2019年11月27日

神社:出雲大社と神在祭

旧暦10月の「神無月」を出雲の島根県では「神有月(神在月)」と呼ぶという理由は、「全国の神様が島根県の出雲大社に集まるので、ほかの地域に神がいなくなるからだ」という伝承に関心が沸いて、神在祭それから出雲大社についてまとめてみました。

 

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 出雲大社

出雲の国は、神の国、神話の国として知られ、今も古の神社が多くあります。その中心が「大国主命(オオクニヌシノミコト)」をお祀りする出雲大社です。その本殿は高さ24メートルと神社では異例の高さですが、古代は48メートルだったと伝えらえています。これは、技術的に不可能とされてきたそうですが、00年に境内から巨大な柱跡が見つかり現実味を帯びてきたと言われています。

 

祭神:大国主神(オオクニヌシノカミ)

記紀神話によれば、大国主命(オオクニヌシノミコト)は、素戔鳴尊(スサノオノミコト)の子で、最初は大己貴命(オオナムチノミコト)という名前でした。ほかにも多くの名前があり、大物主神(おおものぬしのかみ)や八千矛神(やちほこのかみ)も、大国主神(命)のことで、神話のなかで物語が展開するたびに呼び名が変わっています。

 

さらに、大国主神は、小づちを持って俵の上に乗った姿が有名な大黒様(福の神)として慕われている神さまでもあります。大黒様(だいこくさま)は「天の下造らしし大神」と言われているように、大国主神は、国造りの神として広く知られ、少彦名神(スクナビコナノカミ)と協力し、国土を開拓され、農耕・漁業など殖産の方法を教えるなど、国づくり、村づくりに奔走されました。また、因幡の白ウサギを助けた神話にあるように、医薬の業を始めになって、医薬の神としての信仰も受けています。

 

大国主命(神)の子には、鯛と釣竿を持った恵比寿様として知られる事代主神(コトシロヌシノカミ)や、建御雷神(タケミカヅチノカミ)との力比べに敗れて諏訪へ隠遁したとされる建御名方神(タケミナカタノカミ)がいます。ともに国譲り神話に登場します。その大国主神も、国土を天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に譲ってお隠れになられ、出雲大社にお祀りされています。

 

出雲大社創建の由緒

有名な「国譲りの神話」の舞台となったのが、出雲大社に近くにある稲佐(いなさ)の浜です。神話によると、出雲の地を初めに治めていたのは大国主命でしたが、天上界の天照大神(アマテラスオオミカミ)が使者を送り、豊かな現実の世界である「現世=顕世(うつしよ)」の統治権を、自分の一族に譲るように求めました。この時、使者としてこの稲佐の浜に上陸したのが、建御雷神(タケミカヅチノカミ)でした。

 

大国主大神は、建御雷神(タケミカヅチノカミ)に「国譲り」を同意されますが、「私の治めている、この現世の政事(まつりごと)は、皇孫(すめみま=皇孫)がお治めください。これからは、私は隠退して幽(かく)れたる神事を治めましょう」と述べ、「国譲り」に応じる代わり、自らは死後の世界である「幽世(かくりよ)」を治め、かつ自らの住まいとして、今の出雲大社の建立するという合意がなされたと伝わっています。

 

出雲大社はまた、縁結びの神様として有名です。その背景には、大国主命は「幽世(かくりよ)」を治める神なので、目には見えない縁を結ぶ神であるという考え方が広がったことがあるようです。さらに、神無月(旧暦10月)に、全国から神々をお迎えして、縁結びや酒造りなどを含めた「幽れたる神事」について合議されるという伝承もここから生まれました。実際、旧暦10月は、全国の八百万(やおよろず)の神々が出雲の国に集まり、日本中の神々が出払い留守になるので、「神無月(かむなづき)」といいますが、出雲では旧暦10月は、「神有月(神在月)(かみありづき)」と呼ばれ、様々な神事が営まれます。

 

遷宮(せんぐう)事業

出雲大社では60年に1度の遷宮(せんぐう)事業があります。直近では、ご神体の移動を伴う「本殿遷座」が2013年に終え、屋根の修造などが16年まで続きました。

 

 

出雲大社の神事

全国の神々が集う出雲の各神社では「神迎祭(かみむかえさい)」に始まり、中心の神事である「神在祭(かみありさい)」、そして、神々をお見送りする「神等去出祭(からさでさい)」が行われます。

