2016年06月21日

訃報:旧民社党委員長 米沢隆 元衆院議員

先週、旧民社党最後の委員長で、新進党副党首や民主党副代表を歴任した元衆院議員、米沢隆さん(76)が亡くなられた。米沢さんは、保守王国宮崎にあって、旭化成の労働組合を支持母体に圧倒的な強さで当選された。旧民社党も参加し93年に発足した細川護熙政権で、小沢一郎氏とともに影の立役者として、政権運営の一翼を担われた。

 

細川政権崩壊後、民社党を英断で解体され、小沢氏と新進党を結成、その後の民主党の流れを作られた。小沢氏とはその時以来の実懇の仲と言われていた。葬儀には小沢氏も宮崎まで足を運ばれたそうでその関係が本物であったことが伺える。

 

さて、実は私も先の衆議院選挙では、ご挨拶も兼ねて先生のご自宅までおじゃましたことがある。私にとっては初めて直接お会いできた大物政治家であった。現職の時に倒れられたことで、補助がないと歩行が厳しい状態で、お体は大変そうでしたが、頭の方は聡明であられ、気さくに選挙のアドバイスや、宮崎の政治から国政まで含蓄のあるお話しを頂いた。当時、思ったことは、経験と信念からくる発言は重みがあり、説得力があるということであった。政治家の命は言葉であるとしみじみと理解させてもらえた。

「宮崎の有権者はね、頑固でね。そう簡単には動かないよ。」この一言で無名の落下傘候補の私には厳しい戦いになることはわかった。米沢先生もおそらく私の負けは予想されていたと思う。それより、「よくぞ決心して、宮崎から出てくれた」という私の行動を何度も賞賛して頂き恐縮し放しだったことを覚えている。

恐らく米沢先生は、私が選挙後も宮崎に残って、宮崎から政治家の道を歩むなら応援してやろうと思われていたのかもしれない。冗談のような本気のようなエピソードがある。

 

米沢先生「君は独身なのか?」
私「はい、今はそうです。」
すると先生はおもむろに同行して頂いた元秘書で現県会議員のTさんにこう言われた。
米沢先生「おい、誰か紹介してやれ」「名家に誰かおらんかったかなあ」と考え込まれた。慌てふためている私に気づかれたのか、先生は私に
「君もこれから腰を据えてやるんだったら、票が必要だろう」
と真顔でおっしゃられた。私は余りの展開の早さにどう応えていいかわからず、とにかくこの話題を切り上げなければと思い、とっさに
「はあ、でも女はコリゴリです」と答えると
「そうか、女は嫌いか」「ワッハハハ」と豪快に笑われ、「なら仕方ないなあ」とそこで話しは終わった。今思えば、あの時、私が「よろしくお願いします」と頭を下げれば、今の私とは違った私がいたかもしれないと思わせるような雰囲気であった。票や女性、これも政治の現実なんだろうなと実感できた貴重な体験だった。

 

米沢先生のご自宅を後にするとき、私は先生に、「アベノミクスをどう評価されていますか」とお聞きすると、間髪を入れず「あれは、うぬぼれ」と言われた。選挙戦の演説では、「アベノミクスはうぬぼれであれます」を連発した。

 

米沢先生は、政治家となってもっともっと教えを請いたかったお方だった。米沢先生には、ご冥福をお祈りいたします。本当は私も葬儀にかけつけたかったが、残念ながらできない現実があった。悔しかった。あれから一年半、私は何をしていると自責の念に駆られた。そして、静かな闘志が今また湧いてきている。とても静かだけど確かな思いである。

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