明治時代

明治時代(1868~1912)

 

1868年3月、五箇条の御誓文(明治新政府発足)

天皇制・太政官制の復活、東京に遷都、一世一元の制をしく。

薩・長・土・肥を中心とした藩閥政府

 

近代国家作り(明治新政府の4つの柱)

 

  • 版籍奉還(1869): 幕府のものであった土地と人民を朝廷、国に返す。諸大名を知藩事として旧領の藩政に当たらせる。封建的藩体制は残る。

 

廃藩置県 (1871) : 藩制の全廃。

全国が府や県に再編され、中央政府が任命した府知事、県令(県知事)が地方政治に当たる。

 

薩長藩閥政権による中央集権体制が完成。西郷、大久保、木戸、(板垣)

 

  • 四民平等(1869)

封建時代の身分制度を廃止。士農工商を廃止し、華族(藩主、上層公家)、士族(藩士、旧幕臣)、平民(農、工、商)からなる新たな身分制度を創設。

 

戸籍の作成(最初の近代的戸籍である壬申戸籍)    廃刀令

 

  • 徴兵令 (1873)

成年男子に兵役義務。西洋式軍隊の創設を目指す。山県有朋の建議。

 

  • 地租改正 (1871~73)

1) 現物年貢(米納化)から金納化へ  2) 課税基準を収穫高から地価へ 3) 地租は地代の3%。

全国同一の基準で一律の地租が貨幣でとられる。

 

4) 納税者は土地の所有者(地主)、5)土地の私有を認める。

 

  • 自作農の小作農への没落が増加。

本百姓―大地主と小作人。資本家と労働者と同じ関係。

小作人・・土地を持たない農民。土地は地主から借りて働く

 

・寄生地主の増加

地主が所有地の大部分を多くの小作農に貸付け、高率な小作料を徴収する農業経営形態。

 

・米価高騰による地主の利益・・小作料は農地改革まで米納。

 

その他

新貨条例(1871)

政府紙幣 (不換紙幣) や円、銭、厘を単位とする貨幣が発行。(かつては金、銀両方流通、藩のお札、幕府のお札が出回っていた。)

国立銀行条例(1872)

日本銀行の設立、唯一の兌換紙幣(金と銀と交換できる)日本銀行券の発行を目指す。

 

殖産興業・富国強兵

官営模範工場・・・政府直営の工場、製糸、紡績、軍需に力点。富岡製糸工場。横須賀、長崎、石川島造船所。欧米から技術者を受け入れる(お雇い外人)、または欧米へ派遣する。

 

北海道の開拓・・・ 札幌農学校開港。屯田兵制度(開拓したら所有できる)

 

 

自由民権運動

 

藩閥政府(新政府の高級官僚が薩摩、長州、土佐、肥前など藩閥からなる)への不満。

 

1873年、明治6年の政変。征韓論派参議の西郷隆盛、板垣退助、江藤新平ら下野。

 

1874年、板垣退助、民撰議員設立建白書を提出

1875年、大阪会議:板垣、木戸の参議復帰。

1877年、 西南戦争 ―これを最後に士族反乱の終焉―

 

 

1881年 明治14年の政変。

国会開設の勅諭

北海道開拓使官有物払下げ事件

開拓長官、黒田清隆が同郷薩摩の貿易会社に不当な安値で払い下げようとした事件。(民権派の背後に大隈の薩長派打倒の策動があるとして)伊藤博文は大隈重信に責任を取らせる形で罷免。

民権派の反撃のほこ先をかわし,世論を抑えるために勅諭を出す。

 

政党結成の動きが活発,民権運動激化

 

政府の弾圧と懐柔

1884年,華族令の制定 ・・ 爵位を元貴族に与える。貴族院設立の伏線。

政府、保安条令で弾圧

 

 

内閣,憲法,国会

 

1885年、内閣制度の創設(太政官制の廃止)、

初代総理大臣に伊藤博文、外相、井上馨。

 

 

内閣の変遷

伊藤-黒田-三条-山県-松方-伊藤②-松方②-伊藤③-大隈-山県②-伊藤④-桂-西園寺-桂②-西園寺②-桂③-山本-大隈②-寺内-原

 

 

1889年(M22)、大日本帝国憲法公布・・・立憲政治の完成。

欽定憲法として,黒田清隆首相に授与。

伊藤博文、井上馨、伊藤巳代治、金子堅太郎らがプロシア憲法を模範とし、ドイツ人顧問ロエスレル・モッセの助言の下に起草された。

 

天皇主権 ― 法の裁可、大臣の任命、議会の召集、軍隊の統帥。

天皇が統治権の総覧かつ主権者で強大な大権を持つ。

 

大臣の任命 → 後に元老、さらに重臣会議が首相候補者を推薦する形となる。

軍隊の統帥 → 後にこれを根拠に軍部が台頭。

 

