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2020年06月10日

キリスト教:「バチカン市国」ってどんな国?

前回のニュース投稿で、青森の「キリスト祭」中止については触れましたが、そのお祭りが伝承とはいえ、余りに奇抜すぎたので、ここは、現在のキリスト教の本家について学び直してみたいと考え、バチカン(ヴァチカン)についてまとめてみました。

 

なお、ローマ教皇かローマ法王か、またはローマ教皇庁か法王庁なのか意見が分かれるところですが、日本政府は最近、ローマ教皇、ローマ教皇庁と表記を統一すると発表しています。

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バチカン(ヴァチカン)市国

 

  • バチカンの概要

 

全世界で12億人(世界人口の17.5%)の信徒を擁するカトリックの総本山であるバチカン市国は、世界最小の主権国家です。

 

ローマ市内の一角に位置し、国土面積はわずか0.44平方キロメートルしかありません。皇居が1.15㎢なのでいかに狭いかがわかります(さらに、東京ディズニーランドより狭い)。その限られた場所に、サン・ピエトロ大聖堂を中心に、バチカン宮殿(教皇の住まい)、バチカン市国政庁(議場など)、庭園等があり、人口は約800人(その大半が聖職者か衛兵)しかいません。なお、イタリア領土内に治外法権を持つ施設があるなど、市国外にいくつかの直轄地を持つと言われています。

 

国家元首は、ローマ教皇(法王)で、形式的には立法、行政、司法の全てを掌握しています。ローマ教皇は、ローマ・カトリック教会の最高指導者であると同時に、巨大官僚組織のトップとしての権力も保持しているのです。

 

バチカン市国で官庁にあたるのがローマ教皇庁(法王庁)で、カトリック教会行政の最高機関です。バチカンと言えば、このローマ教皇庁を指します。筆頭の国務省のほか、9省と11評議会からなり、裁判所もあります。省のトップは長官で、全員、法王に次ぐ地位である枢機卿が務めています。なお、ローマ教皇庁は、カトリック全体の統治機構でもあります。

 

また、立法府として、1939年にピウス12世によって創設されたバチカン市国委員会があります。議会といっても、定数7人(任期5年)、議長も議員も枢機卿が務めます。

 

このように、教会組織としては、教皇(法王)⇒枢機卿⇒大司教⇒司教…という高位聖職者の階級があますが、約180人いる枢機卿が、行政や立法組織を実質的に動かしています。さらに、この枢機卿は教皇庁にいる「官僚枢機卿」以外にも、世界の教会の大司教区を代表する「教会枢機卿」もいます。

 

ローマ教皇は、世界のカトリック教徒のトップとしての権威で、世界に多大な影響力を保持していますが、教皇の力の源泉は、世界中にある教会の存在だとされています。すべての教会は必ずどこかの教区に属し、教皇が任命する司教がその長を務めます。司教を補佐する司祭と助祭は教会でミサを行い、一般信者と接します。カトリック教会の世界で、教皇をトップに末端の信者まで厳然としたピラミッド型の組織体系が出来上がっているのです。そのローマ教皇はバチカンの国家元首でもあるため、訪問国の首脳と会って直接対話することができます。ローマ教皇は、世界中の教会を通じて、強力な情報網(コネクション)を構築し、カトリック信者12億人を代表するメッセージを世界に発信しています。

 

ですから、バチカン市国は、170以上の国と外交関係を結び、アメリカやロシアなどとも対等な外交関係を維持しています。国際連合には、中立を国是としている理由などから加盟していませんが、教皇庁が教皇聖座(Holy See)としてオブザーバー参加しています。

 

 

  • バチカンの歴史的経緯

 

バチカンの起源は、ローマ帝国時代(1世紀の中頃)、皇帝ネロの迫害で殉教した聖ペテロの墓所に、4世紀(349年)中頃、サン=ピエトロ大聖堂が建てられたことだとされています。その後、1626年に現在のサン・ピエトロ大聖堂が完成すると、ローマ教皇の座所としてカトリック教会の総本山となりました。

 

また、ローマ教皇は、現在、カトリック信者への絶大な権威を有する精神的指導者として位置づけられていますが、19世紀半ばまでイタリア中部に広大な教皇領を保有する大土地所有者(=領主)でした(教皇領そのものは、756年、カロリング朝ピピンが,ラヴェンナ等の都市をローマ法王に寄進したことが始まり)。

 

しかし、1861年のイタリア王国の成立によって展開された国民国家の建設運動のなか、1870年にバチカン以外の教皇領が、イタリア王国によって接収されてしまいました(1870年のローマ併合によってイタリア統一が完成された)。この結果、ローマ教皇は、イタリアに19世紀に土地を奪われた結果、国民、産業、資源、軍隊などをすべて失いました。時の教皇ピウス9世は、これに抗議し、自らを「バチカンの囚人」と称して宮殿に立てこもり、ローマ教皇庁はイタリア政府との関係を断絶しました。

 

この難題を解決したのがファシスト党のムッソリーニでした。時の法王ピウス11世は、1929年、ムソリーニ政権とラテラノ条約を結び、バチカンの「主権国家」としての地位と、バチカンにおける法王の支配権が認められることと引き換えに、教皇領の権利放棄とイタリアに対する免税特権を保証しました。

 

こうして、60年近く緊張関係にあった伊政府と法王庁が和解し、世界最小の独立国家、バチカン市国が誕生したのです。

 

 

  • バチカン銀行とマネーロンダリング?

 

バチカンでは近年、マフィアとのつながりやそれに絡むマネーロンダリング(資金洗浄)疑惑が表面化しています。そもそも、バチカン銀行という存在に驚かれるかもしれませんが、世界最小とはいえ主権国家ですから、当然、金融機関を持っています。

 

バチカン銀行は通称で、正式には、ローマ法王庁(バチカン)の財政管理組織「宗教事業協会」のことで、1942年に設立されました。教会を通じて、世界中から寄せられた資金を、管理・運用するのが主な業務で、資産の大半は債券で運用していると言われています。少し古い情報ですが、かつて(2012年)、預かり総資産が63億ユーロ(約8200億円)、顧客数は各地のカトリック系団体や個人の合計で1万8900とされていました(バチカンのHPより)。

 

前述したラテラノ条約の際、ムッソリーニのイタリアは、バチカン市国以外の領地を放棄する代償として7億5000万リラ、現在の時価に換算して約1000億円を支払うことに合意しました。この補償金が、バチカン銀行の資本金となったと言われています。そして、当時の教皇ピオ11世は財産管理局が、バチカン銀行の前身となりました。

 

そんなバチカン銀行ですが、おカネの流れは不透明で、イタリアのマフィアなどの資金洗浄に使われているとの指摘が多く、同行を介したマネーロンダリング(資金洗浄)疑惑が絶えませんでした。例えば、82年にはバチカン関連組織に融資していたイタリアの大手銀行が破産、そこの頭取がロンドンで変死を遂げるという事件がありました。また、バチカンの高位聖職者らがスイスから不正に資金をイタリアに持ち込んだ容疑で警察に逮捕されるといった事件なども後を絶ちませんでした。

 

ただし、歴代の教皇は、カトリック教会にとって、バチカン銀行は、重要な組織であるとして、存続を表明し、情報開示による運営の透明性向上や、組織改革に取り組んでいます。ただ、その実効性については、まだ不透明な状況です。

 

参考投稿:ローマ教皇ってどんな人?

 

<参照>

バチカン、世界史の窓

バチカン(BBC)

バチカン銀行、HPで信頼回復へ(2013年8月6日、日経

Wikipediaなど

 

 

2020年04月26日

五輪:「古代オリンピック」はゼウスの祭典

2020年7月開催予定の東京オリンピック・パラリンピックは、史上初めて延期となりました。1年後の開催も危ぶまれていますが、東京大会の実現を期して、今回は、オリンピックについてまとめてみました。

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  • 古代オリンピックのはじまり

 

19世紀末に始まった「近代オリンピック」に対して、ギリシャを発祥とするオリンピックは「古代オリンピック」と呼ばれます(戦前の日本では「オリムピック」と表記された)。

 

古代オリンピックは、ギリシャの首都アテネの北西、ペロポネソス半島にあるエーリス(エリス)地方に位置する、ゼウスの神殿のあったオリンピアで開かれていました。「オリンピック」は、オリンピア(オリンポス)の名前を冠して命名されたもので、古代ギリシャ社会の重要な祭典でした。その起源は諸説がありますが、例えば次のような逸話がよく知られています。

 

  1. ギリシャ神話の最高神ゼウスが父神であるクロノスを倒した。
  2. ゼウスの子で、ギリシャの国民的英雄ヘラクレスが、エーリス王アウゲイアスと戦い、勝利した記念としてオリンピアの地で競技会を行った。
  3. ホメロスの叙事詩「イリアス」の英雄アキレスが、BC1250年頃、トロヤ戦争で没した友人の死を弔うため墓前競技(英霊を弔う目的で墓前にて行われる競技)を行った。

 

いずれにしても、オリンピアでは、紀元前1000年頃からゼウス神に捧げる小さな祭典を行っていたとされていますが、記録上明らかなのは、紀元前776年に、オリンピアを治めていたエーリスの王、イフィトスが領内の疫病に困って、デルフォイのアポロン神の神託を行ったことをきっかけに競技会が開かれました。その神託の内容は、「(当時、頻発していた都市国家(ポリス)間の争いをやめて)オリンピアのゼウス神殿の祭典を復活せよ」というものでした。神託は守らなければ、神罰が下されると見なされたことから、各ポリスはこれに従い、オリンピア祭が開かれたのでした。

 

これが第1回古代オリンピックで、それ以降4年に1度、農閑期の8月下旬に行われるようになりました。古代ギリシャにおいて、小麦の収穫が終わった夏になると、食糧を求めて隣のポリスの収穫を奪い合うといったように、ポリス(都市国家)同士の戦争が続いていました。そうした夏の農閑期の争いが絶えない時代であったにもかかわらず、オリンピックの開催期間は、聖なる休戦期間とされ、一切の戦争は禁止されました。休戦は平和の為と言うよりは、選手や観客など大会参加者の安全を確保するためのものだったと言われています。

 

また、開催時期に関して、暦学的には、月の満ち欠けを使用した太陰暦に基づき、「夏至のあとの2回目(または3回目)の満月の日がオリンピア祭典の3日目になるように計算されていた」そうです。なぜ、3日目なのかというと、オリンピア最大の見せ場が、祭典が始まって3日目にあるからです。その日は、ゼウス神へ100頭の雄牛(牡牛)が捧げられ、神官や審判団、各国からの祭礼使節、100頭の牡牛とその曳き役、選手、コーチら関係者が神域を一周した後、ゼウスの大祭壇に奉納された牡牛(おうし)の喉がかき切られ解体されたそうです。こうした点で、古代オリンピックは、当初、神(々)に捧げられる神事であったことがわかります。競技会そのものも神々への奉納であったわけです。

 

 

  • オリンピアの遺跡

 

現在残されているオリンピアの遺跡は、祭壇や神殿などがある神域、クロノスの山に沿って広がる競技場(スタディオン)や闘技場(パレストラ)、神域とクラデオス川の間に選手たちの練習場だった体育施設(ギムナシオン)と宿泊施設(レオニデオン)、さらに評議会場(ブレウテリオン)などの区域に分かれています。神域には、真ん中にゼウス神殿があり、その周りに勝利の女神ニケ像や、ゼウスの妻であるヘラ神殿、神々へ捧げる生贄のための祭壇と宝物庫などがありました。

 

また、古代オリンピックでも、聖火は灯されていました。ギリシャ神話では、プロメテウスという神が、ゼウスから天界の火を盗んで人間に与えたので、人間は火を使うようになったという話しがあります。そのため火は神聖なものと考えられ、古代オリンピックの期間中、ゼウス神殿やヘラ神殿など開催地のオリンピアの神殿には火が灯され続けました。近代オリンピックで、聖火の採火式が行われるのはヘラ神殿です。ただし、現在のように聖火を点灯する式典は古代オリンピックでは行われていませんでした。開会式もありませんでした。

 

 

  • オリンピックは男子のみ

 

古代ギリシャは完全な男性中心の世界でしたので、オリンピアの祭典に選手として参加できるのはギリシャ人の自由民の男子だけでした(自由自由民とは両親ともがギリシア人のこと)。もっとも、ローマ時代になるとギリシア人は自らをローマ市民と名乗るようになるため、両親のどちらかがギリシア人またはギリシャ語を理解できる者であれば参加できるようになりました。ただし、奴隷や外国人、女性の参加は認められていませんでした。オリンピアの祭典を一目見ようとギリシャ全土から観覧者が集まってきましたが、基本的には男性のみであったという現実がありました。

