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2020年08月29日

皇室:宮中祭祀(天皇のご命日)

先月(7月)30日に明治天皇を偲んで、明治天皇例祭が行われたことを先日記事にしました。今回は歴代天皇の命日に行われている宮中祭祀についてまとめました。

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歴代の天皇のご命日に、御霊を慰める儀式が、宮中祭祀として行われるのは、初代の神武天皇と、「先帝」、「先帝以前三代の天皇」に限られています。

 

「先帝」とは、「先代の天子、さきのみかど」の意ですが、現在、平成の天皇が「上皇」として御健在ですので、「先帝」は昭和天皇をさします。「先帝」は崩御後の呼び方なので、今の上皇陛下は「先帝」ではなく「前帝」と呼ばれます。ですから、「先帝以前三代」の天皇とは、現在、昭和天皇よりも前の大正天皇、明治天皇、孝明天皇が該当します。それぞれの祭祀の名称とご命日に当たる実施日は以下の通りです。

 

神武天皇祭:4月3日

昭和天皇祭:1月7日

大正天皇例祭:12月25日

明治天皇例祭:7月30日

孝明天皇例祭:4月30日

 

例祭(れいさい)とは、毎年きまった月日に行われる祭りの意

 

祭典は、ご命日の日、皇居内にある歴代天皇の霊を祭る宮中三殿の皇霊殿(こうれいでん)において、皇霊殿の儀が行われます。陛下は装束姿で臨まれ、皇后 皇太子・同妃、各宮家の皇族も参列されます。また、天皇が葬られた陵(みささぎ)においても、「山稜(さんりょう)の儀」と呼ばれる祭典が挙行されます。さらに、その日の夜には、御神楽を奏して神霊をなごめる「御神楽(みかぐら)の儀」が皇霊殿において催されます。

 

皇居内の宮中三殿で行われる(宮中)祭祀は、大祭と小祭に分かれます。大祭は、天皇が自ら祭典を斎行し、拝礼した上で、御告文(おつげぶみ)を奏上されます。皇族方や三権の長など官僚らも参列します。これに対して、小祭は、皇室の祭祀をつかさどる掌典長が祭典を執り行い、天皇が拝礼(親拝)されます。

 

神武天皇祭、昭和天皇祭は、大祭として祭典が営まれ、「先帝以前三代」の天皇の大正天皇例祭、明治天皇例祭、孝明天皇例祭は、小祭として行われます。ただし、他の小祭と異なり、天皇陛下と皇太子殿下の御拝礼だけでなく、皇后陛下や皇太子妃殿下、宮家の成年皇族方も参列して、皇霊殿前の幄舎(あくしゃ)から祭典を見守られます。

 

また、「先帝以前三代」の天皇祭は、神武天皇祭と昭和天皇祭と同様に、崩御相当日に式年ごとの式年祭が大祭として行われています。式年祭(しきねんさい)とは決められた期間ごとに行われる祭祀のことをいい、天皇祭の場合、崩御の年から3年、5年、10年、20年、30年、40年、50年、100年、それ以降は100年ごとに営まれます。式年祭は、宮中祭祀の中でも「大祭」に位置付けられる重要な儀式で、皇居・皇霊殿と、それぞれの陵(天皇の墓)で行われます。なお、皇太后(先代の天皇の皇后)についても、例祭と式年祭があります。

 

 

  • 昭和天皇祭

 

昭和天皇祭は、昭和天皇のご命日である1月7日に執り行われる祭祀(大祭)で、天皇陛下が「皇霊殿の儀(昭和天皇祭皇霊殿の儀)」に臨まれます。また、東京都八王子市の武蔵野陵(むさしののみささぎ)においても山稜の儀があり、その日の夜には皇霊殿で御神楽(みかぐら)(昭和天皇祭御神楽の儀)も行われます。

 

昭和天皇祭は現在、先帝祭(先代の天皇が崩御された日を祭る宮中祭祀)として行われています。先帝祭は、天武天皇が崩御された際、国忌(こっき)といって、政務を休み、仏事を行い、歌舞を慎んだことを起源としています。以後、皇祖、先帝、母后などの命日にも適用され、明治維新の後、先帝祭は、神武天皇祭とともに国家の祭日とされました(戦後は廃止)。

 

また、昭和天皇祭は、式年祭も挙行されています。昭和天皇の逝去から30年の節目の年に当たった2019年1月7日は、「昭和天皇三十年式年祭の儀」が行われました。この時は、今の上皇陛下ご自身、昭和天皇が埋葬された武蔵陵(むさしののみささぎ)(東京都八王子市)までお出ましになり、「山陵の儀」を斎行されました(両陛下は昭和天皇の三年、五年、十年、二十年の式年祭はいずれも武蔵野陵での儀式に臨まれた)。その日は、秋篠宮ご夫妻ら皇族方のほか、総理ら三権の長ら約80人が参列しました。

 

一方、これに先立ち、「皇霊殿」では「皇霊殿の儀」が行われ、皇太子ご夫妻(今の天皇皇后両陛下)が天皇陛下の名代として拝礼されました。秋篠宮家の長女眞子さまと次女佳子さまも参列されました。

 

昭和天皇の式年祭は今後、死去後50年までは10年ごと、その後は100年ごとに行われます。

 

 

  • 香淳皇后例祭

 

香淳皇后例祭は、昭和天皇の后(きさき)でいらっしゃた香淳皇后(こうじゅん)を偲び逝去(せいきょ)された6月16日に行われている宮中行事です。2020年は逝去から20年にあたり、「香淳皇后二十年式年祭の儀」が皇居と、武蔵陵墓地にある武蔵野東陵で行われました。

 

皇居の宮中三殿では、「皇霊殿の儀」が執り行われ、装束姿の天皇皇后両陛下が拝礼され、陛下は御告文(祭文)を読み上げられました。また、秋篠宮ご夫妻ら皇族方も参列されました。香淳皇后の武蔵野東陵では、「山陵に奉幣の儀」が執り行われ、天皇陛下の使者が玉串をささげた後、上皇ご夫妻の側近が代拝されました。続いて秋篠宮家の長女眞子さまと次女佳子さまがそれぞれ拝礼されました。

 

 

  • 大正天皇例祭

 

大正天皇の祭祀は、毎年崩御日に相当する12月25日に、大正天皇例祭が小祭として斎行されており、式年の崩御日に相当する日に「大正天皇式年祭」が大祭として斎行されています。

 

宮中三殿の皇霊殿で「皇霊殿の儀」が執り行われ、大正天皇が埋葬されている多摩陵(たまのみささぎ)では「山陵の儀」が斎行されます。式年に当たる時は、天皇による山陵への行幸御親祭があり、皇霊殿では代わりに、宮内省の掌典長が拝礼されます。

 

大正15年(1926年)12月25日の大正天皇崩御に伴い、新たに「大正天皇祭」が制定され、昭和年間では、大正天皇祭が先帝祭となりました(大祭として斎行)。平成元年(1989年)1月7日に、昭和天皇が逝去されてから、この日は祭日ではなくなり、先帝祭は昭和天皇祭に変更されています。

 

 

  • 明治天皇例祭

 

明治天皇の祭祀は、毎年崩御日に相当する7月30日に、明治天皇例祭が小祭として斎行され、式年の崩御日に相当する日に「明治天皇式年祭」が大祭として斎行されています。皇居での「皇霊殿の儀」に続き、伏見桃山の陵所においても掌典職による祭祀「山陵の儀」が挙行され、その日の夜には皇霊殿で御神楽(みかぐら)明治天皇例祭御神楽の儀)も行われます。

 

明治天皇例祭は、大正天皇時代、「先帝祭・明治天皇祭(大祭)」として斎行され、大正天皇の逝去を受け、現在の「明治天皇例祭」となりました。

 

 

  • 孝明天皇例祭

 

孝明天皇例祭は、毎年崩御日に相当する1月30日に行われる小祭で、式年の崩御日には「孝明天皇式年祭」が大祭として同様の祭祀が斎行されています。

 

この日は、天皇陛下が宮中の皇霊殿で「孝明天皇例祭皇霊殿の儀」に臨まれ、孝明天皇の陵所(天皇の墓)である京都の後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしのみささぎ)でも「孝明天皇例祭皇山稜の儀」が行われます。夜には御神楽(孝明天皇例祭御神楽の儀)が奏されます。

