日本の祭り

日本人の心の原点である祭りを紹介します。

 

葵祭、御蔭祭

神田祭、山王祭、深川祭、三社祭

 

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葵祭

 

賀茂祭(通称 葵祭)は、京都の上賀茂神社と下鴨神社の祭事がです。欽明天皇の時代、国家の安泰や国民の安寧、五穀豊穣を祈るために開催されたのが始まりとされています。伝承によると、567年、国内は風雨によって五穀が実らなかったのは、賀茂の神々の祟りであることが占いに判明しました。そこで、祭礼を行い、馬の駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民に安泰がもたらされました。

 

806年には、葵祭(賀茂祭)が勅祭となり、天皇により勅使が遣わされ祭祀・奉幣されるようになりました。810年には、前述したように「斎院(斎王)」も置かれるなど、祭りは、朝廷の恒例祭祀に準じて行われる律令制度下の国家的行事になったのでした。

 

葵祭(賀茂祭)は、応仁の乱(1467~77)以降、江戸時代の1693年まで約200年間途絶えていましたが、徳川綱吉の時代に再興されました(1694年)。実は、葵祭りは当初は賀茂祭と言っていましたが、この頃より、葵祭と呼ばれ始めます。祭りの当日、「内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになった」からだそうです。

 

その後、明治維新(1871~1883年)や太平洋戦争から戦後(1943~1952年)の混乱期にも、中断や行列の中止がありましたが、現在も、平安時代の王朝風俗の伝統は継承されています。斎院(斎王)の制度は鎌倉時代に廃止されましたが、現在の葵祭において、昭和31年(1956年)以降は、一般市民から選ばれた未婚女性が「斎王代」として祭りが行われています。

 

葵祭は、祇園祭、時代祭とともに、京都三代祭の1つであるだけでなく、日本三代勅祭「春日祭、岩清水祭(南祭)、葵祭(北祭)」の1つともなっています。

 

<参考>葵祭りをさらに理解するためには、御蔭祭を知らなければなりません。

 

御蔭祭

 

御蔭祭は、下鴨神社の境外摂社である御影神社の祭礼で、日本最古の祭儀式とも言われています。かつて「御生神事(みあれしんじ)」と呼ばれた祭礼は、下鴨神社と上賀茂神社の「葵祭(賀茂祭)」に先だって、御影神社から神霊を本宮の賀茂御祖神社(下鴨神社)へ迎える神事です。

 

午前中、本宮の「下鴨神社」で、行列を整えて進発し、「御蔭神社」に向かいます。行粧が御蔭神社に到着すると、社前において、「荒御魂」の「御神霊」は榊の御生木に宿り、「神霊櫃」(しんれいびつ)という小箱に納められて、「御蔭神社」を出発し、山道を下ります。途中、摂社の「赤の宮神社」にて路次祭(道中での祭り)が行われ、舞楽が奉納されます。また、下鴨神社の境内に入ってくると、同じく境内摂社である「河合神社」で、御神霊は神馬に遷されます。ここでも参道では優雅な舞で知られる「切芝神事」が執り行なわれます。その後、御神霊を本宮に遷御する本宮の儀が行われます。

 

こうして、御蔭神社の「荒御魂」は「下鴨神社」の「和魂(にぎみたま)」と合体することで再生し、5月15日の葵祭本祭を迎えます。御蔭神社の御蔭祭は、「葵祭」に先立ち、本殿のご神体に神威を込めるための重要な祭儀といえます。

 

 

 

 

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江戸の三大祭り(神田祭、山王祭、深川八幡祭)と三社祭りを紹介します。

 

神田祭

 

東京の神田祭は、京都の祇園祭、大阪の天神祭とともに日本の三大祭りの一つであり、また、山王祭りと深川八幡祭りとともに江戸の三大祭りの一つでもあります。先日の神田祭りについて投稿しましたので、改めてより体系的に神田祭りをまとめてみました。

 