 

また、古代オリンピックでは、選手とコーチは全裸であったそうです。当時のギリシア人は鍛え抜かれた肉体など人間の表面的な美を追求し、そこに価値を見出していたと言われています。こうした背景もあってか、競技はすべて個人戦で団体戦はありませんでした。これも個人の修錬と努力を神々に見せるものだったからだと解されています。

 

 

  • オリンピアの祭典

 

オリンピアの祭典で行われる競技の基本は徒競争で、第1回オリンピックの競技種目はスタディオン(競技場)を走る徒競争のみでした。その後、槍投げ・円盤投げ・幅跳び・レスリング加わり5種目競技となりました。古代オリンピックでは「5種目を制する者が真の優勝者だ」と言われたそうです。最終的には、ボクシングや戦車競走などが追加され18種類の競技が行われるようになりました。競技種目の増加を受け、開催期間も当初は1日だったものが、5日間の開催となったと記録に残されています。

 

選手たちは開催日の前の満月の日(約30日前)に、オリンピアの祭典の開催都市であるエリスの街へ到着し、ゼウス神に対して、参加の意思を宣言しなければなりませんでした。また、そこで、競技の審判からの最終チェックを受け、その力が一定の基準に達していないと判断された者は、参加資格を失ったそうです。

 

祭典の初日は、神の前で宣誓式が行われました。その日の朝、選手とコーチたちは神域に入り、並び立つ審判越しにゼウス像を見ながら、父の名の下に「ルールを守り不正をすることなく全力で戦う」ことを誓います。同時に、審判団も「公正なる判定を行い、オリンピアの祭典を汚さない」ことを誓ったされています。2日目は、戦車競技と、前述した5種目競技がありました。戦車競技の中でも4頭立馬車による「競馬」が人気だったそうです。

オリンピアの祭典が最も盛り上がるのが、3日目であったとされ、すでに説明したように、ゼウス神へ100頭の雄牛が生贄として捧げられる行事でした。この日の競技が終わると、夕方からは大宴会となり、祭壇に捧げられた肉を受け取ることができました。解体された牡牛の大腿部がゼウスのために焼かれ、残った部位を皆で食べたとされています。

 

4日目の種目は格闘技と武装競争でした。格闘技はレスリングとボクシングとパンクラティオン(総合格闘技)で、どちらも相手が降参するまで戦ったとされています。祭典最後の競技となる武装競争は、重曹歩兵の装いを装備してスタディオンを1往復走るものです。

 

これですべての競技は終了し、最終日は勝者を称える表彰式が行われました。ゼウス神殿には、象牙と黄金のテーブルの上に、勝者の数だけオリーブの冠が用意されていたと言います。勝者たちは聖域の中でも最も神聖なゼウス像の前で名前を読み上げられ、その冠を頭に載せられました。その瞬間は最も神に近付く瞬間と表現されています。表彰式を終えてゼウス神殿から出るとコーチや友人たちに担がれて音楽に合わせて行進をしたそうです。戦いの後に優勝者だけの豪華な祝宴があり、このオリンピアの聖域に自らの像を置くことを許されたと言われています。

 

 

  • オリンピアの祭典の落日

 

こうして続いていた古代オリンピックは、ヘレニズム時代をを経て、BC146年にギリシャがローマ帝国に征服された後も続きました。それはローマがギリシャ文化を積極的に導入していたからで、皇帝ネロをはじめ初期の歴代の皇帝によって、オリンピックも手厚い保護を受け、さらに発展をしていきました。

 

その後3世紀からのゲルマン人のペロポネソス半島侵入やキリスト教の隆盛により、ゼウス神の祭りであったオリンピックは次第にその勢いは衰えていきました。特に、キリスト教が公認され、392年のローマ皇帝が発令した異教徒祭祀の禁止令が出されたことが決定的となりました。西暦393年、293回を数えた古代オリンピックは廃止され、1200年に及ぶ歴史の幕を閉じてしまいました。オリンピアのゼウス神殿は、邪教のものとして破壊され、オリンピアの街は廃墟と化し、現在も、崩れ落ちた石のかたまりが点在するだけとなってしまっています。

 

 

  • 近代オリンピックの誕生

 

オリンピックは、19世紀末、フランスのクーベルタン男爵が、古代ギリシアのオリンピアの祭典をもとにして、世界的なスポーツ大会を開催する事を提唱したことをきっかけに復活しました。近代オリンピックは、1896年4月、第1回大会が、古代オリンピックの故郷ギリシャのアテネで開催されました。ただ、かつてのような神事の意味合いはなく、スポーツで世界を結びつける平和の祭典と位置づけられ、現在に至っています。

 

 

<参照>

古代ギリシャからリオデジャネイロまでオリンピックの聖火の歴史をたどる

意外と知らない「オリンピック聖火」の長い歴史

東京五輪の開幕に向け3月にギリシャで採火(2020/02/11、東洋経済)

オリンピックの原点がここに!(Tabiyori)

オリンピックの創始者ヘラクレス

古代オリンピック・戦前のオリンピック(共立女子大学)

オリンピア

聖なる祭典(世界史の目)

古代オリンピック競技大会

Wikipediaなど

 

2020年04月16日

キリスト教:イースター(復活祭)の祝典

2020年4月12日、全世界のキリスト教徒が祝ったイースター(復活祭)についてまとめました(投稿「キリスト教、復活祭」を参照)。

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  • イースターとは?

 

イースター(Easter)はイエス・キリストの復活を祝う祭で「復活祭」とも言われます。イエスは、人類が犯した過ちや罪を一身に背負って、十字架にかけられて処刑された後、3日目に復活したと、キリスト教徒の間では信じられています。そして、イエスが蘇えられたように、イエスを信じる者は、誰でも罪が許されて天国へ行き、永遠の命を持つと考えられました(信じる者は救われる)。ですから、キリト教において、イースターは、クリスマス(イエス・キリストの降誕祭)と並ぶ重要な行事となっており、イースターを祝って、学校が数週間休みになる国もあるそうです。

 

モアイ像で知られる南米のイースター島も、1722年、オランダ海軍がこの島を発見した日がイースターだったため、「イースター島」という名をつけたと言われています。

 

 

  • イースターの由来

 

イースターという名前は、北方神話(ゲルマン神話)の春の女神エオストレ(Eoster)や春の月エオストレモナト(Eostremonat)に由来しています。春の女神は太陽とともにやってくると考えられ、イースターは、もともと春(=女神)の到来を喜ぶお祭りでした。ですから、太陽が昇る東を「イースト(East)」と呼ぶようになったとも言われています。そうすると、イースターの祝祭は、本来、キリスト教とは関係のない春のお祭りだったものが、キリスト教の布教の際に、春の祭りとキリスト復活のイメージが結びついて、普及していったと考えられています。イースターとは、キリストの復活と春の到来を祝う祭りなのですね。

 

 

  • イースターの日付け

 

イースターは、紀元325年に開かれたニカイア公会議という世界教会会議において、「春分の日の後で、最初の満月の日の次にくる日曜日」と定められました。ですから、毎年4月12日がイースターというわけではありません。そうすると来年以降のイースターは以下のようになります。

 

2021年4月4日(日)

2022年4月17日(日)

2023年4月9日(日)

2024年3月31日(日)

2025年4月20日(日)

 

「日曜日」にイースターを祝うのも、イエス・キリストの復活されたのが日曜日であったからだとされています。

 

なお、これは、カトリックやプロテスタントなど西方教会の場合で、東方正教会(ギリシャ正教)では日付が異なり、4月19日が2020年のイースターとなります。これは、東方正教会がユリウス暦を、西方教会がグレゴリオ暦を基にしているからです。

 

ユリウス暦とは、ローマのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、紀元前46年に制定した太陽暦で、一年を365日とし、4年に一度366日の閏(うるう)年を置きました。ところが、ユリウス暦では約128年につき1日の誤差が生じるという問題点があります。結果として、16世紀後半になると、実際の春分が暦より10日早くなってしまったのです。そこで、ローマ教皇グレゴリウス13世が1582年にグレゴリオ暦を制定して、計算上の工夫を施し誤差を可能な限りなくしました。この結果、日本を含め現在多くの国で使われているグレゴリオ暦では、イースターの日は3月22日から4月25日の間に収まっています。

 

 

  • イースターエッグとイースターバニー

 

イースターの日になると出てくるのが、卵(イースターエッグ)とウサギ(イースターバニー)です。卵は、新しい命が生まれ出てくるという意味で、生命や復活の象徴し、ウサギは多産であるため、繁栄や豊穣の象徴とされています。

 

 

<参考>

「イースター」って何のイベント? いつ、何をすればいいの?

実はクリスマスよりも大事!?「イースター」の意味と楽しみ方!

イースター(復活祭)のミニ知識と由来

キリスト教の復活祭?春になると聞く…けど実はよく知らない「イースター」の豆知識

 

2020年04月05日

英王室:概観ロイヤル・ファミリー

ヘンリー王子とメーガン妃は、先月末の3月31日をもって、正式にイギリス王室の高位メンバーの立場を退かれました。イギリス王室について、改めてまとめました。

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  • イギリス王室の起源と現在のロイヤル・ファミリー

 

イギリスでは、歴史的に戦いで勝ったものが王位についてきました。イギリスの王室は、1066年、フランスから攻めてきた、ヴァイキング系のノルマン人のギョーム2世がイングランドを征服して、ウィリアム1世としてイングランド国王になったのが初めです。

 

現在、エリザべス女王を当主とするウインザー家は、ドイツのサクス=コバーグ=ゴータ家の後身で、1917年に始まりました。ウィンザー家の初代国王はエリザベス女王の祖父に当たるジョージ5世で、現在のイギリスの王室(ロイヤルファミリー)の人たちは、国王のジョージ5世と妻メアリー王妃の子孫です。

 

なお、ロイヤルファミリーの姓(家名)は、「ウインザー」ですが、ジョージ5世の子孫であるすべての男子と未婚の女子が「ウィンザー」という姓を使っていたことから、1960年、エリザベス女王は、直系の子孫をほかのロイヤルファミリーと区別することを決定し、「マウントバッテン(Mountbatten)=ウィンザー」の姓が用いられるようになりました。

 

 

  • イギリス王室の高位メンバー

 

イギリス王室(ロイヤルファミリー)の人と言えば、誰をさすのでしょうか?イギリスの王族には、高位王族(王族の主要メンバー)に加えて、血統で王族に連なる人たちも含まれます。一般的に、王族で、王の子たちを「王子(プリンス)」、「王女(プリンセス)」と呼びます。自分の名前とともに「王子」や「王女」の称号を使うことができるのは、ロイヤルファミリーに生まれた人だけの特権です。

 

英国の高位(シニア)メンバー(主要メンバー、シニアロイヤルとも表される)とは、公式な規定は存在しませんが、「君主(女王)の成人親族で、(フルタイムの)ロイヤルファミリーとして女王の名の下に日常的な公務を遂行し、かつ王位継承に近い位置にいる王族とその配偶者」のことをいいます。最近まで、王室の高位メンバーとは以下の9名を指していました。

 

エリザベス女王、夫・フィリップ王配
チャールズ皇太子、妻・カミラ夫人
ウィリアム王子、妻・キャサリン妃
ヘンリー王子、妻・モーガン妃
アンドルー王子

 

ただし、2020年3月31日で、ヘンリー王子と、妻のモーガン妃は、高位メンバーから抜けたので、現在では7名ということになります。

なお、王配(おうはい)は女王の配偶者のことで、国王または女王の配偶者は「consort」と呼ばれます。英王室では国王の妻は、「queen consort(王妃)」と呼ばれますが、女王の夫の場合は「prince consort」となります。

 

 

  • イギリス王室高位メンバーの敬称

 

地位の高い人への敬称には、Majesty(マジェスティー), Excellency(エクセレンシー), Highness(ハイネス)b、Holiness(ホーリネス)、Honor(オーナー)などがありますが、イギリス王室の高位メンバーに対しては、Majesty(マジェスティー)とHighness(ハイネス)が使われます。

 

