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2019年11月30日

ニュース:秋篠宮さま、お誕生日

秋篠宮さま きょう54歳の誕生日

(2019年11月30日  NHK News Web 抜粋)

 

皇位継承順位1位の皇嗣の秋篠宮さまは、30日、54歳の誕生日を迎えられました。秋篠宮さまは、皇嗣として初めて迎える誕生日を前に、お住まいのある赤坂御用地で記者会見に臨まれました。この中で秋篠宮さまは、新しい時代の皇室像などを尋ねられたのに対し、上皇さまの姿を念頭に、「国民と苦楽を共にし国民の幸せを願いつつ務めを果たしていく、これはやはり基本にあることだと、私は考えております」と述べられました。そのうえで、「時代によって要請も変わってきます。時代時代に即した在り方というのは、常に考えていかなければいけないと思っています」と話されました。

 

一方、秋篠宮さまは、長女の眞子さまと、婚約が内定している小室圭さんの結婚に関する質問にもこたえられました。眞子さまは去年2月、ご自身と小室さんの気持ちを文書であらわし、結婚に向けた行事などについて、「皇室にとって重要な一連のお儀式が滞りなく終了したあとの再来年に延期し、十分な時間をとって必要な準備を行うのが適切であるとの判断に至りました」と記されました。

 

秋篠宮さまは、こうした経緯を踏まえて、「この次の2月で2年たつわけですね。やはり、昨年の2月に今の気持ちというのを発表しているわけですので、何らかのことは発表する必要があると私は思っております」と話されました。また、結婚の見通しについては、去年の記者会見で、「多くの人がそのことを納得し、喜んでくれる状況にならなければ、いわゆる婚約に当たる納采の儀(のうさいのぎ)というのを行うことはできません」などと述べられています。秋篠宮さまは、今回の会見で、眞子さまと結婚のことについて話をする機会はないと話し、「結婚の見通しについては昨年お話ししたことと変わっておりません」と述べられました。

2019年11月30日

ニュース:中曽根元総理、死去

中曽根康弘元首相が死去 101歳

(2019年11月29日、NHK News Web)

 

「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄の民営化や日米安全保障体制の強化などに取り組んだ、中曽根康弘・元総理大臣が29日、東京都内の病院で亡くなりました。101歳でした。中曽根・元総理大臣は、大正7年に、群馬県高崎市で生まれ、昭和16年に旧東京帝国大学を卒業し、当時の内務省に入ったあと、太平洋戦争中は海軍の士官を務めました。そして、昭和22年の衆議院選挙で、旧群馬3区に、当時の民主党から立候補して初当選し、その後、自民党の結成に参加して、20回連続で当選しました。この間、昭和34年に第2次岸改造内閣の科学技術庁長官として初入閣し、防衛庁長官、運輸大臣、通産大臣のほか、自民党の幹事長や総務会長などを務めました。

 

また、改進党に所属していた当時、被爆国の日本でも、原子力発電に向けた研究開発が不可欠だとして、原子力関係の予算案の提出を主導したことでも知られました。中曽根氏は、当時の佐藤栄作総理大臣の長期政権のもと、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫と並んで、いわゆる「三角大福中」の一角をなし、「ポスト佐藤」の候補として、党内の実力者のひとりに数えられるようになりました。昭和57年11月、自民党の総裁予備選挙で、河本敏夫氏、安倍晋太郎氏、中川一郎氏を抑えて、第71代の内閣総理大臣に就任し、「戦後政治の総決算」を掲げて、懸案の解決を目指しました。昭和60年8月15日には、戦後の総理大臣として初めて、靖国神社に公式参拝しましたが、中国などから強い批判を受け、それ以降は参拝を見送りました。中曽根氏は、行政改革などに尽力し、第2次臨時行政調査会、いわゆる「土光臨調」の土光敏夫氏と二人三脚で、「増税なき財政再建」に取り組み、当時の「国鉄」、「電電公社」、「専売公社」の民営化に取り組みました。

 

