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2020年04月28日

ニュース:米国防総省、UFO映像を正式公開

“UFO映像” 米国防総省が公開 “物体が何かは不明”

(2020年4月28日 NHKニュース)

 

アメリカ国防総省は、高速で上空を移動するUFO=未確認飛行物体だとする映像を公開しました。写っている物体が何なのかはわかっていないとしています。アメリカ国防総省は27日、海軍の航空機が2004年と2015年に撮影したUFOだとする3つの映像を公開しました(実際の映像)。

 

2015年1月の映像では、だ円形の物体が高速で上空を移動する様子が写っていて、物体が途中で回転を始めると海軍のパイロットが「あれを見ろ」などと驚きの声を上げています。この映像をめぐってはこれまで、アメリカの有力紙ニューヨーク・タイムズなどが独自に入手したとして伝えていました。映像を公開した理由について国防総省は「出回っている映像が本物かどうかや、ほかに何か隠しているのではないか、という人々の誤解を解くためだ」と説明し、写っている物体が何なのかは依然わかっていないとしています。

 

アメリカ海軍では長年、正体がわからない飛行物体が目撃された場合、「不可解な現象」として記録に残してきませんでしたが、経験豊富で信頼できる多くのパイロットから目撃情報が寄せられていることから、去年、正式に記録に残すための報告手順を定めたガイドラインを作成しています。アメリカではFBI=連邦捜査局も過去にUFOの目撃情報などを調べていたことが明らかになっていますが、地球外の物体が特定されたケースは確認されていません。

 

<関連記事>

ニュース:米国防総省、UFO調査、秘密裏に実施

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2020年04月28日

社会:緩い日本の緊急事態宣言 憲法の壁!?

日本の緊急事態宣言が全国的に発令されているにもかかわらず、一部のパチンコ店が開店し、ビーチや観光地にも足を運ぶ人が多く見られ、緊急事態宣言の効果に対して疑問が呈されています。今回は、日本の緊急事態宣言の「特異性」とその背景について考えます。

ニュース:緊急事態宣言発令」参照

―――

 

  • 緊急事態宣言

 

安倍首相は、4月7日、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言を発令しました。2012年に成立した同法は、3月13日に、新型インフルエンザ等対策特別措置法の対象に新型コロナウイルス感染症を追加する形で改正されていました。

 

「緊急事態宣言」は、対象となる感染症の流行状況が、以下の2つの要件を満たしたと判断された場合、首相が区域と期間を定めて発令します。

 

  • 国民の生命や健康に著しく重大な被害を与える恐れがある場合
  • 全国的かつ急速な蔓延により、国民生活と経済に甚大な影響を及ぼす恐れがある場合

 

区域は原則、都道府県単位で指定されますが、感染状況によっては隣接県や日本全域の指定することができます。実際、4月16日に対象地域が全国に拡大されました。

 

首相から緊急事態宣言が出されると、「まん延の防止に関する措置」として、指定区域の属する都道府県の知事は、その区域の住民に、定められた期間(「2年以内」、「1年を超えない」範囲で延長可)、感染拡大の抑制措置を取ることが可能となります。具体的な措置とは次の2点です。

 

  • 住民に対し、外出しないよう「要請」すること
  • 学校・社会福祉施設・娯楽施設等の管理者等に対し、施設利用やイベントを停止・制限するよう「要請」すること

 

施設の利用制限について、正当な理由なく「要請」に応じない場合、知事は「指示」をすることができます。この「要請」を無視して、住民が外出しても、また施設管理者が「要請・指示」に従わず、施設の利用やイベントが実施されても、処罰されることはありません。つまり、諸外国の禁止命令のように、罰則が科されるなど強制力を伴っているわけではありません。あくまで「要請(=お願い)」なのです。

 

これに対して、米、伊、仏、英、タイ、ニュージーランドなど非常事態宣言が発令された諸外国では、公共機関や学校、店舗などを閉鎖、生活必需品の買い物や、病院などの理由以外の外出を認めない「都市封鎖」(ロックダウン)を行い、違反者に対しては罰金も科すなど徹底した管理体制が取られました。

 

ですから、日本でも緊急事態宣言が出れば、自衛隊や警察がバリケードで鉄道や道路や空港を封鎖する都市封鎖(ロックダウン)状態になってしまうと懸念する向きが多くありました。しかし、現状では、日本の「緊急事態宣言」は「要請」と「指示」にとどまり、市民生活に対して罰則などの強制力をもった対応は想定されていません。特措法の条文からも、都市封鎖を行うに十分な規定とは言えないのが現実です。これは、なぜなのでしょうか?

 

 

  • 国家緊急権

 

新型インフルエンザ等対策特別措置法が、禁止ではなく、「要請」「指示」といった曖昧な書きぶりとなっているのは、日本国憲法が国民の基本的人権の侵害を徹底的に禁じているので、日本において「国家緊急権」を効果的に発動させにくいからです。

 

国家緊急権とは、「戦争・内乱・恐慌・大規模な自然災害などの非常事態において、国家の存立を維持するために、国家権力が、私的権利を制限するなど「憲法の秩序」を一時停止して、非常措置をとる」ことを言います。この国家緊急権は、憲法学上、国家が持つ固有の権利(自然権)として、どの国にも認められている権利です。実際、有事においては平時と同様の人権保障を行うことは現実的に困難なので、一時的に憲法秩序を停止することをあらかじめ織り込んでおくことが、逆に、最終的には、人権を守ることになるという考え方に基づいています。緊急事態宣言は、まさに「国家緊急権」発動の最たる事例です。現在、諸外国で行われているコロナウイルス対策のための措置も、国家緊急権に基づくもので、諸外国の多くは、憲法上に緊急事態条項を規定しています。

 

戦前の大日本帝国憲法では、緊急勅令(8条)、戒厳の宣告(14条)、天皇の非常大権(31条)というように国家緊急権の発動が規定されていました。

 

帝国憲法第8条(緊急勅令大権

天皇は公共の安全を保持し、またはその災厄を避けるため緊急の必要があり、かつ帝国議会が閉会中の場合において、法律に代わる勅令を発する。

 

帝国憲法第14条(戒厳大権)

天皇は戒厳を宣告するじ

 