 

孝明天皇例祭は、孝明天皇が1968年1月30日に崩御されたため、この日が祭日になり、「孝明天皇祭」として、明治天皇時代の「先帝祭」となりました。1912年(明治45年)7月30日、明治天皇が逝去されたのに伴い、この日は祭日ではなくなり、新たに「明治天皇祭」が制定され、孝明天皇祭は孝明天皇例祭となりました。

 

 

  • 神武天皇祭

 

神武天皇祭は、神武天皇のご命日とされる4月3日に執り行われる大祭で、皇居の皇霊殿で「神武天皇祭皇霊殿の儀」が斎行され、天皇陛下は装束姿で臨まれ、皇后 皇太子・同妃、各宮家の皇族も参列されます。

 

また、神武天皇が葬られた奈良県橿原市の畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)においても「山稜の儀」が挙行されます。その日の夜には、特に御神楽を奏して神霊をなごめる「皇霊殿御神楽(みかぐら)の儀」も催されます。

 

2016年4月3日には、大正5年以来、100年ぶりに、神武天皇式年祭(二千五百年式年祭)が挙行されました。この時、現在の上皇上皇后陛下は、大正天皇、貞明皇后が、神武天皇陵を参拝された前例にならい、奈良県橿原市まで赴き、拝礼されました。

 

神武天皇祭は、1871年(明治4年)に「四時祭典定則(しじさいてんていそく)」で規則化され、戦後、皇室祭祀令は、1947年(昭和22年)に廃止されましたが、現在も宮中祭祀として存続しています。なお、神武天皇が即位した2月11日は、明治6年に紀元節と定められましたが、戦後に廃止された後、昭和42年に「建国記念の日」として祝日となって現在に至っています。

 

<参考投稿>

明治天皇例祭と孝明天皇例祭

昭和天皇祭

香淳皇后例祭

神武天皇祭と神武天皇その人

 

 

 

 

2020年08月27日

仏教:十王審判と十三仏信仰

 

前回の投稿「法要:人は死んだらどうなる?」で、「死後、十王による審判を受ける一方、残された遺族が法要を行うことによって、十三仏による救済を得て、極楽に導かれる…」式の話しをしましたが、今回は、十王審判と十三仏信仰について、より詳細な説明をしてみたいと思います。

―――

 

<十王思想>

 

インドでは、輪廻転生の思想に基づき、故人への供養として、死亡した日から七日目ごとに7回の法要が行われ、さらに、49日(=7×7)が過ぎると死者は他の生を受けると考えられていました。

 

中国に仏教が伝わった際、人は亡くなると冥界にいる10人の王から7日ごとに審判を受けるという十王信仰が出来上がりました。これによって遺族による供養(法要)も3回増えたことになりました。

 

十王とは、死者の生前中の行いの審判を行う10人の「裁判官」で、以下の順番に従い一回ずつ審理しました(ただし、各審理で決定されたら、次からの審理はなく、抜けて転生していったとされる)。広く知られている閻魔王も十王の一人で5番目に登場します。

 

秦広王(しんこうおう)(初七日)

初江王(しょこうおう)(十四日)

宋帝王(そうていおう)(二十一日)

五官王(ごかんおう)(二十八日)

閻魔王(えんまおう)(三十五日)

変成王(へんじょおう)(四十二日)

泰山王(たいざんおう)(四十九日)

 

 

  • 秦広王(しんこうおう)

 

インド神話によれば、人がこの世に生れ落ちると、「倶生神(くしょうじん)」が両肩に一神ずつ宿り、一生涯、その人の行為を帳面に記録していると言います(この帳面は閻魔王へ順次、渡されるので「閻魔帳」と呼ばれる)。秦広王はこの倶生神の報告に基づき、亡者の生前の行いを全て取り調べ、特に生き物の命を奪う殺生の罪を問いただします。亡者(もうじゃ)は、秦広王の取調べの結果により、三途の川のどこを渡るかが決められます。殺生を認めて、代わりに何かよい事をしたことがあるというならば、次の場所で言うように指示されるそうです。

 

  • 初江王(しょこうおう)

秦広王の裁きを受けた亡者が、三途の川を正しく渡ったかが確認された後、秦広王から届いた「調書」に基づいて、殺生に関する裁きや盗みについての取り調べが行われます。

 

  • 宋帝王(そうていおう)

邪婬(じゃいん)(不適切な性交渉)の罪が問いただされます。裁きの場では、化け猫が群がり、大蛇が列をなして出てくるそうで、罪が重い場合、男性なら性器を猫から食いちぎられ、女性なら性器に蛇がめり込んで身体が砕かれるという地獄に堕ちるとされています。

 

  • 五官王(ごかんおう)

ここで、主に「口」で犯す七つの罪が、秤(はかり)にかけられます。七つの罪とは、妄語(もうご)(嘘をつくこと)、飲酒、他の人の過失・罪過を存分にいう罪、自分を褒め他人を謗る罪、他に施すことを惜しむ罪、怒る罪、仏法僧の三宝を誹謗し貶める罪をいい、故人は、秤の上に乗せられ、来世の行く先が自動的に表示されるそうです。ただし、五官王に懇願して再審請求もできるとされています。

 

  • 閻魔王(えんまおう)

閻魔はサンスクリットのヤマ(死神)の音写であり、有名な閻魔王は、もとはヒンドゥー教の古い神さまで、死後の世界の王でした(ゆえに、閻魔大王と呼ばれる)。一般には、閻魔王が最終審判となり、これまでの諸王の取り調べを受けて、死者が天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道のうち、どこに転生するかがここで決定されます(これを引導と呼び、「引導を渡す」という慣用句の語源となった)。

 

閻魔王はもちろん十王の裁判の裁きは、閻魔王の宮殿にある「浄波璃(じょうはり)の鏡」という、水晶でできた鏡に映し出される「生前の善悪」を証拠に推し進められます。「嘘をついた人は閻魔大王から舌を抜かれる」ということばがあるように、高度な嘘発見機のように嘘は必ず暴かれると言われています。

 

  • 変成王(へんじょうおう)

変成王は、閻魔王による最終審査を受けて、生まれ変わる場所(天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄界)の内容や条件を決めます。例えば、ある故人の地獄行きが決定された場合、地獄には、重い順に阿鼻(無間)地獄、大焦熱地獄、焦熱地獄、大叫喚地獄、叫喚地獄、衆合地獄、黒縄地獄、等活地獄の八つの地獄あり(これを八大地獄と言う)、どの地獄に行くかがここで決められます。

 

等活(とうかつ)地獄:殺生罪
黒縄(こくじょう)地獄:殺生罪+他人のものを盗む偸盗(ちゅうとう)罪
衆合(しゅうごう)地獄:殺生罪+偸盗罪+淫らな行為をする邪婬の罪

 

叫喚(きょうかん)地獄:殺生罪+偸盗罪+邪婬の罪+飲酒の罪

飲酒の罪は、酒を飲むこと自体が罪というわけではなく、酒に溺れるなど自分のためにならない飲酒、酒に毒を入れて人殺しをしたり、他人に酒を飲ませて悪事を働くように仕向けたりすることなどが罪になると解されています。

 

大叫喚(だいきょうかん)地獄:殺生+偸盗+邪婬+飲酒の罪嘘+嘘をつく妄語の罪

 

焦熱(しょうねつ)地獄

大叫喚地獄に堕ちる罪+邪見(邪教を説き実践する)の罪。焦熱地獄に堕ちると、赤く熱した鉄板の上で、鉄串に刺されたり、目・鼻・口・手足などに切り裂かれ炎で焼かれると言われています。

 

大焦熱地獄

焦熱地獄に堕ちる罪+尼僧・童女など清く聖なる者を犯す犯持戒人(はんじかいじん)の罪

 

阿鼻(あび)地獄無間(むけん)地獄

大焦熱地獄に堕ちる罪に加えて、父母、聖者の殺害など最も罪の重い者が落ちる地獄です。地獄の中の最下層であるので、この地獄に到達するため(そこへの落下)に、真っ逆さまに落ち続けて二千年を要し、四方八方火炎に包まれ、剣樹、刀山、湯などの苦しみを受け続けると言われます。また、奇怪な鬼から舌を抜き出された上に100本の釘を打たれ、毒や火を吐く虫や大蛇に責めさいなまれ、さらに、熱鉄の山を上り下りさせられるといいます。