マジェスティー(Majesty)は、国王(女王)にだけ付ける敬称で、エリザベス女王は「Her Majesty(女王陛下)」と呼ばれます(チャールズ皇太子が国王になれば「His Majesty」)。女王以外の高位王族への敬称はHighness(ハイネス)で、イギリスでは特にロイヤルハイネス(Royal Highness)(殿下または妃殿下)と言われます。その対象者が男子ならば、「His Royal Highness」(殿下)、女子なら「Her Royal Highness」(妃殿下)となります。呼びかける際は、「Youあなた」ではなく、「Your Highness」です。

 

ロイヤルハイネス(HRH)の称号を保持していることは、「イギリス王室」の高位(シニア)メンバーであることを指しています。今回、高位王族の地位を捨てたウィリアム王子とモーガン妃は、今後、「殿下・妃殿下」とは呼ばれなくなります。

 

 

  • イギリス王室高位メンバーの爵位

 

イギリスの王族は貴族であり、「爵位」を保持しています。「爵位」は、貴族だけに与えられた称号(儀礼称号)で、爵位により、身分の序列が表されます。イギリスには、上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵までの各階位があります。(参考「イギリスの貴族と爵位」)

イギリス王室の高位(シニア)メンバーの爵位は、最高位の「公爵」です。結婚に際して、エリザベス女王から新しい称号を与えられるというのが慣例です。

 

エリザベス女王⇒ランカスター公爵

フィリップ王配(エリザベス女王の配偶者)⇒エディンバラ公爵

チャールズ皇太子(女王の長男)⇒コーンウォール公爵とロスシー公爵

ウィリアム王子(チャールズ皇太子の長男)⇒ケンブリッジ公爵

ヘンリー王子(チャールズ皇太子の次男)⇒サセックス公爵

アンドルー王子(エリザベス女王の次男)⇒ヨーク公爵

 

なお、高位メンバー以外にも、王族の中では、エリザのベス女王の従姉弟のリチャード王子とエドワード王子がそれぞれ公爵位(グロスター公爵とケント公爵)を受けています。

 

「〇〇公爵」の〇〇には、ランカスター、エジンバラ、ケンブリッジなど王室にゆかりの地名が付けられます。

 

ウィリアム王子は、「プリンス・ウィリアム・オブ・ウェールズ(Prince William of Wales)」という正式な名前を持っていますが、爵位を受けた後は、公式な場などでは通常、ウィリアム王子ではなく、「ケンブリッジ公爵」と呼ばれ、または、名前も「プリンス・ウィリアム・オブ・ウェールズ」ではなく、「ケンブリッジ公ウィリアム王子」が使われます。公爵位保有者の妻たちは、〇〇公爵夫人と呼ばれます。ウィリアム王子、妻・キャサリン妃なら、「ケンブリッジ公爵夫人」ですね。

 

 

エリザベス女王陛下

イギリス女王エリザベス2世

 

現在のイギリス連邦の国王。歴代国王の在位最長記録(位1952~)と長寿記録も更新中です。ジョージ6世の長女(1926年生まれ)で、夫はエディンバラ公フィリップ王配。伯父のエドワード8世が離婚経験者のアメリカ人との結婚を選んで王位を放棄したことにより、父親のジョージ6世が王座に就いた10歳で王位継承者となりました。3人の息子(チャールズ皇太子、アンドルー王子、エドワード王子)と1人娘(アン王女)の母親でもあります。

 

エリザベス女王は、1413年以降、イングランド王位に就いた者が保持する爵位となったランカスター公爵でもあります。ランカスター公爵は、コーンウォール公爵とともに、唯一公爵領をもつ爵位で、エリザベス女王はこの公領からの莫大な収入を得ています(後述)。

 

 

フィリップ王配

エジンバラ公フィリップ王

 

エリザベス女王の夫君。敬称は、highness(ハイネス)(「殿下」)。ギリシャ生まれ。ギリシャ・デンマーク王子(Prince of Greece and Denmark)の称号を持っていました。エリザベス女王が即位してからは海軍を退役し、長年女王を支えています。1947年、エリザベス女王と結婚の際、フィリップ殿下にはエジンバラ公爵、メリオネス伯爵、グリニッジ男爵の称号が与えられました。また、エリザベス女王が1953年に即位した後(1957年)、フィリップ殿下は、正式に英国の”Prince”となりました。

 

<イギリス豆知識>

フィリップ殿下は、英国女王の王配としては5人目です。

メアリー1世の夫、スペインのフィリップ2世国王(King Philip II of Spain)

メアリー2世の夫で共立王、ウィリアム3世、

アン女王の夫、デンマークのジョージ王子(Prince George of Denmark)

ヴィクトリア女王の夫、プリンス・アルバート(Prince Albert)

 

 

チャールズ皇太子

プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales)

ウェールズ公チャールズ皇太子(ウェールズ公チャールズ)

 

エリザベス2世とフィリップ殿下の長男で、王位継承順位が1位。すでに70歳を超えていますが、いまなお「プリンス」です。チャールズ皇太子の尊称は、殿下にあたる「His Royal Highness(ロイヤルハイネス)」が使われます。また、チャールズ皇太子は、2つの公爵の称号を保持し、「コーンウォール公爵」(Duke of Cornwall)と「ロスシー公爵」(Duke of Rothesay)と名乗ります。

 

コーンウォール公爵(Duke of Cornwall)は、イングランド貴族で最初に創設された公爵位で、王位の相続人に与えられます。現在、コーンウォール公爵は、ランカスター公爵とともに唯一公爵領をもつ爵位で、チャールズ皇太子は、この公領から地代などの収入(コーンウォール収入)を得ています(後述)。

 

歴史的に、イギリスで公爵(デューク)と言う爵位は、エドワード3世が、1337年に、自分の長男、エドワード・ブラック・プリンス(エドワード黒太子)に、コーンウォール公の位を授けたのが初めとされます。以来、イギリスの国王の長男には、このコーンウォール公の爵位が与えられることが慣例となっています。同様に、ロスシー公爵も、歴代国王の長男に与えられてきたことから、現在では、王位継承者に授与されています。このように、チャールズ皇太子は、2つの公爵位を保持していますが、コーンウォール公チャールズ皇太子とも、ロスシー公チャールズ皇太子とも呼ばれることはありません。

 

チャールズ皇太子は、コーンウォール公とロスシー公だけでなく、さらに、皇太子となった1958年以来、プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales)の称号も持っており、こちらが公式には使われています(ウェールズ公チャールズCharles, Prince of Wales)。プリンス・オブ・ウェールズの場合、「ウェールズ大公」と訳されます。「大公」は「公爵」より上とされています。イギリス王室に名字はありませんが、必要があれば、このウェールズが名字として使われます。チャールズ皇太子の息子たち、ウィリアム王子とハリー王子もその名に沿った称号で呼ばれています(ウィリアム王子であれば、プリンス・ウィリアム・オブ・ウェールズ)。

 

現在のプリンス・オブ・ウェールズの由来は、1282年12月、イングランド王エドワード1世がウェールズを制圧した後、ウェールズのカーナーヴォン(Caernarfon)城で誕生したエドワード2世をプリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ大公)と呼び、1301年に正式に叙任させたことに遡ります。これは、ウェールズを懐柔するだけでなく、ウェールズに対するイングランド王の権威を示すことが目的でした。

 

エドワード2世は、1343年、この称号を孫のエドワード黒大子(エドワード3世の子)に送りましたが、それ以降、プリンス・オブ・ウェールズは王の嗣子(しし)(跡継ぎ)(≒法定相続人)に授けられることが慣例化していきました。ウエールズで反乱が鎮圧された1409年以来、プリンス・オブ・ウェールズの称号は、皇太子(王太子)に与えられるのが伝統となっています。ただし、この称号は、王の長男誕生とともに自動的に授けられるものではなく、通常、プリンス・オブ・ウェールズが王位に就いたときに引き継がれます。ちなみに、「プリンス・オブ・ウェールズ」は、「プリンス」すなわち(国王の後継者の)男子に与えられるので、現在のエリザベス女王が、王位に就く以前は、「エジンバラ公爵夫人エリザベス王女」でした。

 

ウィリアム王子

ケンブリッジ公ウィリアム王子

プリンス・ウィリアム・オブ・ウェールズ(Prince William of Wales)

 

ウィリアム王子は、チャールズ皇太子とダイアナ元妃の長男で、父のチャールズ皇太子に次ぎ、王位継承順位は第2位です。出生時に、父の「プリンス・オブ・ウェールズ」という称号を反映させて「ウェールズ」の名が与えられました。王子の公式のフルネームは、このプリンス・ウィリアム・オブ・ウェールズ(Prince William of Wales)です。

 

2011年4月にキャサリン・ミドルトン(Kate Middleton)さんと結婚、その際、エリザベス女王から公爵位を叙任され、ケンブリッジ公爵(Duke of Cambridge)になりました。これにより、王子に対しては、プリンス・ウィリアム・オブ・ウェールズではなく、規則に従い、ケンブリッジ公ウィリアムの称号で呼ばれています。

 

妻・キャサリン妃
ウィリアム王子との結婚により「ケンブリッジ公爵夫人」となり、妃殿下の敬称も受けられました。

 

お二人の間には、二男一女(ジョージ王子、シャーロット王女、ルイ王子)がいらっしゃいます。現在の規定では、「プリンス・オブ・ウェールズの長男の全ての子が、王子・王女の身分と殿下の敬称を与える」となっているので、ウィリアム王子とキャサリン妃のご子息・ご息女は、王子、王女と名乗ることができます。ジョージ王子(全名ジョージ・アレクサンダー・ルイ)は、正式にはジョージ・オブ・ケンブリッジ王子(Prince George of Cambridge)または、ジョージ・オブ・ケンブリッジ王子殿下(His Royal Highness Prince George of Cambridge)と呼ばれます。

 

 

ヘンリー(ハリー)王子

サセックス公ヘンリー王子
プリンス・ヘンリー・オブ・ウェールズ(Prince Henry of Wales)

 

兄ウィリアムと同様、出生時に、「ウェールズ」の名が与えられ、プリンス・ヘンリー・オブ・ウェールズ(Prince Henry of Wales)の称号を受けれらました。ヘンリー王子は、ハリー王子と呼ばれることもありますが、ヘンリー(Henry)が正式です。

 

ヘンリー王子は、2018年5月19日、メーガン・マークルさんとの結婚により、エリザベス女王から、公爵の位と、殿下(His Royal Highness)の敬称(称号)を授与されました。公爵名は「サセックス公爵」です。他に空いていた「アルバニー」や「クラレンス」を抑えて、「サセックス」が選ばれたそうです。以後、ヘンリー王子は、公式の場で、「プリンス・ヘンリー・オブ・ウェールズ」ではなく、「サセックス公爵」と呼ばれています。最高の敬意を表すれば、「サセックス公爵殿下」または「サセックス公爵ヘンリー王子殿下」となります。また、ヘンリー王子は、同時に、「ダンバートン伯爵」と「キルキール男爵」の称号も授かっています。

 

妻・モーガン妃

ヘンリー王子との結婚により、メーガン妃も、「プリンセス・ヘンリー・オブ・ウェールズ(Princess Henry of Wales)」ならびに「サセックス公爵夫人(Princess Henry of Sasex)」という、夫の称号と名前を名乗ることになました。また同時に、妃殿下(Her Royal Highness)の称号も授与されました(これで、モーガン妃と呼ばれる)。

 

前述したように、ヘンリー王子とメーガン妃は、高位王室メンバーから抜けたので、殿下・妃殿下の敬称で呼ばれることはありませんが、公爵、公爵夫人の称号は失いません。

 

お二人には、2019年5月にアーチ―君が誕生しました(正式名称「アーチー・ハリソン・マウントバッテン=ウィンザー」)。イギリス王室史上初のアフリカ系の血を引く王室メンバーの誕生に注目が集まっています。現在の規定では、エリザベス女王が在位中、王子・王女の称号は、皇太子の長男の子にしか与えられないので、厳密にはアーチ―王子と呼びません。そこで、サセックス公爵の長男(アーチー)は、慣例により、「アーチー・マウントバッテン=ウィンザー卿」や、ヘンリー王子が持つ爵位の一つである「ダンバートン伯爵」の儀礼称号(courtesy title)で呼ばれることになります。

 

ただし、ハリー王子夫妻は、第1子に称号を使わない意向を示しており、幼い男の子に使われる一般敬称の「マスター(様)」を付けて「マスター・アーチー・マウントバッテン=ウィンザー」と呼ばれることになるそうです。

 

 