帝国憲法第31(非常大権)

本章に掲げた(臣民の権利義務に関する)条規は、戦時または国家事変の場合において、天皇大権の施行を妨げることはない。

 

これに対して、現行の日本国憲法の下では、戦前の軍部の独走に対する「反省」から(もっとも、31条の非常大権は発動されたことはなかった)、日本の憲法において、国家緊急権の表われといえるような緊急事態条項は、原則、規定されませんでした。こうした背景もあって、戦後の政府は、緊急事態法制の整備には及び腰で、新型インフルエンザ等対策特別措置法においても、原則、罰則はありません。ですから、自衛隊や警察にも、指示に従わない人を強行に止める権限が与えられていないのです。

 

都市封鎖(ロックダウン)は、感染拡大を防ぐための有効な手段と見なされ、すでに実施された国では、たとえそれが、私権制限を含むものであったとしても、人命優先の観点から必要な措置と、国民の間でも理解されているようです。今後の感染拡大の推移のよっては、日本においても、強制力を伴う特措法の改正といった動きがでてくることも考えられます。

 

 

<参考>

新型コロナ特措法の「緊急事態宣言」とは? 市民生活にどんな影響がある?(The page)

日本のロックダウンが腰砕けになりかねない訳 明確なルールがなければ応じない人を防げない(東洋経済 2020/03/31)

「パチンコをやる自由」も保障される…感染症拡大を止められない「人権擁護」という壁(2020/4/25、日刊SPA)

 

 

 

2020年04月26日

五輪:「古代オリンピック」はゼウスの祭典

2020年7月開催予定の東京オリンピック・パラリンピックは、史上初めて延期となりました。1年後の開催も危ぶまれていますが、東京大会の実現を期して、今回は、オリンピックについてまとめてみました。

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  • 古代オリンピックのはじまり

 

19世紀末に始まった「近代オリンピック」に対して、ギリシャを発祥とするオリンピックは「古代オリンピック」と呼ばれます(戦前の日本では「オリムピック」と表記された)。

 

古代オリンピックは、ギリシャの首都アテネの北西、ペロポネソス半島にあるエーリス(エリス)地方に位置する、ゼウスの神殿のあったオリンピアで開かれていました。「オリンピック」は、オリンピア(オリンポス)の名前を冠して命名されたもので、古代ギリシャ社会の重要な祭典でした。その起源は諸説がありますが、例えば次のような逸話がよく知られています。

 

  1. ギリシャ神話の最高神ゼウスが父神であるクロノスを倒した。
  2. ゼウスの子で、ギリシャの国民的英雄ヘラクレスが、エーリス王アウゲイアスと戦い、勝利した記念としてオリンピアの地で競技会を行った。
  3. ホメロスの叙事詩「イリアス」の英雄アキレスが、BC1250年頃、トロヤ戦争で没した友人の死を弔うため墓前競技(英霊を弔う目的で墓前にて行われる競技)を行った。

 

いずれにしても、オリンピアでは、紀元前1000年頃からゼウス神に捧げる小さな祭典を行っていたとされていますが、記録上明らかなのは、紀元前776年に、オリンピアを治めていたエーリスの王、イフィトスが領内の疫病に困って、デルフォイのアポロン神の神託を行ったことをきっかけに競技会が開かれました。その神託の内容は、「(当時、頻発していた都市国家(ポリス)間の争いをやめて)オリンピアのゼウス神殿の祭典を復活せよ」というものでした。神託は守らなければ、神罰が下されると見なされたことから、各ポリスはこれに従い、オリンピア祭が開かれたのでした。

 

これが第1回古代オリンピックで、それ以降4年に1度、農閑期の8月下旬に行われるようになりました。古代ギリシャにおいて、小麦の収穫が終わった夏になると、食糧を求めて隣のポリスの収穫を奪い合うといったように、ポリス(都市国家)同士の戦争が続いていました。そうした夏の農閑期の争いが絶えない時代であったにもかかわらず、オリンピックの開催期間は、聖なる休戦期間とされ、一切の戦争は禁止されました。休戦は平和の為と言うよりは、選手や観客など大会参加者の安全を確保するためのものだったと言われています。

 

また、開催時期に関して、暦学的には、月の満ち欠けを使用した太陰暦に基づき、「夏至のあとの2回目(または3回目)の満月の日がオリンピア祭典の3日目になるように計算されていた」そうです。なぜ、3日目なのかというと、オリンピア最大の見せ場が、祭典が始まって3日目にあるからです。その日は、ゼウス神へ100頭の雄牛(牡牛)が捧げられ、神官や審判団、各国からの祭礼使節、100頭の牡牛とその曳き役、選手、コーチら関係者が神域を一周した後、ゼウスの大祭壇に奉納された牡牛(おうし)の喉がかき切られ解体されたそうです。こうした点で、古代オリンピックは、当初、神(々)に捧げられる神事であったことがわかります。競技会そのものも神々への奉納であったわけです。

 

 

  • オリンピアの遺跡

 

現在残されているオリンピアの遺跡は、祭壇や神殿などがある神域、クロノスの山に沿って広がる競技場(スタディオン)や闘技場(パレストラ)、神域とクラデオス川の間に選手たちの練習場だった体育施設(ギムナシオン)と宿泊施設(レオニデオン)、さらに評議会場(ブレウテリオン)などの区域に分かれています。神域には、真ん中にゼウス神殿があり、その周りに勝利の女神ニケ像や、ゼウスの妻であるヘラ神殿、神々へ捧げる生贄のための祭壇と宝物庫などがありました。

 

また、古代オリンピックでも、聖火は灯されていました。ギリシャ神話では、プロメテウスという神が、ゼウスから天界の火を盗んで人間に与えたので、人間は火を使うようになったという話しがあります。そのため火は神聖なものと考えられ、古代オリンピックの期間中、ゼウス神殿やヘラ神殿など開催地のオリンピアの神殿には火が灯され続けました。近代オリンピックで、聖火の採火式が行われるのはヘラ神殿です。ただし、現在のように聖火を点灯する式典は古代オリンピックでは行われていませんでした。開会式もありませんでした。

 

 

  • オリンピックは男子のみ

 

