盆踊り:もとは先祖供養のお祭り

 

前回の投稿では、お盆を取り上げました。お盆は、仏教を原点としつつも、迎え火・送り火による先祖供養、盆提灯や精霊棚飾りなど、日本古来の民族風習が色濃い行事でした。お盆の行事の一つである盆踊りも同様で、インドや中国にはない日本独自の風習です。今回はこの盆踊りについてまとめました。

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盆踊りとは、お盆の時期に踊る行事で、お祭りの会場などで櫓を囲み、浴衣を着た踊り子が円を描くように、民謡に合わせて踊ります。歴史を見ると、当時は、一つの敷地内で歌に合わせて回りながら踊るのでは無く、村や町の各家を回っていたと言われています(「新盆」「初盆」の家を意識して回っていたとされる)。

 

◆盆踊りの由来

 

盆踊りは、「仏教由来のもの」として始まったとされ、あるお経には、「阿弥陀様の教えを聞いたものは躍りあがって喜ぶ」という一節があり、これを盆踊りの起源とする見方もありますが、その由来は、一般的には、平安時代の空也上人や鎌倉時代に一遍上人がはじめた「踊り念仏(念仏踊り)」と見られています。

 

当時、比叡山の僧侶が、「常行念仏」(じょうぎょうねんぶつ)という修行をしていました。こは、叡山東塔や西塔の「常行堂」という施設の内部で、僧たちが念仏を唱えながら阿弥陀仏の周囲をぐるぐる行道(ぎょうどう)してまわるというものでしたが、山上の寺院堂内で行われていた念仏修行を、平安時代中頃に活躍した「空也(くうや)上人」が、京都のまちなかの民衆の間に持ち込んで、「踊り念仏」という形で広めました。空也は、念仏を人々に覚えてもらおうと工夫してリズミカルに歌うように念仏を唱え始め、その念仏にあわせて踊るようになったと言われています。

 

ただし、それでも当時は、今のようにまだ全国的には普及してはいませんでしたが、鎌倉時代中頃に活躍した一遍上人がでて、この「踊り念仏」を全国的に広めました。一遍上人と言えば、時宗を始められたことで知られています。神奈川県の藤沢にある時宗の遊行寺には、約700年前に一遍上人の一生を絵と物語で書いた国宝「一遍聖絵」(いっぺんひじりえ)があります。その中に、藤沢の片瀬や長野県の佐久で踊り念仏を行った絵があり、これが現存する踊り念仏の一番古い確証のある記録となっています。

 

その後、一遍上人は、「踊り念仏」を独自に進化させ、踊りが主となった芸能である「念仏踊り」を生み出したされています。(もっとも、「念仏踊り」自体は、古代から始まった「雨乞い」が由来だとする説もある)。

 

「踊り念仏」は、もっぱら「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら踊りました。集中して踊る事によって、人間が生きて行く上で積み重ねてしまいがちな「煩悩」を忘れ、「念仏」等を唱える事が目的であったとされています。これに対して「念仏踊り」は、唱えるのは念仏でなくてもよく、代わりに歌も唄うようになりました。「念仏踊り」の方は、宗派を問わず誰もが参加できるという特徴を持っていたので、全国的に広がるきっかけとなっていきました。今でも盆踊りが盛んな土地は、かつて一遍上人が全国行脚した時に訪れた土地であることが多いそうです。

 

 

◆現在の盆踊りへの進化

 

ただし、今でいう「盆踊り」が登場するのは、一遍没後かなりたった室町時代のことだったとされています。室町の踊りは、「派手」な風流(ふりゅう)踊りが代表的でした。風流とは、人を驚かすための華美な趣向であり、派手な踊りが踊られていたようです。1400年代に入って、お盆に、風流踊りを踊った記録も残されており、これが、盆踊りのスタートとみられています。このように、盆踊りは、踊り念仏が、念仏踊り、風流踊りを経て、盆踊りになったと考えられています。

 

では、どうして、室町時代に現在でいう盆踊りが始まったのでしょうか?これは、全国的に「念仏踊り」が広がって来た頃、念仏踊りが、もっと古くからあった先祖の魂を供養する「お盆」の行事や民間で伝わる踊り、例えば、精霊や祖霊を迎えて踊るという「精霊踊」や地域独自の「踊り」などと結びつき、現在の「盆踊り」の原型をつくったと考えられています。

 

もちろん、盆踊りが全国的に広がった背景には、「お盆」の普及ということがきっかけとなったことは間違いありません。当初、仏教行事(「盂蘭盆会うらぼんえ」)であった「お盆」も、室町時代になると、死者供養としての「盆」の観念が色濃くなってきます。

 

