日本国憲法1~8条: 天皇制はいかに解体されたか?

 

日本国憲法の制定過程や、各条文の成立経緯を検証した「知られざる日本国憲法のなりたち」を連載でお届けしています。3回目の今回は、第1章(1条から8条)の「天皇」についてです。GHQが新憲法に求めたことは、まさに戦前の天皇制の「破壊」でした。

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第1章 天皇

 

GHQの日本占領にとって一番問題となったのは日本の国体である天皇制でした。終戦後、米ギャラップ社の世論調査では、米国民の約6割が昭和天皇の(戦争犯罪として)起訴を支持していたと言われ、9月には米上院が「天皇を戦争裁判にかけよ」と決議していました。合衆国のみならず、連合国11力国が共同で組織していた極東委員会のなかでも、太平洋戦争で4万人の戦死者を出したオーストラリアは1946年1月、天皇を含む戦犯容疑者リストを作成し、天皇訴追に向け動いていました。

 

さらには、連合諸国の中には、軍国主義日本の統治の形態の象徴とみなされていた天皇制の廃止を求める国もありました。特に、ソ連は天皇制を打倒し、日本を共産国に仕上げる旨を日本共産党に指示していたとされていました。もともと日本共産党は、ソ連に本部を置く共産主義インターナショナル(通称「コミンテルン」)によって1922年に承認された政党で、当時、世界的な共産主義化をめざすコミンテルンの日本支部と位置づけられていました。

 

その日本共産党は大東亜戦争終戦後、GHQから合法政党とされ、1946年4月に行われた衆議院選挙で5議席を獲得します。その後、6月末に、独自の憲法草案である日本人民共和国憲法を発表、その前文で天皇制の廃止を掲げ、第一条には「日本国は人民共和制国家である」と宣言していました。

 

こうした背景下、マッカーサーのGHQは天皇制をどうしようとしていたのでしょうか?1945年8月30日、神奈川県の厚木に到着した連合国軍最高司令官マッカーサーは、翌9月27日、昭和天皇と初めて会見しました。その際、天皇制を維持させた方が、日本を平穏に統治でき、その後の日本にとっても最良であると判断し、天皇制を存続させる決意をしたといわれています。このことを示すエピソードです。

 

昭和天皇・マッカーサー会談

マッカーサーが、終戦後の1945年9月27日、昭和天皇と戦後初めて会見した際、天皇が、命乞いに来て、亡命を願いでると思ったそうです。ですから、マッカーサーはパイプを口にくわえたまま、ソファーから立とうともしなかったと言われています。

 

ところが、昭和天皇の話しはこうでした。「私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行なった全ての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねる為にここに来ました。」つまり「一切の非は自分にある責めは負う、国民には非はない」と語られたのです。

 

マッカーサーは、この会見の様子を、後に回想し、「大きな感動が私を揺さぶった。死を伴う責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動を覚えた…」と綴っています(マッカーサー回顧録1963年)。

 

昭和天皇とマッカーサーの会見は、はじめ15分の予定でしたが、35分にも及びました。その後マッカーサーは、天皇陛下を玄関ホールまで伴い、見送ったと言われています。

 

前述しましたが、昭和天皇が8月15日の玉音放送で戦争終結を発表された後、GHQの日本占領に対して、何ら叛乱もゲリラ活動もなく、陸・海軍の将兵約790万人の武装解除はきわめて迅速に行われました。日本軍は昭和天皇の「戦争終結指示」を一糸乱れることなく従ったと言われています。だからこそ、マッカーサーは、1945年10月16日には早々と、旧日本軍の解体・消滅を発表することができたという見方が支配的です。

 

1946(昭和21)年1月1日、天皇の「人間宣言」が出された後の25日、マッカーサーは、「天皇は100万人の軍隊に匹敵する(実際、7億ドルの経費を削減になるとの試算もあった)」、「天皇を起訴すれば日本の情勢に混乱をきたし、占領軍増員が必要となるだろう」と本国に報告しています。

 

この頃には、マッカーサーは、天皇制を維持する腹を固めたことが推察されます。マッカーサーにとって、円滑な占領政策の遂行のために、天皇の権威が不可欠だったのです。ただし、天皇制だけは温存して、その他全ての天皇統治体制を極限まで弱体化させるという方策が取られることになりました。その具体的な最初の指針が、マッカーサー3原則の最初の天皇制についての規定です。

 

天皇は国の最上位(国家元首)の地位にある。皇位は世襲される。

天皇の職務と権限は、憲法に基づいて行使され、憲法の定めるところにより、国民の基本的意思に対して責任を負う

 

これを受けて、GHQ民政局が具体的な日本国憲法草案作成作業に取り掛かります。キャップに任命された陸軍大佐のチャールズ・L・ケーディスは、民生局員をテーマ毎に振り分けて、草案作成を行わせたことは既に説明しました(日本国憲法ができるまで:わずか9日間で書けたわけ)。

 

天皇(第1章)については、「天皇・条約・授権規定に関する委員会」のJ.A.ネルソン陸軍中尉とR.A.プール海軍少尉が、また取りまとめ役としてA.R.ハッシー海軍中佐、M.E.ラウエル陸軍中佐ら「運営委員会」メンバーがそれぞれ担当しました。

 

そこで完成したGHQ(総司令部)案の「天皇」に関する規定の骨子は、「主権をはっきり国民に置き、天皇の役割は社交的な君主とする」でありました。

 

ところで、こうした方針は、マッカーサーの指揮の下でGHQが立案、実行していったのかというと、実際は、既に述べたアメリカの国務・陸軍・海軍三省調整委員会(SWNCC)がその青写真を提供していました。1945年11月27日にまとめたSWNCCの報告書「日本の統治制度の改革」(SWNCC228)には、日本の天皇制に関して、次のような記述があります。

 