古代ギリシャは完全な男性中心の世界でしたので、オリンピアの祭典に選手として参加できるのはギリシャ人の自由民の男子だけでした(自由自由民とは両親ともがギリシア人のこと)。もっとも、ローマ時代になるとギリシア人は自らをローマ市民と名乗るようになるため、両親のどちらかがギリシア人またはギリシャ語を理解できる者であれば参加できるようになりました。ただし、奴隷や外国人、女性の参加は認められていませんでした。オリンピアの祭典を一目見ようとギリシャ全土から観覧者が集まってきましたが、基本的には男性のみであったという現実がありました。

 

また、古代オリンピックでは、選手とコーチは全裸であったそうです。当時のギリシア人は鍛え抜かれた肉体など人間の表面的な美を追求し、そこに価値を見出していたと言われています。こうした背景もあってか、競技はすべて個人戦で団体戦はありませんでした。これも個人の修錬と努力を神々に見せるものだったからだと解されています。

 

 

  • オリンピアの祭典

 

オリンピアの祭典で行われる競技の基本は徒競争で、第1回オリンピックの競技種目はスタディオン(競技場)を走る徒競争のみでした。その後、槍投げ・円盤投げ・幅跳び・レスリング加わり5種目競技となりました。古代オリンピックでは「5種目を制する者が真の優勝者だ」と言われたそうです。最終的には、ボクシングや戦車競走などが追加され18種類の競技が行われるようになりました。競技種目の増加を受け、開催期間も当初は1日だったものが、5日間の開催となったと記録に残されています。

 

選手たちは開催日の前の満月の日(約30日前)に、オリンピアの祭典の開催都市であるエリスの街へ到着し、ゼウス神に対して、参加の意思を宣言しなければなりませんでした。また、そこで、競技の審判からの最終チェックを受け、その力が一定の基準に達していないと判断された者は、参加資格を失ったそうです。

 

祭典の初日は、神の前で宣誓式が行われました。その日の朝、選手とコーチたちは神域に入り、並び立つ審判越しにゼウス像を見ながら、父の名の下に「ルールを守り不正をすることなく全力で戦う」ことを誓います。同時に、審判団も「公正なる判定を行い、オリンピアの祭典を汚さない」ことを誓ったされています。2日目は、戦車競技と、前述した5種目競技がありました。戦車競技の中でも4頭立馬車による「競馬」が人気だったそうです。

オリンピアの祭典が最も盛り上がるのが、3日目であったとされ、すでに説明したように、ゼウス神へ100頭の雄牛が生贄として捧げられる行事でした。この日の競技が終わると、夕方からは大宴会となり、祭壇に捧げられた肉を受け取ることができました。解体された牡牛の大腿部がゼウスのために焼かれ、残った部位を皆で食べたとされています。

 

4日目の種目は格闘技と武装競争でした。格闘技はレスリングとボクシングとパンクラティオン(総合格闘技)で、どちらも相手が降参するまで戦ったとされています。祭典最後の競技となる武装競争は、重曹歩兵の装いを装備してスタディオンを1往復走るものです。

 

これですべての競技は終了し、最終日は勝者を称える表彰式が行われました。ゼウス神殿には、象牙と黄金のテーブルの上に、勝者の数だけオリーブの冠が用意されていたと言います。勝者たちは聖域の中でも最も神聖なゼウス像の前で名前を読み上げられ、その冠を頭に載せられました。その瞬間は最も神に近付く瞬間と表現されています。表彰式を終えてゼウス神殿から出るとコーチや友人たちに担がれて音楽に合わせて行進をしたそうです。戦いの後に優勝者だけの豪華な祝宴があり、このオリンピアの聖域に自らの像を置くことを許されたと言われています。

 

 

  • オリンピアの祭典の落日

 

こうして続いていた古代オリンピックは、ヘレニズム時代をを経て、BC146年にギリシャがローマ帝国に征服された後も続きました。それはローマがギリシャ文化を積極的に導入していたからで、皇帝ネロをはじめ初期の歴代の皇帝によって、オリンピックも手厚い保護を受け、さらに発展をしていきました。

 

その後3世紀からのゲルマン人のペロポネソス半島侵入やキリスト教の隆盛により、ゼウス神の祭りであったオリンピックは次第にその勢いは衰えていきました。特に、キリスト教が公認され、392年のローマ皇帝が発令した異教徒祭祀の禁止令が出されたことが決定的となりました。西暦393年、293回を数えた古代オリンピックは廃止され、1200年に及ぶ歴史の幕を閉じてしまいました。オリンピアのゼウス神殿は、邪教のものとして破壊され、オリンピアの街は廃墟と化し、現在も、崩れ落ちた石のかたまりが点在するだけとなってしまっています。

 

 

  • 近代オリンピックの誕生

 

オリンピックは、19世紀末、フランスのクーベルタン男爵が、古代ギリシアのオリンピアの祭典をもとにして、世界的なスポーツ大会を開催する事を提唱したことをきっかけに復活しました。近代オリンピックは、1896年4月、第1回大会が、古代オリンピックの故郷ギリシャのアテネで開催されました。ただ、かつてのような神事の意味合いはなく、スポーツで世界を結びつける平和の祭典と位置づけられ、現在に至っています。

 

 

<参照>

古代ギリシャからリオデジャネイロまでオリンピックの聖火の歴史をたどる

意外と知らない「オリンピック聖火」の長い歴史

東京五輪の開幕に向け3月にギリシャで採火(2020/02/11、東洋経済)

オリンピックの原点がここに!(Tabiyori)

オリンピックの創始者ヘラクレス

古代オリンピック・戦前のオリンピック(共立女子大学)

オリンピア

聖なる祭典(世界史の目)

古代オリンピック競技大会

Wikipediaなど

 

2020年04月25日

ニュース:宗教者の祈り 東大寺にて

宗教も宗派も超え祈る 新型コロナ終息願い 「最後の一人まで救い尽くす」

(2020年4月25日、毎日新聞)

 

新型コロナウイルスの感染拡大終息を願い、宗教や宗派を超えて毎日正午に祈りをささげようと、奈良市の東大寺は24日、高野山真言宗やカトリック大阪教区などと大仏殿前で共同会見を開いた。東大寺の狹川普文(さがわふもん)別当は今月3日、「早期終息と感染により亡くなられた方々の追福菩提(ぼだい)を共に祈りましょう」とのメッセージをホームページに掲載、同じ思いを持つ人々と祈りの「時間」を共有しようと呼びかけた。