アンドルー王子

ヨーク公アンドルー

アンドリュー王子は、エリザベス女王の第3子(次男)、チャールズ皇太子の弟に当たります。慣例に従い、結婚式の日に女王から公爵の位(ヨーク公)を与えられました。ヨーク公爵は、15世紀以来、伝統的に、王、女王の次男に与えられる称号と言われています。現在、アンドルー王子の王位継承順位は8位となっています。

 

前妻の間に、ベアトリス王女(1988年8月生まれ)とユージェニー王女(1990年3月生まれ)がいます。アンドリュー王子は、現在独身のため、フィリップ王配が不在の行事ではエリザベス女王に付き添うこともありました。

 

 

  • 王位継承

 

ところで、どうして、現在のイギリスは女王陛下の国(国王は女性)なのかという素朴な疑問を持っている方もいるのではないでしょうか?その理由は、イギリスの王位継承権は男子・女子関係なく生まれた順によって決定されるという決まりがあるからです。つまり、エリザベス女王は、ジョージ6世の最初の子だったから、国王の座についたわけです。

 

イギリスの王位は、エリザベス女王の次どうなるかと言えば、チャールズ皇太子が継承した後、その次がウイリアム王子となります。その後は、ウィリアム王子とキャサリン妃の子供たちを見てみると、

・第1子 ジョージ王子
・第2子 シャーロット王女
・第3子 ルイ王子

と、男・女・男の順の子供が生まれているので、順調に成長されれば、将来的にジョージ王子が国王となります。もし、シャーロット王女が第1子であれば、シャーロット女王の誕生が予定されることになったのでした。ですから、エリザベス女王の後、イギリスが女王陛下の国になるとしたら、ジョージ王子の成婚後、最初の子どもが女子であった場合ということになりますね。そこで、現在のイギリス王室の王位継承順位(10位まで)は以下のようになります。

 

  1. チャールズ皇太子(エリザベス王女第1子)
  2. ウィリアム王子(チャールズ皇太子の長男)
  3. ジョージ王子 (ウィリアム王子第1子)
  4. シャーロット妃 (ウィリアム王子第2子)
  5. ルイ王子 (ウィリアム王子第3子)
  6. ヘンリー王子(チャールズ皇太子の次男)
  7. アーチー王子(ヘンリー第1子)
  8. アンドルー王子(エリザベス王女第2子)
  9. ベアトリス妃(アンドルー王子第1子)
  10. ユージェニー妃 (アンドルー王子第2子)

 

(ウィリアム王子の第三子で次男のルイ王子が、シャーロット王女よりも下位になる。)

 

イギリスの王室では、女系女王を認めているので、王位継承者は拡大します(王位継承者5000人という試算もある)。理由は、他国に嫁いだ王女やその子供たち(子孫)などにも王位継承権が生じるからですが、その場合、イギリス人ではないのに、王位継承者となる場合がでてきます。例えば、現在、ノルウェー国王ハーラル5世は、イギリス王位継承第68位だそうです。

 

また、ヘンリー(ハリー)王子は、王位継承順位は6位となっていますが、今回、高位王室メンバーから「引退」したとしても、王位継承から外れるというわけではありません。イギリスでは、王位継承権は絶対で、王位継承者は継承権を放棄できません。

 

もっとも、一度王位につけば、王位から退くことはできます。過去には、エリザベス女王の伯父のエドワード8世が、ウォリス・シンプソンと結婚しようとしたところ、ウォリスが離婚経験者だったため反対する声が強くなり、結局、エドワード8世は1936年、王位を捨てて、シンプソンと結婚したという事例もあります。なお、イギリスの王位継承者(6位まで)が結婚する場合は、その相手を女王に承認してもらわなければなりません。

 

 

  • イギリス王室の収入と資産

 

イギリスの王室は、膨大な資産を保持していると言われていますが、実際、エリザベス女王や王族は、様々な収入源から潤沢な収入を得ています。

 

王室助成金

 

王室助成金は、女王の公務を支援するために政府によって支払われるもので、王室として最大の収入源とされています。助成金の原資は、クラウン・エステートの収入から得られる利益の一部から来ます。クラウン・エステートとは、その名の通り君主の不動産に相当するものです。その不動産事業は、イギリス国内で140億ポンド(約2兆円)を超える大規模事業とされています。エリザベス女王は法律的には、このクラウン・エステートを所有していますが、政府系の独立した委員会によって運営され、地代を含めたその収益の大部分は、政府(国庫)に直接流れます。政府は、クラウン・エステートの年間収益を参考にし、王室助成金としていくらを王室に与えるかを決定します(実際は、約15%が王室助成金に充てられている)。ロイヤル・ファミリーは、この助成金から、彼らの基本的な維持費、警備、外遊費、財産管理費などが使用されていると言われています。

 

現在、チャールズ皇太子を除くイギリスの高位(主要)メンバーは、王室のこのクラウン・エステートの信託財産から「ソブリングラント」と呼ばれる王室活動費が分配されています。ですから、王族メンバーは、「仕事」をして収入を得ることは認められていません。ただし、エリザベス女王の次男アンドルー王子の娘ベアトリス王女とユージェニー王女は、王室から経済的な支援を受けていないため民間で働いています。

 

 

ロイヤル・コレクション・トラスト

 

ロイヤル・コレクション・トラストは、公的なロイヤルファミリーの住居、王室が収集している芸術品、そして戴冠宝器などを管理する信託機関です。このトラストから毎年多額のお金が生み出されているとされていますが、その収入の大部分は、こうした芸術品や、ウィンザー城や不動産資産の手入れなど管理費に還元され、ロイヤルファミリー個人に利益をもたらすものではないとされています。実際、これらは、女王の私的財産ではなく、女王が君主である間だけ所有しているに過ぎません。ですから、女王は自らの意思でそれらを売却することはできず、やがて彼女の後継者へと引き継がれていくべき王室の財産だとみなされています。

 

 

王族公領

英ロイヤルファミリーは、「私的な」公領を保持しています。

 

ランカスター公領

エリザベス女王は、前述したように、王位の証としてランカスター公爵の称号を保有しています。ランカスター公領は、13世紀に創設され、ランカスター公爵の名で、イギリスとウェールズにおける18,481ヘクタール(約185㎢)もの土地と、商業用、農業用、住居用の不動産から構成されています。このランカスター公領からの地代や投資などの収入は、女王個人の収入の大部分に相当するとされています。

 

ちなみに、女王は、父親のジョージ6世国王から受け継いだバルモラル城やサンドリンガム城などを私有地として所有しています。ここから得られる収入は、女王のポケットマネーとなります。その詳細は公表されていません。

 

 

コーンウォール公領

コーンウォール公領は、イギリス23郡にまたがる約570平方キロメートル以上の土地からなり、その半分は、イギリス南部のデヴォンにあります。伝統的に、コーンウォール公爵は、領地から地代などを受け取る権利を持つとされ、実際、チャールズ皇太子の収入のほとんど(90%)は、コーンウォール公領からきていると言われています。主に、領地から生じる地代などのコーンウォール収入(年収)は、約2000万ポンド(約30億円)を超えるとも言われています。

 

コーンウォール公領は、1337年に、当時の国王エドワード3世が王位継承者の財政をために創設され、同公領は勅許状で王位継承者に授けられるものです。チャールズ皇太子が国王になれば、ウィリアム王子がこの公領を引き継ぎます。なお、コーンウォール公が不在のときは、公領からの収入は王のものとなります。

 

チャールズ皇太子は、コーンウォール公領からの収入で経済的に自立し、公領の収入で自身の公務を賄っているだけでなく、この「コーンウォール収入」の一部を、ウイリアム王子(ケンブリッジ公爵)一家や、ヘンリー王子(サセックス公爵)一家などに対して、公務やチャリティ活動、プライベートな出費に充てるための資金として配分していると言われています。ヘンリー王子は、年推定196万ポンド(約2億8000万円)を受け取ったとの報道もなされました。

 

曽祖母エリザベス皇太后が設立した信託基金

エリザベス女王の母、“クイーン・マザー”は1994年、自身が保有していた資産の3分の2(推定1900万ポンド:約27億円)で信託基金を設立したと言われています。その目的は、ウィリアム王子とヘンリー王子、さらにはアンドルー王子の娘ベアトリス王女とユージェニー王女など、ひ孫たちに財産を残すためで、「ガーディアン」紙によれば、2人の王子は21歳になったときに、この信託基金のうち約600万ポンド(約8億5800万円)を半額ずつ受け取ったそうです。王子たちは40歳になると、クイーン・マザーの信託基金に残されている金額のうちの800万ポンドから、それぞれの割り当て分を受け取る予定だとされています。また、ほかのひ孫たちもそれぞれ、数百万ポンドずつを受け取ることになっているとのことです。

 

ダイアナ元妃の遺産

アメリカの経済紙「フォーブス」は2011年に、ダイアナ元妃がウィリアム王子とヘンリー王子それぞれに1000万ドル(税引き後、約10億円)を残したと報じたことがあります。王子たちは25歳になったときから、そこから毎年一定額(推定45万ドル:約4900万円)を受け取っていると言われています。ダイアナ元妃はそのほか、所有していたジュエリーのコレクションも、二人の息子に残しています。

 

そうすると、ウィリアム王子とヘンリー王子の収入は、父チャールズ皇太子から、コーンウォール収入の一部(年推定196万ポンド(約2億8000万円))と、王室助成金をエリザベス女王から王室活動費(2人で年推定500万ポンドとも言われる)などから得られます。さらに、「クイーン・マザー」信託や、母ダイアナ妃からの遺産などを考慮すると、二人が保有する資産は、ウィリアム王子が保有する純資産はおよそ4000万ポンド(約54億6150万円)、ヘンリー王子の純資産は3000万ポンド(約43億円)にのぼるとの試算もあります。

 

<参考>

英ハリー王子、王族やめる!?

ヘンリー英王子、王室離脱へ

ヘンリー英王子夫妻、最後の公務

 

ハリー王子と「王室高位メンバー」

ロイヤルハイネスと公爵の称号

Wikipediaなど

 

 

2020年03月20日

英王室:イギリスの貴族と爵位

ギリスのサセックス公爵ウィリアム王子夫妻が、3月31日で王室の高位メンバーから正式に抜けることになります。ただ、公爵の称号は失わないとされています。イギリス貴族の爵位制についてまとめてみました。

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■イギリスの貴族

 

一般的に、貴族とは、生まれ(血縁)や功績によって、貴族院の議員になれるなどの社会的特権を認められた人や一族をさします。いわゆる上流社会を形成し、他の社会階級の人々からは区別されたエリート集団です。

 

イギリスの貴族は、その歴史的な経緯から、イングランド貴族、スコットランド貴族、グレートブリテン貴族、連合王国貴族に分類されます。イングランド貴族は、1707年以前にイングランド王国で創設された全ての貴族で構成され、同様にスコットランド貴族 も、1707年以前にスコットランド王国で創設された貴族の総称です。1707年に、スコットランド王国がイングランド王国と合同し、「グレートブリテン王国」が成立すると、その年から授爵された貴族はイングランド貴族とスコットランド貴族に替わりグレートブリテン貴族と呼ばれました。その後、1801年に「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」が成立して、連合王国貴族が新設されました。このため、イングランド貴族が最も古い貴族となるので、同じ爵位の場合、他の貴族よりも序列では上位となります。

なお、中世以来、イギリスの君主によって叙されたアイルランド貴族は存在し、1801年以降も新たなアイルランド貴族は創設できましたが、1898年を最後に創設されていません。

 

イングランド貴族Peerage of England (~1706)

スコットランド貴族(~1706)

グレートブリテン貴族Peerage of Great Britain1707~1800

連合王国貴族(Peerage of the United Kingdom)(1801~)

 

 

■イギリスの爵位(title/peerage)

 

貴族は、国王・皇帝から認められた爵位(しゃくい)によってランク付けされます。爵位とは、貴族にだけ与えられる称号で、イギリスの爵位には、上から序列順に、公爵(Duke)・侯爵(Marquess)・伯爵(Earl)・子爵(Viscount)・男爵(Baron)までの各階位があります(これを五爵または五等爵と呼ぶ)。公爵から伯爵までが上位貴族、子爵と男爵を下位貴族とする分類もあるます。

 

 

  • 公爵((Dukeデューク)

 

公爵(こうしゃく)は、爵位の最高位で、王族や大貴族に与えられた称号です。現在も王族に属する「王族公爵」(8家)と、功績のあった臣民(貴族)に授爵される「臣民公爵」(24家)があります。

 

