(仮)知られざる日本国憲法のなりたち

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(仮)知られざる日本国憲法のなりたち

~日本国憲法はマッカーサーの押しつけ憲法ってホント!?~

 

 はじめに

 

日本にも革命が起きていた!?

 

憲法学の世界において、日本では戦後、革命が起きたことになっているってご存知でしたか?
 
日本国憲法は、明治憲法の改正手続きに則って改正されました。明治憲法は天皇の名のもとに制定された憲法(君主主権の憲法)で、日本国憲法は国民の名の下に制定された憲法(国民主権の憲法)です。しかし、その君主(天皇)主権の明治憲法の改正手続きに基づいて、国民主権の憲法に変わることは、憲法学上ありえないそうです。

 
そこで、憲法学の世界では、この矛盾のつじつまを合わせに、何と「革命」が起きたと解されているのです。ポツダム宣言を受諾する革命が起きて、天皇主権の国から国民主権の国に変革したそうです。

 
この考え方に対しては、「欧米の価値観に凝り固まった欧米かぶれの憲法学者の理論」とか、「日本にもフランス革命のような「革命」を起こしたい共産主義者の理論」など辛辣な批判がなされていますが、現在でもこの考えは「8月革命説」と呼ばれて、憲法学上通説となっているのです。
 
日本国憲法を否定的に捉える人々は、「8月革命説」のような空想的な理論をもってきてこじつけなければならないほど日本国憲法は正当な憲法とは言えない、なぜなら、日本国憲法はアメリカによって押しつけられたものであるからだ」と批判します。
 
では、日本国憲法がいかに押しつけられたのか、次章ではより詳細に解説しますが、ここでもその制定経緯を要点だけ簡単に概観しながら、本書で何が書かれているかを示したいと思います。

 

 

日本国憲法はかく押しつけられ!?

 

読者の皆さんは、戦後の占領期、マッカーサー将軍が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)(以後、総司令部またはGHQと表記)のトップとして、日本を実質的に支配したことはご存知のことかと思います。
 
そのマッカーサーは、占領が始まってほどなく、財閥解体や農地改革などの五大改革指令が出されると同時に、時の幣原喜重郎首相に対して憲法改正を暗に求めました。
 
幣原内閣は、これを受けて憲法問題調査委員会(通称「松本委員会」)を設け、大日本帝国憲法の改正案の作成に取り組むわけですが、その内容はマッカーサーが満足するものでは到底ありませんでした。そこで、マッカーサーは、1946年2月4日、GHQ(総司令部)のスタッフに対して、マッカーサー三原則(マッカーサーノート)なるものを提示し、これを土台にGHQによる新憲法草案の起草を、密かに命じたのです。
 
マッカーサー3原則

(1)天皇を元首とする(象徴天皇制)

(2)戦争放棄

(3)封建制度の廃止
 
GHQでは、20人程度のメンバーで、日本国憲法の草案、いわゆるマッカーサー草案をわずか9日間で作り上げ、日本政府に対して受け入れを求めたのでした。
 
政府は「マッカーサー草案」の受諾後、GHQ案に基づく政府案を起草します。日本政府との「協議」という体裁をとりつつもGHQは、この「3月2日案」(3月2日にできたのでこう呼ばれる)に対して細部に至るまで注文をつけ、日本国憲法は結果的にマッカーサー草案に沿った形で誕生したのでした。
 
日本国憲法がGHQのマッカーサーによって「押しつけられた」と結論づける人々は、こうした経緯を受け、日本国憲法を「アメリカ制憲法」、「占領憲法」などと呼び、「マッカーサーノートなるマッカーサーのメモ書き程度のものが日本の憲法になった」、「日本国憲法の原文は英語で、今の憲法はその英文を翻訳にしたものにすぎない」などと批判します。しかし、事実はこう単純でしょうか?実際、押し付け憲法論に対して、異議を唱える見方もあります。

 

 

日本人が書いた日本国憲法!?