一方、外交面では、総理大臣就任からまもない昭和58年1月に、当時、関係がぎくしゃくしていた韓国を訪れて関係改善に道筋をつけて、そのままアメリカを訪問し、レーガン大統領との間で強固な信頼関係を築きました。互いを「ロン」「ヤス」と呼び合うレーガン大統領との関係は、中曽根外交の基盤となり、昭和58年11月にレーガン大統領が日本を訪れた際には、東京 日の出町のみずからの別荘「日の出山荘」でもてなし、中曽根氏がほら貝を吹く姿も話題になりました。昭和60年3月には、旧ソビエトのチェルネンコ書記長の葬儀を利用して、ゴルバチョフ新書記長との首脳会談も実現させました。

 

一方、中曽根氏は、私的な諮問機関を設けることで、大統領型のトップダウン政治を目指したほか、日米貿易摩擦をめぐる記者会見では、みずからグラフを指し示したり、水泳や座禅をする様子を公開したりするなど、パフォーマンスのうまさでも知られました。昭和61年には、「死んだふり解散」、「ねたふり解散」とも呼ばれる、衆参同日選挙を行い勝利を収め、党総裁としての任期が1年延長されました。しかし、昭和62年4月の統一地方選挙で敗北し、みずからが目指していた売上税の導入を断念し、その年の10月には、当時、「ニューリーダー」と呼ばれた、安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の3氏の中から、竹下氏を後継総裁に指名し、11月に退陣しました。中曽根氏の総理大臣としての在任期間は1806日と、当時としては異例の5年におよび安倍、佐藤、吉田、小泉の4氏に次ぐ、戦後5番目の長期政権となりました。

 

総理大臣退任後、リクルート問題で、平成元年5月に衆議院予算委員会で証人喚問を受け、党を離れましたが、2年後に復党しました。そして、平成8年の衆議院選挙では、小選挙区制度の導入に伴い、当時の党執行部から、比例代表の終身1位で処遇することを確約され、小選挙区での立候補を見送りました。翌年には、大勲位菊花大綬章を受章したほか、国会議員在職50年の表彰も受けました。しかし、平成15年の衆議院選挙の際、当時の小泉総理大臣が、比例代表の73歳定年制の例外を認めず、中曽根氏は立候補を断念して、56年に及ぶ国会議員としての活動に幕を閉じました。

 

中曽根氏は、政界引退後も、安全保障や国際交流のシンクタンクの会長を務め、内政や外交をめぐって積極的な発言を続け、みずからの心境を、「くれてなお命の限り蝉しぐれ」と詠んでいます。とりわけ、憲法改正には強い意欲を示し、新しい憲法の制定を目指す、超党派の国会議員らでつくる団体の会長を務めてきたほか、おととし5月に出版した著書では、戦力の不保持などを定めた9条2項を改正し、自衛隊の存在を憲法に位置づけるべきだなどと提案しました。葬儀は近親者のみの家族葬 後日 お別れの会開催

2019年11月28日

ニュース:京都東本願寺、親鸞をしのんで「坂東曲」

親鸞の命日 東本願寺で坂東曲

(2019年11月28日 NHK News web)

 

浄土真宗を開いた親鸞の命日にあたる11月28日、京都市の東本願寺では、体を前後左右に激しく揺らしながら念仏を唱える「坂東曲(ばんどうぶし)」が行われました。「坂東曲」は、京都市下京区にある真宗大谷派の本山、東本願寺で親鸞の命日にあわせて毎年行われており、鎌倉時代にいまの関東にあたる「坂東」で弟子たちが親鸞をしのんで念仏を唱える姿がもとになっているとされています。

また、親鸞が越後に流されたときに荒波で揺れる船の上で念仏を唱える姿だとする説も伝えられ、境内の御影堂では、全国から集まった僧侶およそ70人が、正座をしたまま体を前後左右に激しく揺らして念仏などを唱えました。

28日は、23年余りにわたって真宗大谷派のトップを務め、来年6月に退任することが決まっている大谷暢顯門首(89)もあいさつしました。真宗大谷派では、来年7月から大谷暢顯門首のいとこの大谷暢裕鍵役(68)が門首に就任することになっています。

2019年11月28日

ニュース:両陛下、歴代天皇陵をご参拝(~12/3)

