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2020年06月14日

伝承:青森にキリストの墓がある!?

6月7日、青森県三戸郡新郷村で行われる予定であった地元の恒例行事「キリスト祭」は、コロナウィルスの感染拡大の影響で中止となりました。

 

今回のこの投稿では、単に青森の伝統行事をお伝えするのではなく、このキリスト祭(キリスト慰霊祭)が、実はふつうは想像できない伝承に基づいて50年以上行われているという事実を紹介し、日本の伝承・伝説の奥深さの一端を垣間見たいと思います。

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イエス・キリストと言えば、「十字架に磔(はりつけ)にされて処刑された後、復活した…」というのが、全世界のキリスト教徒にとっての常識ですね。ところが、もし、青森県の南端、十和田湖の東に位置する三戸郡新郷村(しんごうむら)に「キリストの墓が存在する…、イエスは、ゴルゴダの丘で処刑されずに、密かに日本に逃れ、新郷村で、天寿を全うした…」と言われたら、彼らはどう思うでしょうか?このあまりにも突拍子のない伝承と奇祭が、青森県三戸郡新郷村にはあるのです。

 

 

  • キリスト渡来説

 

ユダヤ人のイエスは、21歳の時に、能登半島に上陸し、越中で12年間修行されました。時は、第11代の垂仁天皇の時代(前29~後70年)でした。

 

修行を終えたイエスは、33歳の時にユダヤの地に戻り、神の教えを広めましたが、迫害にあって磔刑(たっけい)に処されそうになりました。しかし、実際に十字架の上で処刑されたのは、身代わりとなった弟のイスキリだったのです。

 

数人の弟子とともにひそかに姿をくらましたイエスは、シベリアを横断し、アラスカを経由して現在の青森県八戸市に上陸して、戸来村(へらいむら)(今の新郷村)に居を定めました。

 

イエスはこの村の山奥で、天狗と呼ばれながら生活を続け、106歳で天寿をまっとうしました。一説には、妻子ももうけた、最後は漢字とカタカナで遺書を書き残したとも言われています。

 

 

  • キリスト慰霊祭

 

こうした伝承に基づいて、1935(昭和10)年、青森県の新郷村(旧戸来村)には「キリストの墓」が「発見」され、塚の上に十字架が建てられています(正確にはイエスと弟のイスキリのために2つの十字架が建てられている)。

 

このイエス・キリストの霊を慰める「キリスト御霊祭(キリスト祭)」が、1964(昭和39)年から毎年、6月の第一日曜日に、キリストの墓周辺の「キリストの里公園」で開催されています。2020年は、第57回目のキリスト祭が行われるはずでした。

 

儀式(慰霊祭)そのものは90分程度で終了します。十字架の立った「キリストの墓」の前で、神官による祝詞(のりと)の奏上から始まります。キリスト教の聖職者ではなく、村で由緒ある戸来三嶽(みたけ)神社の宮司が祝詞をあげ、列席者による玉串奉奠(たまぐしほうてん)が行われます。初回は、キリスト教式でしたが、その後神式となったそうです。

 

続いて、笛と太鼓の演奏のなか獅子舞が舞い踊った後、盆踊りの奉納があります。キリストの墓の周りを踊ります。この盆踊りは、「ナニャドヤラ」と呼ばれる青森県に伝わる踊りで、浴衣姿の女性たちが中心となって、「ナニャドヤラ~・ナニャドナサレノ・ナニャドヤラ~…」と歌うのですが、歌詞の意味は不明なのだそうです。柳田國男や金田一京助は、「方言のくずれたもの」と説明したとされていますが、ある学者がヘブライ語に当てはめてみたところ、「おまえの聖名をほめたたえん おまえに毛人(えみし)を掃討して おまえに聖名をほめたたえん」とつながったそうです(「おまえ」の訳出が適切かどうかは疑問)。

 

 

  • エルサレム市も認知!?

 

新郷村は、イスラエルのエルサレム市と友好関係にあます。2004年(平成16年)6月6日の第41回キリスト祭には、エルサレム市から友好の証として、縦25センチ、横70センチのエルサレム・ストーンと呼ばれる大理石(石版)が寄贈され、2つの十字架の間に埋め込まれています(エルサレム・ストーンとは、エルサレム市街の建築物外壁で建材として広く使われている白い石灰岩のこと)。表面にはヘブライ語で「この石はイスラエル国、エルサレム市と新郷の友好の証としてエルサレム市より寄贈されたものである」と刻まれ、除幕式には、驚くべきことに、イスラエル駐日大使も出席されました。大使の参列ということは、イスラエル政府もキリスト伝承を認めたということなのでしょうか?

