日本国憲法20条 (信教の自由):ワイマール憲法からの誘い

 

日本国憲法の制定過程や、各条文の成立経緯を検証した「知られざる日本国憲法のなりたち」を連載でお届けしています。第3章の「国民の権利及び義務」(人権規定)の中から、今回は、かつて「人権の花形」とされた20条の「信教の自由」をとりあげます。

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第20条 (信教の自由)

  1. 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
  2. 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
  3. 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 

「信教の自由」とは、一般的に人々がどんな宗教を信仰しても許される権利をいいます。中世西欧に見られたように、人類は、歴史の中で、古今東西、国を問わず、国家が特定の宗教と結びつくとき、異教徒や無宗教者に対する宗教的迫害が行われてきました。ですから、信教の自由は、極めて重要な意味をもち、現在では人類に共通する人権です。

 

<20条の中身

さて、信教の自由には、中核である「信仰の自由」だけでなく、「宗教的行為の自由」、「宗教的結社の自由」が含まれています。「宗教的行為の自由」とは、宗教上の祝典(お祝いのための儀式)、儀式、行事や布教などを自由に行えるという権利のことで、「宗教的結社の自由」とは、宗教行為を行うことを目的とする団体を自由に結成できるという権利です。

 

さらに、本条1項後段と3項で、国家と宗教は関わり合ってはならないという「政教分離」を規定しています。

 

政教分離規定

明治憲法では政教分離原則が定められていませんでした。この時代、神道(神社神道)は、天皇制を支えるための精神的支柱として利用され、国家神道となり、国教的地位が与えられました。

 

実際、「神社は宗教にあらず」の標語のもとで神道が優遇され、神道系でも天理教や大本教といった教派神道や仏教、キリスト教など他の宗教が迫害・弾圧、冷遇され、個人の信教の自由も抑圧されました。また、軍国主義にも活用され、多くの若者が戦争に駆り立てられたと説明されています。

 

しかし、戦後1945年12月、GHQ(連合国総司令部)は、神道指令を発して、国家と神道との分離、軍国主義的・超国家主義的思想は排除されました。この流れで、日本国憲法では、「信教の自由」の中に政教分離原則が定められたのです。

 

具体的には、かつての神社などに与えられていた国の特権(特殊な地位・優遇措置)が廃止され、宗教団体が政治上の権力(実際は政治的影響力)を行使することを禁じています(20条1項後段)。加えて、国は、宗教教育や宗教的活動を行ってはならず、特定の宗教の布教や宣伝、または排斥などを伴う国立、公立での宗教教育があげられます(20条3項)。

 

 

<21条の成り立ち>

「信教の自由」は、明治憲法でも保障されていましたが、「安寧秩序(公共の安全と社会の秩序)を妨げず、および臣民たるの義務に背かざる限りに於いて」という条件が、「信教の自由」を制限する口実として使われいたと批判されています。政府が社会の秩序を乱すと判断すれば、信教の自由を制限できたというのです。ですから、明治憲法における当時の「信教の自由」は不十分なものだったと言われています。

 

帝国憲法28

日本臣民ハ安寧(あんねい)秩序ヲ妨(さまた)ケス及(および)臣民タルノ義務ニ背(そむ)カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス

(日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りにおいて信教の自由を有す。)

 

日本政府の憲法問題調査会(松本委員会)による憲法改正作業において、信教の自由に関する改正要綱では、帝国憲法第28条の「臣民たるの義務に背かざる限りにおいて」の部分を削除する修正だけが行われていました。

 

当然、これに不満を示したマッカーサーの指示によって作成されたGHQ案は以下のように定められました。

 

  • GHQ案
  1. 宗教の自由は、何人にも保障せらる。いかなる宗教団体も国家より特別の特権を受くることなかるべく、また政治上の権限を行使することなかるべし。
  2. 何人も宗教的の行為、祝典、式典または行事に参加することを強制せらざるべし。
  3. 国家およびその機関は宗教教育またはその他いかなる宗教的活動をもなすべからず。

 

これを受けて、日本政府は対案(3月2日案)で、「何人も」を「すべて国民は」に置き換え、GHQ案の「政治上の権限を行使することなかるべし」を「政治に関与することはできない」と柔らかい表現にするなど修正を試みました。