 

 

  • 泰山王(たいざんおう)

泰山王は、故人が輪廻転生する際に、男女のどちらに生まれるのか、またその寿命を決定すると言われています。

 

形式的には、死者は、6つの入口がある場所に連れていかれ、その一つを自分で選択することになるそうです。入口からその先を覗いても見えませんが、それぞれ、天界、人間界、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄界へと続いているとされています。六道輪廻の世界ですね。仏教で教える、生前の行いに応じ必ず報いがあるという「因果応報」の原理に従って、その選択が生前の業の結果となるという仕組みです。

 

現世では、この日、故人がよい世界へ行けるよう四十九日の法要をしてくれています。インドでは、この日まで、亡者の霊魂は、あの世とこの世を旅していると信じられており、インド古来からの儀式としては、7×7=49日目で遺族による供養はこれで終わりです。

 

ただし、仏教が中国に入った後(後世)、死者の成仏を願う気持ちからでしょうか、四十九日が終わっても、「百ヶ日」、「一周忌」、「三回忌」と供養(法要)を重ねることにより、故人の生前の罪や苦しみが軽減されたり、極楽浄土の世界を見ることができるとされました。その際、追加の審判を行う以下の3王が加えられました。

 

  • 平等王(びょうどうおう)(百ヶ日)
  • 都市王(としおう)(一周忌)
  • 五道転輪王(ごどうてんりんおう)(三回忌)

 

こうして、中国では、10人の王が死者を裁くという十王思想が出来上がりましたが、最後の3人は後世、仏教が中国に伝わってから付け加えられたので、この3王についての資料はあまりありません。

 

十王思想は、その後、中国を経由して日本にも入ってきました。その日本ではさらに、7回忌、13回忌、33回忌の法要が行われ、その際に蓮華王(れんげおう)、慈恩王(じおんおう)、祇園王(ぎおんおう)が加わり、十三王となりました。なお、この追加の3王を、蓮華王(れんげおう)、祇園王(ぎおんおう)、法界王(ほうかいおう)とする宗派もあります。

 

ただし、中国の十王思想の10人の王にさらに3王が加わったからといって、日本で十三王思想と呼ばれることはなく、十三仏信仰という形で発展しました。

 

 

<十三仏信仰とは>

 

十三仏とは、人が亡くなった後に、49日、3回忌、33回忌と、十王の裁きを受けつつ冥界での修行をしている最中、極楽浄土へと導いてくれる13の仏・菩薩の総称です。

 

日本では特に、神仏習合思想が発達した本地垂迹(ほんじすいじゃく)(仏が人々を救うために神という姿を借りて現れたという考え方)に基づいた信仰で、冥界にいる十王(日本では13の王)は、それぞれ仏さまが姿を変えたものとされます。

 

十三仏は、初七日から三十三回忌まで、遺族が行う法要(法事)をそれぞれ見守っています。追善供養の際は、故人に対して、というよりは、本地仏(本来の姿である仏さま)に対して、亡くなった方の供養が成就するように祈ることが正しいと言われています。私たちは自力で浄土へ行くことはできないとされ、13仏に導いてもらうことで、極楽浄土への道が開かれると考えられています。

 

日本において、この思想は、平安末期に仏教由来の末法思想や冥界思想と共に広く浸透しました。鎌倉時代に、十王それぞれに対し、本地仏としての仏さまが決められ、室町時代あたりから盛んになりました。

 

さらに江戸時代には、3人の新たな冥界の王と対応した仏が加わり(正確には3仏が先で、後から3王が設置され)13仏となり、十三仏信仰なるものも生まれるに至りました。本来は十王が中心でしたが、日本では、本地である10人(やがて13人)の仏たちが主役になっていきました。

 

十王の本地仏

秦広王⇒不動明王

初江王⇒釈迦如来

宋帝王⇒文殊菩薩

五官王⇒普賢菩薩

閻魔王⇒地蔵菩薩

変成王⇒弥勒菩薩

泰山王⇒薬師如来

 

平等王⇒観世音菩薩

都市王⇒勢至菩薩

五道転輪王⇒阿弥陀如来

 

(蓮華王)⇒阿閦如来

(慈恩王/祇園王)⇒大日如来

(祇園王/法界王)⇒虚空蔵菩薩

 

日本で追加された3仏、阿閦如来、大日如来、虚空蔵菩薩は、密教系の仏さまで、空海が広めた真言宗の強い意向が働いたのではないかと見れらています。

 

 

<十三仏の役割>

十三仏は、閻魔王を初めとする神々の裁きの場面で、極楽浄土へ行けるように救済をするという共通の使命を持っています。(数字は忌日)

 

  • 不動明王:初七日(しょなのか)

右手に剣、左手に絹索(「はわな」のこと)を持つ不動明王は、人の煩悩を焼き払う仏さまです。死後の世界へと旅立つ者が、生きていたときの世界に未練を持たないように、剣で迷いを切り払い、絹索は迷っている者を縛って救いとり、冥界へと導きます。

 

  • 釈迦如来:二七日(ふたなのか)

仏教の開祖で、最高位の仏さまである釈迦如来は、故人が冥界へ旅立つ際に、仏教本来の教えを説き、死者の不安を取り除く役割を担っています。

 

  • 文殊菩薩:三七日(みなぬか)

「三人寄れば文殊の知恵」で知られる文殊菩薩は、人々に悟りを導くための智慧(知恵)を与える知恵の仏さまで、釈迦の教えを理解する智慧を授けてくれます。

 

  • 普賢菩薩:四七日(しぬなのか)

情を司る仏さまとして知られる普賢菩薩は、慈悲により、煩悩を消し去り、過去に犯した罪を軽減して、故人を悟りの世界へ導いてくれます。

 

なお、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩の3仏を「釈迦三尊仏」といい、二七日、三七日、四七日までに、故人に仏教の基本的な教えを説いてくれると言われています。

 

 

  • 地蔵菩薩五七日(ごしちにち)

ぬくもりの菩薩として知られる地蔵菩薩は、故人が閻魔王の裁きで六道へと落ちてしまった際に、救いの手を差し伸べてくれます。

 

  • 弥勒菩薩:六七日(むなのか)

第二の釈迦如来と言われる弥勒菩薩は、説法を引き継ぎ、故人の心を常に安らかな状態にしてくれます。

 

弥勒菩薩とは、釈迦の入滅後56億7千万年後に、人間界へ下ってこの世を救うとされる「未来仏」です。なお、地蔵菩薩は、弥勒菩薩が如来として現世に現れるまでの期間、人々を救済するためにいるとされています。

 

  • 薬師如来:七七日(しちしちにち)

薬壺を持ち病気を治す仏様として知られる薬師如来は、四九日で現世との関係を断ち切らなければならない故人が、まだ冥土の世界に入れずに苦しんでいる際に、その苦しみを和らげ、極楽浄土へ辿り着くための薬を与えてくれます。

 

  • 観世音菩薩:百箇日

慈悲の仏さまとして知られる観世音菩薩は、願いに応じて33の姿に身を変えて現れ、死者を救う役割を持っています。

 

  • 勢至菩薩:一周忌

勢至菩薩(せいしぼさつ)とは、無限の希望と知恵により、人々の苦しみを取り除く菩薩で、智慧の光で六道に迷う人々に救いの道を示してくれるとされています。

 

  • 阿弥陀如来:三回忌

阿弥陀如来は、極楽浄土にいてその光で世界中の人々を照らし、亡くなった人をも教化します。無限の寿命を持つことから「無量寿如来」とも言われ、限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされます。

 

仏教の世界では、現世での苦しみを取り除き安泰を祈る薬師如来に対して、死後の来世の平穏を祈る阿弥陀如来と位置づけられ、薬師如来は東方浄瑠璃界(いわゆる現世)の教主である一方、阿弥陀如来は、西方極楽浄土の教主とされています。

 

また、観世音菩薩勢至菩薩は、阿弥陀の両脇に控える脇侍(きょうじ)として、死者を極楽浄土に向けて、阿弥陀如来まで導く役割を担っています。

 

  • 阿閦如来:七回忌

怒りを断つことで悟りを開いた阿閦(あしょく)如来は、物事に動ぜず、魔を下す強い心を持つとされ、「無動如来」とも呼ばれます。死者に対しては、新たな世界に向けて、迷いにうち勝つ強い心を授けると考えられています。