王族公爵といえば当然、エリザベス女王の長男であるチャールズ皇太子や、その長男のウィリアム王子と、次男のヘンリー(ハリー)王子が思い浮かべることができるでしょう。王族は、慣例で結婚時に公爵の称号がエリザベス女王から与えられます。チャールズ皇太子、長男のウイリアム王子、次男のヘンリー(ハリー)王子もそれぞれに以下のような公爵位を持っています(なお、イギリスでは一人で複数の爵位を保持できる)。

 

コーンウォール公爵(Duke of Cornwall)(チャールズ皇太子)

ロスシー公爵」(Duke of Rothesay)(チャールズ皇太子:)

ケンブリッジ公爵(Duke of Cambridge)(ウィリアム王子)

サセックス公爵(Duke of Sussex)(ヘンリー王子)

 

公爵の敬称は「Durk of ○○」で、○○の部分には、姓ではなく、「爵位名」が入ります。爵位名には、王室の歴史に所縁(ゆかり)のある場所や、比較的伝統的な場所などの地名がつけられます。上の例では、コーンウォール、ロスシー、ケンブリッジ、サッセクスがそうです。では、本人とその地名とは関係があるのかというと、その必要はありません。例えば、エジンバラ公爵という爵位があります。エジンバラ公爵は、スコットランドのエジンバラ出身でなくてもいいのです。実際、現在のエジンバラ公爵は、エリザベス女王の王配(配偶者)で、フィリップ王配はギリシャの王族出身です。

 

なお、冒頭でイギリスの貴族は、歴史的にイングランド貴族スコットランド貴族、グレートブリテン貴族、アイルランド貴族、連合王国貴族に分けられると説明しました。チャールズ皇太子、ウィリアム王子とヘンリー王子が保持する公爵位も、この分類に当てはめてみれば以下のようになります。

 

コーンウォール公爵⇒イングランド公位(イングランド貴族の公爵)

ロスシー公爵⇒スコットランド公位(スコットランド貴族の公爵)

ケンブリッジ公爵⇒連合王国公位(連合王国貴族の公爵)

サセックス公爵⇒連合王国公位(同上)

 

そうすると、例えば、チャールズ皇太子は、イングランド公爵のひとつである「コーンウォール公爵」、ウィリアム王子は、連合王国貴族としての「ケンブリッジ公爵」の爵位を叙爵されているという言い方ができます。

 

イギリスで、公爵(デューク)と言うタイトルは、エドワード3世が、1337年に、自分の長男、エドワード・ブラック・プリンス(エドワード黒太子)に、コーンウォール公の位を授けたのが初めとされます。エドワード3世には、男子だけで5人の子どもがいて、全員、公爵となりました。また、王太子(おうたいし)(=長男)だけでなく、次男以下の子ども達や、自分の弟などに地方の領地を治めさせる際に、国王が公爵の地位を叙爵したというケースも数多く見られます。

 

一方、臣民公爵については、近年、王族以外で、新しく公爵の称号を受ける事はほとんどありませんが、歴史的には、地方の領地を軍事的に統治した大諸侯(中世の時代では封建君主)が公爵の称号を保持していました。現在も、1483年から世襲しているハワード家のノーフォーク公爵をはじめ、リッチモンド公爵、レノックス公爵、ゴードン公爵が伝統的な臣民公爵として知られています。

 

臣民貴族も王族同様に、イングランド貴族、スコットランド貴族、グレートブリテン貴族、アイルランド貴族公爵、連合王国貴族に分類できます。そこで、公爵内の序列をまとめると、まず王族公爵が別格で上位で、その下におかれる臣民公爵たちはイングランド貴族公爵以下、連合王国貴族公爵まで上記の順序で序列化されます。

 

大公Grand Duke

ところで、歴史書などに接すると、公爵とは別に、大公という称号を目にすることがあるでしょう。大公とは大公爵の略称で、グランドデューク(Grand Duke)の訳語です。公爵の中でも、国を治める王に匹敵するほどの権力を持った人物に対して用いられます。実際は、王以外の王族(王の息子や弟など)や分家の長などに適用されることがあります。公爵を大公爵(大公)とすることで、他の王族公爵や臣民公爵(duke)と区別し、公爵よりも上位であることを示す狙いがあるとされています。イギリスでは、チャールズ皇太子を大公と呼ぶ場合があります。また、歴史的には、大公が国を治めるとそこは大公国と呼ばれ、一つの国家となります。

 

 

  • 侯爵(Marquessマーキス)

 

侯爵(こうしゃく)は、ヨーロッパ大陸(特にドイツ)において、国境付近など重要な地域を領地として任せられた諸侯が受けることができる爵位でした。そもそも、諸侯とは、主君である君主の権威の範囲内で一定の領域を支配することを許された貴族のことを言いますが、君主から侯爵の称号を与えられた諸侯は、確固とした軍事力を保持しており、有事の際には戦果を挙げることが期待されました。逆に言えば、王族ではない諸侯が戦果をあげて公爵に上り詰めるのはかなり至難の業だと言われており、かつて侯爵は、王族以外で実質的に最高位とされていました。

 

イギリスにおいて、侯爵の称号は、非嫡出子を含む国王にとって遠縁の血族者に爵位を与えるために創設されたと言われています(正当な嫡出子や血筋の近い王族には公爵が与えられた)。侯爵は、1385年にオックスフォード伯爵ロバート・ド・ヴィアーがダブリン侯爵(Marquess of Dublin)に叙されたのが始まりとされ、現在は、約35の侯爵家が存在しています。その中では、1551年に初代が叙爵したポーレット家のウィンチェスター侯爵が有名です(現当主のナイシェル・ポーレットは、18代目に当たる)。

 

 

  •  伯爵(Earlアール)

 

伯爵(はくしゃく)という称号は、ウィリアム1世が1066年にイングランドを征服する以前、エドワード懺悔王(在1042~1066年)が、イングランドを四分割して、それぞれを治める豪族に与えたことに始まります。伯爵(アール)は、ヴァイキングのデーン人が使っていた名称に由来するそうです。五爵位の中で最も古い創設で、数世紀にわたり、最高位の爵位でありました。

 

その後、伯爵は、王族の側近で、地方へ派遣されてその地を治めている地方領主のことを指すようになりました。爵位が上の侯爵よりも、支配している領土は狭く、権限が小さいのが特徴です。こうした伯爵の中で、土着の諸侯を監視したり、その力を抑えるために派遣された伯爵の場合、彼らとの争いの中で没落していく場合が多かったようです。逆に勝利すればその領地を手に入れ、王に意見できるような権力を持った伯爵も出たそうです。現存する伯爵家は190を超え、ダイアナ妃のスペンサー家や、ヘンリー8世の妃アンのブーリン家が有名です。

 

 

  • 子爵(Viscount ヴァイカウント)

 

子爵(ししゃく)は、伯爵の副官(補佐)の地位にあたる貴族で、爵位の中でも最後に創設されました。1440年に、ボーモント男爵ジョン・ボーモントにボーモント子爵(Viscount Beaumont)位が与えられたのが始まりですが、地方領主たる伯爵に任せられた小都市や城の管理など地方行政の官僚としての役割を担いました。後に、子爵は、伯爵の嫡男が伯爵位を継ぐまでに名乗る暫定的な爵位として利用されるようになったと言われています。子爵(ししゃく)(Viscount)は、現存する子爵家は112あります。

 

 

  • 男爵(Baronバロン)

 

男爵は、貴族の中で最も下位の爵位で(男爵までが貴族)、爵位が自分より上の諸侯が治める領地内にある村や町などの小領地を治めました。また、子爵以上の爵位を持たない領主が治めていた村や町を、君主から与えられたりもしました。イングランドでは、13世紀頃までバロン(baron)という言葉は、貴族の称号ではなく、国王から直接に封土を受ける臣下を意味していたそうです。

 

貴族は一般的に世襲で生涯、貴族でいられますが、イギリスには一代貴族、法服(法律)貴族、聖職貴族など世襲制でない貴族もあります(それゆえ、世襲貴族hereditary peerという言い方もある)。

 

一代貴族(life peerage)は文字通り、一代限りで貴族に叙されるもの(爵位が有効なのは本人一代限り)で、男爵が一代貴族に当たります。つまり一代貴族と言えば、それはすべて男爵でした。男爵位は、イギリス国家への貢献度の高い人に対して、出身階級にかかわりなく授与されます。現存する男爵家は450近くあるとされ(600人前後)、サッチャー元首相も一代貴族として女男爵(Baroness、バロネス)になっています。

 

なお、世襲貴族(公爵から子爵と准男爵)において、継承されていく爵位は男女の性に関係なく、直系の一族の長子が受け継いでいきます。また爵位を持つ人物の妻は、例えば公爵夫人(Duchess)として、爵位を授与されます。

 

さて、イギリスには、法律上は貴族として扱われませんが、独自に、準男爵(バロネット)とナイト(騎士)の爵位制があります(準男爵が騎士の上位)。準男爵とナイト爵を準貴族ということがあります。

 

 

  • 准男爵(baronetバロネット)

 

准男爵(バロネット)は、イギリスの爵位制度において、世襲称号ではありますが、その中では最下位です。貴族ではなく平民で、貴族院にも議席を有しません。こ

 

准(準)男爵の称号は、17世紀、イングランド王のジェームズ1世が、アイルランド征服・開拓のための資金を集めるために、新しく創設した称号です。具体的には、兵士30人を3年間養える費用を献納した地主に与えられたと言われています。現在では、国家に大きな功績ではありませんが、評価に値する人物、逆に功績をあげたものの貴族にさせたくない人物に与えられているという指摘もあります。

 

準男爵を授与された有名人はビールメーカーのベンジャミン・ギネスやロールスロイスの創設者のヘンリー・ロイス、作曲家 エドワード・エドガーがおり、古くは、世界的科学者、アイザック・ニュートンもいます。

 

なお、当主である女性が凖男爵を叙爵されると、バロネテス(baronetess)となり、女準男爵と呼ばれます。バロネット(baronet)の短縮形はBtまたはBartで、バロネテス(baronetess)はBtssで表記されます。

 

 

  • ナイト爵(Knight騎士)

 

ナイトは中世の騎士階級に由来した称号で、騎士とは、中世ヨーロッパにおいて、国家や君主に尽くした功績に対して褒美として与えられた名誉的称号でした。これにちなんで、主に文化・学術・芸能・スポーツ面で著しい功績があった人に与えられる称号です。ナイトの称号は、一代限りで、世襲することはできません。

 

ナイト(騎士)の称号を受けた有名人には、チャ―リー・チャップリン、ポール・マッカートニー(ビートルズ)、エルトンジョン、ミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)、ボノ、さらには、マイクロソフト創設者のビル・ゲイツなどが含まれています。また、長崎出身でイギリスに在住、2017年にノーベル文学賞を受賞した作家のカズオ・イグロ氏も、イギリス王室からナイトの爵位が授与されました。

 

なお、ナイトは等級があり、王室から受ける勲章に応じて一等から五等に分類され、一等はナイト・グランドクロス、二等はナイト・コマンダーなどの名称が付いています。これに対して、民間団体が「ナイト」を模した民間称号を与える場合もあります。

 

 

貴族に対する敬称

では、イギリスの貴族(公爵から男爵まで)や準貴族(準男爵とナイト爵)はどのように呼ばれるのでしょうか?