神田祭りとは

神田祭は、江戸総鎮守「神田明神」(神田神社)の祭礼で、江戸時代から続く祭事として2年に一度、5月に執り行われます。神田祭には、奇数の年に行われる「本祭(ほんまつり)」と、偶数の年に行われる「蔭祭(かげまつり)」の2つがありますが、一般に神田祭というと賑やかな本祭を指します。本祭りと蔭祭りとの違いは神輿がでるかどうかです。ですから、神田明神の大祭は、下町、現在の神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸ノ内など108氏子町の江戸っ子たちが神輿を競い合う祭りとも言えます。この神輿の出る本祭りは、山王祭と隔年で行われます(これが「2年に一度」の理由)。

 

また、もともとは9月15日に斎行されていた秋の祭りでしたが、嵐による被害が発生し、明治になって比較的天候の安定している5月に行われるようになったとされています。

 

神幸祭

神田祭の見どころは、平安装束(平安時代の皇族が来ていた衣服)をまとった500人ほどの行列「神幸祭(しんこうさい)」。神幸祭は神田明神を出発し、秋葉原の電気街や丸の内・大手町のオフィス街を通って、また神田明神へと戻ります。

 

神幸祭は、神田明神の周辺地域を守る神々が3つの神輿、大黒様を乗せた「一の宮鳳輦(いちのみやほうれん)」、恵比須様を乗せた「二の宮神輿(にのみやみこし)」、平将門を乗せた「三の宮鳳輦(さんのみやほうれん)」をはじめ、諫鼓山車(かんこだし)や獅子頭山車(ししがしらだし)などからなる1000人規模の大行列が、氏子の108町会を巡ります。

 

また、祭りに繰り出される大きな曳き物も、神幸祭の見どころの1つです。曳き物(ひきもの)とは、「日本の祭りでおもに男性たちが担いだり、引いたりする大きな車のようなもの」です。曳き物をひく人々の一団は、附け祭(つけまつり)と呼ばれています。登場する曳き物と附け祭は年によって異なります。

 

神輿宮入

神幸祭の翌日には、氏子町が町神輿を競い合う祭りの華、「神輿渡御」があります。神田神社周辺の町から、大小100基以上の町神輿が町に操り出され、神田明神に向かいます(これを「神輿宮入(みこしみやいり)」と呼ぶ)。

 

例大祭

5月15日、祭りの締めくくりとして最も重要な神事である例大祭が執り行われ、平和と繁栄が祈願されます。「巫女舞」の奉納もあります。

 

神田祭の由縁

神田祭は、将軍が上覧する「天下祭」とも呼ばれます。かつて、例大祭が行われた9月15日は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて、徳川家康が神田明神に戦勝を祈願して勝利した日でした。それ以降、将軍家が縁起の良い祭礼として守護してきました。つまり、家康の支援により、神社で行われる神田祭りは現在のような盛大なものになったと言えます。

 

こうした背景から、神田祭の起源は、1600年に家康が関ヶ原合戦に勝利した日に因むという見方もありますが、神田祭は関ヶ原より前から行われていたので、この説は厳密には正確でありません。では神田祭りはいつから始まったのでしょうか?ある江戸初期の記録には、神田祭りの起源は将門伝説にあると書かれています(将門伝説について別記)。

 

 

では、次に、神田祭以外の江戸三大祭りとされる山王祭、深川八幡祭を簡単に解説します。

 

山王祭

 

山王祭(さんのうまつり)は、日枝神社(東京都千代田区永田町)の祭礼です。山王祭の氏子域は、現在千代田区、新宿区(四谷)、港区(新橋)、中央区などを含む江戸一番の広さで知られていました。そのため、祭りの列が江戸城まで入ることを許れ、将軍の上覧も賜りました。日枝神社が徳川将軍家の産土神(うぶすながみ)として信仰されてきたこともあり、山王祭は、神田祭同様、天下祭とも呼ばれています。

 

