2019年12月02日

伝承:モリヤ神とミシャグジ神

諏訪大社の祭神は、記紀に伝わる出雲神話の神、建御名方神(タケミナカタノカミ)ですが、11月7日の投稿「諏訪大社と住吉大社」で、「もともと諏訪にはモリヤ(洩矢)という土着の神様がいましたが、そこにタケミナカタがやってきて、戦いの末に諏訪の地は奪われた」という伝承があると紹介しました。そこで、今回は、諏訪の土着の神、モリヤ(洩矢)神、さらには、モリヤ神を調べていくうちにでてきたミシャグジという神様に注目してみました。

(本投稿から初めて読まれる方は、「諏訪大社と住吉大社」の諏訪大社の項目を読んでからの方が理解が深まると思います。)

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建御名方神vs洩矢神

「古事記」の国譲り神話には、出雲の国の伊那佐の小浜で、天孫族の建御雷神(タケミカヅチ)との力比べに敗れた建御名方命(たけみなかたのみこと)は、諏訪(洲羽)に逃れてきて、諏訪の神になったと書かれていますが、諏訪にはタケミナカタ以前に「洩矢(モリヤ、モレヤ)の神」がいました。

 

洩矢神は、諏訪大社に祀られているタケミナカタ(諏訪明神)の諏訪入りに抵抗した土着神とされています。室町時代初期に編纂された「諏訪大明神画詞」にも、「大和朝廷による日本統一の前の時代、諏訪の地には、洩矢(もりや)神を長(おさ)とする先住民族が狩猟を主体として住んでいましたが、そこに出雲王国の建御名方神(タケミナカタノカミ)率いる一族が、稲作の技術を持って進入して来た」という記載があります。

 

神戦の舞台は、江戸時代の伝承記録には天竜川のほとりとあります。現在でも両者の戦った場所は残っているとされ、出雲族の建御名方神の陣地跡には藤島明神(長野県岡谷市)が祀られ、洩矢神の陣地跡には天竜川を挟んで洩矢大明神が洩矢神社(岡谷市)に祀られているそうです。

 

戦いは、地主神の洩矢(モリヤ)神と洩矢族が負け、侵略者である建御名方神に諏訪の統治権を譲り、建御名方神が諏訪大社の御祭神と成りました。ただ、現在も建御名方神は、諏訪様(諏訪大明神)として、人々に親しまれています。これは、勝者である建御名方神が、侵略者としての圧政は敷かず、むしろ、洩矢族とともに諏訪を統治したことがあげられています。それどころか、この地に稲作を伝え、諏訪の国も豊かにしたことから、先住民である洩矢の人々と新しく来た出雲系の人々は、共存するようになったと言われています。さらに、建御名方神(タケミナカタノカミ)は、洩矢族の長を洩矢の神を祭る神官として認め、洩矢族に代々祭政を任せたのでした。今もこの神官の地位(神長官)を守矢氏が引き継ぎ、現在78代目(守矢早苗さん)なのだそうです。

 

守矢(もりや)氏

諏訪の土着の神、モリヤ(洩矢)神を氏神とする氏が、守矢一族とされ、守矢氏は洩矢神の後裔とみられています。前述したように守矢氏が受け継いできた神官名が、諏訪大社上社の神長官(じんちょうかん)です。この役職は、後述する「大祝(おおほうり)」という神職の即位式を含め、神事全般を掌握するだけでなく、土着の「ミシャグジ(ミシャグチ)」という神を降ろしたり上げたりするという祭事を担います。

 

大祝(おほいわり)とは、神職の最高位の階級で、成年前の童子が、決められた地域からそれぞれ1年毎に選ばれて即位しました。選ばれた童子は、即位式に当たり、神長官の屋敷の一室に一定期間籠り、儀式に臨みます。儀式は、諏訪大社前宮境内に、幕を引いて神殿を設け、そこで神長官(守矢氏)がミシャグジ神霊を呼び降ろし、「大祝(おおほうり)」に選ばれた童子に憑依させて現人神とするものだそうです。守矢(モリヤ)氏が代々務めた神長官(神長)は、「諏訪大社上社大祝(おおほうり)の職位式」などの神事を行ったり、呪術によって神の声を聴いたり、豊作祈願など祈祷する力などを持つとされました。

 

これに対して、諏訪神官の最高位である大祝という生神の位に就いた氏が、建御名方命の子孫である諏訪氏(神氏)です。諏訪氏といえば、戦国時代、武田信玄に滅ぼされた諏訪頼重が思い出されます。諏訪一族は、「大祝(おおほうり)」を代々務め、当時、頼重は信濃の名族・諏訪氏の惣領家でもありました。武田信玄は、諏訪の地を支配するために、諏訪頼重を討ち、頼重の娘を側室にしました。そして二人の間に生まれた勝頼を諏訪惣領家の後継に据えたのでした。