当時の念仏踊りもまだ宗教的な要素が強く、仏教行事の一つでしたが、お盆の影響を受けて、日本の習俗としての「先祖などの霊を供養」するための行事の側面が強くなったとみられています。お盆には祖先の霊が帰ってくるとされていますが、盆踊りも亡くなった人や祖先の霊を供養・もてなす意味も込められていき、お盆に帰って来た(お迎えした)故人や先祖の霊を慰め、無事に送り帰すための踊りとして受け継がれてきたのです。また、帰って来た霊が供養のおかげで成仏できた喜びを、踊りで表現しているともいわれています。

 

盆踊りは、通常、お盆の終わりの時期である8月15日の夜に開催されます。これは、16日には先祖の霊はあの世へ帰ってしまわれるからです。さらに、盆明けの16日は、先祖の霊と共に過ごす最後の一夜ということで、16日の朝まで夜通しで踊るのが通例だったそうです。

 

こうして、室町時代に始まった今でいう盆踊りは、江戸時代には、村々にまで浸透していきました。ただし、この頃になると、盆踊りは地域の人々の交流や男女の出会いの場となっていきます。江戸時代に多くの男女が一斉にあつまり一緒に楽しむような場は極めて少なく、盆踊りは数少ない男女の出会いのチャンスの場となり、若い男女が盆踊りを楽しみました。実際、盆踊りの歌の歌詞にははかなさや切なさなどの色恋めいた表現が多くあり、男女の出会いの場として踊られてきたという歴史的な事実も確認できます。

 

 

◆明治以降の盆踊り

 

明治時代、炭坑節に代表される産業関連の盆踊りが生まれはしましたが、明治期、盆踊りは、冬の時代を迎えてしまいました。それは、特に、江戸時代から問題が多かった盆踊りは、明治時代には「風紀を乱す」との理由によって取り締まりが行われたことや、文明開化の影響で、盆踊りそのものが古い因習とみられたためでした。

 

しかし、次の大正時代は、「大正デモクラシー」と言われたように、日本の文化が様々に見直された時代であり、日本の伝統文化が再発見され、復興した時期でした。盆踊りも、大正時代末期には再び復活し、再び日本の各地域で開催されるようになり、現代に継承されています。

 

現代の盆踊りも、先祖供養というような宗教的・習俗的な色合いは薄れ、娯楽性が強くなっています。一般的に、盆踊りは、地域ごとのお祭り(地域の一大イベント)として開催されることが多いため、地域の人々との交流の場、帰省した人たちの再会の場、さらには男女の出会いの場として、私たちの生活に根付く夏の風物詩となっています。

 

また、東京音頭に代表される、新しい踊り曲が作曲されはじめました。これが、新民謡の系譜で、現在でも作曲されている○○音頭というスタイルの曲になります。地域おこしの一環として様々な盆踊りが創作されました。

 

 

日本三大盆踊り

日本全国に今も数多く残る盆踊りには、何万人もの人が訪れるものから、町の集会所などで行われるような小規模なものまで様々ありますが、中でも有名なのは、「日本三大盆踊り」でしょう。

 

西馬音内の盆踊り(秋田)

西馬音内の盆踊り(にしもないのぼんおどり)は、秋田県の雄勝郡羽後町、西馬音内で開催される盆踊りです。毎年8月の16日〜18日まで開催され、国の重要無形民俗文化財にも指定されている700年以上の歴史ある盆踊りです。

 

郡上踊り(岐阜)

「郡上踊り(ぐじょうおどり)」は、岐阜県の郡上市八幡町で開催される盆踊りです。毎年7月中旬から9月上旬まで開催され、8月13〜16日には徹夜で夜通し踊る「盂蘭盆会(徹夜踊り)」が行われます。

 

阿波踊り(徳島)

徳島県徳島市で開催されるのが「徳島市阿波踊り(とくしましあわおどり)」です。毎年8月12日〜15日に開催され、起源はなんと400年前の江戸時代までさかのぼります(阿波踊りについては別の投稿がある)。

 

 

<参考>

盆踊りの由来 | 盆踊りの世界

盆踊りとは?由来や歴史、有名な盆踊りも|いつから始まった? – 四季の美

盆踊りの由来と歴史、仏教との深い繋がり

仏教ウェブ入門講座

超便利、冠婚葬祭マナー

盆踊りの歴史にとんでもない事実が…!盆踊りの本当の意味や起源

盆踊りの歴史にとんでもない事実が…!盆踊りの本当の意味や起源

盆踊りとは?由来や歴史、有名な盆踊りも|いつから始まった?

芸能史からみた盆踊りの原点、盆踊りの世界

 

(2020年3月28日、最終更新2022年6月3日)