 

  • 大日如来:十三回忌

密教(仏教の秘密の教え)では、大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指します。すべての命あるものは大日如来から生まれ、釈迦如来も含めて他の仏は、大日如来が姿を変えて現れた化身と考えられています(大日如来はすべての仏の根源)。

 

文字通り、太陽の様な輝きを持つ仏として、大日如来は、これまでの11人の仏による教えをどれほど悟っているかをみて、さらにその上に導いていくとされています。

 

  • 虚空蔵菩薩:三十三回忌

虚空蔵菩薩とは、無限の智慧と慈悲が収められた蔵から、人々に必要のものを取り出して与えてくれる仏さまです。故人に対して、誰もが仏性があることを教え、人格を完成させて涅槃へ到着できるように導いてくれると考えられています。

 

ーーーー

宗派によっては、三十三回忌の法要(法事)以降も、さらに五十回忌、百回忌と続けるお寺もありますが、一般には三十三回忌をもって、遺族としては法要(法事)の締めくくりとなります。故人は、三十三回忌以降は個別の先祖としてではなく、その家の「先祖代々」として祀られ、遺族にとっては「ご先祖様」となります。

 

 

<参考投稿>

「戒名」ってどんなもの?

 

<参照>

やさしい仏教入門:十三仏・十王

やさしい仏像のはなし – 第二十話 閻魔様と十王思想

13仏とは?十三仏信仰や掛け軸、現世・来世での功徳も解説!

十三仏の意味とは?十三仏とは何か、解説いたします、終活ネット

鎌倉:円応寺の十王像~閻魔大王・初江王・奪衣婆など~

閻魔大王だけじゃない!地獄の王様たちまとめ – NAVER まとめ

地獄の歩き方

鎌倉十三仏とは?

 

 

2020年08月20日

皇室:明治天皇例祭と孝明天皇例祭

 

  • 明治天皇例祭

 

2020(令和2)年7月30日、明治天皇例祭(れいさい)が行われていました。その時の報道記事です(抜粋、まとめ)。

 

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天皇陛下や皇族方は、7月30日、皇居で「明治天皇例祭」にのぞまれました。この日は明治天皇の命日にあたり、皇居・宮中三殿の歴代天皇や皇族がまつられている皇霊殿で「明治天皇例祭の儀」が行われ、皇族方が見守る中、陛下が拝礼されました。皇后雅子さまは皇居にお出ましにならず、お住いの赤坂御所で慎み深くご遥拝されました。また当日、伏見桃山の陵所においても掌典により祭祀が行われました。
――――

 

宮中祭祀の一つである「明治天皇例祭」は、その名称からもわかるように「例祭(小祭)」なので、天皇陛下の代理として掌典職が祭典を行い、陛下が拝礼するという形がとられます。

 

ただし、明治天皇例祭は、他の小祭と異なり、天皇陛下と皇太子殿下の御拝礼だけでなく、皇后陛下や皇太子妃殿下、宮家の成年皇族方も参列して、皇霊殿前の幄舎(あくしゃ)から、祭典を見守られます。

 

なぜ、特別な扱いになるかというと、明治天皇は「先帝以前三代の天皇」のお一人でいらっしゃるからです。明治41年(1908)の「皇室祭祀令」公布以来、「先帝以前三代」の天皇だけ特別に崩御相当日に、毎年の例祭(小祭)と、式年ごとの式年祭(大祭)が行われています。「先帝以前三代」とは、令和2年(2020)現在、平成の天皇が上皇として御健在ですので、昭和天皇よりも前の孝明天皇・明治天皇・大正天皇が該当します。

 

なお、初代神武天皇の崩御伝承日(新暦4月3日)と先帝(昭和天皇に該当)の崩御相当日には、小祭ではなく、格別な大祭(それぞれ神武天皇祭と昭和天皇祭)が行われています。また、皇太后(先帝より後に崩御された皇后)についても、例祭と式年祭があります。香淳皇后(昭和天皇の后)の崩御から20年に当たった今年の6月16日は、式年祭が行われました。

 

 

  • 孝明天皇例祭

 

「先帝以前三代の天皇」のお一人でいらっしゃる孝明天皇例祭は、2020年1月30日に行われました(大正天皇例祭は、12月25日に行われる)。この日は、皇居にある宮中三殿の一つ「皇霊殿」で、天皇陛下は、「孝明天皇例祭の儀」に臨まれました。皇后陛下は、赤坂御所にてご遙拝・お慎みされました。また、孝明天皇の陵所である京都の月輪東山陵で祭典が行われました。

 

孝明天皇が崩御したのは慶応2年12月25日(旧暦)でしたが、明治5年の太陽暦採用に伴い、新暦に換算した1月30日に行われるようになりました。当初は仏式で行われていましたが、明治3年から神式に変更されました。

 

 

<参考>

皇室関係の用語辞典 | ミカド文庫

日テレNEWS24

Wikipediaなど

 

 

2020年08月19日

仏教:「法要」人は死んだらどうなる?

前回の投稿では、葬儀において重要な役割を担う「戒名」についてまとめました。お葬式が済むと、仏教では初七日、49日、3回忌…の法要・法事が行われます。

 

もともと仏教では、仏法(釈迦の教え)を知るために集まる席のことを「法要」「法事」と呼んでいたそうですが、現在、法要(法事)とは、死者の冥福を祈るために、人々が集まって執り行う儀式のことで、葬儀(通夜・葬式)の後に行われる仏教の行事全般をいいます(なお、法事とは、法要とその後の会食を含む行事の事)。では、葬儀後、具体的にどのような法要(法事)が行われるのか、またその背景にある考え方をみてみましょう。

―――

 

  • 輪廻転生

 

仏教では、輪廻転生(りんねてんしょう)という考え方があり、命日から四十九日の間に、故人が次に生まれ変わる世界(来世)が決まるとされています。輪廻転生とは、車輪が回るように、人は何度も生死を繰り返し、死んでも新しい生命に生まれ変わることをいいます(輪廻:車輪が回る様子、転生:生まれ変わり)。現世での行いが来世に影響を及ぼすと言われており、仏教では、死者は、六道(りくどう/ろくどう)という6つの世界(境遇)のいずれかに生まれ落ちるとされています(これを六道輪廻と呼ぶ)。

 

6つの世界(来世)とは、地獄道(じこくどう)、餓鬼道(がきどう)、畜生道(ちくしょうどう)、修羅堂(しゅらどう)、人間道(にんげんどう)、天道(てんどう)をいいます。この六道の世界は、どこへ行っても煩悩の苦しみがあり、それを超越した世界が極楽浄土です。

 

人が死ぬと、閻魔大王(えんまだいおう)に裁かれ、天国に行くか地獄に行くかが決まるなどという話しは聞いたことがあるかもしれません。実際、中国には、人が亡くなると、冥界(あの世)にいる10人の王(閻魔大王もその一人)によって、死後七日目から七日ごとに七回、審判を受けるという考え方があります(これを「十王思想」という)。

 

七回のうち五回目の審判(死後35日)を行うのが閻魔大王(えんまだいおう)で、これが最終審判となり、ここで死者の行方が、ほぼ決定されると伝えられています。(これを引導と呼び、「引導を渡す」という慣用句の語源となった)。審判は、閻魔王の宮殿にある「浄玻璃鏡」と呼ばれる「鏡」に映し出される「生前の善悪」を証拠に、間違いなく進められるそうです。では、「裁判」の結果、人が死後、落ちていく六道が、どういう世界なのかをみてみましょう。

 

  • 六道輪廻の世界

 

天上(てんじょう)

天上界とは、六道の中では苦が少なく楽の多い世界ですが、迷いの世界であることは間違いなく、悲しみもあります。また、寿命もあり、年をとってくると、それまで楽しかった分、苦しみを受けます。その意味で、天上界は極楽浄土とは異なります。

 

人間界

人間界とは、生病老死の四苦八苦がある私たちが今生きている世界です。ただし、六道の中で、唯一仏の教えを学べる場であり、輪廻転生の枠から逃れられる(解脱)可能性もあります。

 

修羅(しゅら)

修羅界とは、争いの絶えない世界で、ここでは、欲望を抑えることができず、怒りに我を忘れ、戦いを繰り返します。生前、喧嘩や争いばかりしていた人がいく世界です。

 

