずか9日間で書けたわけ」でも紹介しましたが、森戸は、マッカーサー草案(GHQ草案)の作成に大きな影響を与えたとされる民間有識者による民間団体「憲法研究会」のメンバーでもありました。彼らの「憲法草案要綱」には次のような「健康で文化的な最低限度の生活」の趣旨の文言や社会保障に関する内容はともに含まれていました。

 

憲法研究会「憲法草案要綱」

一、国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す。

一、国民は老年疾病其の他の事情により労働不能に陥りたる場合、生活を保証される権利を有す

 

まさに、25条そのものです。つまり、森戸は自身を含む憲法研究会の草案を憲法25条にそのまま反映させることに成功したわけです。この事実から、日本国憲法(25条)には、社会主義(共産主義)思想が書かれていると批判する向きもあるかもしれません。しかし、1948年の世界人権宣言、1966年の「国際人権規約」(76年発効)で、生存権は世界的に確立した権利となっているなど、現在、生存権は資本主義国にも当然必要な人権であることは、公平な立場で踏まえておくべきでしょう。

 

 

<参照>

その他の条文の成り立ちについては以下のサイトから参照下さい。

⇒ 知られざる日本国憲法の成り立ち

 

        

<参考>

日本国憲法の誕生(国立国会図書館HP)
憲法(毎日新聞)

NHKスペシャル「日本国憲法誕生」

憲法研究会「憲法草案要綱」

世界憲法集(岩波文庫)

ドイツ憲法集(第7版)(信山社)

Wikipediaなど

 

(2022年8月10日)