 

諏訪神社上社において、この「大祝(おおほうり)」を補佐して実質的に祭祀を取り仕切る役職が、洩矢神の子孫の守矢氏によって引き継がれた諏訪大社上社の神長官(じんちょうかん)という筆頭神官(諏訪大社の神職の長)の位です。そして、守矢(もりや)家が、古くから「七本の峰のたたえ」を守ることで、ミシャグジ神を祀ってきたと言われています。「七本の峰のたたえ」とはミシャグジが降りる木とされ、この内の一本が、守矢家屋敷の近くの「尾根(縄文時代の墓としての土坑)で、発掘されています。このため、守矢氏の氏神とされる洩矢神は、守矢氏が祀るミシャグジと同一視されることもあるそうです。そこで、洩矢(モリヤ)の神とミシャグジという神について、みてみましょう。

 

洩矢神(もりやしん、もりやのかみ)

侵攻してきた建御名方神(たけみなかたのかみ)との戦いに敗れた洩矢神には、守宅神(もりやのかみ、もりたかのかみ)と多満留姫命(たまるひめ)の二柱の御子神がいました。多満留姫命は、建御名方神の御子神・出早雄命(いづはやおのみこと)に嫁ぎました。このことは、土着神という洩矢神系と建御名方神の出雲系が婚姻したことを意味し、神話的には、戦いに敗れた守矢神が、娘を、建御名方神の御子に嫁がせ、延命と勢力保持を図ったという言い方が可能です。

 

洩矢神のもう一人の御子である守宅神は、洩矢神の祭政の跡継ぎとなり、千鹿頭神(ちかとのかみ)をもうけました(母神は未詳)。守宅神が鹿狩りの際、1000頭の鹿を捕獲した後に生れたことがその名の由来のようです(現在も千鹿頭神は、狩猟神として信仰されている)。

 

洩矢神

守宅神-多満留姫命

千鹿頭神

 

千鹿頭神(ちかとがみ)は、洩矢神の祭政官としての地位を、守宅神から引き継ぎましたが、後に松本、奥州へと追放されてしまいます。このため、千鹿頭神の後継者となったのは、建御名方神の孫である児玉彦命(こだまひこのみこと)でした(児玉彦命は、守矢氏の系図では四代目に数えられる)。このことは、土着の洩矢神の血族がこの段階で断絶してしまってことを意味します。その後、洩矢神の祭祀は、児玉彦命(こだまひこのみこと)から、その子の八櫛神(やくしのかみ)、そして守矢氏が引き継ぎました。ですから、守矢氏は、洩矢神の後裔と言われていますが、血筋は直接つながっていないことになります。それにもかかわらず、その祭祀を受け継いだ守矢氏は洩矢神を一族の遠祖としているのです。ということは、タケミナカタ系の守矢氏が、諏訪大社上社の神長官をし、「ミシャグチ」を上げ下ろししていたことになります。では、守矢氏が守ってきたとされるミシャグジとは、どういう神様なのでしょうか?

 

ミシャグジ(チ)

ミシャグジとは、記紀には登場しない、太古より日本に伝わる、諏訪湖の土着神で、ミシャグジに対する信仰は、大和民族に対する先住民の信仰とされていました。その起源は縄文時代から祀られてきたといわれ、当初は、主に樹木、笹、石など、自然万物に降りてくる精霊・自然神と言わています。また、諏訪の御射山(みさやま)をご神体とする山神として、マタギ(猟師)をはじめとする山人達から信仰されていました。

 

さらに、時代を経るにつれて、ミシャグジは、諏訪の蛇神であるソソウ神やモレヤ(洩矢)神、さらにはチカト(千鹿頭)神など、その土地の他の神々と習合して、龍蛇神や木石の神、狩猟の神という性質を持つようになったと考えられています。ですから、ミシャクジはこうした神々とも同一視されることもあるのです。

 

また、民俗学者の柳田國男は、ミシャグジを、大和民族と先住民がそれぞれの居住地に一種の標識として立てた塞の神(サイノカミ)=境界の神とみなしていました。塞の神とは、境の神の一つで、村や部落の境にあって,他から侵入する邪悪なものを防ぐ神だそうです。

 

前述したように、現在、ミシャクジは、諏訪大社上社に祀られ、ミシャグジ降ろしの祭祀において、神官に憑依して宣託を下す神です。大昔には、一年毎に八歳の男児が神を降ろす神官にあ選ばれ、任期を終えた神官が次の神官が決まると同時に人身御供(ひとみごくう)(人間を神への生贄とすること)とされるといった伝承も残されています。