畜生(ちくしょう)

畜生界とは、動物の世界のように、弱肉強食が繰り返され、互いに殺傷しあう世界です。自分より強い生き物に突然襲われて食われてしまう世界なので、常に不安に怯えなければなりません。そうすると、人を蹴落としてでも、自分だけここから抜け出そうとして、殺し合いを繰り返すことになってしまいます。生き物を殺してきた人、そうでなくても、幸せな人を妬み、他人の不幸を喜ぶ、愚痴ばかり言っている人が落ちる世界と言われています。

 

餓鬼(がき)

餓鬼界は、飢えと渇きによって苦しみを味わう世界です。そこは、食べ物や飲み物があったとしても、それを口に運ぼうとした瞬間に青白い炎となって消えてしまい情景でよく説明されます。結果的に、食べたい物も食べられず、飲みたい物も飲めず、ガリガリにやせ細り、最後は骨と皮だけになってしまいます。生前、食べ物を粗末に扱った人、そうでなくも、欲深く、ケチだった人が餓鬼道に落ちていくそうです。

 

地獄界

地獄界は、六道のなかで最も苦しい世界です。「この世の溶鉱炉の火を地獄に持って行くと、霜か雪のようになってしまう」、「この世の一番の苦しみを一滴の水とするなら、地獄は海の水のような苦しみ」と説かれるほど、その苦しさは言葉では言い表せず、その期間も果てしないと言われいます。

 

殺人、強盗、窃盗、淫行など犯罪を犯せば、地獄に生まれるとされています。その地獄にも、生前の行為によって、5つの種類に分かれているそうです。

 

等活(とうかつ)地獄:生き物を殺す殺生罪の場合
黒縄(こくじょう)地獄:殺生罪に加えて、他人の物を盗む偸盗(ちゅうとう)罪の場合
衆合(しゅうごう)地獄:殺生・偸盗罪に加えて、淫らなことを行う邪婬(じゃいん)の罪をもつ場合
叫喚(きょうかん)地獄:殺生・偸盗・邪婬の罪に加えて、飲酒の罪をもつ場合
大叫喚(だいきょうかん)地獄:殺生・偸盗・邪婬・飲酒の罪に加えて、嘘をつく妄語の罪をもつ場合

 

 

  • 追善法要

 

そこで、故人が少しでも良い世界に生まれ変わるようにと、故人が裁きを受ける七日ごとに、残された家族が代わって供養をします。死者に代ってあとを「追う」ように「善徳」を積むことから、これを追善法要(ついぜんほうよう)と呼ばれます。

 

これは、インドでは亡くなった人への供養として、死亡した日から七日目ごとに7回の法要が行われていたという風習によります。(7×7=49日が過ぎると死者は他の生を受けると考え方もここからきている。)

 

さらに、この法要が七日ごとに7回あるのは、7回の審理のたびに十王に対し死者への減罪の嘆願のためだと言われています。冥界での「裁判」においては、遺された家族が行なう追善法要も、故人へ下される審判の「参考」になるそうです。ですから、故人は、初七日から三十三回忌までの合わせて13回の法要を受けます。

 

この時、13の仏様に守られながら、極楽浄土に導かれて成仏するとされています(13の仏様を十三仏と呼ぶ)。十三仏は、三十三回忌までの13回の法要のそれぞれに守護仏として存在します。仏教では、私たちは自力で浄土へ行くことはできないので、十三仏に導いてもらうことで、極楽浄土への道が開かれると教えています。

 

こうして、13体の仏に向けて供養を行う事で、故人の生前の罪悪を消すことができるとされています。四十九日目に最後の裁きが終わった後、来世の生まれ変わり先が決まり、たとえ地獄に落ちた故人であったも、百日忌、一周忌から三十三回忌まで、各々の法要を司る仏に祈り、感謝し導いていただくことで、浄土にも行くことが可能となるとされています。

 

追善法要のうち、死後七日ごとに四十九日まで行う法要を「中陰法要(ちゅういんほうよう)」または「忌日法要(きにちほうよう)」、それ以降、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、三十三回忌の法要を「年忌法要(ねんきほうよう)」と呼びます。

 

幽界(あの世)では、六つの世界で苦しむ人達を救うため、観音様やお地蔵様が特別に配置され、休む暇もなく六道を巡っているそうです。

 

 

<中陰法要>

 

初七日(しょなぬか):不動明王(ふどうみょうおう)

二七日(ふたなぬか): 釈迦如来(しゃかにょらい)

三七日 (みみぬか):文殊菩薩(もんじゅぼさつ)

四七日 (よなぬか):普賢菩薩(ふげんぼさつ)

五七日 (いつなのか):地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

六七日 (むなのか):弥勒菩薩(みろくぼさつ)

七七日忌 (しちしちにちき):薬師如来(やくしにょらい)

 

死後四十九日間は、まだ故人があの世とこの世の間をさまよっているとされています。それが終わるのが、「七七日忌(四十九日)」の法要で、「忌明け(きあけ)」とも呼ばれます。この四十九日を境に、「死霊(故人)」は「祖霊(仏)」となるとされています。遺族が喪に服す期間も終わり、この日までに本位牌(黒塗りの位牌)や仏壇が用意されるのが慣例です。

 

 

<年忌法要>

 

百カ日 (ひゃっかにち):観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)

一周忌 (いっしゅうき):勢至菩薩(せいしぼさつ)

三回忌 (さんかいき):阿弥陀如来(あみだにょらい)

七回忌 (ななかいき):阿閦如来(あしゅくにょらい)

十三回忌 (じゅうさんかいき):大日如来(だいにちにょらい)

三十三回忌 (さんじゅうさんかいき):虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)

 

 

年忌法要は、極楽浄土に行った故人がさらなる精進の道へと導くため、または、閻魔大王の裁きの結果、地獄道や修羅道などに落ちてしまった故人の救われのために営まれます。一周忌、三回忌、十三回忌と続き、三十三回忌で、故人(祖霊)は、神霊(氏神=ご先祖さま)となって、自然に還り、菩薩(ぼさつ)の道に入ることが期待されます。家庭では、三十三回忌以降は個別の先祖としてではなく、その家の「先祖代々」として祀られます。

 

仏教では、宗派によっては、三十三回忌の前に七回忌、十七回忌、二十三回忌を催したり、また三十三回忌以降もさらに五十回忌、百回忌と続けるお寺もあります。ただし、一般には三十三回忌をもって、故人としては修行の締めくくり、遺族としては法事の締めくくりとされます。

 

なお、亡くなった年は、命日の翌年を「一周忌」とし、翌年を「三回忌」」とします。これは、亡くなった日が1回目の忌日、丸1年目が2回目の忌日、丸2年目が3回目の忌日であることによります。ですから、死後2年目に「三回忌」、7年目に「八回忌」…という具合に計算していきます。

 

*十三仏と十王思想については、改めて投稿したいと思います。

 

<参照>

法事と法要の違いがわかる!種類・日にちの数え方・流れまでを全解説

法事・法要・四十九日がよくわかる

やさしい仏教入門:十三仏・十王

やさしい仏像のはなし – 閻魔様と十王思想

Wikipediaなど

 

 

2020年08月15日

仏教:「戒名」ってどんなもの?

最近、身内に不幸があり、「戒名」について考える機会がありました。意外にも仏教の奥深い世界を理解できました。

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  • 戒名とは?

