2019年09月23日

伝承:今度は「青森にキリストの墓」説

昨日の投稿で、「モーゼの墓が日本にある」とする石川県羽咋市の伝承を、読売新聞の記事を通して紹介しました。今回は、その記事の中にもあった「キリストの墓が青森にある」という、昨日同様、一般の方が聞けば、荒唐無稽としか言いようのない話しをお伝えしたいと思います。モーゼのストーリーと同様、このテーマに果敢に取り組まれた読売新聞の森記者の記事(抜粋)です。

―――

「青森にキリストの墓」説

読売新聞(夕刊) 2019年8月7日(水)

6月に「モーゼの墓」(石川県宝達志水町)を紹介しましたが、同じく日本にあるという「キリストの墓」も見ておこうと思い立ちました。場所は青森県新郷村戸来(へらい)。キリストはヘブライがなまって戸来になったのだそうです。(大阪編集委員 森恭彦)

 

青森空港から車に乗り、八甲田山を超え、十和田湖を経て2時間余り。国道454号を走行していると「キリストの墓」という道路標識が見えてきます。国道ですから、国も「キリストの墓」の存在を認めているということでしょうか?車を降りて坂道を200メートルほど上がると、小高くなったところに円形の塚が二つ、それぞれに人の背丈より高い十字架が立っています。説明板によれば、向かって右が「十来塚」といい、キリストの墓。左は「十代塚」で、キリストの弟イスキリだそうです。キリストにそんな弟がいたとは初耳ですが。それぞれの墓に花が供えられていて、墓と墓の間にエルサレム市から「友好の証し」として贈られたという石板が埋め込まれています。

 

周辺は公園になっていて、「キリストの里伝承館」という教会風の建物もあります。村の歴史や民俗芸能を紹介する資料館なのですが、目玉は「キリスト伝承コーナー」でしょう。管理している新郷村ふるさと活性化公社の事務局長、角岸秀伸さん(50)に聞きました。「伝承といっていますが、元は『竹内文書』です。これを世に出した竹内巨麿が1935年、村を訪れ、墓を発見したのです」

 

この「文書」に収録された「キリストの遺言書」の写しがガラスケースに収まっています。ゴルゴダの丘で磔(はりつけ)になったのはキリストではなく、弟のイスキリという人物で、キリストはシベリアを経由して日本に逃れた。そして、戸来に居を定め、十来(とらい)太郎大天空と名乗って106歳まで生きたというのです。イスキリの墓にはキリストが携えてきた遺髪と耳が葬られているそうです。驚いたことに、村にキリストの子孫もいるそうです。キリストはミユ子という20歳の女性をめとり、3人の娘をもうけた。長女が嫁いだ沢口家が代々「キリストの墓」を守ってきたのだそうです。

 

「竹内文書」は神武天皇以前の超古代文明について書かれた有名な偽書です。これだけでは世間が相手にしなかったでしょう。ところが「墓」の発見直後の37年、山根キク(菊子)という社会活動家が「光は東方より」という本を刊行、戦後しばらくして出した改訂版「キリストは日本で死んでいる」も現在、なお版を重ねるロングセラーで、「墓」の存在は広く知られることになったのです。山根の本には当時の沢口家当主、三次郎との会見記も出ています。「キリストの容貌と、此の澤口氏の容貌とは瓜二つとも云うべき」とか。館内には三次郎の写真も掲げられていますが、キリストの顔が分からないと比べようがないですね。

 

村では赤ん坊の顔に十字を書く習俗も実際あったそうです。そうしたことをこの本は学術的な装いで記述しています。信用する読者もいるのでしょう。「祖母の記憶があまりなくて」という一郎さんですが、自身も村を訪れました。毎年6月の第1日曜日に営まれる「キリスト祭」に列席。式はなぜか神式なのですが、墓の周りを浴衣の女性たちが「ナニャドヤラ」「ナニャドナサレノ」「ナニャドヤラ」と歌いながら踊っていたそうです。これが「神をたたえる古代ヘブライ語の軍歌」という説もあるとか。村にはキリストが来たことを信じる人はいないようですが、村の習俗のアピールはなかなかのものです。

―――――

実は、「キリストの墓説」があることは既に知っていて、8月12日の投稿「裏『祇園祭』ってあるの!?」でも言及していました。ただ、「石川県にモーゼの墓」を含めて、これらの伝承について論じるほどこの分野の知識が私には乏しいので、今回は、こうした伝承があることだけをお伝えして、コメントを控えます。それでも、イエスの墓に関して、一点だけ事実を付け加えます。それは、記事の中にもあったイエスの墓と、イエスの弟の墓の間にエルサレム市から「友好の証し」として贈られたという石板についです。

 

この石版は、「エルサレム・ストーン」という大理石で、表面にはヘブライ語で「この石はイスラエル国、エルサレム市と新郷の友好の証としてエルサレム市より寄贈されたものである」と刻まれているそうです。そして、2004年の除幕式には、何と当時の駐日イスラエル大使も参列されたそうです。政府を代表する大使が来られた…という事実に、このストーリーに隠された何かを感じてしまうのは考え過ぎでしょうか?

 

 

お名前
URL
MAIL