両陛下、神武天皇陵をご参拝 「親謁の儀」で 

(2019.11.27、産経新聞、一部抜粋)

奈良県を訪問中の天皇、皇后両陛下は27日、同県橿原(かしはら)市の神武天皇陵を訪れ、皇位継承に伴う一連の国事行為「即位の礼」と、一世一度の重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」を終えたことを報告する「親謁(しんえつ)の儀」に臨まれた。神武天皇陵では、モーニング姿の陛下がゆっくりと陵墓の前に進み、玉串をささげて拝礼された。皇后さまも同様の所作でご拝礼。

 

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天皇、皇后両陛下が京都の孝明天皇陵を参拝

(2019年11月27日、京都新聞)

天皇、皇后両陛下は27日午後、即位の礼や重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」の終了を報告する「親謁(しんえつ)の儀」として、京都市東山区にある明治天皇の父、孝明天皇の陵を参拝された。この後、両陛下は京都大宮御所(上京区)に宿泊、28日午前には伏見区の明治天皇陵を参拝する。

 

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天皇皇后両陛下 京都の明治天皇陵に参拝

(2019年11月28日、NHK News Web要約)

 

天皇皇后両陛下は、28日、天皇陛下の即位に関連する儀式として、京都市伏見区にあるの明治天皇陵に参拝され、「即位の礼」や「大嘗祭」の中心的な儀式が終わったことをご報告されました。儀式は、小雨の中で行われ、はじめに、傘を手にしたモーニング姿の天皇陛下が、宮内庁の幹部の先導で、鳥居をくぐり、玉砂利が敷かれた参道をゆっくりと歩いて木立に囲まれた天皇陵の前に進まれました。両陛下は、このあと午後2時すぎから、京都御所で関西などの各界の代表を招いて茶会を催され、20分余りにわたって、招待者と和やかにことばを交わされていました。両陛下は28日夜、東京に戻られました。

 

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両陛下 昭和天皇と大正天皇の陵に参拝

(2019年12月3日、NHK Web News)

 

天皇皇后両陛下は3日、天皇陛下の即位に関する儀式として、東京都内にある昭和天皇と大正天皇の陵に参拝されました。両陛下は3日午前10時すぎ、東京 八王子市の武蔵陵墓地に到着されました。はじめに、昭和天皇が埋葬された「武蔵野陵」に参拝する儀式が行われ、モーニング姿の天皇陛下は、宮内庁の幹部の先導で鳥居をくぐり、砂利道をゆっくりと歩いて陵の前に進まれました。そして、玉ぐしを供えて深く拝礼し、「即位の礼」や、「大嘗祭(だいじょうさい)」の中心的な儀式が終わったことを伝えられました。続いて、グレーの参拝服の皇后さまも、天皇陛下と同様の手順で深く拝礼されました。このあと、大正天皇陵に参拝する儀式が行われ、天皇陛下と皇后さまは、それぞれ玉ぐしを供えて深く拝礼し、同じように儀式の終了を伝えられました。

 

両陛下は4日、皇居の宮中三殿(きゅうちゅうさんでん)に参拝するなどして、ことし5月から続いた天皇陛下の即位に関する一連の儀式をすべて終えられます。

 

2019年11月27日

神社:出雲大社と神在祭

旧暦10月の「神無月」を出雲の島根県では「神有月(神在月)」と呼ぶという理由は、「全国の神様が島根県の出雲大社に集まるので、ほかの地域に神がいなくなるからだ」という伝承に関心が沸いて、神在祭それから出雲大社についてまとめてみました。

 

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 出雲大社

出雲の国は、神の国、神話の国として知られ、今も古の神社が多くあります。その中心が「大国主命(オオクニヌシノミコト)」をお祀りする出雲大社です。その本殿は高さ24メートルと神社では異例の高さですが、古代は48メートルだったと伝えらえています。これは、技術的に不可能とされてきたそうですが、00年に境内から巨大な柱跡が見つかり現実味を帯びてきたと言われています。

 

祭神:大国主神(オオクニヌシノカミ)

