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2020年05月05日

憲法:明治憲法の「国家緊急権」を読む

日本国憲法において、国家緊急権の表われといえるような緊急事態条項は、規定されていません。ですから、戦後の政府は、緊急事態法制の整備には及び腰で、今回、新型インフルエンザ等対策特別措置法においても、原則、罰則はなく、都市封鎖(ロックダウン)など強制力のある措置がとれないと言われています。

 

日本国憲法に、原則、緊急事態条項が規定されていない背景には、戦前の大日本帝国憲法(明治憲法)には、緊急勅令(8条)、戒厳の宣告(14条)、天皇の非常大権(31条)というように国家緊急権の発動が規定され、軍部が独走したことに対する「反省」があったからと説明されています。

 

そこで今回は、明治憲法の国家緊急権について説明してみたいと思いますが、「日本国憲法は、明治憲法の反省の上に書かれた」式に、明治憲法「悪玉」論が支配的です。本HP「レムリア」では、一般的に信じられている内容について、実はそうではなかったのかもしれないという視点に立って考えることを一つの目的としています。従いまして、明治憲法についても、実はこんな解釈もされているという見方も同時に紹介したいと思います。

 

 

<明治憲法を一般的に解釈したら…>

 

第8条(緊急勅令大権

  1. 天皇は公共の安全を保持し、またはその災厄を避けるため緊急の必要があり、かつ帝国議会が閉会中の場合において、法律に代わる勅令を発する。
  2. この勅令は、次の会期に帝国議会に(法律案として)提出しなければならない。もし議会において承認されなければ、政府は将来その勅令が効力を失うことを公布しなければならない。

 

勅令:天皇が発する命令。議会を通さない法律のこと。

 

既存の解釈

帝国議会が閉会中、災害や凶荒な疫病など緊急な事態が発生した時に、天皇が緊急勅令(緊急命令)を出すことができることを定めています。緊急勅令は、実質的には法律と同じ効力を持っており、政府が議会とは無関係に独自に立法を行うことができました。さらに、緊急勅令は法律に代わる事ができ、現行の法律を停止(変更、廃止)できるのです。

 

もっとも、本条第二段で議会に承認権を認めているとして、本条を擁護する立場もありますが、神聖で不可侵の天皇が発する勅令を議会が承認しないということは、現実的には困難でした。これに対して、国会を唯一の立法機関としている日本国憲法では、そのような緊急命令(緊急勅令)は一切認めていません。

 

 

第14条(戒厳大権)

  1. 天皇は戒厳を宣告する。
  2. 戒厳の要件や効力は法律によって定める。

 

既存の解釈

外敵・内変、戦時など非常事態が発生し、戒厳令が宣告された場合、法律が停止され、行政、司法の全権または一部の権限が軍に移されます。そうなると一般の人々の権利に重大な影響を及ぼしてしまいますが、こうした規定は、日本国憲法にはありません。

 

 

第31条(非常大権)

本章に掲げた(臣民の権利義務に関する)条規は、戦時または国家事変の場合において、天皇大権の施行を妨げることはない。

 

既存の解釈

本条は、いわゆる「天皇の非常大権」を規定した条文で、戦時または国家事変において、本章に掲げられた臣民(国民)の権利、義務に関する規定の一部または全部を停止できる権限を天皇大権(帝国議会の協賛を受けずに行使される天皇の権能)として認めています。天皇が帝国議会の参与なしに国家行為を行うことができるとする非常大権は、人権保障を危うくするおそれがあり、こうした規定は日本国憲法にはありません。

 

 

<帝国憲法を善意に解釈したら…>

これに対して、帝国憲法の緊急事態条項について、善意に解釈すれば、それぞれ次のようになります。

 

第8条(緊急勅令大権

  1. 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ 又ハ其ノ災厄ヲ避クル為 緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ 法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
  2. ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ 帝国議会ニ提出スヘシ 若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ

 