 

仏式の葬儀は、日本の葬儀の9割を占めているとされています。その葬儀になくてはならないのが戒名で、一般的に、遺影とともに、葬儀の祭壇の中央に置かれている白木の位牌(いはい)の正面に記されています。位牌は「あの世」と故人を結ぶ接点です。戒名は、葬儀の際に用いる白木位牌や仏壇に納める本位牌(黒塗りの位牌)だけでなく、お墓の石碑や卒塔婆(そとば)(供養のために用いる細長い木の板)などにも記されています。

 

その戒名とは、「仏の弟子となった証として故人に送られる名前の総称」などと定義される故人の霊名です。仏式の葬儀では、一般的に、生前の名前(俗名)ではなく、死後にいただいた戒名が使われます。ただし、本来の戒名とは、亡くなってから葬儀の時に付けられるのではなく、俗世を離れて、仏の弟子になった証として出家の際に与えられるものでした。

 

具体的には、僧侶の「戒律」(菩薩行の道を生きていくための行動の規則)を、修行によって守ることを条件に、「戒名」が授けられたのでした。ですから、戒名とは、師匠が弟子に授けるもので、本来は生前に授かっておくべきものだったのです。実際、戒名を受ける際には、必ず「授戒(じゅかい)」と呼ばれる儀式が行われ、仏教の戒律(約束事)を守ることを誓い、仏弟子として認められます。

 

しかし、後に、出家をしない俗人であっても、生前のうちから、授戒会(じゅかいえ)と呼ばれる法会に参加することで、戒名を受けられるようになりました。さらに生前、戒名を受けていない人も、現在の仏式の葬儀では、出家の有無にかかわらず、戒名を必ず授かるのが一般的です。

 

 

  • 戒名を受けるときの手順

 

一般的に戒名は菩提寺(先祖代々のお墓のあるお寺)に依頼をして授かります。形式的には、菩提寺の住職が師匠、戒名を授けられる人が弟子という関係になり、住職を通じて仏さまの門下に入ります。

 

生前に戒名を受けてない人は、死亡時点で、戒名を授かるためには、家族がすぐに菩提寺の僧侶へ依頼します。そうすると、大概は、枕勤め(故人の枕元でお坊さんに読経をしてもらうこと)の際や、通夜の前に授かることができます。葬儀前に戒名を授かることで仏教徒として葬儀を行うのです(仏式で葬儀を営むには、仏教徒でなくてはならないので、授戒をし、仏教徒としての体裁を整える)。

 

もっとも、戒名はお葬式のときに絶対に必要なものではなく、寺院が決まっていない場合は、生前の俗名のままでもお葬式を行うこともできます。ただし、その場合でも、遅くとも納骨までに、戒名をつけてもらうそうです。

 

戒名は、ある程度の希望は反映されますが、すべて、本人や家族が好きなようにつけられるものではないとされています。特に、戒名の位(等級、格付け)については、原則、住職が決めるものだそうです。

 

戒名(の位)は、寺院に対する日頃からの功績や社会的に大きな功績を残した事柄など、生前の故人の評価が大きく反映されて、住職の判断でが決められます。また、これ以外に、すでに亡くなっている家族や先祖が授けられた戒名の位に合わせる場合もあるとされています。

 

さらに、御布施の金額によって戒名の位が考慮されるのも事実です。現代において多くの方は、生前のうちに仏教や寺院に関わることが少なくなっているため、寺院への貢献度は御布施という金品にとって代わり、その金額の大小が戒名の位に影響していると説明されています。

 

 

  • 戒名の構成

 

戒名は、日本人の「名字+名前」とは異なり、一般的に、「院(院殿)号+道号+戒名+位号」(通常は、「道号+戒名+位号」)という構造から成り立ちます。戒名そのものは、身分に関係なく仏の世界では平等であるということから、どんな人でも2文字で表されます。「戒名」以外につけられる「院号」「道号」「位号」は、仏弟子としての位階や性別を表わしています。

 

現在、一般に「戒名」といわれているのは、本来の「戒名」だけでなく、「院号」「道号」「位号」といった一連の文字構成を総称したものを戒名と呼んでいます(本来の「戒名」の部分を法号と呼ぶことがある)。

 

「〇〇院▲▲□□居士」と戒名を授けられた場合、〇〇院の部分が院号、▲▲の部分が道号、□□の部分が戒名、居士の部分が位号と呼ばれます。

 

例えば、慶応大学の創始者、福沢諭吉の戒名は「竜徳院宏文有明居士」です。この場合、「竜徳院」が院号、「宏文」が道号、「有明」が戒名、「居士」が位号となります。

 

通常の戒名:「道号・戒名 ・位号」の六文字

特別な戒名:「院号(院殿号)・道号・戒名・位号」の九文字

 

 

  • 院号と院殿号

 

「院号(院殿号)」は、通常、大臣や知事・市長など社会的地位のある人、寺院、国・地域社会に貢献をした人、仏教の信仰心の厚い信者などに対して特別につけられる称号です(経済力や家柄も考慮される)。

 

院殿号、院号ともに、戒名としては最上位ですが、両者をさらに区別すると、現在、「院殿号」が戒名での最高ランク、これに次いで「院号」となります。

 

 

院号(いんごう)

 

もともと、立派な屋敷のこと(高貴な人の住まい)を表す「院」という名称は、天皇を退位し、太上天皇(上皇)になった場合や、皇后、皇太后、太皇太后の三后に対して贈られました。

 

院号そのものは、平安時代の嵯峨天皇(786~842)が譲位の後、離宮を造営し移り住んだ御所を「嵯峨院」と名付けたことこから始まりました。以来、天皇が退位隠居された御所を○○院と称し、後にその人そのものを表すようになっていきました。

 

ですから、院号はもともと戒名とは別個のものでした。それが、やがて寺院を建立(寄進)した貴族(公家)、皇族、武将などの敬称にも院号が用いられるようになったことから、院号は戒名に使われることになったのだそうです。

 

現在でも、院号の使用は、生前にお寺を建立するほど寺院に貢献した人や、社会に多大な功績のあった人、政治家など社会的地位の高い人に限られるので、一般庶民の葬儀において、院(殿)号を目にする機会は少ないとされます。

 

なお、川端康成の「文鏡院殿」、谷崎潤一郎の「安楽寿院」のように、多くの作家には院号がつけられています。これは、江戸時代の文人にも院号がつけられていたことを反映しているようです。

 

 

院殿号

 

院殿号(いんでんごう)は、室町幕府を開いた足利尊氏(1305~1358)が、皇族にならって、院号を使用しようと、「等持院殿」を戒名の上につけて使用したことがきっかけとされ、以後、院殿号は武士や大名などでも多く用いられるようになりました。「等持院殿」は、もともと等持寺と呼ばれ、足利尊氏が建立したお寺でしたが、尊氏亡き後、等持院と名を改めたものだそうです。

 

ちなみに、足利尊氏の戒名は「等持院殿仁山妙義大居士」で、「等持院殿」が院殿号、「仁山」が道号、「妙義」が本来の戒名、「大居士」が位号となります。

 

明治時代(明治13年7月)になると、それまで、武士の身分以上の有位の人に限定されていた院殿号の使用が、平民でも国家に勲労があれば許されることになりました。現在、院殿号は、院号と同様、仏教に対して相当な寄進や尽力をした人で、さらに高徳の人に対して与えられる尊称とされています。

 

院殿号は、本来、院号より下位に位置していましたが、「院号」は天皇や三后(皇后、皇太后、太皇太后)に対しての尊称に当たるため、武家が「院号」を使おうとする際、天皇・皇族と全く同じにすることをはばかり、「院殿」が多く付けられたという説があります。しかし、院殿は、文字数が多く(2文字)、豪華な印象を与えることから、現在では、院殿が院号より上位とされるようになったと言われています。

 

 

寺号・軒号・斎号・庵号など

 

また、院号に準ずる尊号として、「寺号」や、その人の住んでいた場所などを表す「軒号」、「斎号」、「庵号」などがあります。

 

寺号(じごう)

寺の正式な名称で、寺の建立者やこれに準ずるものに付けられます。

 

軒号(けんごう)

軒とは建物の意で、屋号や雅号(画家・文筆家などが、本名の他につける風流な別名)などが軒号として用いられます。

 

斎号(さいごう)

斎とは居室、部屋のことで、転じて書斎、居間の意味で、多くは医者、芸術家に与えられます。

 

庵号(あんごう)

庵とは、文字通り「いおり」のことで、大寺に属した建物、草庵、茶室に当たります。

 

この他にも、場所、空間、処を表わす「房」「舎」「堂」「園」などが、院号に次ぐものと考案され用いられました。例えば、江戸時代後期の作家、曲亭(滝沢)馬琴の戒名は「著作堂隠誉蓑笠居士」で、院号に該当する「著作堂」がつけられました。

 

 

  • 道号(どうごう)

 

道号は、本来の「戒名」のすぐ上(「院号」の下)に、戒名と調和するように付けられます。本名に対する「別名」と考えればよいでしょう。道号には、一般的に、人柄や性格、生前の功績、趣味や特技など、故人を讃える意味の文字を選ぶのが習わしとなっています。また地名や家名を入れることもあります。特に、歌人や俳人であれば、雅号(がごう)や俳号といった生前のペンネーム等が用いられることが多くあるようです。なお、未成年者や幼児、水子には、道号は使われません。