―――――――――――

日本国の最終的な政治形態は、日本国国民の自由に表明せる意思によって決定さるべきものである。わが政府(アメリカのこと)は、日本人が、天皇制を廃止するか、あるいはより民主主義的な方向にそれを改革することを、奨励支持したいと願うのであるが、天皇制維持の問題は、日本人自身の決定に委ねられなければなるまい。天皇制が維持されたときも、…(中略)…天皇制のもつ権力と影響力とを、著しく弱めることになろう。

――――――――――――

 

この文書によれば、戦後、アメリカは、天皇制を廃止すると決定していた訳ではなく、日本人の意思に委ねるとしていました。日本人が天皇制を廃止するなら、それでよし、天皇制を存続させるなら、より民主主義的な方向に改革するように奨励するとしていました。ただし、天皇制を帝国憲法下の形態で維持することを否定していました。

 

アメリカが認識していた戦前の天皇制とは、大方、次のようなものでした。

―――――――――

明治憲法下の天皇は、神話に基づいた絶対的、神聖不可侵な存在で、現人神(あらひとがみ)と崇められていた。また、天皇に全権が集中し、法律を作る権限、緊急勅令や独立命令(警察命令)と呼ばれる法律を必要しない命令権だけでなく、議会の召集・解散権、条約の締結権、さらには、議会の統制を受けない陸海軍の統帥権など多数の天皇大権と呼ばれる権限を保持していた。

―――――――――

 

アメリカ政府としては、天皇制が維持される場合は、軍国主義が復活しないように、それまで、天皇制が持っていた権力と影響力を可能な限り弱体化・形骸化してしまおうという方針であったことが伺えます。

 

そのための「安全装置」として、SWNCCは以下のような具体的な措置を指示していました。

  • 天皇がかつて保持していた陸海軍に対する統帥権(指揮権)とその編成権、宣戦布告・条約締結などの外交大権、戒厳令を出す権限など軍事に関する権能をすべて剥奪すること。
  • 天皇は、一切の重要事項につき、内閣の助言にもとづいてのみ行動するものとすること、すなわち、内閣が天皇に助言を与え、天皇を補佐するものとすること。
  • 皇室財産を国の管理とし、皇室費を毎年の予算の中で取り扱うこと(帝国憲法下では、皇室費は議会の審議を受けずに毎年定額が確保されていた)。

 

日本国憲法において、象徴天皇がいかなる地位にあるのか、天皇がなせる権能は何なのか、皇室の財産はどう扱われるかなど、日本国憲法には、象徴天皇制の仕組みが8つの条文で示されていますが、SWNCC(スウィンク)のこれらの方針は、天皇に関する各条文に見事に反映されています。では、これから各条文をみていきます。

 

 

第1条(天皇の地位)

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 

本条の骨子は、「天皇は象徴であること」「天皇主権から国民主権へ移行したこと」、「天皇の地位は主権者である国民の総意に基づくこと」です。

 

戦後、昭和天皇は自ら「人間宣言」をなされ、天皇の神格性が否定されました。そして、日本国憲法において、天皇は、鳩が平和の象徴(シンボル)であるように、日本という国と国民の(統合のための単なる)「象徴」であると規定され、「象徴天皇」という新たな天皇像が示されました。

 

「主権の存する日本国民…」の部分で、主権が国民にあることを、前文に続いて宣言しています。明治憲法下の日本は、天皇主権の国(第1条、第4条)でしたが、日本国憲法では天皇主権から国民主権へ交代したことが宣言されました。主権とは「国家の最終決定権のこと」で、国民に主権があることは、国民が(選挙を通じて)最終的に国の方針や政策を決定できるということを意味します。

 

「天皇の地位が国民の総意に基づく」とは、極論すれば、国民の総意が示される選挙の結果によっては、政権を担う政党が主導して憲法を改正し、天皇の地位を戦前のように戻したり、逆に天皇制そのものを廃止したりすることもできるということになります。明治憲法では、天皇に主権があり臣民と呼ばれた国民は、統治権を総攬する天皇に統治される側の存在でした。しかし、日本国憲法では、主権者たる国民がいて、その象徴としての天皇が国民の総意に基づいて存在していると立場が逆転しています。

 

このように、日本国憲法1条は、「天皇の地位」に関する条文という体裁をとっていますが、その内容は、戦後の日本は、象徴天皇制の下で、天皇主権から国民主権へ切り替わったのだという新しい国家像が示されている条文といえます。

 

明治憲法下の天皇は、以下のように「神格性」(第1条)、「絶対性」(第3条)を保持し、「統治権を総攬(すべてを掌握)」(第4条)する存在でした。

 

帝国憲法第1条:大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之を統治ス

(日本国は万世一系の天皇が統治する)

帝国憲法第3条:天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス

(天皇は尊く侵してはならない存在である)

帝国憲法第4条:天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬(そうらん)シ此ノ憲法ノ条規(じょうき)ニ依リ之ヲ行フ

(天皇は国家元首であり、統治権を総攬し、この憲法の規定により統治を行う)

 

万世一系とは一つの皇統(天皇の血統)が神代(神話)の時代から連綿と続くという意味で、明治憲法下の天皇は、神のごとく神聖かつ絶対的な存在で日本を統治すると解されたのです。また、天皇は、国政に関する最終的な決定権限も持つ主権者とみなされました(天皇主権)。

 

では、天皇の地位に関する帝国憲法の規定は、いかに「改正」されたのでしょうか?第1条をめぐる日本政府とGHQのやり取りをみてみましょう。

 

憲法問題調査委員会の松本烝治国務大臣(憲法担当大臣)は、前述したように「天皇が統治権を総覧するという原則には変更を加えない」と議会で発言(昭和20年12月8日)していました。実際、翌1月に要綱化された「憲法改正私案」や、毎日新聞にスクープされた憲法問題調査委員会(松本委員会)試案によれば、天皇に関する帝国憲法の規定は、例えば次のような「改正案」が出されていました。

 

帝国憲法第1条:大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す

日本国は君主国とす

 

帝国憲法第3条:天皇は神聖にして侵すべからず

天皇は至尊にして侵すべからず

 