  1. 天皇は公共の安全を保持し、またはその災厄を避けるため、緊急の必要がありかつ帝国議会が閉会中の場合において、法律に代わる勅令を発することができる。
  2.  この勅令は、次の会期に帝国議会に(法律案として)提出しなければならない。もし議会において承認されなければ、政府は将来その勅令が効力を失うことを公布しなければならない。

 

善意の解釈

災害や疫病など緊急事態が発生した場合、公共の安全を保ち、予防救済に努めることが求められます。とりわけ、議会が閉会中となれば、政府が天皇の勅令を法律に代えて、これに対処することは、国家として当然の行為といえるでしょう。

 

ただし、帝国憲法は、この緊急勅令権を本条において保証すると同時に、その乱用を戒めています。まず、緊急勅令を発する場合は、本条第1項に、①公共の安全を維持し、またはその災厄の予防救済の目的があること、②帝国議会の閉会中で、③緊急の必要があること、という条件を置いています。また、運用上も、緊急勅令を発するに当たっては必ず天皇の相談役的な機関である枢密顧問の諮詢(しじゅん)(諮問)を要しました。

 

加えて、本条第2項には、議会にこの特権の監督者としての役割を与え、緊急命令を事後に検査して、これを承諾させる必要のある事を定めています。その際、議会は、緊急勅令が憲法に矛盾したり、または本条1項に掲げた①から③の要件を満たしていないと判断したりした場合は、承諾を拒む事ができました。さらに、もし、次の会期において議会が承諾しなかった場合、政府は更に将来効力を失う旨の公布をしなければならない義務を負いました。

 

 

第14条(天皇の戒厳大権)

  1. 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
  2. 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

 

  1. 天皇は戒厳を宣告する
  2. 戒厳の要件や効力は法律によって定める。

 

善意の解釈

天皇は戒厳令を宣告することができます。ただし、天皇の戒厳大権が行使された場合、人々の権利に重大な影響を及ぼすので、戒厳大権は、法律の条項に準拠した上で行使されなければならないと本条2項に規定されました。具体的には、法律によって、戒厳の要件(必要な規程)や効力(権力の及ぶ限界)を定め、また運用上も、国務大臣や枢密顧問の輔弼が不可欠とされ、慎重に実施されるような歯止めがかけられていました。さらに、現実的にその運用そのものも軍の将帥(軍隊を率いて指揮する大将)に委任されていました。

 

 

第31条(天皇の非常大権)

本章ニ掲ケタル条規ハ 戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ 天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ

本章に掲げた条規は、戦時または国家事変の場合において、天皇大権の施行を妨げることはない。

 

善意の解釈

帝国憲法では本条において、国家に緊急事態が発生した場合、天皇は非常大権を保持し、臣民の権利に優先されるとする「天皇の非常大権」について定めています。

 

帝国憲法を起草した伊藤博文は、自ら解釈した「憲法義解」の中で、次のように天皇の非常大権の重要性を指摘しています(以下要約)。

ーーーーー

すぐれた船長は転覆や沈没を避け、乗客の生命を救うために必要なときは、その積荷を海中に投棄しなければならないこともある。また、良将は全軍の敗北を避けるために、やむを得ない時期にあたって、その一部隊を見捨てる場合も避けられない。

 

これと同じように、国家元首である天皇は、国家の非常時において、その存立を保持するために、最後の手段として、法律や臣民の権利の一部を犠牲にしなければならない場合もでてくる。この国の存立と保持のために採る行動は、天皇の元首としての権利だけでなく、最大の義務でもある。従って、国家にもしこの非常大権がない場合、国家権力は非常時に際して、その職責を尽くす手段がないことになってしまう。

 

常識で考えても、世界各国の憲法をみれば、このことを明示し、あるいは明示しないにかかわらず、非常時の国家権力の発動を認めていない憲法はない。国家は戦争など非常時には何らかの必要な処分を行なわなければならないからである。

ーーーーー

 

