2019年07月24日

歴史:「邪馬台国、畿内説」はもはや通説か?

百舌鳥・古市古墳の世界遺産登録を受け、仁徳天皇をはじめ古代の天皇について調べていたら、邪馬台国に行きつきました。こちらが勉強不足でしたが、邪馬台国が近畿にあったか九州にあったかの議論を飛び越えて、邪馬台国に関する新たな事実の解明が進んでいることを知りました。今回は邪馬台国の卑弥呼についてまとめました。

 

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邪馬台国の存在は、中国の歴史書「魏志倭人伝」の記述の中から、その存在が明らかになりました。古墳時代の前の弥生時代の後期に「日本は大きく乱れた」と言われ、それが「倭国大乱」と呼ばれる70~80年も続く争乱の時代でした。「魏志倭人伝」によれば、倭国で2世紀の終わりに大きな争乱があり、長い間収まりませんでしたが、邪馬台国の女王卑弥呼を指導者に立てることで鎮まったといいます。邪馬台国の女王卑弥呼は、「鬼道(きどう)に事(つか)え、能(よ)く衆を惑わ〉した」と書かれ、30の小国を従えるようになったとされています。鬼道とは呪術か、妖術かなど、その神秘性が卑弥呼人気を高めています。

 

ところで、2~3世紀に日本に存在したとされる「邪馬台国」ですが、歴史的に不明確なのは、邪馬台国後に誕生したとされるヤマト王朝(大和朝廷)との関係です。というのも、邪馬台国がどこにあったのか、という疑問に関して、近畿と九州の2つが有力だとされていました。「魏志」には、その方向と距離しか示されていないので、九州説と畿内説で、学者の見解が二分されてきました。もし、邪馬台国が近畿にあったなら、邪馬台国の中の力のある豪族が大和朝廷を開いたとする説が有力となり、逆に邪馬台国が九州にあったとしたら、邪馬台国は大和朝廷に滅ぼされたとの見方が優勢になると言われています。

 

近畿説、九州説どちらであっても、こ卑弥呼が死亡したのは、「魏志倭人伝」などの文献によって、3世紀中ごろの247年か248年とわかっています。そして、邪馬台国は、3世紀半ばに卑弥呼が亡くなり、その後男性が王に即位したものの政治が乱れたため、壱与という女性が王になったところ、争いが鎮まったと言われています。実際、266年、「晋書」という中国の晋の国の書物に 「倭の女王壱与(いよ)が西晋に使者を送る」ということが記されています。しかし、その後の邪馬台国がどうなったかは定かではありません。

 

一方、3世紀頃になると、奈良には大和王権の象徴とされる大規模な古墳が出現します。そして、古墳時代の始まりは、これまで3世紀末(大体280年ごろ)とするのが、考古学者の一般的な見方でした。つまり、邪馬台国も卑弥呼も、これまでは古墳時代とはあまり関係ない、と考えられていたのです。

 

奈良県桜井市には、出現期古墳の中でも最古級と考えられている「箸墓(はしはか)古墳」があります。この古墳は、奈良県纏向(まきむく)遺跡にある全長約280メートルの日本で最初の巨大な前方後円墳として知られたいます。宮内庁によれば、第7代孝霊天皇の皇女の倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメ)の墓とされています。これは、「日本書紀」の記述に基づくもので、「昼は人が造り、夜は神が造った」という不思議な伝説を伝えています。百襲姫(モモソヒメ)は、巫女のような存在と描かれ、三輪山の蛇神と結婚しますが、最後は箸で女陰を突いて死んでしまいます。そこから箸墓という名がついたと言われています。

 

この百襲姫(モモソヒメ)が、「魏志倭人伝」が伝える卑弥呼のシャーマン的な姿と重なることから、これまで、「箸墓(はしはか)古墳」は、倭国の女王、卑弥呼の墓とする説がありました。この「箸墓古墳=卑弥呼の墓」説が真実味を帯びつつあるのです。

 

考古学の世界で、弥生時代の集落跡である池上曽根遺跡(大阪和泉市)の発掘調査に活用された年輪年代法の結果が出て以来、これまでの近畿の弥生中期、後期を年代的に見直す動きが進んでいます。その結果、今では、古墳時代の開始を3世紀中ごろとするのがむしろ大勢となっているとのことです。そうすると、古墳時代の始まりが、卑弥呼の死亡時期とピタリと重なり、邪馬台国の時代と、古墳時代が時間的につながるのです。そして、日本で最初の巨大な前方後円墳である箸墓が卑弥呼の墓である可能性がにわかに高まっています。

 

さらに、箸墓(はしはか)古墳のある纏向(むきまく)遺跡の近くに、弥生時代の「唐古・鍵(からこ・かぎ)遺跡」があります。この遺跡は、弥生時代の日本列島内でも重要な勢力の拠点があった集落ではないかと見られていて、「近畿の首都」とも言われています。纏向(むきまく)遺跡の集落は、唐古・鍵遺跡の集落と入れ代わるように出現したとされ、しかも、ちょうど紀元180年ごろに突如として姿を現したとされています。この紀元180年というのは、卑弥呼が女王になったとされる時期と一致しています。そうすると、日本の古代史は将来的に次のように書かれているかもしれません。

 

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弥生時代の後期、倭国で2世紀の終わりに、「倭国大乱」と呼ばれる70~80年も続いた大きな争乱があったが、紀元180年ごろに出現した卑弥呼によって、国が治められ、畿内に邪馬台国が台頭した。倭国の女王、卑弥呼は、3世紀中ごろ死亡し、巨大な古墳が作られた(箸墓古墳)、古墳時代の幕開けとなった。邪馬台国はその後、滅亡し、大和王権が取って代わった。

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