帝国憲法4条:天皇は国の元首にして統治権を総攬(そうらん)し、この憲法の条規(じょうき)によりこれを行う

天皇は君主にして此の憲法の条規に依り統治権を行ふ

 

しかし、このような、文言だけを変えだけで、戦前の天皇制の本質を維持した改正案を、マッカーサーが満足するはずがありませんでした。GHQが出してきたマッカーサー草案では、天皇の地位に根本的な変更が加えられました。

 

<総司令部(GHQ)案>(下線は筆者)

 

天皇は国家の象徴にして、また人民の統一の象徴たるべし。彼はその地位を人民の主権意思より承けこれを他のいかなる源泉よりも承(う)けず。

 

マッカーサー3原則を受けて、起草されたGHQ案では、帝国憲法における絶対的な統治者としての天皇制は廃され、天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると位置づけました。日本の天皇に対して「象徴」という言葉が使われたのは、この時が初めてでした。

 

「象徴」という文言は、ネルスン陸軍中尉による発案と言われています。ネルスン中尉は、イギリスの有名な憲法学者ウォルター・バジョットの著書「イギリス憲法論」(1867年)を参照したとされ、この書籍の中でバジョットがイギリス国王のことを「象徴」と表現していたことをヒントに得て、マッカーサー草案に書き込んだと言われています。

 

また、1931年に制定されたイギリス本国と自治領との関係を平等な共同体と規定した法律である「ウェストミンスター憲章」の中でも、君主を「象徴・シンボルsymbol」として「… the Crown is the symbol…」と表現されています。

 

もっとも、およそ君主制の国(日本も象徴としての天皇を持つ君主制に属する)であれば、「(国王は)君臨すれども統治せず」が伝統のイギリスを例に見るように、君主は、政治の実権を握ることなく、その国の象徴的な役割を担っているのが常です。君主が議会に毎回赴き、必要に応じて答弁し、内閣においても行政に関するすべての議事を執り行うということは不可能ですからね。

 

一方、ネルソン陸軍中尉とともに、「第1章天皇」の起草を担当したリチャード・A・プール海軍少尉は、「天皇に対して国政に関与する権能を与えるべきではないというのは当然」とした上で、「天皇が存在する限りは、天皇は崇敬の対象であり、それに相応すべき地位と権威を与えられなければならないとの考えていた」と後に述べています。

 

では、これに対して、日本政府はどう対応したのでしょうか?

 

<日本政府の3月2日案>(下線は筆者)

天皇は日本国民至高の総意に基き、日本国の象徴および日本国民統合の標章たる地位を保有す

 

GHQ案に対する日本政府案(3月2日案)では、GHQ案の「人民の主権意思sovereign will of the People」を「日本国民至高の総意」としました。当時の国体擁護を求める多くの国民感情を考慮すれば、あまり人民主権(国民主権)を強調し過ぎることを嫌ったからです。また、GHQ案の「他のいかなる源泉よりも承(う)けず」を削除しました。国民至高の総意に基づく旨を定めている以上、他の源泉に基づくものでないことは論理上当然なためです。

 

その後、政府はGHQ側と「協議」を行いました。GHQは、3月2日案の「天皇ハ……日本国民統合ノ標章タル地位ヲ保有ス」とした「保有」という文言について異議を唱えました。保有(英語maintain)とは、今までの姿をそのまま維持する意味であり、天皇の地位を根本的に変える趣旨に反すると主張したのです。

 

結果として「保有」の語は削除され、帝国議会に提出するための帝国憲法改正案(口語に変更)では次のように修正されました。

 

<帝国憲法改正案>

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、日本国民の至高の総意に基く

 

さらに、帝国議会においても修正が入ります。1946(昭和21)年6月20日、第90回帝国議会に提出され、衆議院での審議が始まる前の7月2日、ワシントンの極東委員会では、新しい憲法が充たすべき基本原則の一つとして、「主権は国民にあることを認める」、つまり、国民主権を明確にすることが求められていました。

 

これを受けて、マッカーサーのGHQは、日本政府の改正案が極東委員会の基本原則を満たしているかどうか詳細に再分析した結果、日本語で主権の位置づけが曖昧になっていることを見出しました。GHQ案にあった「人民の主権の意思」の「主権」を意味するsovereigntyという単語を、日本政府が「至高」と翻訳していたことに気づいたのです。

 

そこで、GHQは、日本政府に対して、「主権の所在が不明確」と修正を再三要請してきました。衆議院では、訂正案が提出され、具体的には「至高」も「主権」という言葉に修正、主権在民を明確にするために「主権の存する日本国民の総意に基く」と明文化させられました。こうして、象徴天皇制と国民主権が明確に規定され日本国憲法第1条が誕生したのでした。

 

  • 日本国憲法第1条ができるまで

 

(GHQ案)

天皇は国家の象徴にして、また人民の統一の象徴たるべし。彼はその地位を人民の主権意思より承けこれを他のいかなる源泉よりも承(う)けず。

(政府の3月2日案)

天皇は日本国民至高の総意に基き、日本国の象徴および日本国民統合の標章たる地位を保有す

(帝国憲法改正案)

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、日本国民の至高の総意に基く

(日本国憲法第1条)

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く

 

 

第2条(皇位の継承)
皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 

皇位(天皇の位)の継承についての規定で、皇位は伝統的な世襲制(子が親の地位や財産を代々受け継ぐ制度)であると定め、その手続き等について、国会が議決する、皇室典範の規定に委ねています。

 

皇室典範:戦前からある「皇位の継承順位、皇族の身分、皇族の婚姻等について規定」した皇室に関する法律。

 

皇位の継承に関しては、帝国憲法においても第2条で、次のように定められていました。

 

皇位ハ皇室典範(てんぱん)ノ定ムル所ニ依リ 皇男子孫(こうだんしそん)之ヲ継承(けいしょう)ス

皇位は皇室典範の定めに従って、皇統の男系男子が継承する

 