 

  • 公爵

公爵に対する敬称は、「Your Grace(ユア・グレース)(閣下)」で、正式な呼び方は、〇〇公爵(Duke of 〇〇)、〇〇には名前や姓ではなく、爵位名(号)が入ります。

 

例えば、王族貴族のケンブリッジ公爵の称号を持つウィリアム王子であれば、ウィリアム公爵ではなく、ケンブリッジ公爵(Duke of Cambridge)と呼ばれます。名前を入れる場合は、ケンブリッジ公(爵)ウィリアム王子(Prince William, Duke of Cambridge)となります。

 

また、臣民公爵のハワード家のノーフォーク公爵(当主トーマス・ハワード)の場合、ノーフォーク公爵(Duke of Norfolk)または、ノーフォーク公トーマス・ハワード(Thomas Howard, Duke of Norfolk)となります。

 

公爵を正式な場で呼びかける場合は、「Your Grace(ユア・グレース)」「閣下」で、通常のパーティのような場所では「Duke(デューク)(公爵)」と呼びかけることになります。

 

一方、公爵夫人に対する敬称には、Duchess(ダッチェス)が使われ、「Duchess of 〇〇(爵位号)」で、ハワード家のノーフォーク公爵夫人であれば、Duchess of Norfolkとなります。公爵夫人を正式な場で呼びかける時は、「Your Grace(ユア・グレース)」、少しくだけた場所では「Duchess(ダッチェス)」を用います。

 

「Your Grace」(閣下)」は、貴族の中で公爵だけに使わる尊称で、侯爵から男爵まで他の貴族の敬称は、「Lord(ロード)(卿)」です。

 

 

  • 侯爵

正式な呼び方は、〇〇侯爵(マーキス)(Marquess of 〇〇)、○○には名前や苗字ではなく、爵位名が入ります。

 

ポートレット家のウィンチェスター侯爵(当主ウィリアム・ポーレット)であれば、ウィンチェスター侯爵(Marquess of Winchester)で、ポートレット侯爵(Marquess of Paulet)や、ウィリアム侯爵(Marquess of William)ではありません。個人名を入れる場合は、ウィンチェスター侯爵ウィリアム・ポーレット(William Paulet, Marquess of Winchester)となります。

 

正式な場で呼びかける時は、「My Lord(マイ・ロード)(閣下)」、それ以外の場では、「Lord Winchester(ロード・ウィンチェスター)(ウィンチェスター卿)」と呼びます。

 

 

  • 伯爵

正式な呼び方は、〇〇伯爵(アール)(Earl of 〇〇)です。

 

スペンサー家のスペンサー伯爵(当主エドワード・スペンサー)であれば、スペンサー伯爵 (Earl Spencer)で、名前を入れる場合は、スペンサー伯(爵)エドワード・スペンサー(Edward John Spencer, Earl Spencer)となります。正式な場で呼びかける時の敬称は、同様に「My Lord(マイ・ロード)(閣下)で、それ以外の場では、「スペンサー卿」(「Lord Spencer(ロード・スペンサー)と呼ばれます。

 

 

  • 子爵・男爵

 

子爵の正式な呼び方は、○○子爵(ヴァイカウント)(Viscount 〇〇)で、

男爵の正式な呼び方も、〇〇男爵(バロン)(Baron 〇〇))となり、〇〇にはそれぞれ爵位名が入ります。

 

アスター家のアスター子爵(当主ウィリアム・アスター)の場合、

アスター子爵(Viscount Astor)、名前を入れるなら、アスター子爵ウィリアム・アスター(William Astor, Viscount Astor)となります。

 

ベアリング家のノースブルック男爵(当主フランシス・ベアリング)なら、

ノースブルック男爵(Baron Northbrook)

ノースブルック男爵フランシス・ベアリング(Francis Baring, Baron Northbrook)

 

正式な場で呼びかける時の敬称は、それぞれ同様に「My Lord(マイ・ロード)(閣下)で、それ以外の場所では、「アスター卿(Lord Astor)」、「ノースブルック卿(Lord Northbrook)」と呼びかけます。

 

一方、侯爵以下の貴族の妻は、侯爵夫人、伯爵夫人、子爵夫人、男爵夫人となり、Lady(レディ)が敬称として使われます(「Lady +爵位号」)。例えば、ノースブルック男爵(Baron Northbrook)夫人は、Lady Northbrookとなります。

 

 

  • 准男爵・ナイト爵

 

侯爵から男爵までの貴族の敬称が「Lord(ロード)」であるのに対して、准男爵(バロネット)ナイトの場合、「Sir」(サー)(卿)が使われ、名前(ファーストネームあるいはファーストネーム+苗字)の前に、「Sir」を付けて呼ばれます。

 

例えば、准男爵であるサッチャー元首相の夫、デニス・サッチャーの場合サー・サッチャーではなく、サー・デニス・サッチャー(Sir Denis Thatcher)(デニス・サッチャー卿)。または、サー・デニス(デニス卿)となります。

 

「ナイト」の称号を受けたノーベル文学賞を受賞者のカズオ・イシグロ氏も、叙爵前なら、ミスター・イシグロ(Mr. Ishiguro)だったのが、現在は、サー・カズオ・イシグロ(Sir Kazuo Ishiguro)またはサー・カズオ(Sir Kazuo)と呼ばれます。Sir Ishiguro(イシグロ卿)とはならないことに気をつけましょう。

 

このように、侯爵から男爵まで貴族の称号が「Lord(ロード)+爵位名」であるのに対して、准(準)男爵やナイトの呼称は「Sir(サー)+名前」となります。

 

准男爵・ナイト爵の称号を持った人、例えばデニス・サッチャー卿を呼びかける時は、場所を問わず、「Sir Denis(サー・デニス)(デニス卿)」となります。

 

なお、準男爵やナイトの妻なら、侯爵以下の夫人と同様に、Ladyの敬称が使われます。例えば、カズオ・イシグロ卿の奥様であれば、「Lady Isiguro(レディ・イシグロ)」となります。呼びかける場合も同様です。侯爵から男爵の夫人であれば、「Lady+爵位名」でしたが、準男爵と騎士の夫人の場合は「Lady+姓」となります。

 

まとめ

貴族・準貴族の敬称

公爵(Duke)⇒Your Grace(ユア・グレース)

侯爵(Marquess) ⇒ Lord(ロード)

伯爵(Earl) ⇒ Lord(ロード)

子爵(Viscount) ⇒ Lord(ロード)

男爵(baron)⇒ Lord(ロード)

准男爵(Baronet)⇒Sir (サー)

ナイト(爵)(Knight)⇒Sir (サー)

 

<参照>

イギリス貴族階級の爵位と名前(世界雑学ノート)

知られざるイギリス貴族の真実(イギリス・All About)

「爵位」の意味とは?日本とイギリスの爵位制度・序列も解説(Tran.biz)

公爵、侯爵、男爵って?イギリス爵位の一覧

貴族制度と呼び方について解説。最低限これだけは押さえておきたい要素とは?

Wikipediaなど

 

2020年01月24日

英王室:ロイヤルハイネスと公爵の称号

イギリスのヘンリー王子とメーガン妃は、1月上旬、王室の中心的な「高位(主要)メンバー」から外れ、経済的に独立する意向を示しました。ただし、「女王を支え、女王に対する義務を守り続ける」とも強調、王室の一員として「半公半民」の立場で活動したい考えを表明しました。

 

(参考記事)

英ハリー王子、王族辞める?

ヘンリー英王子、王室離脱へ

 

これを受けて英国王室(バッキンガム宮殿)は、今月18日、ヘンリー王子夫妻が今春、王室の「高位(主要)メンバー」から外れ、公務には参加せず、王族への敬称である「ロイヤルハイネス(殿下および妃殿下)」の称号(肩書)を失うと発表しました。これは、夫妻が王室から実質的に離脱するという合意であり、公務に参加しないということは、公式に女王の代理もできないということも意味します。しかし、結婚時に与えられたサセックス公爵(ヘンリー王子)およびサセックス公爵夫人(メーガン妃)の称号は、王室離脱後も継続して使用するとされています。

 

一方、今回の決定では、夫妻の当初からの求めに応じて、今後は経済的に自立することが認められたことになります。このことは、これまで受けていた王室助成金などには頼らないことを意味し、例えば、夫妻がイギリスでの生活の拠点にしているフロッグモア・コテージの改修にかかった費用、約3億4,000万円も返済するそうです。

 

この決定に対して、ヘンリー王子は、「私たちの望みは、公費を受けることなく、女王と英連邦への奉仕を続けることだった。残念ながらそれは不可能だった」と発言しており、今回の決定が本意ではなかったことを示唆しました。

 

そこで、今回の投稿では、この王室の決定について考えてみたいと思います。まず、「ロイヤルハイネス(殿下および妃殿下)の称号を失う」と、「サセックス公爵及びサセックス公爵夫人の称号は、王室離脱後も継続して使用する」というのはどういうことなのでしょうか。

(参考投稿:ハリー王子と「王室高位メンバー」)

 

  • ハイネスと公爵

ハイネス(Highness)は、マジェスティ―(Majesty)、エクセレンシー(Excellency)と同様に、地位の高い人への敬称で、「殿下または妃殿下」と訳されます。イギリスでは、ロイヤルハイネス(Royal Highnessといい、王族(王室メンバー)で、国王(現在はエリザベス女王)の子孫や、子孫に嫁ぐ女性に対して使われる尊称(称号)です。英語では、その対象者が男子ならば、「His Royal Highness」(殿下)、それが女子ならば「Her Royal Highness」(妃殿下)となります。つまり、ロイヤルハイネスの称号(尊称)を保持していることは、「イギリス王室」の高位(主要)メンバーであることを指しています。

 

ヘンリー王子もメーガン妃も、このロイヤルハイネス(Royal Highness)の尊称(称号)をエリザベス女王から受けていますが、今回、お二人は、自らが求めた経済的独立の代償として、この「His Royal Highness」(殿下)と「Her Royal Highness」(妃殿下)の尊称(称号)を失うことになるのです。

 

一方、ヘンリー王子とメーガン妃は、結婚を機に、エリザべス女王より、「公爵」の称号を受けています。公爵とは、貴族としての称号である爵位の一つです。爵位には、公爵(こうしゃく)、侯爵(こうしゃく)、伯爵(はくしゃく)、子爵(ししゃく)、男爵(だんしゃく)とありますが、公爵はその中で最高位の爵位です。報道では、ヘンリー王子夫妻は、この公爵の称号は失わないとされています。

 

この内容の理解のために、ヘンリー王子夫妻の結婚時の以下の報道記事が参考になるかと思いますので一読してみて下さい。

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ハリー王子&メーガン妃に与えられた新たな称号を解説

(2018/05/23、Bazaar、一部抜粋)

バッキンガム宮殿は先日、エリザベス女王が孫のハリー王子に「サセックス公爵」の称号を与えたと発表。それにともない、花嫁メーガン・マークルは「サセックス公爵夫人」となり、妃殿下(Her Royal Highness)の称号も授与されることになる。発表によると、「エリザベス女王は本日、ハリー王子に公爵の位を授与しました。王子の称号は、『サセックス公爵』となります」と報じている。そして「ハリー王子は『殿下(His Royal Highness)サセックス公爵』となり、メーガン・マークルは結婚により、『妃殿下(Her Royal Highness)サセックス公爵夫人』となります」と続けた。

 

王室メンバーの結婚に際して、君主(女王)は新しい称号を与える慣習がある。昨年、ハリー王子とメーガン・マークルの婚約が発表されると、王位継承順が第6位であるハリー王子には、英国貴族の称号としては最高位である「公爵」の称号が与えられると予想されていた。なかでも、「アルバニー」や「クラレンス」と並んで空いていた「サセックス」が最有力候補だったのだ。

 

ハリー王子は出生時に、父の「プリンス・オブ・ウェールズ」という称号を反映させて「ウェールズ」の名を与えられた(「プリンス・ヘンリー・オブ・ウェールズ」)。規則としては今後「サセックス」を用いることになり、メーガン妃も「メーガン・サセックス」となる。メーガン妃も夫の称号と名前を名乗ることになる。つまり、女王が彼女に与えた称号と並び、「妃殿下(Her Royal Highness)プリンセス・ヘンリー・オブ・ウェールズ」となる。自分の名前とともに「王子(プリンス)」や「王女(プリンセス)」の称号を使うことができるのは、ロイヤルファミリーに生まれた人だけなのだ。とはいえ、メーガン妃は苗字を使う必要はない。実際、「殿下(His Royal Highness)」、「王子(Prince)」や「妃殿下(Her Royal Highness)」、「王女(Princess)」の称号を持っている王室メンバーは誰も、姓を使う必要がまったくないのだ。

―――

なお、マジェスティー(Majesty)は、国王(女王)に対する尊称で、エリザベス女王は「Her Majesty」(女王陛下)と呼ばれます。

 

では次に、「王室助成金などに頼らない経済的に自立した生活」について改めてみてみましょう。先日の投稿(ハリー王子と「王室高位メンバー」)で、「ヘンリー王子の資産は、約43億7000万円と試算されている」と書きました。今回は、資産ではなく、王室助成金など日々の公務や生活のための資金の流れや、今後についてみてみます。

 

  • サセックス公爵夫妻の収入

 

コーンウォール公領からの収入

ヘンリー王子夫妻は、チャールズ皇太子が保有する「コーンウォール公領」の収入の一部を供与されています。コーンウォール収入とは、コーンウォール公爵(チャールズ皇太子の称号)が持つ、イギリス23郡にまたがる約530平方キロメートルに及ぶ広大な土地からの収入で、主に、領地から生じる地代などです。

 

コーンウォール公領は、1337年に、当時の国王エドワード3世が王位継承者の財政をまかなうために創設され、チャールズ皇太子の収入源となっているそうです。年収、約2000万ポンド(約30億円)とも言われています。チャールズ皇太子は、このコーンウォール公爵領の収入の一部を、ウイリアム王子(ケンブリッジ公爵)一家や、ヘンリー王子(サセックス公爵)一家を含む皇太子の家族に、公務やチャリティ活動、プライベートな出費に充てるための資金として配分しています。ヘンリー王子は、年推定196万ポンド(約2億8000万円)を受け取っているそうです。

 

王室助成金

コーンウォール公領からの収入以外にも、ヘンリー王子は、兄ウィリアム王子とともに、エリザベス女王からの女王の王室助成金の資金援助を受けています。二人の王子は、エリザベス女王から王室活動費として年500万ポンドを受け取り、このうちヘンリー王子とメーガン妃には約200万ポンド(約2億8600万円)が割り当てられていると言われています。この女王が王室メンバーに分配する「ソブリングラント」と呼ばれる王室活動費は、主に、公務旅行や財産管理の補助に使われているそうです。

 

こうした王室のメンバーとして受けとっているお金が今後、入ってこなくなったとすると、ヘンリー王子夫妻は、どうやって「稼ぐ」のでしょうか?