 

道号の起源は、中国仏教にあり、元々中国の皇帝が道教修行者(仙人)に下賜した称号だと言われています。中国でこの道号が使われるようになって、日本にも伝わり、本来は、仏道を極めた位の高い僧侶に使われる尊称とだったそうです。

 

皆さんご存じの「一休さん」の本来の名前は、一休宗純(そうじゅん)(1394~1481)ですが、「一休」が道号で、「宗純」は戒名(出家名)です。この時代、本名(出家名)を避けて呼ぶという習慣があったとされ、道号である「一休」の名前が知られるようになったと言われています。道号も本来は、亡くなった方に対してつけられるのが一般的ですが、中に生前から道号をつける例もありました。

 

仏教の宗派によっては、道号ではなく、誉号、釋号、日号を用います。誉号(よごう)は浄土宗、釋号(しゃくごう)は浄土真宗、日号(にちごう)は日蓮宗の僧侶や信者に用いられます(後述)。

 

 

  • 戒名

 

道号の下が本来「戒名」と呼ばれるものです。歴史上、著名な僧侶の名前は、空海、法然、道元などすべて戒名で、前述したように、皆、平等に2文字です。生前の故人の俗名(本名)の一部、故人にちなむ文字、さらには経典から取られた文字などを付けるのが一般的です。

 

赤穂浪士で有名な大石内蔵助、堀部安兵衛の戒名は、それぞれ「浄劔」、「輝劔」でともに「剣」の字がついています。なお、道号をみると、それぞれ「刃空」「刃雲」でともに「刀」の文字が与えられました。2人に限らず、47剣士にはほぼ全員、道号に「刀」、戒名に「剣」の文字が用いられています。

 

大石良雄:忠誠院刃空浄劔居士

堀部安兵衛:刃雲輝劔信士

 

 

  • 位号(いごう)

 

位号は、戒名の一番下につける尊称で、俗名でいえば「~様」にあたります。性別や年齢によって違いがあるほか、社会貢献度や信仰の篤さによっても異なる位号が使われるなど、戒名の位によって使われる位号が異なります。

 

通常、男性は「居士(こじ)、信士(しんし)」、女性は「大姉(たいし)、信女(しんにょ)」が用いられます。

 

信士・信女

信士(しんし)と信女(しんにょ)は、「仏教を信仰している人」を意味していて、もともと、武家や庶民に付けられる称号でした。現在、戒名の位の中では標準的な位号で、ほとんどの方はこの戒名です。

 

なお、信士、信女と同じ枠組みですが、「清」の文字が入り、「清信士」、「清信女」となると、信士、信女より位が高くなります。

 

 

居士・大姉

居士(こじ)とは、もともとサンスクリット語で長者(長老)、または長老として仏教に厚く信仰していたという意味があります。古代インドにおいて、居士とは、僧侶にならず、俗世において、熱心に仏道に励む学徳にすぐれた男性または裕富な資産家をさしました。インドでは、商人の維摩居士(ゆいまこじ)が有名です。居士は後に広く在家の弟子のことを指しました。一方、女性の場合が大姉(だいし)で、男性の居士と同格の尊称です。

 

居士、大姉の方が、信士・信女よりも、位(ランク)は高く、かつては、貴族や武家など上流階級の家柄の方のみが対象とされました。現在では、信仰心があり宗教活動に貢献する人や、寺院や社会の貢献度が高かった成人男女などに対して授けられる位号です。

 

院号を持たない通常の戒名の場合には、位号は「信士」となる一方、院号を持つ戒名の場合には位号として「居士」を付けます。また、夫婦の場合、位号の格は揃えるのが一般的で、例えばご主人が居士であれば妻は大姉、ご主人が信士であれば妻は信女となります。

 

 

大居士・清大姉

なお、「居士」と「大姉」に、「大」の字と「清」の字がそれぞれ冠せられると、「大居士(だいこじ)」、「清大姉(せいたいし)」となり、在俗者のものとしては最も格の高い位号であることを意味します。

 

「院殿号」を持つ戒名の場合には、位号は「大居士(清大姉)」となります。例えば、作家の川端康成の戒名、「文鏡院殿孤山康成大居士」をみると、院殿号の「文鏡院殿」に対して、位号が「大居士」となっています(なお、孤山が「道号」、康成が「戒名」)。

 

さらに、「居士、大姉」と同じ枠組みですが、「院」、「院殿」の文字が冠せられると、「院居士(いんこじ)・院大姉(いんたいし)」、「院殿居士(いんでんこじ)・院殿大姉(いんでんたいし)」となり、「居士、大姉」より位が高くなります。

 

 

院居士院大姉

もともとは、皇族かその関係者に対してのみ授けられた位号で、現在は、本堂建立に多大な貢献を行うに匹敵するような功績があった人に授けられます(この場合の「院」は、出家した皇族が寺院に付属して建てた住居を意味している)。

 

院殿居士院殿大姉

院居士・院大姉よりも更に寺院に対する大きな貢献があった方、または宗派の枠を超え仏教会全体、さらには社会全体に功績があった方にも授けられます。滅多に見ることのない位号です。

 

加えて、「居士・大姉」より下位で、「信士(清信士)・信女(清信女)」より上位とされる位号に、禅定門と禅定尼もあります。

 

禅定門・禅定尼

禅定とは悟りの境地を意味し、仏門に入って剃髪した男女をそれぞれ禅定門(ぜんじょうもん)、禅定尼(ぜんじょうに)といい、そのまま位号として用いられています。また、両者に「大」の字が冠せられると、それぞれ大禅定門大禅定尼となり、院殿号が併用されることが多くなります。

 

平等を解く仏教の教義上には、戒名の位(等級、格付け、順位、階位)はありませんが、前述したように、実際は、故人の生前の信仰の深さや、寺院や地域社会への貢献度によって、戒名にも等級が決められます。また、死亡後、戒名を授かるときに、納める御布施の金額も戒名の等級によって異なると言われています。

 

参考までに各位号を授けていただく場合の御布施の相場は以下の通りです。

 

信士・信女:約20万円~30万円

居士・大姉:約40万円~60万円

院居士・院大姉:約80万円~100万円

院殿居士・院殿大姉:約100万円~300万円

 

もっとも、中には位号とは無関係に5万以下で請け負われている僧侶に方もいらっしゃいます。

 

 

  • 子どもの戒名

 

未成年の子どもに戒名をつける際、以下のように年齢によって呼び名が変わります。

 

嬰児(嬰子)(えいじ、えいし)/嬰女(えいにょ)
1歳以下の赤ちゃんのための位号です。

 

孩児(がいじ、がいし)・孩女(がいにょ)
1歳~2歳の乳幼児のための位号です。

 

幼子(ようじ)、幼女(ようにょ)

3歳から小学校に入る前の7歳までの幼児に用いられます。

 

童子(どうじ)・童女(どうにょ)
15歳未満の子供に付けられますが、おおよそ満3歳~14歳までとされることもあります。さらに男の子なら「大童子」「禅童子」、女の子の場合、「大童女」「禅童女」などの尊号が用いられる場合もあります。

 

水子(すいじ、すいし)
流産・死産した胎児のための位号。男女の性別は問いません。「みずこ」とよく呼ばれますが、位号としては「すいし」と呼ぶことが多いとされています。

 

 

  • 各宗派の戒名

 

例えば、戒名という呼び方も、浄土真宗や日蓮宗ではそれぞれ「法名」「法号」と呼ぶように、戒名は、それそれの宗派の教えや考え方の違いによって、付け方に特徴があります。それぞれの宗派の戒名の特徴を見ていきましょう。

 

 

<天台宗>

 

戒名は、「院号+道号+戒名+位号」(または「道号+戒名+位号」)で構成され、天台宗では、二字法名の上に二字の道号を付けて四字名とするのが通例となっているそうです。

 

天璋院(てんしょういん)/篤姫の戒名、「天璋院殿従三位敬順貞静大姉」をみると、「天璋院殿」が院殿号、「敬順」が道号、「貞静」が戒名、「大姉」が位号です。

 

(◆)〇〇院▲▲□□居士((◆)▲▲□□信士)

(◆梵字、○○院号、▲▲道号、□□戒名)