男系子孫

皇統の男系子孫というのは、父親を天皇にもつ子孫のことをいいます。天皇のご息女が天皇になると女性天皇となりますが、その際、母は皇族で、父は皇族ではない人が皇位を継承すると女系天皇となります。

 

一方、女性天皇でも父が皇族であれば男系天皇です。例えば、仮に現在の天皇陛下のご息女である愛子様が即位されることがあるとすると、男系の女性天皇となります。また、愛子様が一般の方とご結婚され男子が誕生し、その子が即位した場合は、女系天皇(女系の男性天皇)となり、女子が誕生しその子が即位すれば、女系女性天皇となります。

 

では、この皇位の継承に関する帝国憲法の規定は、どのような経緯で現在の条文になったのでしょうか?GHQは当然、皇位の世襲制と女子の皇位継承が禁じられている点を問題視したことは言うまでもありません。

 

毎日新聞がスクープした日本政府の憲法問題調査委員会試案では、以下のように帝国憲法とほぼ変わりありませんでした。むしろ、「万世一系の」を加え、伝統と歴史が強調されていました。

 

皇位は皇室典範の定むる所に依り万世一系の皇男子孫之を継承す

 

これに対するGHQ(総司令部)案です。GHQ(総司令部)は、マッカーサー3原則の最初の「皇位の継承は、世襲である」に従い、次のように定めました。

 

<GHQ案>

皇位の継承は世襲にして、国会の制定する皇室典範によるべし

 

世襲制については、今も民主主義の理念や平等原則に反するという見方もありますが、GHQ(総司令部)は、マッカーサー3原則に従い、世襲制を認め、天皇制を維持することを容認しました。「天皇制の維持」が困難にならないように、例外的に世襲制を表面的には認めたわけです。

 

ただし、男系男子の原則は外され、皇室典範も「国会の制定する」法律に格下げとなりました。明治憲法下の(旧)皇室典範は、憲法と対等の地位にある特別な法律で、帝国議会で改正できませんでした。

 

帝国憲法第74条

皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス

皇室典範の改正は、帝国議会の議決を必要としない。

 

しかし、「国会ノ制定スル」が付記されれば、皇室典範はもはや特別な法律ではなくなってしまいます。そこで、日本政府は「3月2日案」の中で、「国会ノ制定スル皇室典範」を単に「皇室典範」と改め、また「3月2日案」の「第9章補則」の中でその発議権を、「天皇第三条の規定に従い」と付記して、国会ではなく内閣に委ねる規定を設けました。皇室典範が一般の法律と同じ扱いをされることを極力回避しようとしたのです。

 

<3月2日案>

皇位は皇室典範の定める所により世襲してこれを継承する

 

(補則)

皇室典範の改正は、天皇第三条の規定に従い、議案を国会に提出し、法律案と同一の規定によりその議決を経るべし。(以下略)

 

天皇第三条とは?

天皇の国事に関する一切の行為は、内閣の輔弼によることを要す。内閣はこれに付き、その責に任ずる。

 

実際、皇室典範は「皇室の家法」であり、直接、国会が一般の法律と同じように、皇位継承のやり方などについて発議することは行き過ぎであると考えられました。

 

しかし、その後の総司令部側との「審議」で、皇室典範に関しては、日本政府が削った「国会の議決を経る」が戻され、3月2日案で加えられた皇室典範についての天皇の発議権に関する補則の規定も削除されてしまいました。結局、GHQ案(マッカーサー草案)通りに戻された形で、現行憲法の第2条となりました。

  

  • 日本国憲法第2条ができるまで

(GHQ案)

皇位の継承は世襲にして、国会の制定する皇室典範によるべし

(3月2日案)

皇位は皇室典範の定める所により世襲してこれを継承する

皇室典範の改正は、天皇第三条の規定に従い、議案を国会に提出し、法律案と同一の規定によりその議決を経るべし。

           

(日本国憲法第2条)

皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 

 

第3条(内閣の助言と承認)

天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

 

「国事に関する行為(国事行為)」とは、法的・政治的に効果のない形式的・儀礼的行為をいいます。日本国と日本国民統合の象徴である天皇は、政治に関する権限を持っておらず、国事行為しか行うことはできません(国事行為の具体的な内容は第7条に規定)。しかも、その国事行為も、天皇は自分の考えに基づいて行なうことができず、内閣の助言と承認に基づいて行われます。

 

従って、天皇が政治的に責任を負うことはなく、天皇が政治とは離れた存在であることが強調されています。逆に、内閣は自ら実質的に決定した助言と承認を与えたことに対して、政治的責任を負います。

 

帝国憲法(明治憲法)では、天皇に統治大権があり、統治の主体であることが明記され、松本委員会(憲法問題調査委員会)でも、表現を変えただけでほぼこれを継承する試案を出していました。

 

帝国憲法第4条

天皇ハ国ノ元首(げんしゅ)ニシテ統治権ヲ総攬(そうらん)シ 此ノ憲法ノ条規(じょうき)ニ依リ之ヲ行フ

天皇は国家元首であり、統治権を総攬し、この憲法の規定により統治を行う

 

松本委員会試案
天皇は君主にして、この憲法の条規により統治権を行う

 

これに対して、天皇の統治大権の継承など認めるはずのないGHQは、日本国憲法第3条、第4条でこれを徹底的に否定していきます。まず、第3条成立の経緯からみていきましょう。

 

<GHQ(総司令部)案>(下線は筆者)

国事に関する天皇の一切の行為には内閣の輔弼および協賛を要す。しかして内閣はこれが責任を負うべし。

 

このGHQ案は、マッカーサー・ノートに基づいて書かれたというよりも、マッカーサーが3原則を発表する前に、アメリカの国務・陸軍・海軍三省調整委員会(SWNCCスウィンク)による「日本の統治制度の改革」の方針で示された次の内容そのものです。

―――――――――― 

天皇は、一切の重要事項につき、内閣の助言にもとづいてのみ行動するものとすること。

内閣は、天皇に助言を与え、天皇を補佐するものとすること。

――――――――――

 