1890年,第1回帝国会議

2院制 ― 貴族院(華族しかなれない)と衆議院(選挙で選出)。25歳以上男子。直接国税を15円以上払っている人。(国民の1%。)

 

1890年,最初の衆議院選挙

 

立憲自由党(自由党→立憲自由党→自由党)

立憲改進党(→進歩党)などの民党が過半数。

 

政府・・政党の力を認める(地主や資本家の支持を受けた)。政党勢力が増大すると議会主義の立場から政党と提携せざるを得なくなる。 ⇒ 立憲帝政党(御用政党)

1900年、伊藤博文自ら,立憲政友会を組織。

政党・・政権を得るためにはある程度藩閥との妥協が必要

 

政党の展開

 

自由党        進歩党

 

憲政党(1898-1900)

 

伊藤内閣倒壊後、議会の絶対多数を占める憲政党政権,隈板(わいはん)内閣(1898)が成立。

日本初の政党内閣。首相に大隈重信。

隈板内閣は4ヵ月で崩壊 (共和演説事件)

尾崎行雄が金権万能を批判して辞職。後任をめぐり憲政党内が対立、内閣崩壊の契機。

 

憲政党       (旧自由党系)

(解党、合流)

立憲政友会 (1900)

1900年、政党結成を目指していた伊藤博文に接近。解党し、伊藤のもとで立憲政友会を組織。板垣退助失脚。山県内閣(二次)後、政友会を率いて内閣(四次)を組織。

 

 

憲政本党(1898~1910)

(旧進歩党系)

大隈重信(党首)、犬養毅、河野広中など。大隈引退。

立憲国民党(1910-22)(犬養、第1次護憲運動で活躍)

革新倶楽部に発展的に解消

 

 

桂園(けいえん)時代(1901~1912)

桂太郎と西園寺公望(03から立憲政友会総裁?)が交互に内閣を組織した時代。政府、軍部、政党の三者が協調して、桂、西園寺を立てて国力の充実をはかる。

 

 

経済

 

松方財政(1881)・・M14政変の大隈後に、大蔵卿に就任

 

  • 西南戦争時に多額の紙幣を発行した結果、インフレが発生 ⇒ 緊縮デフレ政策

 

・ 酒造税を増徴。官営工場の払い下げ。(歳入の増加)

デフレ

・ 不換紙幣の整理、軍事費以外の歳出を切り詰め。(歳出の減少)

 

  • 日本銀行設立(1885年)

銀兌換の銀行券を発行 ⇒ 兌換制度の確立

 

米価は低下し、中小地主の中には土地を売るはめになり、没落して小作農になる者も。

日本の貨幣に対する信頼回復。財政好転。工業の発展。第一次産業革命へ。

 

 

外交

 

1871年、日清修好条規

日本と外国との間で初めて結ばれた対等条約。相互の開港と領事裁判権を承認。

 

1874年 征台の役 / 台湾事変(台湾出兵)

琉球漁民殺害事件(1871)を受けて出兵、その結果、英国の調停の下、清側が琉球を日本領とすることを承認し、賠償金を支払った。

 

1875年:江華島事件:日本の軍艦が江華島で砲撃された事件。

1876年:日朝修好条約・・・江華島事件を受けて、朝鮮国を開国させる。(不平等条約)

清国の朝鮮に対する宗主権を否定、関税協定制(関税を免除させる)と日本の領事裁判権を朝鮮に認めさせる。釜山、仁川、元山の開港。

 

 

  • 日清戦争

 

1882年 壬午(じんご)

事朝鮮国内の親日派(閔氏)に対する親清派(鎖国攘夷策をとる大院君)の反乱。壬午(じんご)事変後、閔氏は親清策に方向転換を強いられる。

 

1884年の甲申事変

国内改革派の金玉均(親日派)が日本の援助でク―デターを起こした事件。

1885(M18)年:天津条約:日清紳士協定

壬午事変、甲申事変で崩れた日清関係を修復するために結ばれた条約で、両国の朝鮮撤退、軍事顧問の派遣中止。また、今後朝鮮に出兵する際に相互事前通告を行うことを決定。

 

1894年 東学党の乱(甲午事変)

減税と排日を求める朝鮮の大農民反乱を抑えるために、日清が出兵。内乱は鎮圧したが、両国は引かず、睨み合いが続く。日本の朝鮮内政改革の提案を清が拒否。

朝鮮は清国の軍事力を背景に日本の経済進出に抵抗する方向性は鮮明になった。それに対する失地回復をもくろむ日本は、 東学党の乱をきっかけに朝鮮に出兵。

 

1894年、日清戦争

 

1895年:下関条約、伊藤博文(陸奥宗光)― 李鴻章

  • 台湾、遼東半島、澎湖諸島の割譲。
  • 清国が朝鮮の独立を承認、
  • 賠償金2億両テール(約3億1000万円)の支払い。(金本位制の資金源、さらに、この資金で八幡製鉄所(1901)を製作)
  • 沙市、重慶、蘇州、杭州の開港。

 