また、位牌には、戒名の初めに、梵字(ぼんじ)(インドの文字)1字、具体的には、大日如来を意味する梵字の「ア」字、阿弥陀如来を意味する「キリーク」、地蔵菩薩の「カ」字が入ることがあります。

 

 

<真言宗>

 

戒名は、「院号+道号+戒名+位号」で構成されます。真言宗の位牌には、戒名の初めにア字の「梵字」を記して、等しく大日如来の仏弟子となったことを表します。「ア」は梵字の中でも特別で、すべては「ア」、即ち大日如来から始まったことを意味するそうです。

 

◆〇〇院▲▲□□居士(◆▲▲□□信士)

(◆:梵字、○○:院号、▲▲:道号、□□:戒名)

 

真言宗の戒名には、「真」が使われる場合が多くみられ、また、山川草木や日月星花など、あらゆる事物の名称が使われるとされています。島崎藤村の戒名「文樹院静屋藤村居士」を見ると、院号の「文樹院」、道号の「静屋」にもその傾向が伺えます。

 

 

<浄土宗>

 

浄土宗の場合、道号ではなく、誉号(よごう)と呼ばれる尊号が入ることが多くあり、その場合、戒名は、「院号+誉号(道号)+戒名+位号」で構成されます。誉号とは、「五重相伝」という特別な法要を受けた人に授与されます(もっとも、現在では受けていない人にも与えられている)。

 

杉田玄白の戒名、「九幸院仁誉義真居士」にも示されているように、「仁誉」が誉号で、誉号の部分は、○誉と、「一文字(○)+「誉」」の形となります。

 

また、斎藤茂吉の戒名「赤光院仁誉遊阿暁寂清居士」のように、道号の上にさらに誉号が付く形もあります(「遊阿」が道号、「暁寂」が戒名、「清居士」が位号)。

 

また、位牌の一番上に梵字の「キリーク」(=阿弥陀如来を表す)が1文字付くこともあります。

 

◆〇〇院▽誉(▲▲)□□居士(または、◆▽誉(▲▲)□□信士)

(◆:梵字、▽:誉号、▲:道号)

 

 

<浄土真宗>

 

浄土真宗では、戒律がないため、「戒名」とはいわず「法名(ほうみょう)」を用います。浄土真宗を開いた親鸞聖人は、「何一つとして『戒』を守れない凡夫(私たちのこと)は、弥陀の誓願によってのみ救われる」と教えました。浄土真宗は、阿弥陀如来を絶対的なものとして尊重し、真の救いは、仏によってのみ得られるとします。戒名は、そもそも「戒」を受けた者に与えられるものですが、浄土真宗の信者は「戒」を受けないので、死後の名を「戒名」と呼ばす、(阿弥陀)仏から賜る名前である「法名」と言うのです。

 

戒名をもらって仏弟子になることを「授戒(じゅかい)」といいますが、浄土真宗では「おかみそり」と言います。

 

また、浄土真宗では、他宗派の「道号」にあたる部分がなく、「釈号(しゃくごう)」をつけます。男性の法名には「釋(しゃく)(釋○○)」)、女性は「釋尼(しゃくに)(釋○○尼、または、釋尼○○)」という字が入ります(ただし、昨今は男女平等の観点から女性も「釋○○」とするケースもある)。

 

「釈」をつけるのは、お釈迦様の弟子になるという意味で、かつて東晋の高僧、道安が「仏弟子となれば、みな釈迦の姓を唱えるべきである」として自ら「釈道安」と号したのが始まりだとされています。

 

加えて、浄土真宗では、「阿弥陀如来のもとでは全ての人は平等」という考え方があるため、階位を示す「信士」などの位号は用いません(もっとも、地域的な慣習や寺院によっては、位号を用いる場合もある)。

 

浄土真宗における法名(戒名)の構成は、「院号+釋号+法号」(または「釋号+法号」)となります。

 

男性:「△△院釋○○、または「釋○○」、

女性:「△△院釋尼○○」または「釋尼○○」

(△△:院号、○○:法名)

 

例えば、作家の司馬遼太郎の法名(戒名)は「遼望院釋浄定」で、「遼望」が院号で、「釋浄定」が法名に相当します。また、作家の樋口一葉の場合、法名は「智相院釋妙葉信女」です(「釋妙葉」が法名で、信女と位号が用いられている)。

 

さらに、浄土真宗では、位牌に魂が宿るとする考え方がないため、位牌を祀らず、過去帳を仏壇に飾ります。過去帳とは、代々の、亡くなった方の戒名や俗名、死亡年月日、享年などを記しておく仏具です。(もっとも、地域や寺院によって対応は異なり、手を合わせる対象として、位牌を準備するケースもある)。

 

 

<臨済宗・曹洞宗>

 

臨済宗、曹洞宗の戒名は、「院号+道号+戒名+位号」で構成されます。

「〇〇院▲▲□□居士(大姉)」、または「▲▲□□信士(信女)」

 

臨済宗と曹洞宗の著名人には、それぞれ、西郷隆盛、井伊直助があげられ、西郷の戒名は、「南洲寺殿威徳隆盛大居士」、井伊の戒名は「宗観院殿柳暁覚翁大居士」です。

 

臨済宗と曹洞宗の戒名の構成は基本的に同じですが、曹洞宗の場合、位牌の戒名の初めに、釈迦如来を意味する梵字「パク」が入る場合があります。

 

 

<日蓮宗>

 

日蓮宗では、「日蓮上人の教え」を尊ぶという意味から、また「法華信者は、(死後に)霊山浄土に生まれる」とされるため、死後のみ名は、「戒名」ではなく「法号」が用いられます。

 

また、「道号」の部分について、男性は「」、女性は「」という1文字が入ります。加えて、他宗派で本来の「戒名」にあたる部分は、日蓮宗では「日号」と言い、日蓮の「日」の1文字が入る形式が一般的です。「日号」はお寺や宗派に貢献した人、最近は社会的に功績のあった人にも与えられています(日号がつかなければ「法号」という)。

 

日蓮宗の法号(戒名)は「院号+道号+日号(法号)+位号」で構成されます。

男性:○○院法○日□居士

女性:○○院妙○日□大姉

 

例えば、プロレスラーのジャイアント馬場の法名は、「顕峰院日剛大居士」で、道号に「法正」、日号に「日剛」がつけられています。また、女優の夏目雅子さんの法名「芳蓮院日雅大姉」をみると、道号が「妙優」、日号が「日雅」となっています。

 

 

  • 白木の位牌から本位牌へ

 

仏式の葬儀では、戒名が書かれた白木の位牌が使用されます(戒名を書くのは寺院の住職)。葬儀後、白木の位牌は四十九日法要を目途に、本位牌(戒名が刻印された黒塗りの位牌)に代えられます。これは、死者が仏、あるいは先祖の仲間入りを果たしたことを意味します。仏教では、四十九日で死者は新しい世界に生まれ変わると考えられているからです(日本の民俗では四十九日で死者は祖霊になるとされる)。

 

白木のお位牌の表書きには、通常、一番下に「霊位」と書かれています。これは、亡くなってから49日までの間、故人は霊として「この世」に存在し、「あの世」と故人を結ぶ接点の役割をしているお位牌を依り代としているからだと解されています。

 

49日の法要を境に、故人は霊から仏弟子となり、仏の世界に行くことができるので、本位牌には「霊位」を除いて作ります(または、「霊位」から「霊」の字を消して「位」とする場合もある)。

 

ただし、ご先祖様のお位牌を1つにまとめる場合、「○○家先祖代々之霊位」と表記します。また、あまり好ましいことではありませんが、無宗教の人など俗名や個人名で位牌をつくる場合も「~之霊位」とします。霊位と入れる事で戒名を授かる事と同じ意味をなすと言われています。

 

 

<参照>

戒名の話 – Welcome to web.sanin.jp!

戒名とその値段 – 東洋石材

戒名とは/生前戒名普及会

戒名の意味について詳しく解説!戒名にはランクがある

位牌についてのあれこれ

宗派別に戒名を位の高い順に並べてみると?

戒名の意味や歴史とは 付け方やお布施の相場も紹介

戒名の意味やつけ方 値段による違いはある?

戒名について詳しく解説 | 安心葬儀

知っておきたい!戒名についての基礎知識

戒名の構成と種類(戒名.jp)

Wikipediaなど