これを受けて、政府は、GHQ案の「輔弼および協賛」(advice and consent)に当たる部分について、単に「輔弼」(=補佐の意)だけで十分であるとして、「協賛」(=同意の意)を削除しました。

 

<3月2日案>(下線は筆者)

天皇の国事に関する一切の行為は内閣の輔弼によることを要す。内閣はこれにつき、その責に任ず。

 

GHQのケーディス大佐は、この政府による微妙な変更に不快感を示します。日本側は、「輔弼」の語には結局、協賛(同意)の意味も含まれている説明しますが、GHQ側は応じず、「協賛(consent)」の新たな訳として、「承認」の語を主張しました。(GHQ案は「輔弼および協賛」から「輔弼および承認」へと変更された)。

 

国事に関する天皇の一切の行為には内閣の輔弼および承認を要す。しかして内閣はこれが責任を負うべし。

 

これに対して、日本側は内閣が天皇に「承認」を与えるというのは不適切として、「輔弼と賛同」を提案、さらに「補佐と同意」とよりやさしい言葉に書き換えました。

 

国事に関する天皇の一切の行為には内閣の補佐と同意を要す。内閣はこれにつき、その責に任ず。

 

しかし、GHQ(総司令部)側は、天皇と内閣との関係は、「内閣が上位であり天皇がその下位に立つものである」と異議を唱えます。結局、最終的な憲法改正草案では、当初のGHQ案に近く、現行の「助言と承認」に改められてしまうことになりました。

 

国事に関する天皇の一切の行為には内閣の助言と承認を要す。内閣はこれにつき、その責に任ず。

 

こうした過程を経て、出来上がった帝国憲法改正案が、そのまま日本国憲法第3条となりました。

 

  • 「Advice and Consent」は、如何に訳されたか?

(GHQ案)

国事に関する天皇の一切の行為には内閣の輔弼および協賛を要す

(3月2日案)

天皇の国事に関する一切の行為は内閣の輔弼によることを要す。

(GHQの主張)

国事に関する天皇の一切の行為には内閣の輔弼および承認を要す。

(日本の主張)

国事に関する天皇の一切の行為には内閣の補佐と同意を要す。

<帝国憲法改正案と日本国憲法第3条>

天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし・…

 

 

第4条(天皇の権能)

  1. 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
  2. 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

 

本条1項において、天皇は憲法の定める国事行為のみを行なう存在で、国政に関する権能(権限能力)を持たないと定め、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要」とする前条の趣旨を念押ししています。

 

すでに述べたように、帝国憲法では、第4条に「天皇は…統治権を総攬(そうらん)し」と定め、天皇は、立法、行政、司法などを統括する強大な権限を保持していました。

 

また、天皇の行為として、緊急時の緊急勅令を発布する緊急命令大権(第8条)や、陸海軍を統括する統帥大権(第11条)、宣戦・外交大権、戒厳令を発することができる戒厳大権(第13条)などの天皇大権が、第4条から第16条にかけて列挙されていました。

 

帝国憲法第8条①(緊急命令大権)

天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ 又(また)ハ其ノ災厄(さいやく)ヲ避クル為(ため) 緊急ノ必要ニ由(よ)リ帝国議会閉会ノ場合ニ於(おい)テ 法律ニ代ルヘキ勅令(ちょくれい)ヲ発ス

天皇は公共の安全を保持し、またはその災厄を避けるため、緊急の必要がありかつ帝国議会が閉会中の場合において、法律に代わる勅令を発することができる。

 

帝国憲法第11条(天皇の統帥大権)

天皇ハ陸海軍ヲ統帥(とうすい)ス

天皇は陸海軍を統帥(指揮・命令)する

 

当初、日本政府は、松本案や、それを要綱化した「憲法改正要綱」では、天皇制について、「天皇の大権を制限し、重要事項はすべて帝国議会の協賛を要する…」というように、天皇大権事項を残したまま議会の権限を拡大し、制限する意向でした。

 

帝国憲法第8条の緊急勅令等についても、「帝国議会常置委員の諮詢(諮問)を必要とする」、また、同11条の統帥権については「軍の制度は存置するが、統帥権の独立は認めず、統帥も国務大臣の輔弼の対象とする」といったように、天皇大権を立法・行政側が制御する改憲案をGHQに示しました。

 

しかし、天皇制の仕組みの本質は変わっていないと政府案に不満を示したマッカーサーは、これを拒否し、自ら「マッカーサー三原則」を提示した上で、GHQで憲法草案を起草させたことは既に触れた通りです。GHQは、マッカーサーノートに従い、次のような起草案を出しました。

 

<GHQ案>

天皇はこの憲法の規定する国家の機能をのみ行うべし。彼は政治上の権限を有せず。またこれを把握し、または賦与せらるること無かるべし。

 

これを受けた政府案(3月2日案)も、帝国憲法改正案も原則、GHQ案に沿った形でした。

 

<3月2日案>

天皇はこの憲法の定むる国務に限りこれを行う。政治に関する権限はこれを有することなし。

<帝国憲法改正案>

天皇は、この憲法の定める国務のみを行ひ、政治に関する権能を有しない。

 

このように、天皇は政治と完全に切り離され、国政に関する権能、政治に関する権限を一切持たないことを、前条と本条1項で定められたのです。

 

なお、本条(第4条)2項では、「天皇は、法律(国事行為の臨時代行に関する法律)の規定に従い、国事行為を委任することができる」と、天皇の国事行為の臨時代行について明記しています。これもGHQ案が提示した内容がそのまま採用されました。

 

臨時代行の制度は、天皇の行為を一時的に代わって行うものです。天皇がご公務などで海外へ行かれて国内に不在である場合や、病気で一時的に国事行為を行えない場合に活用されます。なお、天皇が長期に渡り国事行為を行えないと判断されたときには、次条に規定されているように天皇の権能を摂政が代行します。

 

 