遼東半島は三国干渉(露、仏、独)で日本から清に返還。

 

  • 日露戦争

 

1900年、北清事変=義和団の乱。「扶清滅洋」をスローガン。清国も列国に宣戦布告。

ロシアと日本を主力とする8ヶ国が共同出兵して、これを鎮圧する。

北京議定書:多額の賠償金と軍隊の北京常駐を認めさせる。

 

ロシア:満州に出兵し事実上占領。清国にこの地域の独占的権益を認めさせた。

日本:韓国を勢力圏に。韓国と陸続きの満州

 

「主戦論」:桂太郎、山県有朋、日英同盟 - 「日露協商論」:伊藤博文、満韓交換論

 

1902年、日英同盟

ロシアの南下政策は日本にとって朝鮮半島への脅威、英国にとってはインド、中近東への脅威で両国の利害が一致。同盟国の一方が他国と交戦した場合は、他の同盟国は厳正中立を守ること。2カ国以上と交戦した場合は、他の同盟国も参戦することを定める。

 

 

1904年(M37)1月:日露戦争・・朝鮮、満州支配をめぐる対立から勃発

 

日本海海戦でバルチック艦隊を破る。

日本:軍事、財政的に戦争遂行能力が限界。ロシア:血の日曜日事件、国内危機

米英:日本の完全勝利による満州独占を恐れる。

 

1905年、ポーツマス条約

米国、T・ルーズベルト大統領が仲介、小村寿太郎―ウィッテ

 

  • 韓国に対する日本の指導・監督権をロシアが全面的に認める。日本は韓国を保護国化、南満州を勢力範囲とした。
  • 北緯50度以南の樺太と付属の諸島の日本へ譲渡。
  • 旅順・大連の租借権、長春以南の東清鉄道とその付属利権などが露から日本へ譲渡。
  • 沿海州とカムチャッカの漁業権を獲得。

 

1905年、日比谷焼き討ち事件(桂内閣①退陣)条約破棄を叫んで暴動化。

 

 

<ロシアと満州>

 

1906年11月、南満州鉄道株式会社設立。

旅順~長春、奉天~安東県間。日本の満州経営に対する米英の不信感。日本はロシアとの関係改善で対抗。日露協商

 

1907年、日露協商(第1次)

英米の満州に対する経済的進出に対抗するために日露が接近。日本の南満州、ロシアの北満州における利益を相互に承認。日本の韓国に対する、ロシアの外蒙古に対する政治的関係に特殊権益を認めた。10年、12年、16年に改訂。

 

 

<日露国境>

1854年、日露和親条約

両国の国境を,択捉島と得撫〈ウルップ〉島の間とし,択捉は日本に,ウルップとそれより北の千島列島(クリル諸島)はロシアに属するが,樺太島は両国人の雑居地として境界を定めず。

 

1875年、樺太・千島交換条約

樺太の一切の権利をロシアに譲り,樺太をロシア領に,千島列島全体を日本領にすることが取り決められた。

 

1905年、ポーツマス条約

北緯50度以南の樺太と付属の諸島の日本へ譲渡。

 

 

  • 日韓併合

 

1905年、桂・タフト協定

米のフィリピン支配、日本の韓国に対する植民地支配を承認。戦後の日本の国際的地位の確立が構想。

 

1905年、第二次日韓協約(韓国保護条約)

韓国の外交権を奪い保護国に。統監府の設置。初代統監、伊藤博文(1909年暗殺)

 

1907年、第三次日韓協約。

ハーグ密使事件を機に、同協約で韓国の内政権を統監の指導監督下に置く。義兵運動を軍隊増派で鎮圧。

 

1909年、伊藤博文、暗殺。

1910年、日韓併合条約。

朝鮮総督府(初代総督:寺内正毅)、朝鮮人に対し日本語の使用や創氏改名を強制。

 

 

  • 不平等条約

1894年、日英通商航海条約

ロシアの東アジア進出を警戒する英国が日本に好意的な態度をとり始める。

治外法権の撤廃(日清戦争開始直前に)(陸奥宗光)領事裁判権の撤廃と関税自主権の一部回復、最恵国待遇の相互平等を内容とする。

 

1911年、関税自主権の回復(小村寿太郎)交渉相手国:米国

1858年の安政の通商条約により押し付けられた不平等条約は明治時代いっぱいを使って解消された。

 

 

  • 産業革命

日清戦争(1894―95) 第一次産業革命

日露戦争 (1904-05) 第二次産業革命(20世紀幕開けの頃から進展)

 

 

 

社会

 

産業革命の進展 → 資本主義社会の定着:階層、貧富の差

都市:資本家と労働者、農村:大地主と小作人。小作人は何も持たない

 

社会運動、労働組合 ⇔ 治安警察法(1900)

社会民主党1901(日本で最初の社会主義政党)、日本社会党1905

 

大逆事件: 社会主義者弾圧(明治天皇を暗殺計画)、幸徳秋水、処刑。