この伊藤博文の見解に立てば、現行憲法において、国家緊急権(緊急事態条項)についての規定がないというのは、国の存立と国民の生命や財産を、国家は守らないと言っていることに等しくなります。ただし、伊藤は平時において、みだりに非常大権を持ち出して、臣民の権利を蹂躙することは、各国の憲法は決して許さないことであるとして、天皇の非常大権を政府が濫用することもしっかりと戒めています。

 

なお、この31条の非常大権は、一度も発動されたことはありませんでした。

 

 

2020年05月05日

憲法:「日本国憲法は9日間で書かれた」を考える

5月3日は、1947年に施行された日本国憲法の誕生の日(憲法記念日)でした(公布は46年11月3日)。今月は日本国憲法について投稿していきたいと思います。まずは、「日本国憲法は、マッカーサーのメモ書き(マッカーサー・ノート)を基にしてGHQが1週間ほどで書いた」という見方を検証します。

――――

 

  • 松本委員会とマッカーサー3原則

 

日本は1945年(昭和20年)8月にポツダム宣言を受諾した後、戦争状態を終結させる講和条約を締結するまでの間、マッカーサーをトップとする連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)(以後、総司令部またはGHQと表記)によって、日本政府の形は残したまま間接的に統治されました。

 

1945年10月、マッカーサーは、日本の民主化政策の一環として、治安維持法などの弾圧の手段に活用された法律などの廃止、実際に弾圧を行った内務省警保局・特高警察の廃止など定めた人権指令を出した後、早くも、戦後最初の東久邇宮(ひがしくにみや)稔彦(なるひこ)内閣の近衛文麿国務相(元首相)に、憲法改正を求めました。しかし、大日本帝国憲法を改正する意思のなかった東久邇内閣は総辞職、近衛も戦犯として逮捕される直前に自殺してしまいます。

 

そこで、連合国軍総司令部(GHQ)は、大正デモクラシーの時代、欧米との協調外交(幣原外交)で知られた幣原喜重郎が首相に就任させたのでした。就任の挨拶にきた幣原に対して、マッカーサーは、婦人参政権、財閥解体、農地改革などの五大改革に加えて、「憲法の自由主義化」を要求、すなわち「憲法の改正を示唆」しました。

 

GHQの「指示」を受けた幣原内閣は、1945年10月27日、憲法担当大臣、松本烝治(じょうじ)法学博士(国務大臣)を委員長とし、憲法学者や官僚からなる憲法問題調査委員会(「松本委員会」)を設け、憲法改正に取り組みました。

 

しかし、松本委員会では、天皇が統治権を保持するという、大日本帝国憲法(明治憲法)の基本原則を変えず、帝国憲法の条文を部分的な修正する方針で議論が進められていました。例えば、帝国憲法第3条の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるのが、「天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス」とされるなど、表現を言い換えただけのものもあったほどです。

 

こうした松本委員会の憲法改正試案(「松本案」)をマッカーサーは、1946年2月1日、毎日新聞のスクープによって、事前に知ることになります。当然、その内容はマッカーサーが満足するものでは到底ありませんでした。そこで、マッカーサーは、日本政府に憲法草案を作成させるのを諦め、2月3日、「マッカーサー3原則」を打ち出し、GHQ民政局局長のコートニー・ホイットニーに、GHQ草案(いはゆるマッカーサー草案)の起草を指示します。後に「マッカーサー・ノート」とも呼ばれる「マッカーサー3原則」とは次の通りです。

 

マッカーサー3原則

〔1〕天皇は国家元首の地位にある。(象徴天皇制)

〔2〕国家の主権としての戦争は廃止される。(戦争放棄)

〔3〕日本の封建制度は廃止される。(華族制度の解体)

 

さて、マッカーサーが、GHQ草案(マッカーサー草案)の起草のためにホイットニーに与えた期限は2月12日でした。一国の根本法である憲法草案をわずか9日間で作成しろという通達です。

 

