2019年08月16日

祭り:伝統芸能としての「阿波おどり」

先日、8月13日の投稿では、阿波おどりをニュースとして紹介しましたので、今回は、阿波おどりについて、その発祥や経緯など歴史的な側面をまとめてみました。

 

阿波おどりの起源

「徳島市阿波踊り」は、徳島県発祥の伝統芸能で、「日本三大盆踊り」のひとつに数えられるお祭りです。その始まりは約400年前に遡り、阿波踊りの起源はおもに3つの説が有力とされています。時代順に説明すると次のようなものです。

 

ひとつは、盆踊りを始まりとする「盆踊り起源説」です。鎌倉時代の「念仏踊り」から続く、先祖供養の踊り(「踊り念仏」)を起源とする説で、悪霊を払うために念仏を唱える際に踊る念仏踊りのうち、特に盆の時期に先祖の霊を供養するために踊る「精霊踊」が原型をつくったと考えられています。

 

二つめは、能楽の元とされる風流踊りを発祥とする「風流踊り起源説」があります。戦国時代、「三好記」に、阿波板野・勝瑞城で風流踊りの催しの様子が記録されていることがその根拠となっています(「風流」とは着物や装飾に趣向を凝らしたもの)。

 

三つめは、「徳島築城起源説」で、1586年(展生14年)、徳島藩の藩祖・蜂須賀家政が、城主となる際、徳島城の築城を祈念して、城下の人々に城内での無礼講を許した際に踊られたという説です。「阿波よしこの節」にも、「阿波の殿様 蜂須賀様(蜂須賀公)が 今に残せし 阿波おどり」と歌われています。なお、家政の父、正勝とは、若き頃の秀吉に仕えたあの蜂須賀小六です。

 

 

阿波おどりの進展

こうした原型に、地域の独自性や時代の進展とともに生まれた形式が加えられ、現在の阿波踊りが出来上がっていきました。近世において確立された3つの伝統的な踊りの手法が、「ぞめき」、「にわか」、「組踊り」でした。「ぞめき」とは、阿波おどりのお囃子のことを言い、「にわか(俄)」は座興のための滑稽な踊りで、「組踊(り)」は、「町組」という社会集団が中心となって数人が組んで踊ることを言います。

 

さらに、文化・文政期(1804~1830年)に、藍商人や船乗り達が全国各地との文化交流の担い手となり、各地のさまざまな要素が阿波おどりに取り入れられ、徳島の伝統芸能として定着してきたとされまています。例えば、「阿波踊り」に流れる民謡は、熊本の「ハイヤ節」、奄美・八重山の「六調」、沖縄の「カチャーシー」、広島の「ヤッサ節」などとの共通点が多いと言われています。

 

1830(文政13)年頃に流行したお蔭参り(伊勢神宮への集団参拝)では、阿波衆は伊勢で「踊るも阿呆なら見るのも阿呆じゃ、どうせ阿呆なら踊らんせ」と囃して踊り狂ったと言われ、この時の踊りが好評を博し、全国的に阿波踊りが、知れ渡るようになったと言われています。

 

ただし、徳島藩は、古式精霊供養の踊りとしての「ぞめき」を重視したことから、「ぞめき」が急速に発展したとされています。特に、三味線が導入されたことが大きな引き金となったようです。その一方で、藩は、「にわか」、「組踊り」など他の踊りが、踊りの熱狂が一揆につながること弾圧し、何度も踊りの禁止令が出されました。1841年(天保12年)には徳島藩の中老・蜂須賀一角が踊りに加わり、乱心であると座敷牢に幽閉されたこともあるそうです。

 

この踊りの熱狂と言えば、1867(慶応3)年12月の幕末期の動乱には「ええじゃないか」が徳島に上陸しました。「ええじゃないか」とは、老若男女が「えいじゃないか」と言いながら歌い、踊り狂う民衆運動で、米屋や酒屋を襲撃する事件も多発しました。「ええじゃないか」は「踊り要素が強い」ことから、翌年、阿波一円で大流行していき、「ええじゃないか」は阿波踊りが発祥とする見方すらあるぐらいです。

 

明治から大正にかけての阿波踊りの様子は、その時代に晩年を徳島で過ごしたポルトガル人で、外交官・文筆家のモラエスが母国に送った「徳島の盆踊」の中でよく示されています。そこには、市民の熱狂ぶりが描写されているだけでなく、古来から続く「死者を敬う」先祖供養としての性格が強い踊りとして紹介されています。

 

大正時代末期から昭和にかけて、ラジオやポスターなどを通して徳島県外へ紹介されるようになり、全国へ認知されていきます。「阿波おどり」という言葉が定着するのもこの頃で、それまでは「徳島盆踊り」と呼ばれていました。1941年(昭和16年)には、東宝映画『阿波の踊子』(監督:マキノ正博、主演:長谷川一夫)が上映されています。ただし、第二次世界大戦により、徳島はB29による空襲で市内の約62%が焦土となったとされ、阿波おどりは中止を余儀なくされました。

 

しかし、終戦翌年の1946年(昭和21年)、まだバラックが建ち始めたばかりの状況の中にあっても、阿波おどりは復活していきました。戦後の徳島市民にとって、復興の象徴が「阿波踊り」だったのです。戦後のきわめて早い段階にすでに「連(阿波踊りを踊る団体・グループ)」が形成されたとされ、阿波踊りが急速に復興・拡大していきました。まさに、「阿波踊り」という民衆の文化が、荒廃した社会やまちを立ち直らせた精神的中核ともなっただけでなく、日本全体にその活力を供給し続け、文化的発信を続けていきました。その結果、阿波踊りを踊る人が急増し、全国へと阿波踊りの文化が広がっていきました。

 

 

阿波おどりの全国展開

1957(昭和32)年、東京・高円寺で阿波おどり大会が始まり、阿波おどりが全国で開催されるきっかけになりました。「高円寺阿波おどり」は、現在観客は85万人以上が来場し、首都圏最大規模のお祭りに発展しています。1970年(昭和45年)に大阪で開催された日本万国博覧会では、阿波踊りが披露され、これを契機に、海外遠征が行われるなど、阿波踊りは、「徳島のおどり」から「日本のおどり」として、広く認知されていきました。

 

目下、東京都内では、「高円寺阿波おどり(杉並区)」以外にも、「初台阿波踊り大会(渋谷区)」、「下北沢一番街阿波おどり(世田谷区)」など20か所近くで阿波踊りが実施されています。「高円寺阿波おどり」と埼玉県の「南越谷阿波踊り」は、本家の「徳島市阿波おどり」とともに「日本三大阿波踊り」に数えられています。さらに、首都圏以外でも、東は、北海道や福島県から、愛知県、西は、大阪府、長崎県などでも阿波おどり大会が開催されています。

 

400年超の歴史を持つ徳島の阿波おどりは、まさに全国の各地で開かれる阿波おどりの「総本山」と言えます。全国各地の踊り子は徳島を「聖地」と呼んでいるそうです。

 

今回はここまでです。次回は、「阿波おどり」から少し角度を変えて、「盆踊り」をとりあげてみたいと思います。

 

 

<参考>

阿波踊りの歴史(阿波おどり会)

約400年の歴史、徳島夏の風物詩「阿波おどり」

阿波踊りの歴史(阿波銀行)

阿波踊り:歴史、盆踊りの世界

徳島の阿波おどり、400年超の歴史(日本経済新聞)

 

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