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2019年11月22日

ニュース:生物絶滅は隕石落下が原因か?

超古代史のなぞが、地質学の観点から明らかにされるきっかけとなりそうなニュースがありました。二つの記事を紹介します。

 

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1100万年前、巨大隕石落下か 南鳥島沖深海底の堆積物分析―海洋機構など

(2019年11月20日、時事通信社)

 

南鳥島沖の深海底で採取した堆積物から、約1100万年前に巨大隕石(いんせき)が衝突して生じたと推定される球状粒子を多数発見したと、海洋研究開発機構や千葉工業大、東京大などの研究チームが20日発表した。この時代のクレーターは陸上で見つかっていないため、巨大隕石は深い海に落下した可能性が高いという。堆積物の採取場所は南鳥島の南方、水深約5650メートルの海底下。南米大陸南端沖の深海底では約250万年前に巨大隕石が落ちた証拠が見つかっており、深海への落下が確認されれば2例目となる。大規模な津波を引き起こしたとみられるが、約1100万年前の痕跡は見つかっていない。

 

隕石衝突の年代推定には幅があるため、約1160万年前に地球規模で生物が大量絶滅した原因になった可能性も考えられるという。海洋機構の野崎達生グループリーダー代理は「今後は他の海域の深海底から採取した堆積物を調べ、巨大隕石の大きさや衝突地点を解明したい」と話している。論文は英科学誌サイエンティフィック・リポーツに掲載された。

 

南鳥島沖で2014年に海底鉱物資源を調査した際、採取した堆積物に含まれる白金族元素「オスミウム」の濃度が異常に高いことが判明。詳細に分析した結果、巨大隕石が落下、衝突した際の高温で溶融し、飛散して冷えて固まったとみられる物質を含む球状粒子が多数見つかった。

 

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最後の生物大量絶滅、隕石衝突が原因か 1160万年前 南鳥島沖に痕跡

(2019.11.20 産経新聞)

 

1160万年前に地球の生物が大量に絶滅したのは、巨大隕石(いんせき)が海に衝突したのが原因だった可能性があることを海洋研究開発機構などの研究チームが突き止め、20日付の英科学誌で発表した。生物の大量絶滅は、恐竜が絶滅した中生代白亜紀の6600万年前など3億年前以降に計11回起きたが、最も時期が新しく、人類の祖先である類人猿が繁栄していた1160万年前だけは原因が不明だった。

 

チームは小笠原諸島・南鳥島沖の水深約5600メートルの海底を掘削し、地層の試料を採取。分析の結果、オスミウムという元素が極めて高い濃度で存在することを見いだした。隕石や地下のマグマの活動が作るかんらん岩に多く含まれる元素だが、地層にかんらん岩は見つからなかった。また、中性子の数が異なるオスミウムの同位体の比率に宇宙で生じた特徴があり、地層の粒子に衝突の痕跡もあったことから、隕石の衝突に由来すると判断した。

 

オスミウム濃度の高さなどは、中生代三畳紀の2億1500万年前に地球に衝突し、直径100キロのクレーターが生じた直径3・3~7・8キロの隕石の痕跡に匹敵。そのため今回の隕石も直径数キロとみている。衝突時期は、オスミウムの年代測定で新生代中新世の1100万年前だった。大量絶滅が起きた時期とほぼ一致することから、隕石衝突が原因だった可能性があると結論付けた。

 

中新世の隕石衝突を示す陸上の大きなクレーターは2個見つかっているが、いずれも1500万年前ごろで今回と年代が合わないため、場所は不明だが海洋に落下したと推定。高温で海水が蒸発し、隕石に含まれる硫黄と反応して酸性雨が降り、地球環境の悪化をもたらしたとみられる。隕石が海に落下した痕跡の発見は難しく、これまで1件しか報告されていない。研究チームは「知られていなかった隕石の痕跡を発見した。今後は調査範囲を拡大し、詳しい落下地点や地球環境への影響を調べていきたい」としている

2019年11月22日

ニュース:両陛下、伊勢神宮に即位報告

天皇陛下「親謁の儀」で伊勢神宮外宮ご参拝

(2019.11.22、産経新聞)

 

三重県を訪問中の天皇、皇后両陛下は22日午前、伊勢神宮の外宮(げくう)(伊勢市)を訪れ、皇位継承に伴う一連の国事行為「即位の礼」と、一世一度の重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」を終えたことを報告する「親謁(しんえつ)の儀」に臨まれた。

 

両陛下は宿泊先の内宮行在所(あんざいしょ)を出発後、衣食住の神である豊受大神(とようけのおおみかみ)を祭る外宮にご移動。先に天皇陛下が祭儀の正装「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」姿で馬車に乗車し、「三種の神器」のうち剣と璽(じ)(勾玉(まがたま))とともに、正殿に通じる門に到着された。馬車は重要な皇室行事で使われる宮内庁の「儀装馬車2号」で、上皇さまが平成時の「親謁の儀」で乗られたものを修復した。

 