 

感染防止のため、屋外で行われた会見には、呼びかけに賛同した高野山真言宗の添田隆昭宗務総長やカトリック大阪教区の川邨(かわむら)裕明司祭のほか、手向山八幡宮(奈良市)、円照寺(同)、金峯山寺(吉野町)の関係者ら7人が出席。周囲との距離を2メートル空ける「ソーシャルディスタンス(社会的距離)」を保って臨んだ。

 

2020年04月19日

仏教:釈尊の生誕を祝う「花まつり」

キリスト教徒は、イエスの誕生をクリスマスとして祝うように、仏教徒は、お釈迦様の誕生を「花まつり」の日に祝います。今月8日はその「花まつり」の日でした。

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  • 釈迦の誕生日はいつ?

 

仏教の「花まつり」とは、毎年4月8日にお釈迦様のご生誕をお祝いする行事で、正式には「釈尊降誕会」、「灌仏会(かんぶつえ)」、「仏生会」などと言います。明治時代以降、「花まつり」と広く称されるようになりました。この日は、ほぼ宗派に関係なく全国の寺院や地域をあげてお祝いされるそうです。

 

釈尊の母、マーヤー王妃(麻耶夫人=まやぶにん)は、なかなか子供ができませんでしたが、ある夜、夢の中に、6本の牙を持つ白い象が現れ、マーヤー王妃の右脇からお腹の中へと入っていきました。夢から覚めると、王妃は釈迦を身ごもっていたそうです。この逸話に因んで、花まつりの際に、白い象に乗せた花御堂を引いて子供たちが界隈を練り歩く、稚児行列を行うところもあります。当時から、「白」は穢れのない清浄な色、「象」は神聖な生き物とされていました。

 

確かに、釈尊(ゴータマ・シッダールタ)は、今から約2500年前の4月8日、インドのルンビニーの花園(現ネパール連邦民主共和国)で生まれたとされていますが、その典拠は不明です(明確に記録した資料はない)。実際、生まれた年は、紀元前11世紀から紀元前4世紀の広い範囲で諸説があります。誕生の日の4月8日も、大乗仏教で中国暦に基づいた日にちです。日本ではこれにちなんで4月8日(または5月8日)を花まつりの日としています。

 

これに対して、小乗仏教では、インド太陽太陰暦の2月15日を釈迦の誕生日として、ウェーサーカ祭りと呼ばれる祝典が盛大に催されています。なお、この日は、釈尊の生誕の日であるだけでなく、悟りを開いた日、また涅槃に入定(死去)した日でもあるとされています(ウェーサーカは「第二の満月」の意味)。日本でも、鞍馬寺で5月の満月の夜に行われている「五月満月祭」の秘儀、「ウエサク祭」が有名です。

 

大乗仏教(北伝仏教):広く衆生の救いを目的として、ユーラシア大陸の中央から東部にかけた地域で信仰されてきた。

小乗仏教(上座部仏教):個人の悟りを目的として、インド、ネパール、スリランカ、タイ、カンボジア、ミャンマーなどに伝わった。

 

 

  • 花御堂・誕生仏・甘茶

 

釈尊は、ルンビニーという花園で、生まれてすぐ、(東西南北に向けてそれぞれ)七歩、歩いて、右手は天を、左手は地を指して、「天上天下 唯我独尊(天にも地にも、ただ独り、(個としての)我が尊い=誰もが皆、平等に尊い存在である)」と唱えたと言われています。また、この時、九頭の龍があらわれ、釈尊に、天から甘露の雨(甘い味のする雨)を注いで、産湯としたとの言い伝えが残されています。

 

こうした伝説から、日本では、たくさんの花々で飾った小さなお堂(「花御堂」)を作り、御誕生の姿を型どったお像(「誕生仏」)を安置して、甘露の雨を表現した甘茶をかける風習が生まれました。花御堂(はなみどう)は、釈迦が誕生したルンビニの花園を模したもので、「花まつり」の名称の由来にもなっており、花まつりの原語である灌仏会(かんぶつえ)の「灌」とは水を注ぐという意味があります。花御堂には、「灌仏桶(かんぶつおけ)」と呼ばれる浅い器を置いて甘茶で満たし、その中央に、天と地を指すポーズをとった誕生仏(たんじょうぶつ)が安置されています。花まつりの際には、参拝者は、柄杓で甘茶をすくい、この釈迦像に甘茶を掛けることで、釈迦様の誕生日を祝います。

 

花まつりに使われる甘茶は、ユキノシタ科の植物「アマチャ」の若葉を煎じたもので、生薬としても知られ、無病息災の効験があるとして重宝されています。多くの寺院では、花まつりの参加者に甘茶が配られ、持ち帰った甘茶を家族みんなで飲んで、無病息災を祈ったと言われています。このお茶をつけて赤ちゃんの頭を撫でると丈夫に育つとか、このお茶で墨をすって習字をすると字が上達するといった言い伝えも残されています。ただし、奈良時代から江戸時代ごろまでは、甘茶ではなく香水(こうずい)という水が使われていたようです。

 

 

  • 花まつりの歴史と現在

 

日本で灌仏会(花まつり)が最初に行われたのは、推古天皇14(606)年のことだとされ、奈良時代から盛んになったされています。ちなみに、盂蘭盆会(うらぼんえ=お盆)が始まったとされるのも推古朝の同じ年です。現在、花まつり(灌仏会)は、大乗仏教系の寺院で行われ、参詣は自由だそうですが、日蓮正宗など、お釈迦さまを本仏としない宗派では開かれていないとのことです。

 

 

<参考>

4月8日はお釈迦さまの誕生日。花祭りの由来としきたりは?