マッカーサーはどうして憲法の制定を急いだのかというと、GHQ主導で進む日本の占領政策に、同じ連合国のソ連とイギリスが反発し、1945年の12月(形式的には9月)にイギリス、ソ連、アメリカの外相会議で、連合国が日本を占領管理するための極東委員会(Far Eastern Commission)の設置が決まったからです。極東委員会は、13か国(米国・英国・中国・ソ連・フランス・インド・オランダ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・フィリピン、1949年11月からビルマ・パキスタンが加わる)の代表から構成された連合国による対日占領政策決定の最高機関となり、GHQも極東委員会の決定には従うものとされました。つまり、GHQは、第1回会合が開かれる2月26日以降、極東委員会の管理下に入り、憲法改正を含めたGHQの決定には極東委員会の事前承認が必要となるのでした。そこで、マッカーサーは、ソ連などが口を出してくる前に自分の手で日本の憲法の形を作り上げてしまおうと考えたのです。

 

 

  • マッカーサー草案の作成

 

2月4日、GHQ民政局スタッフわずか25人余りが緊急招集され、マッカーサー草案(日本国憲法の原案)の策定が、日本政府だけでなく他のGHQの部署に対しても極秘に開始されました。ホイットニー民政局長は実務責任者として陸軍大佐のチャールズ・L・ケーディスを任命、ケーディスは、スタッフを、取りまとめとしての「運営委員会」以下8分野ごとに受け持たせました。これをみると、例えば、憲法「前文」の草案を一人の人物が執筆したという事実もまた驚きです。

 

  • 運営委員会

C.L.ケーディス陸軍大佐、A.R.ハッシー海軍中佐、M.E.ラウエル陸軍中佐、R.エラマン

  • 前文に関する委員会

A.R.ハッシー海軍中佐

  • 天皇・条約・授権規定に関する委員会

J.A.ネルソン陸軍中尉、R.A.プール海軍少尉

  • 人権に関する委員会

P.K.ロウスト陸軍中佐、H.E.ワイルズ、B.シロタ

  • 立法権に関する委員会

F.E.ヘイズ陸軍中佐、G.J.スウォープ海軍中佐、O.ホージ海軍中尉、G.ノーマン

  • 行政権に関する委員会

C.H.ピーク、J.I.ミラー、M.J.エスマン陸軍中尉

  • 司法権に関する委員会

M.E.ラウエル陸軍中佐、A.R.ハッシー海軍中佐、M.ストーン

  • 地方行政に関する委員会

C.G.ティルトン陸軍少佐、R.L.マルコム海軍少佐、P.O.キーニ

  • 財政に関する委員会

F.リゾー陸軍大尉

 

また、他国の憲法を書くという歴史的な偉業に携わった民政局スタッフの顔ぶれをみれば、大佐、中佐、少佐、大尉、中尉クラスの士官が13人、後は弁護士や学者を含む文官でしたが、憲法の専門家が一人もいませんでした。ホイットニー局長自身は弁護士でしたが、憲法についての実務的な知識に欠けたていたと言われています。

 

しかも、日本語に精通した人は一人もいませんでした。唯一、通訳要員として採用されていたベアテ・シロタ・ゴードンという当時22歳の女性がメンバーに含まれていましたが、彼女も日本語を読めたわけではありませんでした。後年、シロタさんは、「このときに、私はまだ22歳だった。…私が憲法について知っている事といったら、高校の社会科で学んだだけのことだった」と述懐したそうです。

 

  • マッカーサー草案と合衆国憲法

 

憲法のスペシャリストでない人々が憲法の原案を書くとなると通常、何が起きるでしょうか?まず、当然、自国の合衆国独立宣言、南北戦争時のリンカーンのゲティスバーグ演説、合衆国憲法などから、また今も世界で最も民主的な憲法と評価されている第一次世界大戦後のドイツのワイマール憲法など、世界中の憲法から自分たちが気に入った条文を引き抜いて、切り貼りしながら草案を練ることになります。この指摘はあながち間違いではなく、とりわけアメリカ合衆国憲法からの引用は多くみられます。例えば、以下のように、その前文や条文が日本国憲法の中に見いだされます。

