日本国憲法76条:特別裁判所は認めない!

 

日本国憲法の制定過程や、各条文の成立経緯を検証した「知られざる日本国憲法のなりたち」を連載でお届けしています。今回から第6章の「裁判所」です。占領当時、GHQは、帝国憲法下の日本の司法制度を、「司法権の独立に欠ける」と、概ね次のようにみなしていました。

――――――

日本の裁判所は、行政機関である司法省の一機関のような位置づけで、国家政策の実現の手段として機能していた。また、裁判所内の規則制定権も弱く、司法府の行政権も(行政機関である)司法省が掌握していた

――――――

 

そこで、GHQは、裁判所(司法府)を、本来あるべき「権利の主張や国家および個人に対する救済実施のため独立した裁きの場」にするための規定を、日本国憲法に盛り込もうとしました。司法(現行憲法第6章)部門を担当したGHQ民生局「司法権に関する委員会」は、原案作成にあたり、次の点を考慮したとされています。

 

  • 司法権の独立、そのための司法府の独立を確保すること
  • 地域、管轄権ごとにそれぞれ裁判所を設置すること
  • 裁判官、検察官の独立した選任、承認、国民解職(リコール)制度の確立

 

GHQ民生局からの要求に対し、日本側はどのように対応し、現行憲法の規定になっていったのか、それが現在、どう機能しているかをみていきましょう。まずは、司法権と裁判制度についてです。

★☆★☆★☆★☆★☆★☆

 

76(司法権・裁判所)

  1. すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
  2. 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
  3. すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

 

 

◆ 76条の解釈 ~明治憲法との比較で~

 

<第1項>

三権の一つである司法権(具体的な紛争に対して法を適用する権限)が裁判所だけに帰属すると規定しています。制度上、憲法がいう司法権を行使する裁判所は、最高裁判所と下級裁判所(高等裁判所、地方裁判所、家庭裁判所、簡易裁判所)だけであり、これを正確には司法権を行使できる裁判所なので「司法裁判所」または「通常裁判所」といいます。

 

明治憲法下においては、司法権も統治権を総攬する天皇に属しており、三権分立が徹底されていたとは言い難かったと言えます。裁判も「天皇の名において」行われ、裁判官は「天皇に名において」国務大臣により任命されていました。このため裁判は行政に従属しがちでした。

 

帝国憲法第57条(司法権・裁判所)

  • 司法権ハ天皇ノ名ニ於(おい)テ 法律ニ依(よ)リ裁判所之ヲ行フ

司法権は天皇の名において、法律によって裁判所が行使する。

 

 

<第2項前段>

前段では、明治憲法では認めていた特別裁判所を禁止しています。特別裁判所というのは、「終審として」、特別の地域や身分の人または特定の事件についての裁判をするために、通常の裁判所の系列から独立して設置される裁判所です。戦前の行政裁判所(行政事件を管轄する裁判所)や、戦時中の軍法会議(主に軍人等を対象として軍法に従い軍によって行なわれる裁判)が特別裁判所の典型です。

 

帝国憲法第60条(特別裁判所)

特別裁判所ノ管轄(かんかつ)ニ属(ぞく)スヘキモノハ別ニ法律ヲ以(もっ)テ之(これ)ヲ定ム

特別裁判所の管轄に属すべきものは、別に法律で定める。

 

帝国憲法第61条(行政裁判所)

行政官庁ノ違法処分ニ由(よ)リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ 別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ属スヘキモノハ 司法裁判所ニ於(おい)テ受理スルノ限(かぎり)ニ在(あ)ラス

行政官庁の違法処分により権利を侵害されたという訴訟で、別に法律をもって定めた行政裁判所の裁判に属するべきものは、司法裁判所において受理するものではない。

 

61条では、「行政裁判所で審理される行政事件は、司法裁判所で裁判されない」、つまり、「行政事件の裁判は、司法裁判所ではなく行政裁判所で行われる」と述べています。

 

帝国憲法下では、司法権は刑事・民事の裁判にのみ及び、行政事件の裁判には及ばなかったため、行政事件は通常の(司法)裁判所の管轄ではなく、行政裁判所の管轄とされていました。そのため政府など行政機関による人権侵害に対しては、行政裁判所に訴えなければなりませんでした。しかし、行政裁判所は東京に一つだけしかなく、その裁判は一審だけで上訴はできませんでした。つまり、行政裁判所では一審制で判決に不服があっても大審院に上訴することができなかったのです。しかも裁判官は、行政官が務めていました。

 

これに対して、日本国憲法にいう「司法権」には、刑事・民事事件だけでなく、行政事件の裁判も含まれ、司法裁判所がすべての事件を管轄しています。現在、私たちが、「裁判所」、「裁判所」と言うときの裁判所とは、正確には司法裁判所のことなのです。

 

ただし、こういう書き方をすれば、特別裁判所の制度が悪いものであるような印象を与えますが、実際はそうではありません。伝統的にドイツ、フランス、イタリアをはじめ(イギリスを除く)欧州では、「専門的判断をすべて1個の裁判所に判断させるのは無理がある」という理由から、特別裁判所は広く設置されています。

 

 

<第2項後段>

また、第2項は後段で「行政機関は、終審(=最終判断)として裁判を行うことができない」と行政権による終審裁判(=その判決が確定判決となる裁判)を禁止しています。つまり、行政機関が裁判をしても、その結果に異議があれば、裁判所に不服申し立てができればよいのです。ただ、反対解釈をすれば、前審としてなら(終審でなければ)、行政機関による審判(=審理し判決・判断すること)が許されることになります。

 