(Lifull Home’s press)

花まつりとはいつ、何をする行事? どんな意味があるの?(カトトピ)

全日本仏教会HP

Wikipediaなど

 

2020年04月18日

社会:コロナウィルスと5Gの不思議な関係

新型コロナウィルスについての情報を探っていると、「えっ」とさせるフレーズが飛び込んできました。「コロナウィルスと5G」、その内容を見ると、「5Gの基地局があるところで、新型コロナウィルスが猛威を振るっている…」。こうした話しは、陰謀論として一笑に付されるところですが、その内容は意外と耳を傾けるに値する論点もあるように思われました。そこで、「コロナウィルスと5G」の関係がどのようにネットの世界で議論されているかを紹介してみたいと思います。
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◆ 5Gとは?

5Gとは、Wi-Fiと4G技術の大部分を受け継いだ、第5世代の移動通信回線のことで、5Gを利用することによって、高速・大容量に加え、多数同時接続、高信頼・低遅延(リアルタイム)通信が実現でき、遠隔教育、遠隔医療、テレワーク、VR、ドローン制御、自動走行など幅広いニーズへの対応が可能となります。例えば、高速化に関していえば、携帯電話で、2時間の映画を3秒でダウンロードが可能になるといわれ、個人の利用だけでなく、産業やビジネス界においても、その恩恵を受けることができると期待されています。

 

2019年に、アメリカ、韓国、イギリスなど世界19ヵ国が5Gの商用サービスをスタートし、日本でも2020年春から、東京・大阪限定でサービスが開始されました。現在、世界200ヶ国以上の都市で5Gが運用されようとしています。

 

5Gとコロナの拡散

ところが、この次世代型の通信システム5Gの普及と、コロナウィルスの拡散と不思議なほど一致しているという指摘がなされているのです。

 

コロナウィルスの世界的大流行は、中国・武漢を震源地として、イタリアやイランで発生、さらに他の欧州諸国から、日本や韓国、アメリカへと拡散し、世界的大流行(パンデミック)となっています。日本では当初、なぜか北海道で感染が広がり、現在は、東京・大阪の都市部で感染が急増しています。これらの感染者が多かった国の地域では、すべて5Gが導入済みだったそうです。

 

湖北省武漢市は、5G設置の前線基地のような存在で、2019年10月から試験運用を開始し、現在、5G基地局が1万基以上展開されています。同市は、チャイナモバイルと提携し「武漢市5G基地局計画建設実施プログラム」と呼ばれる、2020年までに市内全体をカバーする5Gネットワークの構築計画を推進中です。武漢市以外にも、杭州市、上海市、広州市、蘇州市なども5Gの全面的な商業化を始める計画で、5G基地局が全体で13万基近く展開されているとの試算もあります。

 

ヨーロッパで最初に5G開始したイタリアでは、ミラノ近郊で、コロナウイルスの症例が多数確認されましたが、このミラノは5G展開が最も集中している地域でした。イランは日本同様テスト段階で、2020年3月に5G開始されたと伝えられています。アメリカでも発症している都市のほとんどが、すべて5G導入済みだったそうです。

 

日本の場合、北海道雪まつり会場で、集団感染(クラスター)が発生しましたが、その会場で、5Gのテストが行われていました。さらに、豪華客船ダイアモンド・プリンセスのWIFIは、SES衛星(ミリ波=5G)を使用していたとされています。

 

5Gの人体への影響

マイクロ波を含めた電磁波の人体への影響は、数十年前から進められ、広範囲にわたって解明されつつあります。

 

私たちの周囲には、低帯域(600MHz程度)からミリ波の高帯域(38GHz程度)まで、多数の周波源があります。ラジオやテレビのような周波(FMラジオで5KW~40KW)であれば、健康上の問題はありません。身体への影響が懸念されているのは、「ミリ波」です。「ミリ波」は例えば、空港のボディスキャナーにおいて使用されています。また、レーダーも同様で、4GHz~40GHzの周波数帯域の高周波エネルギー(放射線)を発信しています。

 

5Gでは、大幅な高速化を実現するために、60GHz周波数帯が使用されます。「ミリ波」の問題点は、従来の低周波数帯と比べると、長距離通信の信頼性が低いことだと指摘されています。そのため、アクセスポイント同士の距離を縮めて、小規模なアクセスポイントを大量に設置する必要があります。5Gが機能するには、サッカー場より少し広い程度の領域をカバーする小区画を構成しなければならない(2〜10世帯ごとにセルタワーが必要)と言われています。そうすると、アクセスポイントが増やされ、基地局と住宅との距離が縮まることで、より多くの電磁波(放射線)にさらされる可能性がでてきます。

 

実際、5G の RF放射線(ラジオ波/高周波放射線)は、低線量でも短時間の被爆でも有害であるとの研究結果も出されています。「5Gの RF 放射線は、発ガン性を持ち、DNA 損傷を引き起こす」とさえ断言する学者もいます。

 

イギリスやアメリカ(ノースカロライナ州)で、建物の壁に鳥たちが次々と自ら衝突して集団自死する事案が発生したり、欧州では、草を食べていた牛たちが、突如としてバタバタと倒れていった事件などが報告されているそうです。これらの「怪奇現象」が起きた地域では、最新の5Gテクノロジーが導入されていたとされています。

 

この観点に立てば、人体に対する安全性の検証もせずに何万本もの5Gアンテナを設置することは、地球上のあらゆる生命を脅かす行為となってしまいます(もっとも現在は、安全性は科学的に立証されているという立場に基づいて、5Gは推進されている)

5Gとコロナの関係

 

では、この5Gとコロナのつながりは何のでしょうか?5Gで使用される60GHz周波数帯は、最も酸素を吸収するスペクトル(周波数帯)なのだそうです。生物学的には、60GHz(5G)が放射されれば、分子レベルで電子の軌道を狂わせ、血液中のヘモグロビンと酸素の結合能力を阻害される酸欠状態となってしまうと指摘されています。さらに、専門家によれば、ウィルスはマイクロ波の放射線を好むので、5Gのマイクロ波を浴びると、人体はウイルスの培養地になると言われています。

 

新型コロナウィルスが出かけた当初、「インフルエンザに毛の生えたようなもの」と言われたこともありましたが、上の見解に従えば、インフルエンザを発症した状況下で、60GHzの放射線を受ければ、O2欠乏の肺疾患を引き起こし(コロナウィルスに感染)、重症化、死亡に到るという事態を引き起こしていたということになります。

 