記紀神話によれば、大国主命(オオクニヌシノミコト)は、素戔鳴尊(スサノオノミコト)の子で、最初は大己貴命(オオナムチノミコト)という名前でした。ほかにも多くの名前があり、大物主神(おおものぬしのかみ)や八千矛神(やちほこのかみ)も、大国主神(命)のことで、神話のなかで物語が展開するたびに呼び名が変わっています。

 

さらに、大国主神は、小づちを持って俵の上に乗った姿が有名な大黒様(福の神)として慕われている神さまでもあります。大黒様(だいこくさま)は「天の下造らしし大神」と言われているように、大国主神は、国造りの神として広く知られ、少彦名神(スクナビコナノカミ)と協力し、国土を開拓され、農耕・漁業など殖産の方法を教えるなど、国づくり、村づくりに奔走されました。また、因幡の白ウサギを助けた神話にあるように、医薬の業を始めになって、医薬の神としての信仰も受けています。

 

大国主命(神)の子には、鯛と釣竿を持った恵比寿様として知られる事代主神(コトシロヌシノカミ)や、建御雷神(タケミカヅチノカミ)との力比べに敗れて諏訪へ隠遁したとされる建御名方神(タケミナカタノカミ)がいます。ともに国譲り神話に登場します。その大国主神も、国土を天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に譲ってお隠れになられ、出雲大社にお祀りされています。

 

出雲大社創建の由緒

有名な「国譲りの神話」の舞台となったのが、出雲大社に近くにある稲佐(いなさ)の浜です。神話によると、出雲の地を初めに治めていたのは大国主命でしたが、天上界の天照大神(アマテラスオオミカミ)が使者を送り、豊かな現実の世界である「現世=顕世(うつしよ)」の統治権を、自分の一族に譲るように求めました。この時、使者としてこの稲佐の浜に上陸したのが、建御雷神(タケミカヅチノカミ)でした。

 

大国主大神は、建御雷神(タケミカヅチノカミ)に「国譲り」を同意されますが、「私の治めている、この現世の政事(まつりごと)は、皇孫(すめみま=皇孫)がお治めください。これからは、私は隠退して幽(かく)れたる神事を治めましょう」と述べ、「国譲り」に応じる代わり、自らは死後の世界である「幽世(かくりよ)」を治め、かつ自らの住まいとして、今の出雲大社の建立するという合意がなされたと伝わっています。

 

出雲大社はまた、縁結びの神様として有名です。その背景には、大国主命は「幽世(かくりよ)」を治める神なので、目には見えない縁を結ぶ神であるという考え方が広がったことがあるようです。さらに、神無月(旧暦10月)に、全国から神々をお迎えして、縁結びや酒造りなどを含めた「幽れたる神事」について合議されるという伝承もここから生まれました。実際、旧暦10月は、全国の八百万(やおよろず)の神々が出雲の国に集まり、日本中の神々が出払い留守になるので、「神無月(かむなづき)」といいますが、出雲では旧暦10月は、「神有月(神在月)(かみありづき)」と呼ばれ、様々な神事が営まれます。

 

遷宮(せんぐう)事業

出雲大社では60年に1度の遷宮(せんぐう)事業があります。直近では、ご神体の移動を伴う「本殿遷座」が2013年に終え、屋根の修造などが16年まで続きました。

 

 

出雲大社の神事

全国の神々が集う出雲の各神社では「神迎祭(かみむかえさい)」に始まり、中心の神事である「神在祭(かみありさい)」、そして、神々をお見送りする「神等去出祭(からさでさい)」が行われます。

 

神迎祭(かみむかえさい)

記紀神話の「八百万神」が全国から島根県の出雲大社へ年に1度集まるとされる旧暦10月10日夜、稲佐の浜で、浜辺にしめ縄で囲った斎場が設けられ、全国からやってくる神々の目印となるように、かがり火(御神火)が焚かれます。斎場の中には、神籬(ひもろぎ)が2本、傍らに神々の先導役となる龍蛇神が海に向かって配置され、神職が祝詞をあげます。なお、竜蛇神(りゅうじゃじん)は、豊作や、豊漁・家門繁栄などの篤い信仰がある神々です。

 