実際、行政機関による審判制度として、独占禁止法に基づく公正取引委員会が、独占禁止法に違反しているか否かを審決(=審査して決定)することや、行政不服審査法における審査請求の「裁決」や意義申し立ての「決定」など、行政機関の採決(=賛否をとって決すること)の制度が存在します。行政事件は、専門的技術的な判断が必要であることが多いので、前審として裁判することが許されているのです。

 

<第3項>

個々の裁判官がその職務を遂行するに当たり、「法以外の何ものにも拘束されず、独立して職権を行う」、と裁判官の職権の独立について規定しています。例えば、政治の圧力を受けて裁判官の判断に影響がでるということであったはなりません。裁判官は良心にのみ従って裁判することが求められているのです。

 

このように、アメリカの意向を反映して、日本国憲法においては司法権の独立が著しく強化されているといえます。では次に、76条(1・2項)の制定経緯をみてみましょう。

 

 

 76条制定プロセス

 

日本政府も、当初、松本私案ならびに松本国務相を委員長とする憲法問題調査委員会の試案においては、帝国憲法61条の規定を改め、以下のように、行政事件に関る訴訟も、司法裁判所の管轄にすることを提起していました。

 

松本案

行政官庁の違法処分により権利を傷害された訴訟その他行政事件に関る訴訟は法律の定むる所により司法裁判所の管轄に属す

しかし、特別裁判所の制度(帝国憲法60条)そのものは否定せず、何より、同57条(司法権は天皇にあり、「天皇の名において裁判が行われる」)は現状維持とされたことを、GHQが許容するはずはありませんでした。

 

<76条1項> 

GHQ案

強力にして独立なる司法府は、人民の権利の堡塁(ほうるい(ほるい))にして、全司法権は最高法院および国会の随時設置する下級裁判所に帰属する。

 

この草案は合衆国憲法からきていることが推察されます。

 

合衆国憲法第3章第1条

合衆国の司法権は、1つの最高裁判所、および連邦議会が随時制定し設立する下位裁判所に属する…。

 

これに対して、日本政府は、GHQ草案にあった「強力で独立の司法府は国民の権利の堡塁(ほうるい)」なる司法の理念に対し、「堡塁(ほうるい)(敵の攻撃を防ぐために構築された陣地)」という部分の言葉の比喩を翻訳できない」という理由で削除を要求しました(GHQは同意)。結果的に、以下の「3月2日案」が、文言調整されて現行の76条1項になりました。

 

3月2日案

司法権は、裁判所独立して之を行う。
裁判所は、最高裁判所および法律をもって定むるその他の下級裁判所とす。

 

 

<76条2項>

松本案でその存在を否定しなかった特別裁判所について、GHQ案ではっきりと否定されました。

 

GHQ案

特別裁判所はこれを設置すべからず、また行政府のいかなる機関または支部にも最終的司法権を賦与すべからず

 

これに対して日本側は、行政機関に最終的司法権を付与することを禁ずる条項の削除も求めました(3月2日案)が、GHQはこの提案を受け入れず、現行の76条第2項通りの帝国憲法改正案となりました。

 

前述したように、特別裁判所は、現在でも、欧州の大陸諸国で広く設置されている制度で、例えば、ドイツでは民事事件や刑事事件など一般事件を扱う「通常裁判所」のほかに、「労働裁判所」「行政裁判所」、「社会裁判所」、「財政裁判所」など専門分野ごとに特別裁判所が存在しています。

 

日本で、特別裁判所の存在を認めない理由は、「平等な裁判を確保するため」または「法解釈の統一(管轄する裁判所によって法の解釈が異ならない)のため」などと一般的には説明されています。

 

しかし、現実的には、GHQが、「国民の自由と権利を守るために、司法権の独立を明確に打ち出す必要がある」という名目の下、司法権を通常裁判所に集約させるアメリカ式に改めさせたということが言えるでしょう(改憲派の人々にすれば、アメリカの司法制度が押しつけられたとなる)。

 

ちなみに、アメリカは、ドイツに対しても、アメリカ式の裁判所制度をドイツ(西ドイツ)に要求したそうですが、西ドイツは「抵抗」して部分的修正にとどめました。

 

 

 特別裁判所の禁止の真意

 

では、アメリカは日本に、特別裁判所の設置を断固として認めなかった理由は何でしょうか?一つの見方として、当時、GHQが設置を禁止したかった特別裁判所とは軍法会議であったという主張があります。

 

軍法会議とは、独自の軍刑法に基づいて開かれる裁判所です。戦闘は義務を果たす軍人(戦闘員)にだけ許される特権です。ですから、武器を持っている軍人には厳しい義務が課せられます(厳しい軍刑法がある)。この軍刑法に基づいて開かれるのが軍法会議(軍事法廷)です。軍事裁判には、独立性、即決性、軍の規律維持が特別に求められるのです。

 

この軍法会議を設置できないということは、ある意味、軍隊は組織として正常に機能しえないことを意味します。つまり、特別裁判所を禁止することで、日本に正常な軍隊を保持させないようにしたという見方も可能となります。

 

憲法改正論議で、自衛隊を軍隊にするという主張がありますが、仮に軍隊(国防軍)に「格上げ」された場合、軍法会議の設定を伴わなければ、軍隊は正常に機能できないということを知っておく必要があります。

 

 

<参照>

憲法(伊藤真 弘文堂)

日本国憲法の誕生(国立国会図書館HP)
憲法を知りたい(毎日新聞)

アメリカ合衆国憲法(アメリカンセンターHP)

Wikipediaなど

 

(2022年9月25日)