さらに、5Gのマイクロ波及びミリ波の放出が「免疫機能への全身性感染」を有するとの検証結果も実は出されているそうです。これが正しければ、5Gは免疫系を弱めウイルスを変異させるため、5Gの普及により、人々は普通の風邪でも、コロナウィルスに容易に感染してしまうとも言われています。また、酸素欠乏状態の発熱者に、血液を薄くする解熱剤を投与すれば、状態が深刻化するのは必至となってしまいます。

 

なお、新型コロナウィルスの症状は、一般的な肺炎と異なり、痰を伴わない空咳、呼吸困難を伴うと言われていますが、これは放射線誘導性の肺損傷の症状と一致するそうです。

 

こうした背景から、スイス政府は、2020年2月、5Gが健康に与える悪影響への懸念が拭えないという理由で、5G移動通信システムのネットワークの使用停止を命じました。EU本部のあるベルギーのブリュッセル市も、5Gが電磁波の安全基準を満たしていないという同じ理由で、5Gテクノロジーの受け入れを拒否しています。

 

以上が、コロナウィルスと5Gについて、ネット上で論争されている概略です。個人的には、情報通信テクノロジーの進捗は、今後も衰えることなく進んでいくものと思われます。それでも、「iPhone」や「Galaxy」など、5Gの携帯電話に、規定値を大きく超える「放射線量」が検出されないのか、また、5Gの60GHzに対して、80GHzのミリ波を歩行者に照射するとされる自動運転車は別の意味で安全なのか、など検証が必要になってくるではないかと思われます。電磁波の問題についてはまた別の機会に取り上げることにします。

 

 

2020年04月16日

キリスト教:イースター(復活祭)の祝典

2020年4月12日、全世界のキリスト教徒が祝ったイースター(復活祭)についてまとめました(投稿「キリスト教、復活祭」を参照)。

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  • イースターとは?

 

イースター(Easter)はイエス・キリストの復活を祝う祭で「復活祭」とも言われます。イエスは、人類が犯した過ちや罪を一身に背負って、十字架にかけられて処刑された後、3日目に復活したと、キリスト教徒の間では信じられています。そして、イエスが蘇えられたように、イエスを信じる者は、誰でも罪が許されて天国へ行き、永遠の命を持つと考えられました(信じる者は救われる)。ですから、キリト教において、イースターは、クリスマス(イエス・キリストの降誕祭)と並ぶ重要な行事となっており、イースターを祝って、学校が数週間休みになる国もあるそうです。

 

モアイ像で知られる南米のイースター島も、1722年、オランダ海軍がこの島を発見した日がイースターだったため、「イースター島」という名をつけたと言われています。

 

 

  • イースターの由来

 

イースターという名前は、北方神話(ゲルマン神話)の春の女神エオストレ(Eoster)や春の月エオストレモナト(Eostremonat)に由来しています。春の女神は太陽とともにやってくると考えられ、イースターは、もともと春(=女神)の到来を喜ぶお祭りでした。ですから、太陽が昇る東を「イースト(East)」と呼ぶようになったとも言われています。そうすると、イースターの祝祭は、本来、キリスト教とは関係のない春のお祭りだったものが、キリスト教の布教の際に、春の祭りとキリスト復活のイメージが結びついて、普及していったと考えられています。イースターとは、キリストの復活と春の到来を祝う祭りなのですね。

 

 

  • イースターの日付け

 

イースターは、紀元325年に開かれたニカイア公会議という世界教会会議において、「春分の日の後で、最初の満月の日の次にくる日曜日」と定められました。ですから、毎年4月12日がイースターというわけではありません。そうすると来年以降のイースターは以下のようになります。

 

2021年4月4日(日)

2022年4月17日(日)

2023年4月9日(日)

2024年3月31日(日)

2025年4月20日(日)

 

「日曜日」にイースターを祝うのも、イエス・キリストの復活されたのが日曜日であったからだとされています。

 

なお、これは、カトリックやプロテスタントなど西方教会の場合で、東方正教会(ギリシャ正教)では日付が異なり、4月19日が2020年のイースターとなります。これは、東方正教会がユリウス暦を、西方教会がグレゴリオ暦を基にしているからです。

 

ユリウス暦とは、ローマのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、紀元前46年に制定した太陽暦で、一年を365日とし、4年に一度366日の閏(うるう)年を置きました。ところが、ユリウス暦では約128年につき1日の誤差が生じるという問題点があります。結果として、16世紀後半になると、実際の春分が暦より10日早くなってしまったのです。そこで、ローマ教皇グレゴリウス13世が1582年にグレゴリオ暦を制定して、計算上の工夫を施し誤差を可能な限りなくしました。この結果、日本を含め現在多くの国で使われているグレゴリオ暦では、イースターの日は3月22日から4月25日の間に収まっています。

 

 

  • イースターエッグとイースターバニー

 

イースターの日になると出てくるのが、卵(イースターエッグ)とウサギ(イースターバニー)です。卵は、新しい命が生まれ出てくるという意味で、生命や復活の象徴し、ウサギは多産であるため、繁栄や豊穣の象徴とされています。

 

 

<参考>

「イースター」って何のイベント? いつ、何をすればいいの?

実はクリスマスよりも大事!?「イースター」の意味と楽しみ方!

イースター(復活祭)のミニ知識と由来

キリスト教の復活祭?春になると聞く…けど実はよく知らない「イースター」の豆知識

 

2020年04月14日

ニュース:キリスト教「復活祭」

キリスト教の復活祭 ミサを少人数に 教皇は結束呼びかけ

(2020年4月13日、NHKニュースウェブ)

 

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受けて、ことしのキリスト教の復活祭=イースターは大きく様変わりしています。ローマ・カトリック教会ではミサを少人数で行い、フランシスコ教皇は世界が結束して、新型コロナウイルスの対応にあたるよう呼びかけました。

 

フランシスコ教皇は12日、バチカンのサンピエトロ大聖堂でキリストの復活を祝うイースターのミサを執り行いました。ミサには例年、多くの信者が参加しますが、ことしは新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、参加者は少人数にしたうえで、一人一人の距離をあける異例の形式となりました。

 

