2019年09月10日

NHK:「昭和天皇は何を語ったのか」

9月7日深夜、Eテレで、NHKスペシャル“昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録「拝謁記」~”が再放送されました。番組は、初代宮内庁長官、田島道治が、昭和天皇との対話を詳細に書き残した「拝謁記」をNHKが入手し、戦後、昭和天皇がどういうお考えでいらっしゃたのか、またその当時の政治情勢を、昭和天皇と田島長官とのやり取りを通して描き出したものでした。

 

拝謁記(はいえつき)は、民間出身の田島長官が、長官就任の翌年、昭和23年から5年近く、昭和天皇との具体的なやりとりや、そのときの様子などを手帳やノート合わせて18冊に詳細に書き留めたもので、天皇陛下の祖父、昭和天皇の実像と占領期の実像を知る第一級の資料とされています。

 

この番組の中で、最も印象深かったことは、昭和天皇が、戦争への後悔を繰り返し語られ、1952年のサンフランシスコ講和条約後の独立記念式典の「おことば」で国民に深い悔恨と、反省の気持ちを表明したいと強く希望されていましたが、当時の吉田茂首相の反対で、最終的に敗戦への言及は削除されたという事実です。しかし、吉田総理の判断は、単に彼が頑強な保守政治家だったからなされたのではなく、それは天皇を守るために採られたものであったこと、特に、当時あった天皇退位論を抑えるという目的があったという事実もわかりました。では、この点について掘り下げてみたいと思います。

★☆★☆

 

封印された天皇の「反省」

昭和天皇は、田島長官に次のように語られ、「おことば」に反省の言葉を入れることを強くこだわり続けられました。

 

「私はどうしても反省という字を入れねばと思う」

「反省といふのは私にも沢山あると言えばある」

「『軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか、…それらを皆反省して繰返したくないものだ』といふ意味も今度のいふ事(おことば)の内にうまく書いて欲しい」

 

こうした昭和天皇のご意向を受け、「おことば」の草案が書かれ、田島長官が吉田首相にお言葉案を説明されます。それに対する吉田首相の反応です。

 

「『戦争を御始めになった責任がある』と言われる危険がある。」

「今日は、もはや戦争とか敗戦とかいふ事は、言って頂きたくない気がする…。」

「大体結構であるが、(反省ばかりでなく)いま少し積極的に新しい日本の方向というものを力強く示していただきたい」

 

これを受け、田島長官は「新憲法の精神を発揮し、新日本建設の使命を達成することは、期して待つべきであります」という言葉を加えたいとして最終案が作成され、吉田の大磯の自宅に送られました。数日後、首相からの返信が来ます。それを見た田島氏は慌てて、昭和天皇に相談します。それは、昭和天皇が反省の念を述べた、思い入れのある一説をすべて削ってほしいという要求があったからです。吉田総理大臣が、「おことば」の草案から削除を求めて、実際に削除された一節は、次の部分でした。

 

――――

国民の康福(こうふく)を増進し、国交の親善を図ることは、もと我が国の国是であり、また摂政以来終始変わらざる念願であったにもかかわらず、勢の赴くところ、兵を列国と交へて敗れ、人命を失ひ、国土を縮め、遂にかつて無き不安と困苦とを招くに至ったことは、遺憾の極みであり、国史の成跡(せいせき)に顧みて、悔恨悲痛、寝食(しんしょく)為(ため)に、安からぬものがあります。

――――

これに対して、昭和天皇は、「(それでも)私は反省をしなければならぬ、と思う」と譲られなかったそうです。

 

 

天皇退位論

吉田首相が、田島長官から昭和天皇の思いを聞いていたにもかかわらず、「反省」の部分を削除することにこだわった背景には、戦後直後からあった「昭和天皇退位論」が、この時期、再燃していたそうです。その急先鋒は、驚くなかれ、中曽根康弘元首相だったようです。番組ではこの辺りの事情を次のように再現してました。

 

国会において、中曽根議員は、「もし天皇が退位のご意志があるならば、平和条約発効の日が最も相応しいだろう」と、天皇陛下の意思さえあれば、平和条約発効とともに退位すべきだと述べたのです。これに対して、吉田首相は答弁として「これをいうものは非国民だ」と一蹴したと番組では紹介していました。

 

中曽根康弘という現在もご存命の大物政治家は、今では保守政治家の代表者のように言われていますが、若き頃は「風見鶏」と揶揄されていました。政治の風向きを読んで、自分の主張を180度でも変えるという批判です。当時、天皇退位論に乗っかた方がよいと判断されたのかもしれません。中曽根氏といえば、日本での原発推進の旗振り役された方でもありました。政治家にとって風を読むことは大事なことなのでしょうね。

さて、いずれにしても、この状況を受けて、田島長官は、昭和天皇に対して、「首相の思いとしては、せっかく今、声を潜めている退位論を呼び覚ます不安があること、今さら戦争とか敗戦などは聞きたくない、ということだ」と吉田首相の意図を説明されたそうです。結局、昭和天皇は、田島氏の努力を労いながら、憲法で定められた「象徴」として、総理大臣の意見に、最後は同意されたそうです。