 

ミシャグジ神を信仰する地域は、東日本広域に渡り、ミシャグジ信仰は、長野県の諏訪地方を中心に、山梨県、静岡県、愛知県、三重県、岐阜県、滋賀県など東日本の広域に渡って分布しています。全国のミシャグジを祀る神社は約1800社もあります(このうち長野県には750余りのミシャグジ社が存在)。諏訪大社上社の前原は、ミシャグジを統括する祭祀場だったとされています。その信仰形態は多様で、地域によって差異はあります。

 

ここまで、出雲の建御名方神(タカミナカタノカミ)が出雲に侵攻してくる(記紀の出雲神話では逃れてくる)以前にいた、諏訪地方の土着の神である、洩矢(モリヤ)神とその一族とされる守矢氏、さらには、彼らが祀っていたミシャグジ(ミシャグチ)という神様についてまとめてみましたが、さらに興味深い話しがいくつか続きます。

 

洩矢(モリヤ)神は、物部守屋か?

古代史を紐解けば、仏教の受け入れを巡り、587年、崇仏派の蘇我馬子に討たれた物部守屋という人物がでてくると思います。日本史の教科書には、この結果、神道護持の物部氏は滅び、仏教は朝廷に公認され、広く布教されていく事に・・・式の説明がなされています。

 

しかし、諏訪では、物部守屋は、蘇我氏との戦いに敗れた後、諏訪の地まで落ち延びて、この地に祀られたとの伝承があるそうです。その祀られた場所が現在の守屋神社(長野県伊那市)です(この諏訪にある守屋神社と、岡谷市にあるモリヤ神を祭る洩矢神社は別の神社)。さらに、諏訪大社の裏に‘守屋’山(もりやさん)という山があり、諏訪大社上社の御神体である神体山とされ、その神官が、古代この地を治めていた洩矢族の78代目の守矢氏です。

 

ところが、「もりやさん」の字は、ミシャグジ神を代々祭る神長官・守矢氏の「守矢」ではなく、物部‘守屋’の「守屋」であることが興味深いですね。さらに、守屋山の頂上には磐座があり、守屋神の奥の宮とされているのです。まさに、洩矢神も物部守屋、どちらのモリヤも同じ守屋山を御神体として、諏訪信仰の聖地に祭られてるのです。なお、物部氏と守矢氏の関係では、物部守屋の次男の武麿が、守屋山に逃れて、やがて守矢家へ養子入りして神長官となったという説があります。実際、その人物のお墓とされる古墳もあるようです。

 

古代イスラエルに遡る?

古代イスラエルには、「モリヤ」という聖なる地があったそうです。「イスラエルの失われた十支族」という伝承があるのはご存知ですか?旧約聖書に記されたイスラエルの12支族のうち、行方が知られていない10支族が日本にきていたというもので、この内のある支族が、紀元前のある時期に諏訪の地に入り、自らをモリヤ族と名乗り、狩猟を主としてこの地に安住していたとする説があるのです。

 

この伝承に従えば、諏訪の国を侵攻してきた建御名方神(タケミナカタノカミ)も、この「モリヤ」が何であるかを知っていたからこそ、洩矢族の祭っていた神を認め、諏訪大社にも祀られるようになりました。さらに、同じイスラエルの支族の物部氏も、大和政権成立後、政治の中心にいましたが、「崇仏論争」で蘇我氏に敗れた物部守屋は、同じ洩矢族を頼って諏訪まで落ち延び、そこで安住した…という説もでています。

 

日本とイスラエルの古代史を融合させるのは無理があるような気もしますが、実は、ミシャグジも関連性があるようです。そもそも、ミシャグジ(チ)という神名も珍しいですよね?この立場に立てば、ミシャグジ(チ)とは、正確には、ミサクチ=ミ・イサク・チだそうで、これはヘブルアラム語のミ・イツァク・ティン=イサクに由来するとされています。または、古代の神ということから、語源的にはアイヌの音に通じるという説もあります。古代史はまったく興味が尽きません。

 

<参照>

信濃國一之宮 諏訪大社(公式サイト) より抜粋

諏訪大社とはー御柱祭

諏訪大社/上社前宮(3)

日本の神様辞典、やおよろず

ミシャグジ神を祭る神長官守矢氏 古代史日和

倭国、大和国とヘブライ王国

諏訪大社・上社前宮/神旅、仏旅 むすび旅

トランヴェール2019/9JR東日本など

 

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