この神事の後は、神職が、神々の乗り移った「神籬(ひもろぎ)」と呼ばれるサカキを絹垣(きぬがき)で覆います。そして、神聖な植物とされる菰が敷かれた「神迎の道」約2キロを、竜蛇神を先頭に、高張提灯が並び奏楽が奏でられる中、出雲大社まで進みます。浜から出雲大社への「神迎の道」は、延々と行列が続きます。この後、出雲大社神楽殿において、国造(こくそう)以下全祀職の奉仕により「神迎祭」が執り行われます。これが終わると、神々は、旅宿社(御宿社)である東西の十九社に、ひもろぎが奉安され、鎮まられます。

 

神在祭(かみありさい)

全国の神々は、旧暦10月11日から17日まで7日間、稲佐の浜に程近い、出雲大社西方950mに位置する出雲大社の摂社「上の宮(仮宮)(かみのみや)」で、神事(幽業)(かみごと)を、神議り(かむはかり)にかけて決められます。大国主命を主宰にしてなされる「神議(かみはかり)」は、1年間の縁結び(男女の結び)や来年の収穫など諸事が話し合われます。縁結びの神議りの様子については、「大社縁結図」(島根県立古代出雲歴史博物館所蔵)に、神々が、木の札にそれぞれ男女の名前を書き、相談してカップルを決めたあと、男女の札を結びつけて「縁結び」しているところが描かれています。

 

御宿社(神々が宿泊する宿)となる出雲大社御本殿の両側にある「十九社(じゅうくしゃ)」などでも、様々な神議りが行われる神在祭中の日のお祭りに併せて、連日お祭りが行われます。例えば、縁結大祭と呼ばれるお祭りがあり、大国主大神をはじめ全国より集われた八百万の神々に対し、世の人々の更なる幸縁結びを祈る祝詞が奏上されます。一方、地元出雲の人々にとって、この期間は、神々の会議や宿泊に粗相がないように、楽器を弾かず、家を建築しないなど、静かに謹んで暮らすことが求められているので、神在祭の間を「お忌みさん」と呼ばれ、神在祭そのものも、「御忌祭(おいみさい)」ともいわれています。

 

 

神等去出祭(からさでさい)

神等去出祭は、旧暦の10月17日と26日の2回にわたり行われ、17日は、人々のご縁を結ぶなどの神議(かみはかり)を終えた神々を見送る神事です。午後4時すぎ、全国から集まった八百万の神々は、宿泊場所とされる出雲大社境内にある東西の「十九社」から拝殿に移られます。その際、「十九社」にあった神籬(ひもろぎ)が絹垣に囲まれて移動されます。拝殿の祭壇に2本の神籬、龍蛇、餅が供えられ祝詞が奏上されます。その後、1人の神官が本殿楼門に向かい門の扉を三度叩きつつ「お立ち~、お立ち~」と唱えます。この瞬間に神々は神籬を離れ出雲大社を去られます。

 

旧暦17日が大社からお立ちになる日だとすると、26日は神々が出雲の国を去られる日です。ですから、26日の祭典は、特に神様が出雲の地を去られたということを大国主大神に報告する儀式となります。なお、出雲大社の他に、日御碕神社や朝山神社、神原神社、神魂神社、多賀神社、佐太神社で神在祭があり、それが終わると旧暦26日、万九千(まんくせん)神社から神々はそれぞれの国に還られるとされています。

 

<参照>

「神在月」出雲観光ガイド

八百万の神々、出迎え厳か 出雲大社「神迎神事」

(山陰中央新報2019/11/7)

稲佐の浜で八百万神お迎え、島根 出雲大社近くで神事

(2019年11月6日 秋田魁新報)

島根 神々が旅立ち、「神在月」の出雲大社

(2019年11月14日、朝日)

 

2019年11月27日

ニュース:出雲大社で「神有月」の神事(11/6~13)

旧暦と現在の暦とは一か月ほどのズレがあるので、今月11月は旧暦10月の行事が行われています。旧暦で10月は神無月といいますが、「無」とは「ない」という意味ではなく、「の」という意味で、10月は神の月、神を祭る月という解釈が一般的な学説だそうです。実際、全国のおコメの産地では、新穀を神に捧げる新嘗祭が各地で行われています。

 