 

確かに、日本国憲法制定のプロセスを追えば、マッカーサーのGHQが日本国憲法を「押しつけた」との批判もうなずけるかもしれません。しかし、それは、マッカーサーノートの提示からGHQ原案ができて、日本政府に受け入れを迫った約1週間の出来事のことです。その後、日本政府との「折衝」や、約6ヶ月に及ぶ衆議院と貴族院における審議などの過程で、日本側の発案によって生まれた条文や、GHQ案を覆した規定などもあるのです。つまりは、日本国憲法はGHQ主導で進められたものの、日本政府も帝国議会も関わった上で成立しており、GHQの一方的な押し付けではないとの見方も可能なのです。
 
読者の皆さんは、今の憲法にある次の条文はご存知でしょうか?

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する

 

これは、日本国憲法第25条にある生存権と呼ばれる規定で、経済的社会的弱者を守ろうとする現代社会にあってはなくてはならない重要な条文です。この生存権規定は、マッカーサー草案にはなく、衆議院の審議の段階で初めて加えられました。社会権の花形的な存在である25条(第1項)が、アメリカから与えられたのではなく、日本人自身が作っていたという事実にある種の驚きを覚えたのは筆者だけでしょうか?
 
また、公務員の不法行為によって国民に損害が生じた場合に請求できる国家賠償請求権(17条)や、被告人が無罪判決を言い渡された際に請求できる刑事補償請求権(40条)なども議会審議の過程で付記されました。さらに、マッカーサー草案では国会を一院制としていましたが、日本側の要求で、現行の二院制(衆議院・参議院)に修正されています。
 
このように、日本国憲法は、GHQによる一方的な押しつけとは言えない独自性がこのほかにもたくさんあることも本書で紹介してみたいと思います。

 

さらに興味深い事実もあります。読者の皆さんの中に、マッカーサーのGHQ草案に多大な影響を与えていたとされる「憲法研究会」という日本の民間団体があったことをご存知でしょうか?マッカーサー草案は「憲法研究会によって作られていた草案を採用し、それをまとめたものである」と主張する人たちもいるぐらいです。実際、憲法研究会のメンバーが書いた「憲法草案要綱」をみれば、現行憲法と同じような草案が数多く見られます(太字が憲法研究会の草案で、矢印⇒の後が日本国憲法の条文)。

 

国民は法律の前に平等にして出生又は身分に基く一切の差別は之を廃止す

⇒すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(第14条第1項)

 

国民は労働の義務を有す

⇒すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ(第27条第1項)。

 

国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する(第25条第1項:)。

・・・・

気づかれた方もいらっしゃると思いますが、日本国憲法の条文に中に、日本人の発案の事例として紹介した第25条の生存権規定は、まさに、憲法研究会の「憲法草案要綱」の文言そのままと言っていいものです。このような、日本の民間人からなる憲法研究会の草案が日本国憲法の土台となったのであれば、わが国の憲法は、アメリカが一方的に押し付けてきたものではなく、日本国憲法は、日本人が書いた憲法といえますね。
 
本書では、この憲法研究会の「憲法草案要綱」が、日本国憲法に反映されているか否かをより詳細に検証しています。

 

また、最近、日本国憲法の制定をめぐる研究が進み、過去の外交文書や機密文書なども公開されている中で、GHQ(総司令部)は、単にマッカーサーの指示を受けて、日本国憲法草案(マッカーサー草案)を書いたとは単純に言い切ることができなくなっています。
 
そもそも、マッカーサー3原則というのは、マッカーサー自身のアイディアなのでしょうか?一部の改憲派の人々がいうマッカーサーのメモ書き程度のものなのでしょうか?こういう疑問がでてくるのも、戦後日本の柱ともなった象徴天皇制と9条の戦争放棄は、GHQが押しつけたのではなく、当時の幣原首相の発案であったという主張があるからです。これは、幣原首相が、マッカーサー3原則が出される前にマッカーサーを訪ねた折、象徴天皇制や戦争放棄について言及していたというのです。もし、この説が正しかったとすると、マッカーサー3原則のうちの2つは、幣原がマッカーサーにヒントを与えていたことになります。この点については「日本国憲法の制定プロセス」の中で問い直したいと思います。

 

 

パッチワークの日本国憲法!?