陛下は鳳凰(ほうおう)の飾りの付いたかさのような「菅蓋(かんがい)」が差し掛けられる中、歩いて正殿に昇り、玉串をささげて拝礼された。陛下のご拝礼後、十二単(じゅうにひとえ)姿の皇后さまが御料車で正殿へ向かい、同様の所作でご拝礼。両陛下は23日、内宮(ないくう)で拝礼後、帰京される。

 

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両陛下「親謁の儀」で伊勢神宮内宮ご参拝

(2019.11.23、産経新聞)

 

三重県を訪問中の天皇、皇后両陛下は23日午前、皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る伊勢神宮の内宮(伊勢市)を訪れ、皇位継承に伴う一連の国事行為「即位の礼」と、一世一度の重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」を終えたことを報告する「親謁(しんえつ)の儀」に臨まれた。

 

祭儀の正装「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」姿の天皇陛下は宿泊する内宮行在所(あんざいしょ)から、儀装馬車に乗車されて内宮・正殿に通じる門へ。正殿に昇り、玉串をささげ拝礼された。続いて十二単(じゅうにひとえ)姿の皇后さまが10日に行われた国事行為のパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」でも使用されたオープンカーで正殿に通じる門へ進み、同様の所作で拝礼された。両陛下は23日午後、帰京される。

 

一連の儀式を終えたことを報告される「親謁の儀」は今後▽27日に神武天皇陵(奈良県橿原市)、孝明天皇陵(京都市)▽28日に明治天皇陵(京都市)▽12月3日に昭和天皇陵、大正天皇陵(ともに東京都八王子市)-で行われる。

 

2019年11月22日

皇室:大嘗祭の歴史

前回は、報道で知らされる限りで、大嘗祭の「大嘗宮の儀」についてまとめましたが、今回は大嘗祭の歴史です。

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大嘗祭は、稲作を中心とした日本社会に古くから伝わる収穫儀礼の新嘗祭に由来する儀式で、1300年以上続く、即位に伴う最も重要な皇室祭祀です。戦国時代の前後に約220年間中断した時期もありましたが、江戸時代に再興され、現代まで受け継がれてきました。

 

大嘗祭の始まりは?

「古事記」と「日本書紀」には、皇祖神の天照大御神や古代の天皇が「新嘗の祭」を行ったとする記述があり、これらの歴史書が編纂された奈良時代より前から伝承されてきたとされています。実際は、飛鳥時代の7世紀頃に始まったとするのが、現在では一般的な考えです。

 

「新嘗祭(にいなめさい)」は、毎年11月、天皇が新穀(初めてとれたお米)を、皇祖、天照大神をはじめ神々に供え、自らも食し、五穀豊穣(ごこくほうじょう)と国家安寧を祈られる宮中祭祀です。「大嘗祭」は、その「新嘗祭」を即位後初めて、しかも在位中一度だけ大規模に行うものでしたね(⇒)。

 

 

天武天皇の時代に確立

当初は、毎年行われる新嘗祭と大嘗祭との区別はありませんでしたが、大嘗祭が一代一度の即位儀礼となったのは、7世紀後半の第40代天武天皇の時からです。正確には、天武天皇の673年に、大嘗祭が初めて行われ、皇后であった持統天皇のときに、毎年の新嘗祭と分離されました。ではなぜ、天武・持統期に大嘗祭が整備されたのでしょうか?それは、日本という国家意識の高まりと、日本的なものの継承という考え方の広がりがあったからだとされています。

 

まず、日本は、663年、朝鮮半島の「白村江の戦い」で、朝廷を脅かす隣国、唐と新羅の連合軍に大敗するなど、危機的な状況に陥っていました。そこで、国としての体制強化のため、律令制の確立が急がれ、飛鳥浄御原令などが編さんされました。日本独自の君主号としての「天皇」が用いられたのも天武朝からです(それまでは「天皇」ではなく「大王(おおきみ)」などと呼ばれていた)。

 

大嘗祭が整備される以前にも天皇の即位儀礼自体は存在していました。現代の皇位の証しである三種の神器(鏡・剣・玉)を継承する「剣璽等承継の儀」や「即位の礼」に相当する儀式です。もちろん、記紀(古事記・日本書記)には、「璽(みしるし)」「鏡」「剣」などが天皇(スメラミコト)に渡されたことが記されており、これらは日本に古より存在する儀式ですが、当時は、服装などのスタイルや様式に中国の影響が色濃く反映していました。これは、その頃の日本は、遣隋使や遣唐使を通じて、当時の先進国・中国から先端の制度や文化を導入し、律令国家としての体裁を整えようとしていた時代だったからです。しかし、中国の文化を積極的に取り入れつつも、「日本的なもの」を確保しようとして生まれた制度が、稲作を中心とした日本社会に古くから伝わる収穫儀礼である大嘗祭でした。

 

こうした背景から、大嘗祭は7世紀後半、毎年行われる新嘗祭と区別され、代替わりの儀式として、皇室の伝統になり、歴代天皇に継承されたのでした。その過程で、それまで伝承されてきた儀式が、国家祭祀に高められました。それに伴い、儀式そのものも時代とともに変化を続けてきたようです。平安時代に書かれた宮中の儀式書の「貞観儀式(じょうがんぎしき)」や「延喜式」、「江家次第」などで「大嘗祭」の次第が明文化されたと言われています。