ヨーロッパでは各地の教会がミサを中止したり非公開にしたりしていますが、一部の教会はミサの様子をインターネットで中継して、世界的な危機に信者がともに祈りをささげられるようにしています。中東のエルサレムでは、新型コロナウイルスの影響でキリストの墓があったとされる聖地の教会が閉鎖されていますが、12日は復活祭にあわせて、数人の聖職者がひっそりと祈りをささげる様子がSNSを通じて発信されました。

 

エルサレムの旧市街にある聖墳墓教会は、キリストが十字架にかけられたゴルゴタの丘や、キリストの墓があったとされる聖地です。ふだんの復活祭のシーズンは、世界中から数万人の巡礼客が祈りをささげに訪れますが、ことしは先月25日以降、教会の入り口のドアは閉ざされ、一般の人は訪問が禁止されています。聖墳墓教会が閉鎖されたのは、ペストが世界的に流行した1349年以来とも言われています。

 

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ローマ教皇フランシスコが復活徹夜祭、「恐れるな」と呼び掛け

(2020.04.12、CNNニュース、一部抜粋)

 

キリスト教のイースター(復活祭)を前に、ローマ教皇フランシスコは11日、バチカンのサンピエトロ大聖堂で「復活徹夜祭」を執り行った。教皇はイエス・キリストが復活した時に語ったとされる「恐れることはない」という言葉を引用し、「恐怖に負けてはいけない。これは希望のメッセージだ。私たちに向けられた言葉だ。神様はまさに今夜、この言葉を繰り返される」と説いた。徹夜祭には例年、数千人が集まるが、今年は新型コロナウイルス感染拡大による封鎖措置を受け、規模が大幅に縮小された。復活祭の儀式としては9日に「聖木曜日」のミサがあり、12日には現地時間午前11時(日本時間午後6時)から「復活の主日」のミサが予定されている。

 

2020年04月10日

皇室:「祈年祭」もかつての国家祭祀!

前回の投稿で紹介した神武天皇祭と同様に、戦前、国家祭祀であった行事が、戦後、GHQの方針で廃止され、現在は宮中祭祀として継続している皇室行事に祈年祭があります。今回は祈年祭についてまとめてみました。

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  • 祈年祭とは?

 

祈年祭(きねんさい)」は、毎年2月17日に、宮中の賢所で、五穀豊穣と国の繁栄、国民の幸福などを祈る祭祀で、天皇が御親拝にされます。もともと、立春の日である旧暦の2月4日に行われていましたが、明治維新の折、旧暦から新暦へ改暦されたことを受け、2月17日に固定されました。祈年祭は、「としごいのまつり」とも呼ばれます。「とし」とは稲の美称で、「こい」は祈りや願いを意味し、稲(米)を始めとする五穀の豊作を祈る祭りであることが確認できます。

 

 

  • 祈年祭の由緒

 

祈年祭の起源は、春に「田の神」に対して、年穀の豊穣(ほうじょう)を祈る農耕儀礼でした。豊作をあらかじめ祈るので、前祈りを意味する予祝(よしょく)祭という位置づけです。「田の神」は、稲の生育を守護する古来からある民間伝承の神です。稲作の豊凶を見守り、稲作の豊穣をもたらすと信じられています。

 

そうした民間の祭りが、天武天皇の時代(675年)、神祇官で行われる国家祭祀にまで発展し、国家規模で行われるようになりました。これは、古来からの農耕儀礼と、国をあげて穀物の実りを祈る中国の「大祀祈穀(たいしきこく)」という儀式の要素が取り入れられたからです。日本の社会は、弥生時代以降、稲作中心の農耕社会を基盤として成立しており、豊作を祈ることは国家の安泰、国民の繁栄を祈ることに他なりませんでした。ちなみに、稲などの収穫を神々に感謝する祭りが秋に行われている新嘗祭(にいなめさい)です。こうして、奈良時代には、祈年祭は、五穀豊穣に加えて、国家安泰と民の平穏を祈るという儀式に変わり、宮中だけでなく、日本のすべての神社で行われるようになったと言われています。

 

さらに、平安時代になると、天照大御神に天皇が豊作を祈願するという祭祀形態にまで、進化していきましたが、室町時代に入り、応仁(おうにん)の乱から戦国時代になると祈年祭は行われなくなりました。それでも、明治になって、重要な国家祭祀として復活、神祇官とともに、宮中や伊勢神宮、諸国の神社で祈年祭が再興され、官祭として執り行われるようになりました。しかし、第二次世界大戦後、GHQの占領政策によって、祈年祭は、国家祭祀ではなく、天皇家が行う宮中祭祀となりました。宮中祭祀は国事行為ではなく皇室の私的行為という位置づけです。

 

皇居では、今年も2月17日、天皇陛下が「祈年祭の儀」に臨まれ、宮中三殿で拝礼され、新たな年の豊作ご祈願されました(皇后さまは儀式が終わるまで、お住まいの赤坂御所で慎み深く過ごされた)。各地の神社においては、祈年祭、またはそれに類する同様の神事が行われています。皇祖を祀る伊勢神宮でも同様です。

 

 

  • 伊勢神宮の祈年祭

神宮では、「大御饌の儀(おおみけのぎ)」と「奉幣の儀(ほうへいのぎ)」が、外宮・内宮の両宮で執り行われます。

 

大御饌の儀(おおみけのぎ)は、天照大御神をはじめとする神々にお食事(神饌(しんせん))をお供えし、五穀の豊作と平和を祈願します。内宮での儀式では、正宮(しょうぐう)石段下にある御贄調舎(みにえちょうしゃ)で、神職が実際に調理したアワビなどが神饌として奉じられます。

 

大御饌の儀に続いて行われる奉幣の儀(ほうへいのぎ)では、皇室から勅使(ちょくし)が参向し、「幣帛(へいはく)」と呼ばれる陛下より送られた五色の絹などが奉納されます。(幣帛とは神に奉納するお供えもの)。勅使の参向の際、勅使の後を、平安の装束をまとった、陛下の妹の黒田清子・神宮祭主が続き、大宮司、神職らが内宮の参道を参進されるそうです。

 