第5条(摂政)

皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

 

摂政は、皇室典範で示されているように、「天皇が成年に達しない場合や、天皇が精神や身体に重い疾患を抱えていたり、重大な事故などがあったりして、国事に関する行為を行なえないと判断された場合に置かれる」天皇の法的代理機関です。

 

この皇室典範の規定に基づいて摂政が置かれる場合、摂政は、日本国憲法第7条に示されている「国事に関する行為」を行います。もちろん、「前条第一項の規定を準用(標準として適用)する」と規定されている通リ、摂政も国政に関する権能は持ちません。

 

帝国憲法においても、第17条で摂政について規定していました。

  • 摂政(せっしょう)ヲ置クハ皇室典範ノ定ムル所ニ依ル

(摂政を置く場合は皇室典範に定められている規定による)

  • 摂政ハ天皇ノ名ニ於テ大権(だいけん)ヲ行フ

(摂政は天皇の名において大権を行使する)

 

松本委員会の憲法改正試案でも、帝国憲法第17条に関して「現状維持」としたことに対して、GHQ案では、「摂政は…大権を行使する」を否定して次のように定めました。

 

<GHQ案>

国会の制定する皇室典範の規定に従い摂政を置くときは、天皇の責務は摂政これを天皇の名において行うべし。しこうしてこの憲法に定める所の皇帝の機能に対する制限は、摂政に対し等しく適用されるべし。

 

日本政府の「3月2日案」は、GHQ案に対して、文言の調整をしただけで受け入れ、「3月2日案」がそのまま現行の第5条となっています。

 

 

  • 憲法研究会の「憲法改正要綱」との関連

「天皇」についてのここまでの規定で、GHQが憲法草案(マッカーサー草案)を作成する際に参考にしたとされる「憲法研究会」の「憲法改正要綱」の「天皇」に関する規定の多くはGHQ案に採用されていたということが特筆されます。(日本国憲法ができるまで:わずか9日間で書けたわけ)

 

憲法改正要綱の冒頭の5条からなる「根本原則」の中で、「(天皇は)国家的儀礼を司る」として天皇制の存続を認めつつ、「統治権は国民より発す」と天皇の統治権を否定し、国民主権の原則の採用などを提唱していました。また「内閣の助言と承認」につながる草案も掲げていました(矢印⇒は、反映された日本国憲法の条文)。

 

憲法改正要綱 根本原則(統治権)

第1条 日本国の統治権は日本国民より発す(⇒日本国憲法第1条)
第2条 天皇は国政を親(みずか)らせず、国政の一切の責任者は内閣とする(⇒同3条)
第3条 天皇は国民の委任により専ら国家的儀礼を司る(⇒同4条)
第4条 天皇の即位は議会の承認を経るものとする(該当なし)
第5条 摂政を置くは議会の議決による(⇒同5条)

補則 皇室典範は議会の議を経て定むるを要す(⇒同2条)

 

 

第6条(天皇の任命権)

  1. 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
  2. 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

 

本条は、天皇による内閣総理大臣と最高裁判所長官の任命行為についての規定ですが、天皇の任命権といっても、それぞれ国会の指名、内閣の指名によりますので、形式的で儀礼的な行為で、天皇の非政治的存在が強調されています。

 

本条に対するGHQ案は次の通りで、政府の3月2日案も、その後の帝国憲法改正案も、文言調整しただけで、GHQ案がそのまま採用されました。

 

<GHQ案>                                                                    i

天皇は国会の指名する者を総理大臣に任命する

 

「最高裁判所の長たる裁判官」の任命についての規定は、帝国憲法改正案になかったことから、帝国憲法改正案を審議した帝国議会において付記されたものと推察されます。

 

 

第7条(天皇の国事行為)

天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

 

  1. 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
  2. 国会を召集すること。
  3. 衆議院を解散すること。
  4. 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
  5. 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
  6. 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
  7. 栄典を授与すること。
  8. 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
  9. 外国の大使及び公使を接受すること。
  10. 儀式を行ふこと。

 

日本国憲法第3条で規定された、国政に関する権能を一切持たない天皇が内閣の助言と承認のもとで行う国事行為が1号から10号まで具体的に列挙されています。これらの事項は帝国憲法における天皇大権の否定という側面があります。各号について、内容を検証していきます。

 

  1. 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。

政令:憲法や法律の規定を実施するために内閣が決める命令のこと。

 

帝国憲法では、天皇は立法権と法律裁可権などを保持していましたが、日本国憲法において、天皇は、国会で成立した法律を公布(国民に発表)するのみで、天皇に決定権はありません。

 

帝国憲法第5条(立法大権)

天皇ハ帝国議会ノ協賛(きょうさん)ヲ以(もっ)テ(て)立法権ヲ行フ

天皇は帝国議会の協賛により立法権を行使する

 

帝国憲法第6条(天皇の法律裁可・公布・執行大権)

天皇ハ法律ヲ裁可(さいか)シ 其(そ)ノ公布及(および)執行ヲ命ス

天皇は法律を裁可し、その公布と執行を命じる

 

  1. 国会を召集すること。
  2. 衆議院を解散すること。
  3. 国会議員の総選挙の施行を公示すること。

帝国憲法では、国会の召集や解散に内閣の助言と承認は必要ありませんでした。現行憲法では、内閣が国会の召集、衆議院の解散、総選挙の施行を実質的に決定します。

 

帝国憲法第7条(天皇の議会招集・開会閉会・衆議院解散大権)

天皇ハ帝国議会ヲ召集シ 其(そ)ノ開会閉会停会(ていかい) 及衆議院ノ解散ヲ命ス

天皇は帝国議会を召集し、開会・閉会・停会および衆議院の解散を命じる

 

  1. 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

官吏:国家公務員

大使と公使:外交官の階級で大使(最上位)は公使の上、公使の下に代理公使がいる。

全権委任状(条約締結のために一切の権限を委ねるために公布される文書)

信任状:外交官の正当な資格を証明する文書

 