 

その中で注目されるのが、「造酒児(さかつこ)」と呼ばれる童女の存在です。造酒児とは、大嘗祭の際、神に供える神酒を造る少女のことを言います。大嘗祭では、祭祀に使う稲穂を一番に抜き、稲と稲から造る神酒を造りのための米を最初につくというような一連の行為が、大嘗祭の当日までの儀式として取り入れられていて、その儀式を司る役を造酒児が務めていたのではないかと推察されているのです。つまり、大嘗祭は、造酒児が主役の前半と、天皇が主役となる後半との二部構成になっていたのではないかということです。

 

弥生時代に日本に広がったとされる稲作ですが、稲の収穫儀礼の主役は女性であったと見られています。遡れば、記紀神話の中で、稲作儀礼を行っているのは、天照大神や、神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつひめ)という女神です。そういえば、邪馬台国の卑弥呼も、呪術的儀礼を行いながら統治していましたね。古代の日本において、女性の役割が極めて大きかったことが伺えます。

 

 

途中中断された大嘗祭

さて、こうした長い歴史のある「大嘗祭」ですが、行われなかった時期もあります。
応仁の乱(1467~1478)をはじめとする戦乱や朝廷の困窮などを理由に、1466年の第103代後土御門天皇を最後に、大嘗祭は221年間、中断してしまいました。

 

復活したのは江戸時代の1687年、東山天皇の即位の時でした。朝廷再興を強く目指していた当時の第112代霊元天皇は、譲位を申し出て、後を継ぐ東山天皇の即位に際し、大嘗祭の復活を幕府に強く望んだのです。時の第5代将軍、徳川綱吉は朝廷の強い意向を認めた形でした。

 

当時は文治政治の時代で、幕府は、国内統治の手段として武力ではなく、秩序や儀礼を重視しました。上下の身分や階層秩序を利用することで、幕府の権力を維持しようとしたのです。大嘗祭を復活させることも、天皇や朝廷の権威を利用した幕府の保身と言っていいでしょう。

 

東山天皇に続く中御門天皇の即位の際には、大嘗祭は再び行われませんでしたが、徳川吉宗が、その次の桜町天皇即位に伴い、1738年に大嘗祭を再び復興させました。以後、大嘗祭は代替わりの度に実施されるようになりました。大嘗祭を含む天皇・朝廷の儀式も、統治の基盤の一つとしてしっかりやるべきだとして、幕府側から積極的に働きかけられたそうです。もっとも、江戸後期の朝廷は、財政も苦しく、内裏の庭に悠紀殿、主基殿と、神饌を調理する膳屋(かしわや)が一棟だけのときもあったと言われています。

 

 

近代から現代の大嘗祭

明治時代には皇室のあり方や儀式などについて定めた旧皇室典範などが制定され、「大嘗祭」は「即位礼」と並ぶ重要な儀式として位置づけられます。明治時代の終わり頃には平安時代の儀式書などを参考にしながら皇室の儀式などについて定めた「登極令(とうきょくれい)」が制定されました。例えば、「女性の稲作儀礼」を象徴する造酒児は、大嘗祭から姿を消しました。富国強兵を推進した明治政府は、武人としての天皇像を求めたことも要因になっていると言われています。

 

近代国家として天皇の権威を示すために、大正天皇の大嘗祭から、より大規模になっていきました。東日本の悠紀(ゆき)地方と西日本の主基(すき)地方の新穀だけでなく、「庭積(にわづみ)の机代物(つくえしろもの)」と呼ばれる農産物や海産物も供えられるようになり、大正以降は全国から特産品が寄せられるようになり、国民との接点も広がりました。

 

戦後になると、旧皇室典範や登極令が廃止されて新憲法が施行され、皇室制度が現在のものに改められました。前回、平成2年の「大嘗祭」は、新憲法で定められた政教分離の原則を踏まえて皇室行事として行われ、この考え方は今回の「大嘗祭」でも踏襲されています。ただし、「大嘗祭」の主な次第は平安時代の頃から基本的に変わっておらず、今回の儀式も長い伝統を踏まえた形で行われました。

 

<参照>

「大嘗祭」 儀式の内容から歴史までを詳しく

(2019年11月14日 NHK news web)

皇居で大嘗祭 未明まで伝統儀式

(時事ドットコム2019/11/15)

いよいよ大嘗祭 夜通し行われる「秘儀」とは?

(2019.11.14 週刊朝日)

「大嘗祭」で天皇はどんな秘儀をするのか、過去の例から紐解く

(2019/03/01、SAPIO2019年4月号

大嘗祭|皇位継承式典 平成から令和へ 新時代の幕開け

(NHK News Web)

<代替わり考 大嘗祭>(上) 密室で安寧と豊穣祈り

(2019年11月13日、東京新聞)

大嘗宮の儀、厳かに 即位行事「大嘗祭」の中心的儀式

(毎日新聞2019年11月14日)