 

  • 日本政府の「3月2日案」
  1. すべての国民は信教の自由を有し、礼拝、祈祷その他宗教上の行為を強制せらるることなし。
  2. 宗教団体は政治に関与し、または国より特権を付与せらるることをえず、国およびその機関は宗教教育の実施その他、宗教上の活動をなすことをえず。

 

しかし、その後のGHQとの「協議」で、再びGHQ案に近い形で戻され、現行20条となりました。その結果、日本国憲法では、条文上は徹底した信教の自由が「何人」にも保障されています。

 

 

<21条の出自>

では、GHQは、「信教の自由」にかかるマッカーサー草案の作成において、何を参考にしたのでしょうか?アメリカ合衆国憲法では、信教の自由については、表現の自由や請願権とともに次のように規定されています。

 

合衆国憲法修正第1

連邦議会は、国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、 ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する権利を制限する法律は、これを制定してはならない

 

GHQが参考にしたとされる日本の民間団体、憲法研究会は、以下のように合衆国憲法の条文に近い草案を書いていました。

 

憲法研究会「憲法草案要綱」

国民の言論学術宗教の自由を妨げる如何なる法令をも発布するを得ず

 

政教分離規定に関して、現在、主要先進国の中で政教分離を憲法に規定しているのは、アメリカや日本だけではありません。フランスやメキシコ、トルコなども政教分離の国です。もっとも極端なのがフランスで、公の場からすべての宗教を排除することを政教分離としています。さらには、イデオロギーとして政教分離を徹底したのが共産主義国でした。

 

スターリン憲法 第124条

市民に、良心の自由を保障するために、ソ同盟における教会は国家から、学校は教会から分離される。宗教的礼拝の自由および反宗教的宣伝はすべての市民に対してみとめられる。

 

当時、保守層を中心に、日本国憲法20条1項後段の「いかなる宗教団体も国から特権を受け、又は政治上の権利を行使してはならない」の規定は、「『宗教は阿片である』という共産主義の考え方の反映である」とか、「日本人の精神的な支柱を、信仰や教育、政治の場からも奪い、徹底的に破壊することにある」など批判的な意見もありました。

 

もっとも、信教の自由に関して、日本国憲法20条に最も影響を与えた憲法や法規はどこの国のものかと考えた場合、アメリカ合衆国憲法やスターリン憲法というよりは、むしろドイツのワイマール憲法だと言えるかもしれません。

 

というのも、合衆国憲法では、「連邦議会が、国教を定めたり、自由な宗教活動を禁止したりする法律を制定してはならない」、スターリン憲法が「市民に、良心の自由を保障するために、ソ同盟における教会は国家から…分離される」とだけ書かれているのに対して、ワイマール憲法には、日本国憲法の20条(信教の自由)の中で定めた信仰の自由、宗教的行為の自由、宗教的結社の自由、「政教分離」規定がすべて網羅されているからです。

 

ワイマール憲法(第135条)

ライヒのすべての住民は、信仰および良心の完全な自由を享有する妨害されることのない宗教行事は、憲法によって保障され、かつ、国の保護を受ける。(後略)

 

ワイマール憲法(第136条4項)

何人も、教会の儀式のもしくは祭典を行い、または宗教的儀式に参加し、または宗教上の宣誓方式を用いるように強制されてはならない

 

ワイマール憲法(第137条)

  1. 国の教会は存在しない
  2. 宗教団体結成の自由は、保障される。ライヒの領域内における宗教団体の連合は、なんらの強制をも受けない。(以下略)

 

 

<参照>

その他の条文の成り立ちについては以下のサイトから参照下さい。

⇒ 知られざる日本国憲法の成り立ち

 

        

<参考>

日本国憲法の誕生(国立国会図書館HP)
憲法(毎日新聞)

日本国憲法:制定過程をたどる (毎日新聞 2015年05月06日)

憲法(伊藤真 弘文社)

世界憲法集(岩波文庫)

アメリカ合衆国憲法(アメリカンセンターHP)

ドイツ憲法集(第7版)(信山社)

Wikipediaなど

 

(2022年8月8日)