 

私は、番組を通じて、昭和天皇が秘書役の田島長官に、自らの意見を存分に述べられていらっしゃったことに、何かしらの安堵感を覚えました。このほかにも、田島長官との会談を通して、当時の昭和天皇のお考えを知ることができます。

 

戦前の軍部と敗戦について

昭和天皇は、軍が勝手に動いていた様を「下剋上」と表現して、「考えれば下剋上を早く根絶しなかったからだ」、「軍部の勢は誰でも止め得られなかった」、「東条内閣の時は、すでに病が進んでもはやどうすることも出来ぬといふ事になっていた」と繰り返し語っていらっしゃったそうです。

 

戦後、「旧軍閥式の再台頭は絶対嫌だ」と、昔のような軍隊の復活には否定的でいっしゃいました。番組では、次のようなエピソードが紹介されていました。

 

1950年6月の朝鮮戦争を受けて、警察予備隊がその年の8月に発足した際、彼らが「捧げ筒」という銃口を上に向ける旧軍の儀式を行っていたのを、ごらんになられ、「例の声明には、反省するという文言はいれる方が良いね」と述べられたそうです。

 

 

戦後日本の再軍備について

朝鮮戦争勃発後、アメリカは日本に対して手のひらを返したように、日本に対して再軍備を求めました。そこで吉田内閣は警察予備隊を創設させますが、警察予備隊の位置づけに関しては、議論がありました。

 

吉田茂首相は、「経済力が回復するまでは国として軍隊を持たなくていい、アメリカにおんぶにだっこでいいじゃないか」という意見でした。番組では吉田首相の肉声を再現していました。「こないだダラスが来たときも、再軍備なんて冗談じゃない、と。日本の実情を知らないからそう言うことを言えるんだ、と本人にも言ってやりましたよ。日本としては、なるべくアイツを利用して、アメリカにおっかぶせて倹約しようと…」。吉田首相の豪快な一面は、自国の防衛は外国の軍隊に委ねることに疑問を呈してきた部下に対して、「番犬と思えばいいんだよ」と諭したエピソードなどでも知られていますね。

 

一方、吉田茂の政治的ライバル、鳩山一郎などの保守派は、「警察予備隊は、警察じゃなくて軍隊なんだから、いっそのこと憲法改正して軍隊にすればいい」と主張していました。ここに、護憲か改憲の議論も活発になったのでした。

 

さて、この極めて政治色の濃いテーマに、昭和天皇も自らのお考えを堂々と述べられていました。田島長官の「拝謁記」によれば、昭和天皇は「国として独立する以上、軍は必要」、「軍備の点だけ公明正大にして、堂々と改正してやった方が良い」と私的に発言なさっています。つまり、昭和天皇は、当時、保守派寄りの意見をお持ちだったのです。もちろん、「旧軍復活はダメ」という条件の下でではありました。

 

「拝謁記」にはまた、こうしたご発言をされた背景には、「当時、共産国が勢いを増し、東西冷戦の危機があった」と書かれています。さらに、昭和天皇は、田島長官に、「吉田首相にも質問の形で再軍備のことを促した方が良いよね」というような相談をされていっらっしゃたのですから驚き数倍です。

 

番組では、歴史家の秦邦彦氏が登場して、この件について次のように解説していました。

「ここでの日本の安保に対する天皇の意見は、第9条を改正して再軍備化するのは、国家として当然ではないか、と言っている。当然、旧軍閥の復活はダメだという前提はあるが…」。その一方で、「吉田茂は、『日本の経済力がまだ高くないうちは待ってくれ』という意味を込めて、再軍備には反対だった。天皇や保守派は、今後の危機を考えていっそのこと再軍備、を考え、吉田茂は現実的にお金がないから無理、と考えた」…

 

私は、共産主義の懸念以前の問題として、昭和天皇は、「国家が国民を守るために、軍隊を持つのは当然だ」という自然な良識から出されたご発言ではなかったかと思っています。また、吉田茂の考えは、単なる経済的な理由ではなく(お金のことは見せかけの理由)、深い思慮に基づいたもっと戦略的な動機があったのではないかと思っています。

 

では、再軍備に対する昭和天皇のご意見はどうなったのでしょうか?「拝謁記」では、田島長官は昭和天皇の意見に対して、「そういうことは政治のことゆえ、陛下がご意見をお出しにならぬ方が良いと存じます」と、首相にも言わない方がいいと助言されました。そして、昭和天皇もこれを受け入れられました。

 

★☆★☆

この番組を通して、私は、戦後日本に対する昭和天皇のご心労がいかほどであったか計り知れない思うと同時に、そのご心労を何よりも理解したであろう田島道治という人物の存在意義の大きさに感じ入りました。

 

<参考>

NHKスペシャル:昭和天皇は何を語ったか?

昭和天皇「拝謁記」入手 語れなかった戦争への悔恨

びぼうぶろぐ

お名前
URL
MAIL