2019年05月19日

神道:上賀茂神社と下鴨神社 賀茂氏とは?

先日投稿した葵祭は、祇園祭、時代祭と並ぶ京都三大祭の一つで、京都最古の歴史を有する上賀茂神社と下鴨神社(両社を総称して賀茂神社)の祭事です。今回は賀茂神社と賀茂氏(賀茂神社は賀茂氏の氏神)について解説します。なお、現在、上賀茂神社と下鴨神社とは別に、滋賀県に賀茂神社も存在しますが、ここでいう賀茂神社とは上賀茂・下鴨両神社の総称としての賀茂神社です。

 

上賀茂神社・下鴨神社

 

賀茂神社(賀茂社)の創始は太古に遡り、京都の社寺では最も古い部類に入ります。上賀茂神社の社伝によれば、「神武天皇の御代に賀茂山の麓に、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)が降臨した」とされています。第二代の綏靖天皇の御代(BC580頃)には神事が始まったと言われ、下鴨神社境内の糺の森から縄文時代の祭祀遺跡や旧境内から集落など発掘されています。一方、崇神天皇の時代(BC90頃)には、社殿が造営されたとの記録があることから、この頃に創建されたという説もあるようです。

 

欽明天皇の治世(544年)に、賀茂祭(葵祭)も始まりました。奈良時代には、山城国(京都)の神社の枠を超えて全国的な広がりをみせ、民衆さらには朝廷からも崇敬を受けました。また、上賀茂神社から下鴨神社が分置されたのも、奈良の天平の時代とされています。794年の平安遷都後は、「皇城鎮護の神社」として、807年は神社の格付け(社格)では最高位である「正一位」の神階を受け、賀茂社(賀茂神社)の祭祀は勅祭(天皇が使者を派遣して行われる祭祀)とされました。

 

さらに、810年以降、約400年にわたって、斎院が置かれ、斎王の制度が設けられました。斎王とは神社に巫女として遣わされた未婚の皇室の女性のことです。皇女を斎王として神のそばにおくことで、神への崇敬の念を表されたのです。この斎王の制度が適用されたのは、賀茂神社と伊勢神宮だけです。賀茂神社が、古来から朝廷の尊崇を厚く受けていたことがわかります。

 

明治に入って定められた近代の社格制度においても、賀茂神社は、伊勢神宮に次ぐ官幣大社の筆頭とされ、明治16年(1883年)には、祭祀に際して天皇により勅使が遣わされる勅祭社に定められました。上賀茂神社と下鴨神社両社の祭事が賀茂祭(通称 葵祭)です。現在では、その社殿と境内が国指定の文化財となり、平成6(1994)念には、世界の文化財として世界文化遺産に登録されています。

 

賀茂氏について

冒頭でも述べたように、賀茂神社(賀茂社)に最初に降臨したのは、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)であり、賀茂神社は賀茂氏の氏神です。実際、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)は、上賀茂神社の祭神となっており、上賀茂神社は正式には、賀茂別雷神社といいます。

 

では、賀茂別雷命が賀茂氏の始祖かというとそうではありません。山城国風土記によると、賀茂別雷命は、玉依日売(たまよりひめ)という神様を母としてますが、この時の出生にまつわる話しは極めて神話的です。玉依日売は、賀茂川で禊(みそぎ─身を清める儀式)をされていたとき、川上から赤い矢を流れてきて、その矢を拾われて、帰って床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命だというのです。この赤い矢は丹塗矢(にぬりや)といって神の化身とされ、依り代(よりしろ)、つまり神が宿る媒体になることがあるそうです。この時、この矢には、乙訓社の火雷神(ほのいかづち)もしくは大山咋神(おおやまくい)が宿っていたとされています。なお、玉依日売(たまよりひめ)は、記紀の「海幸彦・山幸彦」神話に登場し、神武天皇の母に当たられます。

 

下鴨神社には、玉依媛命(たまよりひめのみこと)とその父である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が祭られています。この賀茂建角身命こそ、賀茂氏の祖先神で、しかも、「神魂命(かみむすびのみこと)」のひ孫にあたります。神魂命(神皇産霊尊、神産巣日神)とは、天地開闢のとき、高天原にでた造化三神の一柱です。賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、八咫烏(やたがらす)の化身とされています。八咫烏は、記紀で神武天皇の東征の際、先導して勝利に導いた立役者として知られています。そうすると、賀茂氏が神武天皇による日本の建国を助けたという解釈も可能になります。神武天皇を初代とする現在の皇室と賀茂氏の関係は深く、天皇即位の儀式である大嘗祭(だいじょうさい)において、今も賀茂氏の一族の一人が灯りを持って新しい天皇を先導しています。

 

賀茂氏を調べていくと様々な興味深いことに出くわします。上賀茂神社と下鴨神社の祭事である「葵祭」でも知られるように、賀茂神社の神紋は「葵」です。江戸幕府の徳川家も葵紋を用いています。これは、徳川家の祖である松平氏が賀茂神社の氏子であったからだそうです。トヨタ自動車が本社がある豊田市は、旧三河国加茂郡に属していました。さらに、平安時代中期には、賀茂一族の中から陰陽博士の賀茂忠行を輩出し、その子孫は暦道を伝えました。陰陽師と言えば安倍晴明を思い出しますが、安倍晴明の師であったのが、この賀茂忠行で、その後、安倍氏と賀茂氏が陰陽道の宗家として君臨しました。

 

<参考>

日本神話・神社まとめ

日本の神様辞典

賀茂県主同族会

上賀茂神社・下鴨神社HPなど

 

 

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