しかし、俗説になってはいますが、10月は全国の神様が島根県の出雲大社に集まるので、ほかの地域に神がいなくなるから、「神無月」になったという伝承があります。その島根県では、旧暦10月を「神有月(神在月)」と呼んで、出雲大社では、全国の神々を向ける盛大な行事が11月に行われていました。

 

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八百万の神々、出迎え厳か 出雲大社「神迎神事」

(2019年11月7日、山陰中央新報)

 

全国から八百万の神々を迎える出雲大社(島根県出雲市大社町杵築東)の神迎(かみむかえ)神事が旧暦10月10日に当たる6日夜、出雲大社近くの稲佐の浜で厳かに営まれた。月明かりの下でかがり火がたかれ、多くの人が令和となって初の神事を見守った。

 

神職が神々の乗り移った「ひもろぎ」と呼ばれるサカキを絹垣(きぬがき)で覆い、御使神「竜蛇神(りゅうじゃじん)」を先頭に出雲大社へと歩んだ。出雲大社の神楽殿では神迎祭が営まれ、神々の宿となる東西十九社にひもろぎが奉安された。神々は13日夕まで滞在し、出雲大社の摂社・上宮(かみのみや)(同町杵築北)で、大国主命を主宰に1年間の縁結びや農事を話し合う「神議(かみはかり)」を行うとされる。日本中の神々が出払うため、旧暦10月は「神無月」と称されるのに対し、出雲地方では「神在月(かみありづき)」と言われる。

 

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神々が旅立ち、「神在月」の出雲大社

(2019年11月14日、朝日新聞)

 

全国から八百万(やおよろず)の神々が出雲に集うとされる、出雲大社(出雲市)の神在祭で13日、人々のご縁を結ぶ神議(かみはかり)を終えた神々を見送る神事「神等去出祭(からさでさい)」があった。午後4時すぎ、神様の宿泊場所とされる境内東西にある「十九社」から拝殿に移った神々は神職の「お立ちー」の声とともに大社を後にした。

2019年11月25日

ニュース:ローマ教皇、天皇陛下と会見

天皇陛下 ローマ教皇と皇居で会見

(2019年11月25日、NHKニュース)

 

天皇陛下は、来日中のローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇と、25日午前、皇居で会見に臨まれました。フランシスコ教皇は午前11時前、白バイやパトカーに先導されて正門から皇居に入り、二重橋を通って宮殿に向かいました。そして、天皇陛下が宮殿の「南車寄」で出迎え、笑顔で握手をしてあいさつを交わされました。天皇陛下がフランシスコ教皇と会うのは今回が初めてですが、イギリスに留学中だった昭和59年、バチカンを訪れた際に当時の教皇のヨハネ・パウロ2世と会われています。

ローマ教皇が皇居を訪れるのは、38年前の昭和56年に、ヨハネ・パウロ2世が教皇として初めて来日し、昭和天皇と会見した時以来です。会見は、宮殿の「竹の間」で、およそ20分にわたって行われました。会見が終わると、天皇陛下は、フランシスコ教皇とにこやかにことばを交わしながら、見送りのため「南車寄」まで進まれました。出発の直前には、再び握手をして別れのあいさつを交わし、天皇陛下は、教皇の車列が見えなくなるまで見送られていました。

 

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ローマ教皇 東京ドームで大規模ミサ 5万人が参加

(2019年11月25日、NHK News Web)

 

日本を訪れているローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、東京ドームで5万人が集まる大規模なミサを執り行いました。ミサにはいわゆる「袴田事件」で死刑が確定し、無実を訴えている袴田巌さんも招かれました。袴田さんは拘置所に収容されていた際に洗礼を受け、カトリック信者になりました。ミサが始まるとフランシスコ教皇は参加者が聖歌を歌う中、中央に設けられた祭壇にあがり、静かに祈りをささげました。そして、「日本は経済的には高度に発展していますが、社会で孤立している人が少なくないことに気付きました。これを乗り越えるためには異なる宗教を信じる人も含め、すべての人と協力と対話を重ねることが大切です」と述べ、他者の理解に努めることの大切さを訴えました。

 