 

日本国憲法前文

…日本国民は(中略)、われらとわれらの子孫のために(中略)、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、(中略)、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する

合衆国憲法前文

われらとわれらの子孫のために自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のために、この憲法を制定し、確定する。

 

 

日本国憲法第31条

何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

アメリカ合衆国憲法 修正第5条

何人も、法の適正な過程によらずに、生命、自由または財産を奪われることはない。

 

 

  • マッカーサー草案と憲法研究会

 

また、憲法について「素人」であれば、専門家が書いたものを参考にするでしょう。マッカーサー草案起草に当たっても、GHQは、当初から日本の政党や民間団体の憲法草案などを注目していました。その中でも、マッカーサー草案(GHQ草案)に大きな影響を与えたとされているのが、日本の「憲法研究会」という民間団体が1945年12月末に発表した「憲法草案要綱」でした。

 

憲法研究会の「憲法草案要綱」には、「天皇は政治的権限を持つべきではない」という象徴天皇制や、「日本国の統治権は日本国民より発す」とした国民主権が明確に規定されていました。また、男女平等や言論の自由などの基本的人権の保障や、平和主義の思想も盛り込まれていました。

 

GHQは、憲法研究会の「憲法草案要綱」を詳細に分析し、「ここに含まれる条文は、極めて民主主義的で受け入れられる」「著しく自由主義的」などと高く評価していました。実際、憲法草案要綱を読んだGHQの政治顧問アチソンは、「最高統治機関は議会・国会に責任のある内閣となっており、天皇は儀礼的・形式的長官にすぎないと規定」されていたことに驚嘆の意を表明しています。

 

また、運営委員会のメンバーとしてマッカーサー草案起草に携わったラウエル中佐は、「私たちはこれ(憲法研究会の草案)を確かに使いました」と影響を受けたことを認め、さらに次のように述懐しています。「私はこの民間草案を使って、若干の修正をすれば、マッカーサー最高司令官が満足し得る憲法ができると考えました。それで民政局の仲間たちも安心したのです。これで、憲法ができると。」

 

実際、憲法研究会の「憲法草案要綱」をみれば、現行憲法と同じような草案が数多く見られます(太字が憲法研究会の草案)。

 

国民は法律の前に平等にして出生又は身分に基く一切の差別は之を廃止す

⇒日本国憲法第14条第1項:すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 

国民は労働の義務を有す

⇒日本国憲法第27条第1項:すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

 

国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す

日本国憲法第25条第1項:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 

ところで、ラウエル中佐にそこまで言わせた憲法研究会とは、どういう団体なのでしょうか?憲法研究会は、1945年10月、社会運動家の高野岩三郎の提案により、民間での憲法制定の準備・研究を目的として結成されました。著名マルクス主義の憲法史家の鈴木安蔵や経済学者の森戸辰男らが参加しました。高野に学んだ森戸は、日本社会党の結党にも尽力し、戦後初の衆議院議員総選挙に出馬し当選、左派政治家として活躍しました。彼らの多くは戦前、政府による言論統制で投獄されるなど弾圧を受け、森戸も執筆した論文がもとで東大を追われたという経緯があります。

 

 

  • パッチワークのマッカーサー草案?