帝国憲法においては、天皇は任命権そのものを保持していました(「認証」ではなく「決定」)。

 

帝国憲法第10条(官制・文武官制大権)

天皇ハ行政各部ノ官制(かんせい)及文(ぶん)武官(ぶかん)ノ俸給(ほうきゅう)ヲ定メ 及(および)文武官ヲ任免(にんめん)ス(以下略)

天皇は、行政各部の官制および文武官の俸給(給料)を定め、また文武官を任免する。

 

  1. 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。

大赦:法令で罪の種類を定め刑の執行を免除すること。

特赦:特定犯人に対して刑の執行を免除すること。

復権:刑の宣告により失われた資格や権利を回復すること。

 

大赦、特赦、減刑、復権を総称して恩赦といいます。恩赦とは「特定の犯罪について公訴権を消滅させたり、司法権が下した刑の言渡しの効果の全部または一部を消滅させたりすること」です。現行憲法では、この恩赦の決定を行うのは内閣で、天皇は形式的に認証するのです。これに対して、帝国憲法において、天皇は認証ではなく決定権を保持していました。

 

帝国憲法第16条(天皇の恩赦大権)

天皇ハ大赦(たいしゃ)特赦(とくしゃ)減刑(げんけい)及復権ヲ命ス

天皇は、大赦、特赦、減刑および復権を命じる

 

  1. 栄典を授与すること。

栄典:国家に対して功労ある者に与えられる栄誉、勲章(くんしょう)や褒章(ほうしょう)(社会や公共の福祉、文化などに貢献した者に与えられる)などがある。

 

帝国憲法下と異なり、現行憲法における栄典授与の決定権は、天皇ではなく、実質的に内閣にあり、政令によってなされます。

 

帝国憲法第15条(天皇の勲爵栄典授与大権)

天皇ハ爵位(しゃくい)勲章(くんしょう)及其(そ)ノ他ノ栄典ヲ授与(じゅよ)ス

天皇は爵位、勲章およびその他の栄典を授与する

 

 

  1. 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。

批准書:(締結された)条約に対する国家の確認や同意を表明した文書のこと

 

後述しますが、この項目はもともとGHQ案にはなく、日本側の要求で加えられました。

 

  1. 外国の大使及び公使を接受すること。

「接受」とは、単なる接待という意味ではなく、例えば、新しく赴任した大使や外交使節などに対して、「接受国」として反対のない旨の意思表示を与え、その信任状を受ける行為をいいます。

 

  1. 儀式を行ふこと。

ここでの「儀式」とは、即位の礼や大喪の礼など天皇が主宰して行われる国家的な性格の儀式をいいます。前号で事例としてあげた信任状の奉呈式も儀式の一つです。

 

本条の制定過程をみると、基本的にGHQ案に沿った形で、現行の条文が定められましたが、第5号と第6号に関して、当初、日本政府は3月2日案で、GHQ案にあった「認証」(実際の用語は「公証」、英文ではattest)を削除しました。

 

<GHQ案>(第5号の部分)

国務大臣、大使およびその他、国家の官吏にして、法律の規定により、その任命または嘱託および辞職または免職…を公証する。

<3月2日案>

国務大臣、大使および法律の定むるところによるその他の官吏の任免

 

<GHQ案>(第6号の部分)

大赦、恩赦、減刑、執行、猶予および復権を公証する

3月2日案

大赦、特赦、減刑、刑の執行の停止および復権

 

認証(公証)(国家の行為が正当な手続きで行なわれたことを外部に証明すること)というのは、天皇が公証人(法律の専門家で公証事務を担う公務員)のようでおかしいというのがその理由でした。しかし、最終的な帝国憲法改正案の段階で、GHQの要求により、削除された「認証」の語が復活して現在に至るという経緯がありました。

 

GHQがそこまで「認証」にこだわった理由としては、やはり帝国憲法において、天皇が持っていた文武官制における任命権(文武官制大権)や恩赦を決定する恩赦大権を否定したかったとみられています。しかも、天皇は内閣の決定(認証)を拒否することができません。

 

一方、日本側の要求で、挿入された文言もありました。第5号は、帝国議会に提出するための憲法改正草案の段階において「国務大臣、大使及び法律の定めるその他の官吏の任免」でした。これを日本の外務省の申し入れにより、「全権委任状および大使及び公使の信任状」についての「認証」も加えられたのです。

 

また、GHQ案にはなかった第8号(批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること)が新たに付記されました。それまで本条は、第1号から第9号までしかなかったものが、付記によって第10号までとなりました。

 

 

第8条:(皇室の財産管理)

皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

 

天皇が皇室財産の授受や賜(し)予(よ)(目上の者が目下の者に無償で譲り渡すこと)する場合には、(内閣の助言と承認ではなく)国会の議決が必要であると規定しています。どうして国会の議決なのかというと、国民を代表する議員による議決、すなわち国民主権の考えに基づいた規定であると解されています。

 

皇室の財産管理については、マッカーサー3原則に記載はありませんでしたが、これに先立って発表されたアメリカの国務・陸軍・海軍三省調整委員会(SWNCCスウィンク)の報告書「日本の統治制度の改革(SWNCC228)」には、次のような記載がありました。

 

皇室財産を国の管理とし、皇室費を毎年の予算の中で取り扱うこと。

 

皇室財産を国の管理にするとは、皇室財産を国有化するということです。また、皇室費を予算の中で扱うとは、皇室への支出には国会の議決を要することを意味します。本条に対するGHQ案も以下のようにSWNCC228に沿って起案され、日本政府も文言調整程度の微修正しかできませんでした。

 

<GHQ案>

国会の許諾なくしては、皇位(皇室)に金銭またはその他の財産を授与することをえず、また皇位(皇室)は何等の支出を為すことをえず

 

また、皇室の財産については、本条(財産管理)だけでなく憲法第88条(第7章財政)に皇室の費用についての規定があります。帝国憲法には皇室の費用についての定めしかありませんでしたが、日本国憲法では、皇室の費用だけでなく、本条のように皇室の財産授受についても取り上げています。