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「日本の人々に感謝」ローマ教皇、帰国へ

(2019.11.26、産経新聞)

 

被爆地の長崎、広島を訪れ、核兵器廃絶に向けた力強いメッセージを発信したローマ教皇(法王)フランシスコ(82)は26日、上智大を訪問し「神と日本の人々に、この国を訪れる機会を頂いたことを感謝する」と述べた。教皇として38年ぶり史上2度目の来日を終え、同日午前、羽田空港を出発し、帰国の途に就いた。上智大は日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルらが創設したイエズス会が設立母体。同会出身の教皇が四谷キャンパス(東京都千代田区)に姿を現すと、学生や教職員から歓声が上がった。歓迎の横断幕を掲げたり、スマートフォンで撮影したりする人の姿もあった。教室で開かれた集会では、約700人が聖歌を合唱し教皇を迎えた。学生らに「競争と技術革新に向かう社会で、この大学は知的教育だけでなく、より良い社会と希望にあふれた未来を形成していく場になるべきだ」と呼びかけた。

 

2019年11月23日

ニュース:ローマ教皇来日、長崎・広島訪問

ローマ教皇、日本に到着 広島・長崎など訪問へ

(2019年11月23日、朝日新聞)

 

約13億人の信者がいるローマ・カトリック教会のトップ、フランシスコ教皇(82)が23日夕、東京・羽田空港に到着した。ローマ教皇の日本訪問は、故ヨハネ・パウロ2世が1981年に来日して以来、38年ぶり2回目。フランシスコ教皇は、26日までの滞在中、被爆地の広島と長崎を訪れ、核廃絶に向けたメッセージを発表する。25日には東日本大震災の被災者と対面。天皇・皇后両陛下と面会し、同日夕には安倍首相とも会談する。

 

教皇は23日夕、前の訪問地のタイから、教皇特別機で東京・羽田空港に到着し、日本政府関係者やカトリック教会関係者から歓迎を受けた。フランシスコ教皇は、核兵器の使用と所有を一切認めない核廃絶を訴えており、今回の訪日には、被爆地の日本から「核無き世界」を全世界にアピールする狙いがある。日本政府は、2014年に安倍首相がバチカン(ローマ教皇庁)を訪問した際に、来日を要請。昨年には広島、長崎の両市長が連名で、訪日を要望する親書を送っていた。

 

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ローマ教皇、長崎の爆心地で演説「核兵器は私たちを守らない」

(毎日新聞2019年11月24日)

来日中のフランシスコ・ローマ教皇は24日午前、被爆地・長崎を訪れた。教皇は長崎市松山町の爆心地公園で原爆落下中心地碑の前に立ち、世界各国の指導者に向け「核兵器のない世界を実現することは可能であり必要不可欠なことだ」とメッセージを送り、兵器の製造や改良などの軍拡競争を「途方もないテロ行為だ」と厳しく指摘した。

 

教皇はメッセージで、被爆地・長崎について「核兵器が人道的も環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人だ」と表現。「核兵器は国家の安全保障への脅威から私たちを守ってくれるものではない」と国際間にはびこる核抑止論も否定し、核兵器のない世界の実現に向け、個人や国際機関、核保有国などが一致団結するよう呼びかけた。

 

ローマ教皇の長崎訪問は1981年のヨハネ・パウロ2世以来38年ぶり。同公園には、被爆者や高校生平和大使ら約1000人が集まった。特設ステージには、今年8月に米国から里帰りした浦上天主堂の被爆十字架や、被爆後の長崎が撮影地とされる写真で、教皇が「戦争が生み出したもの」とのメッセージをつけて配布を指示した「焼き場に立つ少年」が展示された。

 

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核の傘の下で語る平和は偽善 広島訪問のローマ教皇

(2019年11月24日、朝日新聞)

 

訪日中のフランシスコ教皇は24日午後、広島市の平和記念公園で、「平和の集い」に出席した。教皇は「戦争のために原子力を使用することは、犯罪以外の何物でもない」と指摘した。また、「核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるか」と述べ、名指しは避けながら、核抑止力を唱える国々を批判した。

 