 

 

  • 経済的に独立した場合

前回の投稿でも紹介した内容と一部重複しますが、年間約100億円ともとも試算される次のような膨大な収入が期待されています。

 

・テレビ出演や講演活動

・グローバル企業のアンバサダー

・インスタグラムからの広告収入

・商標の「サセックスロイヤル」からの収入

 

ヘンリー王子は2019年12月に自らの爵位にちなんだ「サセックスロイヤル」の商標登録を行いました。「サセックスロイヤル」の商標がついた服飾品や書籍類など100を超える登録項目から収入が期待されています。

 

 

  • メーガン妃と王室

今回の「騒動」は、「王族メンバーとしてメディアからの厳しい視線に耐えられなくなったメーガン妃を守るために、ヘンリー王子が決断した模様」などと報じられました。そうであるなら、今回の英王室(バッキンガム宮殿)の対応は、王族メンバーとして厳しい監視下にあった生活から離れることができるので、この点に関して言えば、夫妻にとってはよかったのではないかと思われますが、それだけではないようです。

 

イギリス王族は、「子宮の中にいる時にしかプライバシーはない」と言われるほど、国内外のメディアの注目度も高く、特に、「タブロイド」と呼ばれる英大衆紙は、王室のスキャンダルを好んで暴こうとします。イギリスの社会においては、伝統的に倹約精神というのが美点としてあるそうです。エリザベス女王もストッキングが伝線すると繕いに出していたという逸話もあるほどです。ですから、イギリス国民は、王族に対しても当然そうした価値観の継承をある程度は期待するわけですが、メーガン妃は真逆です。

 

アメリカ人のメーガン妃は、ハリウッド女優で、派手で華やかタイプ、しかも離婚経験もあるなど、これまでのイギリス王室にはいなかった女性です。当然、そんなメーガン妃の行動は、こうした大衆紙の格好のターゲットとなります。実際、メーガン妃の父親への私信が違法に報じられたり、携帯電話の音声メッセージを盗聴されたりしました(ヘンリー王子はこの件で訴訟を起こした)。しかし、こうした報道に対して、市民は眉をひそめるのではなく、受け入れている文化がイギリスにはあります。王室も、開かれた王室のイメージを定着させるためにもこれを容認しているようです。英王室は、7紙と独占的に公務取材を行える取り決めをしているそうですが、その中にはゴシップネタを追う大衆紙も含まれているのです。

 

メーガン妃は、「王室の高位メンバー」から抜けることで、「御用メディア」の監視下から離れたいと考えたのではないかとの見方が一般的です。ただし、それは自分と家族のプライバシーを守るためという理由だけでなく、自らのビジネスプランの実現に支障がでると考えたのでないかと見られています。

 

前回の投稿記事でも指摘しましたが、ヘンリー王子夫妻は、仮に収入が入らなくても、生活していける資産を持っています。しかし、そのような生活に満足できるメーガン妃ではないようです。妃は昨年、英民放ITVのドキュメンタリー番組で「生き抜くだけでは十分ではなく、成功して幸せを感じなければならない。それが人生だ」と発言しました。もっとも、メーガン妃も王室の一員に成りきろうとしたことも事実です。「感情を抑えるというイギリス流の繊細さに適応しようと努力した」と妃自身が告白しています。ただ、セレブ志向のメーガン妃にとっては無理だったようです。

 

今回、王室の一員として、可能な公務を行うことで、エリザベス女王を支えつつも、「高位ロイヤル」の立場からは離脱し、一年をイギリスとカナダで半分づつ過ごすと発表しました。メーガン妃からすれば、それは、王室の高位メンバーを執拗に追いかける大衆紙を避けつつ、経済的な成功を求めるための理想的な提案であったに違いありあません。

 

しかし、王族の象徴ともいえる「ロイヤルハイネス(殿下および妃殿下)」の称号(肩書)を失うことは、英王室というブランドを最大限に利用してセレブであり続けようとするメーガン妃にとっては大きな誤算であったかもしれません。もっとも、サセックス公爵の称号は失わないとされているので、胸をなでおろしているかもしれません。

 

 

<参照>

ウィリアム王子の資産は54億円超!、一体どこから来ている?

(Jun.28.2019、CELEB)

ハリー王子&メーガン妃に与えられた新たな称号を解説

(2018/05/23、BAZAAR)

英国王室は、あなたが考えているよりも多くの収入源を持っている

(2019/11/29、BAZAAR)

ヘンリー王子とメーガン妃、年間収入100億円になるか

(2020/01/18、女性セブン2020年1月30日号)

メーガン妃とヘンリー王子が英王室を離脱する 年の半分カナダに移住

(2020年1月9日 yahooニュース)

宗教と風習―貴族の世界(欧州編)(So-net)

Wikipediaなど

2020年01月18日

英王室:ハリー王子と「王室高位メンバー」

英国のヘンリー(ハリー)王子とメーガン妃が今月8日、英王室の「主要メンバー(高位メンバー)」の立場を退き、財政的な自立をめざすという声明を出しました。「主要(高位)メンバー」から退くということが、ヘンリー王子の引退、王室からの離脱を意味するといった様々な憶測が流れています。また、どの場合でもヘンリー王子の王位継承との関係はどうなるのかといった疑問の声が上がっています。今回は、「(英王室の)主要メンバー(高位メンバー)の立場を退き、財政的な自立をめざす」という意味を考えることで、英国の王室について学びましょう。

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「王室の高位メンバー」って何?

 

まず、そもそも、英国のシニアメンバー(高位メンバー、主要メンバー)とはどういう意味なのでしょうか?英文では「senior(シニア)」、日本のマスコミはこれを「高位」または「主要」と訳しました。「高位ロイヤル」という表現もあります。「高位メンバー」について、英国王室に公式な規定は存在しませんが、一般的には、「君主(女王)の成人親族で、(フルタイムの)ロイヤルファミリーとして女王の名の下に日常的な公務を遂行し、かつ王位継承に近い位置にいる王族とその配偶者」と解されています。現在、ヘンリー王子夫妻を含めた「高位王室メンバー」の地位にあるのは、以下の9人と見られています。

 

エリザベス女王陛下
エジンバラ公フィリップ王配(おうはい=女王の配偶者)
ウェールズ公チャールズ皇太子
チャールズ皇太子の妻・カミラ夫人
ケンブリッジ公ウィリアム王子
ウィリアム王子の妻・キャサリン妃
サセックス公ヘンリー王子
ヘンリー王子の妻・モーガン妃
ヨーク公アンドルー王子
(アンドルー王子とは、エリザベス女王の第3子(次男)、チャールズ皇太子の弟)

 

爵位はどうする?

今回の夫妻による「高位メンバー」からの脱退宣言は、ヘンリー王子が、王族という貴族の地位まで捨てて、一般人と同じように、普通の生活をするということなのでしょうか?

 

貴族の地位を捨てるということは、王家の称号である爵位(しゃくい)を辞退することを意味します。「爵位」は、貴族だけに与えられた称号で、爵位により、身分の序列が表されます。イギリスの爵位は、上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の順番です。ハリー王子とメーガン妃の称号は、爵位の最高位である公爵です。先ほど、「王室高位メンバー」のリストに、ヘンリー王子に「サセックス公」という肩書がありましたが、「公」とは公爵を意味し、「サセックス」はイギリスの地名で、爵位に地名がつけられるのが慣例です。

 

ハリー王子がメーガン妃と結婚した際、女王からの贈り物として、サセックス公爵と公爵夫人の称号が与えられましたが、ハリー王子とメーガン妃は、「サセックス公爵夫妻」の称号を放棄したいとは考えていないと見られています。実際、ヘンリー王子&メーガン妃は、写真共有サイト「インスタグラム」の声明文には、新たなワーキングモデルに移行し、経済的に独立したとしても、「引き続き、女王陛下に対する夫妻の献身は揺るぎないものであり、要望に応じて、女王エリザベス2世に忠誠を尽くすことを目指す」と書かれていたことからもわかります。

 

 

王位継承権はどうなる?

また、現在、ヘンリー(ハリー)王子は、王位継承順位は6位となっていますが、「引退宣言」で王位継承から外れるのかという疑問がでているようです。しかし、イギリスでは、王位継承権は絶対で、王位継承者は継承権を放棄できません。仮にヘンリー王子が望んだとしても、王族引退はできても王位継承権の放棄はできません。もっとも、一度王位につけば、王位から退くことはできます(過去にも1936年にエドワード8世の例がある)。

 

イギリス王室の王位継承順位(10位まで)

  1. チャールズ皇太子 エリザベス王女第1子
  2. ウィリアム王子 チャールズ皇太子の長男
  3. ジョージ王子 ウィリアム王子第1子
  4. シャーロット妃 ウィリアム王子第2子
  5. ルイ王子 ウィリアム王子第3子
  6. ヘンリー王子 チャールズ皇太子の次男
  7. アーチー王子 ヘンリー第1子
  8. アンドルー王子 エリザベス王女第2子
  9. ベアトリス妃 アンドルー王子第1子
  10. ユージェニー妃 アンドルー王子第2子

 

 

「経済的に独立」の意味は?

現在、チャールズ皇太子を除くイギリスの高位(主要)メンバーは、王室の信託財産からの助成金に家計を頼っています。ヘンリー王子とメーガン妃が言う英王室の「高位」の立場から退き、「経済的に独立したい」という時の「経済的自立」とは、現在の立場では認められていない「仕事をして収入を得ること」だと述べています。

 

実際、お二人は、かねてより離脱の構想を温め、2019年6月、独自の財団設立を発表し、その時点で、夫妻は「Sussex Royal」(サセックス・ロイヤル)の商標出願をしています。対象は「パジャマ、スーツ、フード付きトップス」から「助言・コンサルティングサービス」「健康・ウェルネストレーニング」まで網羅するブランドだそうです。

 

しかし、現在、高位ロイヤルの称号を持ったまま、「利益を得る」形で仕事をすることはできないとされていました。例えば、CM(コマーシャル)など企業とスポンサー契約を結んで、ブランド(企業)のために働き、報酬を得ることを認められていません。ですから、ヘンリー王子とメーガン妃は、「経済的に独立」をして、「王室ブランド」を営利目的の私的ビジネスに変えようという「挑戦」に乗り出したという見方も可能です。

 

 

実は膨大な個人資産が…

ただし、いわゆる経済的に独立という「王室改革」が、今回の王室引退(高位メンバーからの離脱)の目的だったかというと、それも疑問が残ります。というのも、ヘンリー王子は、仮にこれから働かず、助成金も入ってこなかったとしても、すでに驚くほどの個人資産を保有しているからです。

(「膨大な個人資産」についての記載は、Cosmopolitanの記事「・・・ヘンリー王子の保有資産はHOW MUCH?」を特に参照しました)

 

  • 曽祖母エリザベス皇太后が設立した信託基金

エリザベス女王の母、「クイーン・マザー」が、ウィリアム王子とヘンリー王子をはじめとするひ孫たちのために、1994年に設立した信託基金(推定1900万ポンド:約27億円)から、2人の王子はすでに約600万ポンド(約8億5800万円)を半額ずつ受け取ったとされています。また、王子たちは40歳になると、クイーン・マザーの信託基金に残されている金額のうちの800万ポンドから、それぞれの割り当て分を受け取る予定だとされています。しかも、その残りの金額の大半をヘンリー王子が受けとることになっていると言いいます。というのも、ウィリアム王子が君主になった場合に生じる二人の資産の差を埋め合わせようと皇太后が配慮したからだそうです。

 

  • ダイアナ元妃の遺産

母であるダイアナ元妃が王子たちに残した資産1000万ドル(税引き後、約10億円)を、王子たちは25歳になったときから、毎年一定額(推定45万ドル:約4900万円)を受け取っていると言われています。

 

そのほか、英陸軍航空隊のヘリコプター操縦士時代の給料などを含めると、ヘンリー王子の保有資産はおよそ4000万ドル(約43億7000万円)になるとの試算もあるほどです。

 

公爵夫妻の真意は?