 

一方、改憲を唱える人々は、憲法の専門家でないGHQスタッフが、一国の憲法を短期間で書くことができた理由を、次のように説明します。
 
日本国憲法は、合衆国憲法、米独立宣言、リンカーンの演説など彼らが気に入った内外の憲法や基本法、条約などを拾い上げ、それをパッチワーク的につなげたものにしか過ぎないからである。

この批判は、あながち間違いではなく、アメリカ合衆国憲法一つをとっても、以下のように、その前文や条文が日本国憲法の中にいくつも見いだされます。

 

日本国憲法前文

…日本国民は(中略)、われらとわれらの子孫のために(中略)、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、(中略)、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

合衆国憲法前文

われらとわれらの子孫のために自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のために、この憲法を制定し、確定する。

 

日本国憲法第31

何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

アメリカ合衆国憲法 修正第5条

何人も、法の適正な過程によらずに、生命、自由または財産を奪われることはない。

 

さらに、驚きの事実もあります。次の条文を読んでみてください。

…市民の権利の平等は,その民族および人種のいかんを問わず,経済的,国家的,文化的および社会的・政治的生活のすべての分野にわたり不変の法である

…労働は,…労働能力あるすべての市民の義務であり,また名誉である。

 

これはある国の憲法の条文だったのですが、その内容が日本国憲法の中にも見い出すことができます。

 

日本国憲法第14条第1項

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

日本国憲法第27条第1項

すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

 

日本国憲法第14条(法の下の平等)と第27条(勤労の義務)につながったとされる上記の規定は、どこの国の憲法だったと思われますか?驚くなかれ、それは1936年制定のスターリン憲法(ソビエト社会主義共和国連邦憲法)の第123条と第12条なのです。えっ、日本国憲法に共産主義が?と驚かれる方も多いでしょう。今の憲法には、これ以外にもスターリン憲法の影響が見受けられる条文がいくつかあります(この点については本書の第3章で詳細に検討しています)。
 
日本国憲法「パッチワーク説」が正しければ、GHQのメンバーが、自分達が気に入った内外の憲法や条約の条文をパッチワーク的につなぎ合わせた中に、スターリン憲法も含まれていたことになります。
 
スターリン憲法が日本国憲法に採用されていたとすれば、さらに疑惑の目がGHQにも向けられます。それは、GHQのメンバーの中には、ソ連のスパイも含む共産主義者が数多く含まれていたからではないのか、という疑惑です。そうすると「GHQの目的は、日本の共産化であった」などという陰謀論のような主張まで飛び出します。
 
果たして、GHQスタッフの中に共産主義者がいて、日本国憲法制定に介入し、日本を共産国にしようとしたのでしょうか?マッカーサーはこの事実を知っていたのでしょうか?もしかして、マッカーサーも?…といった具合に、疑惑は尽きません。このテーマについても本書の第3章で「真面目」に分析してみたいと思います。

 

逆に、日本国憲法の多くの条文は、大日本帝国憲法(帝国憲法、明治憲法)を写したものに過ぎないとの指摘もなされています。確かに、日本国憲法の条文の中には、明治憲法と瓜二つの条文があります。

 

日本国憲法 第32

何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

帝国憲法 第24条

日本臣民は、法律に定められた裁判官による裁判を受ける権利を奪われることはない。

 