山王祭は「例大祭」を中心に夏越の祓(なごしのはらえ)や稚児祭なども含み、6月中旬に行われます。山王祭でも、最大の見どころは「神幸祭」で、御鳳輦(ごほうれん)2基、宮神輿1基が、王朝装束をまとった神職・氏子ら500名を伴い、東京一広い氏子町会を巡幸します。王朝絵巻のような宮神輿や装束の巡行は、山王祭を代表す行事です。また、日本橋、京橋、八丁堀、茅場町が連携し、神輿12基を繰り出し、約3000人が結集して下町を練り歩く、「下町連合渡御(したまちれんごうとぎょ)」も、祭りの見どころの一つです。

 

こうした大規模な祭りを毎年行うのは大変ということで、1681年、山王祭と神田祭の本祭りが1年おきに交互に斎行されることになり、その慣習は現在も続いています。

 

 

深川祭(深川八幡祭)

 

深川八幡祭(ふかがわはちまんまつり)は、富岡八幡宮(東京都江東区深川)の例大祭で、江戸幕府の命により始められた約370年の歴史を誇る伝統の祭りです。1642年に、徳川家光が長男である家綱の誕生を祝う世継ぎ祝賀が江戸庶民とともに行われたことが契機となりました。祭りのルーツが幕府の命であることから、天皇陛下に関連がある年には、皇居の前まで神輿を担ぐということもあるそうです。

 

深川祭りは、毎年8月15日前後に開催されます。沿道では、暑さ対策のために担ぎ手に水をかけて冷やす習慣があるため、「水かけ祭」とも呼ばれています。祭りの中でも見どころなのは、「神輿深川、山車神田」といわれたように、三年に一度行われる本祭の神輿渡御(神輿振り)だとされています。神輿の数は120数基を超え、中でも54基の大神輿が勢揃いし、深川の町を練り歩く「連合渡御」が圧巻だそうです。

深川神輿の掛け声は「ワッショイ、ワッショイ」で、語源には「和し背負へ」など諸説あります。担ぎ方は神輿をあまりゆすらず、「もみ」と「さし」で神輿を一度膝まで下げてから勢いよく上に差し上げる特徴があります。

 

 

以上、江戸の三大祭りである神田明神の神田祭り、日枝神社の山王祭り、富岡八幡宮の深川八幡祭りを紹介しましたが、神田祭りと山王祭りに、次に紹介する三社祭りを加えて、江戸の三大祭りとする見方もあります。

 

三社祭

 

三社祭(さんじゃまつり)は、浅草神社(東京都台東区浅草)の祭で、1312年に初めて開催された古い歴史を持っている祭りです。正式名称は浅草神社例大祭と言われます。祭りは、通常5月に3日間行われます。「びんざさら舞」、「町内神輿連合渡御」、「宮出し」が注目行事です。

 

びんざさら舞

祭りの初日に五穀豊穣などを祈願して行われるびんざら舞が奉納されます。びんざら舞は無形文化財にもなっています。びんざさらとは、竹や木の薄い板を何枚も重ねて紐で綴った楽器で、「アコーディオンのように開いたり閉じたりすると、サラーサラーという音がする」と説明されていますが、このびんがさらを使って舞が舞われます。

 

町内神輿連合渡御

2日目の、浅草神社の氏子44町会から約100基の町内神輿(みこし)がでて、浅草神社でお祓いを受けた後、各町内を神輿が進みます。

 

宮出し

大きな本社神輿(みこし)3基を氏子たちが、境内から街に担ぎ出していく行事です。

 

三社祭の神輿は「喧嘩神輿」といわれるほど激しく神輿を上下左右に動かしますが、これを「魂振り(たまふり)」と言います。わざと荒々しく揺さぶることで、神輿に坐す神様の霊威を高め、豊作・豊漁や、疫病が蔓延しないことを祈願するそうです。

 

深川八幡祭りと三社祭りは、山王祭と神田祭が将軍家ゆかりの「天下祭り」に対して、町民の祭りと位置づけられています。ただ、深川祭りが、江戸幕府の命で始まったという経緯から、江戸の三大祭りの中に加えられています。

 

(参照)

「江戸三大祭 日本全国『三大まつり』ガイド」、「暮らし歳時記」、「どこいく」、東京観光財団、各神社の祭りサイト、ウィキペディア、新聞報道記事をまとめました。

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