 

いずれにしても、マッカーサー三原則(マッカーサー・ノート)の提示からわずか9日後の2月12日、日本国憲法の総司令部(GHQ)案が完成、翌日、日本政府に提示されました。日本国憲法を「押しつけ憲法」と主張する人々の中には、憲法の専門家でない少ない人数による突貫作業で起草されたGHQ案(マッカーサー草案)を以下のように批判します。

 

マッカーサーノートと呼ばれる走り書きをベースに、自国や他国の憲法、ならびに日本の民間団体(「憲法研究会」等)の草案などを参考資料として寄せ集めた、パッチワーク作業の「コピペ」と呼ぶしかない代物である。(コピペ;copy and past コピーとペーストの略)

 

確かに、そうした一面もあるかもしれませんが、事実はそう単純ではありません。たとえ、各国の憲法典や憲法研究会のような民間団体の憲法試案などをつなぎ合わせる手法でも、一国の憲法草案をわずか9日間で完成させることはできなかったのではないでしょうか?しかし、もし、マッカーサーやGHQに対する指示書のようなものが存在していたとしたら、それは可能です。

 

 

  • マッカーサー草案とSWNCC

 

1944年3月に米国務省では、「アメリカの対日戦後目的」なる報告書が作成されていました。日米戦争の最中のその時期に、すでに勝利を確信したアメリカが対日戦後処理政策を考えていたのです。そして、同年12月、アメリカ政府内部に、国務省、陸軍省、海軍省の意見調整を図るため国務・陸軍・海軍三省調整委員会(SWNCCスウィンク)が設置され、日本が降伏した年の11月27日に「日本の統治制度の改革」(SWNCC228)をまとめて、マッカーサーに「指示」を与えていた事実が昨今、明らかになっています。

 

この「日本の統治制度の改革」(SWNCC228)こそ、マッカーサー三原則とその後のマッカーサー草案(総司令部案)に大きな影響を与えた文書ではなかったかと推測されます。その報告書の中で、例えば天皇制について、「…日本人が天皇制を維持すると決定したときは、最高司令官(マッカーサーのこと)は、日本政府当局に対し、次に掲げる安全装置が必要なことについても、注意を喚起しなければならない」と以下のような具体的な措置を「指示」しています。

 

  • 天皇の軍事に関する大権の剥奪
  • 皇室財産を国庫への繰り入れと皇室費の国家予算への編入
  • 内閣による天皇の全行為に対する助言と補佐
  • 信任と責任に基づく議院内閣制の採用

 

そのなかで、「内閣による天皇の全行為に対する助言と補佐」については、日本国憲法第3条「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」となって反映されています。軍事的、外交的な権限だけでなく、(内閣の助言と承認の下で)国政に関する実質的な権能をもたない天皇による統治の姿は、まさに象徴天皇制が示されていたと言えるかもしれません。

 

また、「皇室財産の国庫への繰り入れと皇室費の国家予算への編入」も、日本国憲法第88条「すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない」として結実しています。

 

一方、このSWNCC(国務・陸軍・海軍三省調整委員会)が「日本の統治制度の改革」(SWNCC228)をまとめた背後に、OSS(米戦略情報調査局)という米軍の特務機関(諜報機関)の存在も見え隠れしています。OSSは、日米開戦後の1942(昭和17)年6月の段階で、明治憲法などの分析を行い「日本計画」なる報告書をルーズベルト大統領に提出し、戦後の占領政策の青写真をすでに描いていたとされているのです。OSSこそが、後にCIA(米中央情報局)となる機関です。

 

日本国憲法の原案に、アメリカ政府の意向が強力に反映していたとすると、今の憲法はマッカーサーの思いつきによるメモ書き程度、さらには、アメリカ内外の憲法や条約文のつぎはき合わせではなかったことになります。逆に言えば、マッカーサー草案(GHQ案)が、憲法の専門家もいない少人数で、わずか9日間で作り上げることができた理由は、アメリカ本国において、帝国憲法など戦前の日本の統治システムについて徹底して調べ上げられ、綿密な戦略ができていたからであった可能性は極めて高いように思われます。

 

もちろん、マッカーサー草案(GHQ案)がそのまま日本国憲法になったわけではありませんが、アメリカの対日戦略に裏打ちされたマッカーサー三原則に基づくGHQ案が、骨子となっていることは間違いなさそうです。

 

なお、日本国憲法がどのように成立したかをもう少し詳細に知りたい方は、「日本国憲法の制定経緯」を参照下さい。