日本国憲法 第57

①両議院の会議は,公開とする。但し,出席議員の3分の2以上の多数で議決したときは,秘密会を開くことができる。

帝国議会 第48条

両議院の会議は公開する。但(ただ)し政府の要求またはその院の決議に依(よ)り、秘密会と為(な)すことができる。

 

今の憲法は帝国憲法のコピペ(写しのこと)であるという主張について言えば、GHQが変えたかったのは、主に、前文と天皇(第1条から第8条)、それから軍(戦争放棄)に関する規定(第9条)で、それ以外の項目についてはそれほど執着せず、帝国憲法の条文で使えるところは使ったという現実的な見方が可能です。実際、どうだったのでしょうか?本書では、帝国憲法の条文に対応する日本国憲法の条文を比較しながら解説します。

 

 

マッカーサーとGHQの背後に…

 

ここまでみたように、日本国憲法が、合衆国憲法などGHQスタッフが好んだ各国の憲法典や帝国憲法、さらには憲法研究会のような民間団体の憲法試案などをつなぎ合わせたとしても、一国の憲法草案をわずか9日間で完成させることは普通に考えればできない相談です。しかし、もし、マッカーサーやGHQに対する指示書のようなものが存在していたとしたら、どうでしょうか?
 
1944年3月に米国務省では、「アメリカの対日戦後目的」なる報告書が作成されていました。日米戦争の最中のその時期に、すでに勝利を確信したアメリカが対日戦後処理政策を考えていたのです。そして、同年12月、アメリカ政府内部に、国務省、陸軍省、海軍省の意見調整を図るため国務・陸軍・海軍三省調整委員会(SWNCCスウィンク)が設置されました。そのSWNCCが日本が降伏した1945年11月27日に「日本の統治制度の改革」(SWNCC228)をまとめて、マッカーサーに「指示」を与えていた事実が昨今、明らかになっています。
 
このSWNCC228こそ、マッカーサー三原則とその後のマッカーサー草案(総司令部案)に大きな影響を与えた文書ではなかったかと推測されます。例えばSWNCC228の中で、天皇制について、「…日本人が天皇制を維持すると決定したときは、最高司令官(マッカーサーのこと)は、日本政府当局に対し、次に掲げる安全装置が必要なことについても、注意を喚起しなければならない」として以下のような具体的な措置を「指示」しています。そして実際に今の憲法に反映されています。

 

――内閣による天皇の全行為に対する助言と補佐

                        

日本国憲法第3条:天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ

 

――皇室財産の国庫への繰り入れと皇室費の国家予算への編入

日本国憲法第88条:すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない

 

さらに、SWNCCが「日本の統治制度の改革」(SWNCC228)をまとめた背後に、OSS(米戦略情報調査局)という米軍の特務機関(諜報機関)の存在も見え隠れしています。OSSは、日米開戦後の1942(昭和17)年6月の段階で、帝国憲法(明治憲法)などの分析を行い「日本計画」なる報告書をルーズベルト大統領に提出し、戦後の占領政策の青写真をすでに描いていたとされているのです。このOSSは後にCIA(米中央情報局)となる機関です。
 
本書では、OSSやSWNCC(スウィンク)などの存在も踏まえつつ、「日本の統治制度の改革」(SWNCC228)の内容が、日本国憲法にどれほど反映されているのかについて、各章、可能な限り条文毎に吟味しています。

SWNCC(国務・陸軍・海軍三省調整委員会)なる組織や、CIAの前身であるOSSが、マッカーサーやGHQに大きな影響力をもっていたとするならば、日本国憲法がマッカーサーのGHQによって単に「押しつけられた」という憲法観も変化を強いられそうです。

 

 

目次

 

はじめに

日本国憲法制定の経緯

前文

  • 天皇
  • 戦争放棄
  • 国民の権利及び義務
  • 国会
  • 内閣
  • 司法
  • 財政
  • 地方自治
  • 改正
  • 最高法規

憲法改正の論点~おわりにかえて