 

 

  • 「キリストの墓」のルーツは竹内文書

 

ただし、キリストの墓は、新郷村が2000年以上にもわたり「キリストの墓」を守ってきたわけではありません。前述したように、新郷村でキリストの墓が発見されたのは、1935(昭和10)年の話です。

 

この時(8月)、竹内家の当主、竹内巨麿(皇祖皇大神宮天津教の開祖)が、古代史研究家らを引き連れて、当時の戸来村(今の新郷村)を訪れてきました。茨城県磯原町(現北茨城市)にある皇祖皇大神宮の竹内家には、竹内文書と呼ばれる古文書が伝えられています。その中に、「ゴルゴダの丘で磔刑になったキリストが実は密かに日本に渡来し、新郷村で一生を終えた」との記載があり、一行は調査のために来たのです。

 

すると、小高い丘のやぶの中の笹に埋もれていた塚が発見され、これがキリストの墓と「断定」されたことから、キリスト伝説が生まれました(正確には、2つの土盛りを見つけ、それぞれイエスとイスキリの墓とみなされた)。

 

 

  • 地域興しに一役

 

もちろん新郷村の人々が、キリスト伝説を真面目に信じているかはわかりませんが、この伝承は、観光客誘致など、地域興しという観点からある程度受け入れられていると思われます。だからこそ、1964(昭和39)年からキリスト祭が原則、毎年開催され(キリスト祭は旅行会社や新郷村自体が積極的に宣伝している)、住民もその墓を守っているわけですね。

 

また、「キリストの墓」の近くには、資料館として「キリストの里伝承館」が建てられ、竹内文書写本や「キリストの遺書」など関連資料が展示されています。さらに、現地へ向かう国道には、「キリストの墓」という標識まであれば、「キリスト・ラーメン」などキリストにちなんだ「特産品・土産物」も販売されています。

 

 

  • 神秘の村・新郷村

 

では、なぜ、キリストの墓が青森県の新郷村なのでしょうか?新郷村には、竹内文書以外にも、ユダヤ人やキリスト教に関連すると思われる逸話があります。

 

まず、新郷村の旧名、戸来村の「戸来(へらい)」という地名は、ユダヤを意味する「ヘブライ」が転化したものであると説や、新郷村では、父親をアヤまたはダダ、母親をアパまたはガガと呼ぶそうですが、これもアダムとイブがなまったものであるという見方があります。

 

また、新郷村では、幼子を初めて野外に出すとき額に墨で十字(十字架)を書くという風習や、足がしびれたときには額に十字を書く風習もあるそうです。

 

さらに、「ダビデの星」に似た五角形の模様を代々家紋とする家があります。その家の代表は、現地の沢口家で、「キリストの墓」が発見された当時の沢口家当主は青い目をしていて、背丈は185センチと大柄で、イエスの末裔(まつえい)とみられていたという言い伝えも残されています。

 

<ひと言>

そもそも「キリストの墓伝説」の根拠となった「竹内文書」は、現在では「偽書」と断定されています。ただし、通説とされていた歴史の見方に別の角度からスポットを当ててみようという本HPの趣旨のもと、とくに一方的に「偽書」とされている竹内文書のような文献については、別の機会にしっかりと検証してみたいと思います。

 

参考投稿:能登にモーゼの墓がある!?

 

<参照>

キリスト祭(日本観光振興協会)

キリスト祭とは?

(あおもり暮らし、青森県移住・交流ポータルサイトより)

イエスの墓? 新郷村の「キリスト祭」が完全に地元になじみきっている

(2015年6月8日、タウンネット青森県)

信じるかは貴方しだい!青森のパワースポット「キリストの墓」

(lineトラベル)

キリスト伝説を訪ねる 青森・新郷村 ロマンが観光の目玉

(2014年3月26日、日経)

「キリスト」ラーメンは青森・新郷村! 住民、墓守る

(2014/5/2、日経)

キリスト祭 幻想的な舞…青森県新郷村

(読売新聞オンライン)

民ゾクッ学「青森にキリストの墓」説

(2019/8/7、読売新聞)

Wikipediaなど