 

神迎祭(かみむかえさい)

記紀神話の「八百万神」が全国から島根県の出雲大社へ年に1度集まるとされる旧暦10月10日夜、稲佐の浜で、浜辺にしめ縄で囲った斎場が設けられ、全国からやってくる神々の目印となるように、かがり火(御神火)が焚かれます。斎場の中には、神籬(ひもろぎ)が2本、傍らに神々の先導役となる龍蛇神が海に向かって配置され、神職が祝詞をあげます。なお、竜蛇神(りゅうじゃじん)は、豊作や、豊漁・家門繁栄などの篤い信仰がある神々です。

 

この神事の後は、神職が、神々の乗り移った「神籬(ひもろぎ)」と呼ばれるサカキを絹垣(きぬがき)で覆います。そして、神聖な植物とされる菰が敷かれた「神迎の道」約2キロを、竜蛇神を先頭に、高張提灯が並び奏楽が奏でられる中、出雲大社まで進みます。浜から出雲大社への「神迎の道」は、延々と行列が続きます。この後、出雲大社神楽殿において、国造(こくそう)以下全祀職の奉仕により「神迎祭」が執り行われます。これが終わると、神々は、旅宿社(御宿社)である東西の十九社に、ひもろぎが奉安され、鎮まられます。

 

神在祭(かみありさい)

全国の神々は、旧暦10月11日から17日まで7日間、稲佐の浜に程近い、出雲大社西方950mに位置する出雲大社の摂社「上の宮(仮宮)(かみのみや)」で、神事(幽業)(かみごと)を、神議り(かむはかり)にかけて決められます。大国主命を主宰にしてなされる「神議(かみはかり)」は、1年間の縁結び(男女の結び)や来年の収穫など諸事が話し合われます。縁結びの神議りの様子については、「大社縁結図」(島根県立古代出雲歴史博物館所蔵)に、神々が、木の札にそれぞれ男女の名前を書き、相談してカップルを決めたあと、男女の札を結びつけて「縁結び」しているところが描かれています。

 

御宿社(神々が宿泊する宿)となる出雲大社御本殿の両側にある「十九社(じゅうくしゃ)」などでも、様々な神議りが行われる神在祭中の日のお祭りに併せて、連日お祭りが行われます。例えば、縁結大祭と呼ばれるお祭りがあり、大国主大神をはじめ全国より集われた八百万の神々に対し、世の人々の更なる幸縁結びを祈る祝詞が奏上されます。一方、地元出雲の人々にとって、この期間は、神々の会議や宿泊に粗相がないように、楽器を弾かず、家を建築しないなど、静かに謹んで暮らすことが求められているので、神在祭の間を「お忌みさん」と呼ばれ、神在祭そのものも、「御忌祭(おいみさい)」ともいわれています。

 

 

神等去出祭(からさでさい)

神等去出祭は、旧暦の10月17日と26日の2回にわたり行われ、17日は、人々のご縁を結ぶなどの神議(かみはかり)を終えた神々を見送る神事です。午後4時すぎ、全国から集まった八百万の神々は、宿泊場所とされる出雲大社境内にある東西の「十九社」から拝殿に移られます。その際、「十九社」にあった神籬(ひもろぎ)が絹垣に囲まれて移動されます。拝殿の祭壇に2本の神籬、龍蛇、餅が供えられ祝詞が奏上されます。その後、1人の神官が本殿楼門に向かい門の扉を三度叩きつつ「お立ち~、お立ち~」と唱えます。この瞬間に神々は神籬を離れ出雲大社を去られます。

 

旧暦17日が大社からお立ちになる日だとすると、26日は神々が出雲の国を去られる日です。ですから、26日の祭典は、特に神様が出雲の地を去られたということを大国主大神に報告する儀式となります。なお、出雲大社の他に、日御碕神社や朝山神社、神原神社、神魂神社、多賀神社、佐太神社で神在祭があり、それが終わると旧暦26日、万九千(まんくせん)神社から神々はそれぞれの国に還られるとされています。

 

<参照>

「神在月」出雲観光ガイド

八百万の神々、出迎え厳か 出雲大社「神迎神事」

(山陰中央新報2019/11/7)

稲佐の浜で八百万神お迎え、島根 出雲大社近くで神事

(2019年11月6日 秋田魁新報)

島根 神々が旅立ち、「神在月」の出雲大社

(2019年11月14日、朝日)

 

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