祈年祭は両正宮に引き続き、約1週間にわたり、別宮・摂社・末社125社でも式典が行われます。なお、伊勢神宮での祈年祭の後、神宮祭主の黒田清子さんは、今年は赤坂御所を訪れ、陛下に祭祀を無事に済ませたことを報告されました。

 

<参照>

豊かな一年の実りを祈る「祈年祭」!…(Tenki.jp)

祈年祭 (日本大百科全書)

2020年の祈年祭はいつ?…(日本文化研究ブログ)

(皇室ウイークリー)陛下、新たな年の豊作ご祈願

伊勢神宮で一年の五穀豊穣祈る「祈年祭」(伊勢志摩新聞、2019年2月18日)

Wikipediaなど

2020年04月09日

皇室:幻の紀元節祭と建国記念日

先日から、春分の日に、宮中・皇霊殿で歴代天皇の霊を祀る「皇霊祭」と、宮中・神殿で天神地祇、八百万神を親祭される「神殿祭」について、また、神武天皇を偲ぶ4月3日の宮中祭祀「神武天皇祭」について説明しました。

 

宮中祭祀「皇霊祭の儀」とは?

神武天皇祭と神武天皇その人

 

「神武天皇祭と神武天皇その人」の中でも述べたように、「神武天皇が、東征の後、奈良の橿原(かしはら)の地で即位された日である2月11日は、明治6年に紀元節と定められました。その際、紀元節の建国の日に、「紀元節祭」という重要な祭祀が行われていたことは余り知られていません。今回は「紀元節と紀元節祭」についてまとめてみました。

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  • 紀元節とは?

紀元節(2月11日)は、日本書記によれば、紀元前660年1月1日(皇紀元年)に、初代の神武天皇が大和の橿原の地に宮を建て、初代天皇として即位した日(紀元の始まり)を祝う日です。紀元前660年1月1日が旧暦の元日で、1972(明治5)年に採用された新暦(太陽暦・グレゴリオ暦)に換算して2月11日を紀元節としました。

 

皇紀とは、初代天皇、神武天皇が即位した年を元年(紀元)とする日本独自の紀年法(暦の数え方)で、皇暦(すめらこよみ)ともいいます。なお、今年の2020年は皇紀2680年ということになります。

 

戦前の日本では、重要な宮中祭祀が行われる日を「祝祭日」としていました。紀元節に関しても、明治政府は、明治6年に、「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」(太政官布告)を制定し、この日を日本の建国を祝ふ日として祝日と定めました(その後、大正元年の勅令「休日ニ關スル件」がこれを継承)。

 

戦前の紀元節は、四方拝(現在の元旦)、天長節(現在の天皇誕生日)、明治節(明治天皇の誕生日、現在の「文化の日」)と並ぶ四大節(しだいせつ)の一つでした。

 

 

  • 紀元節祭とは?

 

紀元節祭」は、紀元節を祝う宮中祭祀で、紀元節が導入された同じ明治6年に宮中三殿の一つで歴代天皇・皇族の御霊をまつる皇霊殿(こうれいでん)で行われたのが始まりです(最初の頃は皇霊殿でのみ祭祀が執り行われた)。

明治41年制定の「皇室祭祀令」では、紀元節を大祭と位置づけ、天皇は皇霊殿だけでなく、皇祖天照大御神をまつる賢所(かしこどころでも、神武天皇を親祭されました(但し玉串は皇霊殿のみ)。(親祭とは、天皇みずから神を祭り、御告げ文を奏上する祭儀のこと)。午前中に大祭が執行され、午後6時より大御霊を御める神楽が夜半まで奏し続けられたと言われています。

 

1914(大正3)年には、全国の神社で紀元節祭が執り行われるようになりました。また、1927(昭和2)年の皇室祭祀令改正で、紀元節祭は、宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)で斎行されるようになり、祭祀も、朝、昼、夕の三度行われ、朝の儀は御饌が供進され、昼の儀は親祭、夕の儀は親拝のあと御神楽が奏されたといいます。

 

 

  • 紀元節と紀元節祭の廃止

 

しかし、敗戦後、GHQ(連合国総司令部)は、「祝祭日」が宮中祭祀、ひいては国家神道と関連が深いみて、「祝祭日」の廃止を指示しました。1947(昭和22)年に皇室祭祀令が、さらに昭和23年に、勅令の「休日ニ関スル件」がそれぞれ廃止されました。同年の「国民の祝日に関する法律(祝日法)」では、祝日から外されただけでなく、紀元節そのものが廃止されてしまいました。この結果、昭和24年以降、宮中において、神武天皇の建国を祝う紀元節祭は執り行われなくなり、現在に至っています。

 

 

  • 臨時御拝として継続

 

それにもかかわらず、昭和天皇は、「2月11日、紀元節祭は行はなくても当日は特別に拝礼をする」との意向を示されたとされ、宮中三殿にて臨時御拝(りんじぎょはい)を毎年2月11日に欠かさずなされたと言われています。形式的には、2月11日の旬祭(毎月1日、11日、21日に宮中三殿で行われる定例祭)にお出ましの後、お供へ物を改め、再び「臨時御拝」と称して祭典が行われているそうです。この2月11日の臨時御拝は、上皇陛下も今上陛下も受け継がれていると言われています。なほ、紀元節祭(夕の儀)で行われていた「皇霊殿御神楽」は、4月3日の神武天皇祭の夜に行われています。

 

 

  • 建国記念日

 

一方、GHQの圧力によって廃止された紀元節を復活させようとする動きも広がり、1966(昭和41)年に、祝日法が改正され、「建国をしのび、国を愛する心を養う」と定める「建国記念の日」が制定されました(「国民の祝日」となる)。全国各神社はこれにより、紀元節祭を紀元祭として復活させ、奉祝行事を行っています。こうして、紀元節は、「建国記念の日」の名称のもとに復活した形となっていますが、「神武天皇による建国の神話に基づく由緒」は、かき消された形で単なる休日と化している、との批判も避けられません。

 

 

<参考>

紀元節―日本の祝祭日

2月11日 紀元節 ~紀元節祭(大祭)の廃止~ 皇紀2679年

「皇室祭祀百年史」、八束清貫著

「昭和天皇のおほみうた」、鈴木正男著

「2月11日 建国記念の日にはどんな意味があるのですか?」京都府神社

Wikipediaなど