こうした点を考慮すれば、今回の王室の高位メンバーから退くというヘンリー(ハリー)王子とメーガン妃の宣言の真相は、「経済的独立」は二の次で、王族としての生活に馴染めない「メーガン妃」がキーワードとなるのかもしれません。

 

カリフォルニア生まれのアフリカ系アメリカ人のメーガン妃は、結婚前に、人気ドラマ「スーツ」や映画への出演、企業とのスポンサー契約など「セレブ」生活をしていました。当然、英国王族の宿命ですが、夫妻はメディアから過度に注目、過剰報道されました。昨年、複数のメディアに対して訴えを起こすほど、苛立ちを強めていたとされています。

 

今回、公爵夫妻という肩書は捨てることなく、王室の高位(主要)メンバーから外れるという宣言は、母ダイアナ妃の悲劇を目の当たりにしているヘンリー王子からすれば、妻を守るための行動であり、また、自由と独立を志向するメーガン妃の要望であったと推察されます。実際、先日13日に行われた夫妻の王室離脱問題を巡る緊急の家族会議について、「2人の希望通り、イギリスとカナダの両国で暮らすことが了承された」と報じられました。ヘンリー王子とメーガン妃にとっての最大の希望は、イギリス(宮殿)から離れることだったのかもしれません。

 

 

<参照>

ハリー王子夫妻、王室主要メンバー退く意向 公務は継続

(2020年1月9日、朝日新聞)

英王室の緊急家族会議 ヘンリー王子夫妻の離脱容認

(2020/01/14テレビ朝日)

ヘンリー王子夫妻が退く英国王室の“シニアメンバー”ってなに?

(HUFFPOST 2020 1/09)

ハリー王子&メーガン妃、退位すると「サセックス公爵」夫妻の称号はどうなる?

CELEB 2020 1 20

[FT]ヘンリー英王子夫妻は「経済的に自立」できるか

(2020/1/10 日本経済新聞)

ヘンリー王子&メーガン妃が退く「高位」ロイヤルの立場とは?

(BAZAAR 2020 1/9)

英王室からの一部引退を表明! ヘンリー王子の保有資産はHOW MUCH?

(2020/01/09)Cosmopolitan

2019年12月25日

キリスト教:ローマ教皇ってどんな人?

令和最初のクリスマスの日に当たり、キリスト教についてまとめました。ただ、キリスト教の膨大な歴史や複雑な教義など一回の投稿で紹介できるわけはなく、これから何回かに分けてキリスト教について気の赴くままに書いてみます。最初は今年11月、ローマ教皇の来日もあったので、ローマ・カトリックからです。

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カトリック教会と教皇

ローマ・カトリック教会は、信者数約13億人と、キリスト教のなかでは最大で、世界中に教会と修道会があります。文字通り、世界宗教ですが、現在では、信者の半数が近くを中南米で占め、欧州は全信者の約4分の1を占めるに過ぎません。信者の増加率ではアフリカが最も高いとされています。このキリスト教の最大宗派、ローマ・カトリック教会の最高指導者が、ローマ教皇(法王)です。英語ではパパを意味するポープ(Pope)と言います。現在のフランシスコ教皇は第266代目に当たります。ローマ教皇は、「キリスト12使徒」(後述)の筆頭ペテロの後継者で、地上での「キリストの代理人」という位置づけです。

 

また、教皇は、カトリック教会の精神的指導者であると同時に、独立国家バチカン市国(後述)の国家元首でもあります。バチカン市国は世界最小の国家ですが、170以上の国と外交関係を結び、官僚機構も備えています。元首である教皇は政治的な権力も兼ね備えているという言い方も可能です。

 

このように、ローマ教皇は、外交、各教会・修道会、信者の3ルートを通じて、世界の情報を集め、世界的に影響力を行使することができます。各国の首脳と会って直接対話できます。教皇(法王)も、非核化、人権、貧困、移住、環境などグローバルな問題から、パレスチナやスーダンといった地域問題までさまざまな所見を披露し、世界に警鐘を鳴らしています。各国メディアも教皇の言動を報じます。法王発言は、宗教・宗派の違いを超え、国際社会がたえず注目しています。各国の政治家たちがバチカンを訪れ、謁見を望むのはこのためだと言えるでしょう。

 

<法王選出>

では、ローマ教皇はどうやって選ばれるかというと、「コンクラーべ」と呼ばれる法王の選出会議の場で行われる投票で選出されます。投票権を持つのは、世界52ヶ国、120人いるとされる枢機卿のうち80歳未満の者(117人)で、欧州圏と非欧州圏それぞれ半数を占めています。投票は無記名(投票者の名前は書かない)で、(公開されない)秘密選挙です。会場はシスティーナ礼拝堂ですが、外部を完全に遮断し、全体の3分の2を上回る票を得る者が出るまで、毎日昼と夕方の2回投票が繰り返れます。投票用紙は結果が出たらすぐに燃やされますが、礼拝堂の煙突から出る煙の色で投票結果が外部へ伝えられます。白い煙が出たら「決定」、黒い煙なら「未決」を表します。

 

現在の「コンクラーベ」方式による選出は13世紀から行われるようになったと言われています。その時、クレメンス4世の死後(1268年)、新教皇を選出しようとしたのですが、2年以上たっても決まりません。それに業を煮やした市民が会場にカギ(ラテン語でクラーベ)をかけ、パンと水だけを与えて缶詰めして、選出を迫ったという逸話が残されています。

 

<歴代教皇(過去3代)>

ヨハネ・パウロ2世(1978.10~2005.4)

共産圏のポーランド出身で初の教皇に選出、455年ぶりの非イタリアの法王が誕生しました。逆の言い方をすれば、ヨハネ・パウロ2世まで450年間、ローマ教皇はイタリア人であったということになります。在任中、ポーランドはワレサ議長率いる「連帯」による民主化運動が進み、東欧改革の先駆けとなり、法王は冷戦崩壊の精神的支柱になったと言えます。ヨハネ・パウロ2世は、在任中の27年間に129カ国以上の海外訪問を精力的に行った「空飛ぶ教皇」との異名をとりました。その外遊の目的は、諸宗教との対話と和解でした。

 

  1. 6 共産政権下のポーランドに里帰り、自主労組「連帯」発足を促す。
  2. 2 広島、長崎を訪問。
  3. 5 バチカンのサンピエトロ広場で暗殺未遂
  4. 5 英国国教会を訪れ、約450年ぶりに和解
  5. 7 バチカン、ポーランドと外交関係回復。以後、次々と旧東側諸国とも。

1989.12 マルタ会談の前日にソ連のゴルバチョフ最高会議議長と会談。

  1. 3 バチカン、ソ連と外交関係樹立
  2. 1 キューバ訪問

 

  1. 3 中東の聖地巡礼、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ自治区を歴訪

十字軍、異端審問、反ユダヤ主義など過去の教会の罪(過ち)を事実上謝罪

 

  1. 5 キリスト教会の1054年の東西分裂以来、初めてギリシャを訪問。

十字軍の迫害などについて「カトリック信徒は正教徒に対して罪を犯した」と謝罪

 

2001  シリア訪問、ローマ法王として初めてモスクに入る

  1. 4 死去

 

ベネディクト16世(2005.4~2013.2)

ドイツ出身の保守派で、キリスト教の保守的な価値観を重視し、同性愛や人工中絶などに強く反対してきた。学者肌の教皇として有名。

 

2006.11 トルコ訪問

東方正教会であるコンスタンチノープル総主教庁のバルトロメオス総主教が法王を招待。歴代法王として2人目のイスラム教モスク訪問(イスタンブール)。

 

2007.3  プーチンロシア大統領と初会談

 

2013.2.28 生前退位

ベネディクト16世(85)は、高齢により体力が衰え、職務遂行が困難になったことが理由に退位しました。在位は8年でした。法王の地位は絶対で、罷免は許されず、終身制が原則とされてきたため、存命中の退位は中世以来598年ぶりのこととなりました。ベネディクト16世は、バチカンの小さな修道院に移り、「名誉法王」となります。

 

法王は就任後の5年間、イスラム教の聖戦(ジハード)への否定的発言や、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を疑問視した司教の破門解除などで批判を受け、前教皇の意思を受けついだ「諸宗教との対話と和解」は後退したとの見方もでていました。

 

生前退位したローマ教皇

1294年のセレスティン(ケレスティヌス)5世

不本意に法王に祭り上げられたことに抵抗し、在位5カ月で退位しました。

 

1415年のグレゴリオ12世

当時、複数の法王が併存し、分裂した教会を統一するために、退位に追い込まれたとされています。

 

 

フランシスコ1世(2013.3~)

 

アルゼンチン人でブエノスアイレス大司教のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(76)が選出、第266代目のローマ法王、フランチェスコ1世(フランシスコ)が誕生しました。伝統を誇る欧州以外から法王が選ばれるのは約1300年ぶり(8世紀以来初めて)で、初の中南米出身の教皇が誕生しました。

 

世界に13億人いるカトリック教徒の4割以上が中南米の信者で、その数は5億人を超え、世界全体の半数に迫る勢いです。例えば、ブラジルとメキシコには合計2億2000万人以上のカトリック教徒がおり、フランシスコ教皇のアルゼンチンでも、人口約4000万人の90%以上がカトリック信者が占めています。

 

本家本元の西欧ではカトリックが停滞している一方、南米やアフリカは信者の増加で貢献度が高く、地元出身の法王選出を希望する声が高まっていたと言われています。このような状況を反映して、今回初めて南米のアルゼンチンからの教皇誕生となったのかもしれません。ただし、フランシスコ教皇は、アルゼンチン人と言っても、イタリア系移民2世であり、白人です。白人ではない教皇の誕生というわけではなかったのです。

 

一方、フランシスコ教皇のもう一つの顔は、彼がイエズス会員としての顔です。ベルゴリオ枢機卿が法王名に「フランシスコ」を選択したので、13世紀のアッシジの聖フランチェスコにちなんだと思われましたが、本人はフランシスコ会出身ではなく、日本でもお馴染みのイエズス会出身だったのです。そして、フランシスコ教皇は、イエズス会出身としては初の教皇です。

 

イエズス会

イエズス会といえば、16世紀、日本に最初にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの名前で日本人にもなじみ深いですね(ザビエルはイエズス会の創設メンバーの1人)。イエズス会そのものは、イグナティウス・デ・ロヨラが創設し、「戦闘的騎士団」として、アジアへの布教を推進してきた修道会です。

 

新たな修道会創設のきっかけは、1513年3月に就任したレオ10世は、教会の財源として免罪符を大々的に売り出し、これを批判したルターが宗教改革を起こしたことでした。ルター派やその後にカルバン派は結果的にプロテスタントとして、カトリック教会から分離します。ルターやカルバンとは逆に、カトリック教会の内側からの改革を目指したのがイエズス会でした(これは反宗教改革と呼ばれる)。

 

ちなみに、ヨハネ・パウロ2世が、イエズス会を毛嫌いしていたことは有名です。1960年代後半、カトリック教会内で、「キリスト教は貧しい人々の解放のための宗教である」とみなす「解放の神学」が中南米を中心にして支持を広げ、しかも共産主義に接近しました。この運動を支えたのがイエズス会だったのです。共産圏のポーランド出身で「反共」のヨハネ・パウロ2世にとっては相いれないものであったのかもしれません。

 

さて、フランシスコ教皇は、穏健派な保守派として知られています。近年、カトリック教会にあって、キリスト教の原理的な教義を重んじる保守派と、現代社会に即した対応を促すリベラル派の対立があるとされています。そこで、フランシスコ教皇がいかに両者にバランスよく対応できるかが注目されています。