 

これは、皇室へ財産が集中すること(天皇家が財閥化することを防ぐため)や、皇室が特定の個人や団体と金銭授受を介して特別な関係を持ち、不当な支配力を持つことを防ぐことが背景にあるとされています。戦前の天皇制の解体を徹底的に行おうとしたGHQの意図が伺えます。

 

 

  • 帝国憲法にあって日本国憲法において削除された条項

 

以上、「天皇」に関する規定を定めた日本国憲法第1章(第1条~台8条)を概観しましたが、「日本の統治制度の改革」(SWNCC228)には、もう一つ天皇に関して重要な記述あります。

―――――――――――

天皇は、(帝国)憲法第1章中の第11条、第12条、第13条および第14条に規定されているような、軍事に関する権能をすべて剥奪されること

―――――――――――

 

第11条、第12条、第13条および第14条とは、天皇が保持した統帥大権、軍編制大権、宣戦・外交大権、戒厳大権のことです。

 

帝国憲法第11条(統帥大権)

天皇ハ陸海軍ヲ統帥(とうすい)ス

天皇は陸海軍を統帥する

 

帝国憲法第12条(天皇の軍編制大権)

天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵(へい)額(がく)ヲ定ム

天皇は陸海軍の編成と常備軍の兵額(兵士の人数、兵力)を定める。

 

帝国憲法第13条(宣戦・外交大権)

天皇ハ戦(たたかい)ヲ宣(せん)シ 和ヲ講(こう)シ 及諸般ノ条約ヲ締結ス

天皇は宣戦布告を行い、講和条約を結び、様々な条約を締結する

 

帝国憲法第14条①(戒厳大権)

天皇ハ戒厳(かいげん)ヲ宣告ス 天皇は戒厳を宣告する

 

SWNCC228に基づいて、日本国憲法には、こうした軍に関する規定はありません。

 

また、議会の統制を受けずに、法律に代わる効力を持つ緊急勅令の制度(第8条)や、警察命令と呼ばれた法律の委任を必要としない独立命令の制度(9条)も反民主的であるとして削除されました。

 

帝国憲法第8条(緊急命令大権)

天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ 又(また)ハ其ノ災厄(さいやく)ヲ避クル為(ため) 緊急ノ必要ニ由(よ)リ帝国議会閉会ノ場合ニ於(おい)テ 法律ニ代ルヘキ勅令(ちょくれい)ヲ発ス

天皇は公共の安全を保持し、またはその災厄を避けるため、緊急の必要がありかつ帝国議会が閉会中の場合において、法律に代わる勅令を発することができる。)

 

帝国憲法第9条(天皇の命令大権)

天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ 又ハ公共ノ安寧(あんねい)秩序ヲ保持シ 及臣民(しんみん)ノ幸福ヲ増進スル為ニ 必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム(以下略)

天皇は法律を執行するために、または公共の安寧秩序を保持し、および臣民の幸福を増進する為に必要な命令を発し、または発令させることができる(以下略)

 

このように、「前文」に続き、「(第1章)天皇」についての規定において、抵抗しようとする日本に妥協することなく、GHQ案を通させたという経緯をみることができたのではないかと思います。実際、GHQの方針は、「前文と天皇、戦争放棄の条項については日本側には譲らない」でありました。そのGHQの方針は何に基づいていたかといえば、一般的に信じられてきたマッカーサー3原則(マッカーサーノート)ではなく、アメリカの国務・陸軍・海軍三省調整委員会の「日本の統治制度の改革」の方針(SWNCC228)でなかったのではないでしょうか?むしろ、マッカーサーがSWNCC(スウィンク)の指示に従ったというのが正確かもしれません。

 

いずれにしても、帝国憲法下で定められていた以下の天皇大権(形式的とはいえ天皇に全権を集中させた権限)は、日本国憲法においてことごとく否定され、その条文は削除されたか、たとえ憲法の条文上は第7条に残されたとしても、「内閣の助言と承認」の下でしか行えなくなりました。

 

 

否定された帝国憲法下の天皇の大権

 

第4条:統治大権 ⇒日本国憲法第3条、第4条で否定

第5条:立法大権 ⇒削除

第6条:法律裁可・公布・執行大権 ⇒日本国憲法第7条で否定

第7条:議会招集・開会閉会・解散大権 ⇒日本国憲法第7条で否定

第8条:緊急勅令大権 ⇒削除

第9条:命令大権(行政命令、独立命令) ⇒削除

第10条:官制・文武官制大権 ⇒削除

第11条:統帥大権 ⇒削除

第12条:軍編制大権 ⇒削除

第13条:宣戦・外交大権 ⇒削除

第14条:戒厳大権 ⇒削除

第15条:勲爵栄典授与大権 ⇒日本国憲法第7条で否定

第16条:恩赦大権 ⇒日本国憲法第7条で否定

 

<関連投稿>

日本国憲法ができるまで:わずか9日間で書けたわけ

日本国憲法(上諭・前文):「8月革命説」と美濃部の抵抗

 

 

<参照>

その他の条文の成り立ちについては以下のサイトから参照下さい。

⇒ 知られざる日本国憲法の成り立ち

 

        

<参考>

日本国憲法の誕生(国立国会図書館HP)
憲法(毎日新聞)

國破れてマッカーサー(西 鋭夫、中央公論新社)

憲法はかくして作られた(日本政策研究センター)

昭和史のかたち 歴代首相と憲法(保阪正康)

NHKスペシャル「日本国憲法誕生」

日本国憲法:制定過程をたどる/4 (毎日新聞 2015年05月06日)

GHQ“素人”が米合衆国憲法を「コピペ」で原案(産経新聞2016.11.3)

もはや意味不明の護憲派主張 押し付け憲法論をめぐる論理の混濁

(阿比留瑠比の極言御免2016.11.3 、産経)

Wikipedia

 

(2022年7月30日)