ローマ教皇が被爆地で平和のメッセージを出すのは、冷戦下の1981年に故ヨハネ・パウロ2世が訪問して以来、38年ぶり。フランシスコ教皇は広島について「大勢の人の夢と希望が、一瞬の閃光(せんこう)と炎によって消された。人類に刻まれた記憶であり、私は平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じてきた」と語った。

 

教皇は演説で、「核の傘」の下にいながら平和について語る「偽善」を、強い言葉で非難した。「最新鋭で強力な武器をつくりながら、なぜ平和について話せるのだろうか。差別と憎悪の演説で自らを正当化しながら、どうして平和を語れるだろうか」

 

戦争のために原子力を使用することを、「人類とその尊厳に反し、我々の未来のあらゆる可能性にも反する犯罪だ」と宣言。「次の世代の人々が『平和について話すだけで何も行動しなかった』として、我々の失態を裁くだろう」と警告した。さらに、60年代に核の抑止力を否定し、軍備撤廃を唱えた教皇ヨハネ23世が出した回勅(公的書簡)を引用し「真理と正義をもって築かれない平和は、単なる『言葉』に過ぎない」とも語った。

 

その上で、フランシスコ教皇は人々に三つの行動を呼びかけた。これからの世代に「二度と繰り返しません」と言い続けるために「記憶すること」。自分だけの利益を後回しにして、平和に向かって「ともに歩むこと」。そして、原爆と核実験、紛争の犠牲者の名の下に「戦争や兵器はもういらない」と叫び、平和を「守ること」。これらが「広島においてより一層強く、普遍的な意味を持つ」と強調した。

 

 

 

2019年11月22日

ニュース:生物絶滅は隕石落下が原因か?

超古代史のなぞが、地質学の観点から明らかにされるきっかけとなりそうなニュースがありました。二つの記事を紹介します。

 

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1100万年前、巨大隕石落下か 南鳥島沖深海底の堆積物分析―海洋機構など

(2019年11月20日、時事通信社)

 

南鳥島沖の深海底で採取した堆積物から、約1100万年前に巨大隕石(いんせき)が衝突して生じたと推定される球状粒子を多数発見したと、海洋研究開発機構や千葉工業大、東京大などの研究チームが20日発表した。この時代のクレーターは陸上で見つかっていないため、巨大隕石は深い海に落下した可能性が高いという。堆積物の採取場所は南鳥島の南方、水深約5650メートルの海底下。南米大陸南端沖の深海底では約250万年前に巨大隕石が落ちた証拠が見つかっており、深海への落下が確認されれば2例目となる。大規模な津波を引き起こしたとみられるが、約1100万年前の痕跡は見つかっていない。

 

隕石衝突の年代推定には幅があるため、約1160万年前に地球規模で生物が大量絶滅した原因になった可能性も考えられるという。海洋機構の野崎達生グループリーダー代理は「今後は他の海域の深海底から採取した堆積物を調べ、巨大隕石の大きさや衝突地点を解明したい」と話している。論文は英科学誌サイエンティフィック・リポーツに掲載された。

 

南鳥島沖で2014年に海底鉱物資源を調査した際、採取した堆積物に含まれる白金族元素「オスミウム」の濃度が異常に高いことが判明。詳細に分析した結果、巨大隕石が落下、衝突した際の高温で溶融し、飛散して冷えて固まったとみられる物質を含む球状粒子が多数見つかった。

 

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最後の生物大量絶滅、隕石衝突が原因か 1160万年前 南鳥島沖に痕跡

(2019.11.20 産経新聞)

 

1160万年前に地球の生物が大量に絶滅したのは、巨大隕石(いんせき)が海に衝突したのが原因だった可能性があることを海洋研究開発機構などの研究チームが突き止め、20日付の英科学誌で発表した。生物の大量絶滅は、恐竜が絶滅した中生代白亜紀の6600万年前など3億年前以降に計11回起きたが、最も時期が新しく、人類の祖先である類人猿が繁栄していた1160万年前だけは原因が不明だった。

 

チームは小笠原諸島・南鳥島沖の水深約5600メートルの海底を掘削し、地層の試料を採取。分析の結果、オスミウムという元素が極めて高い濃度で存在することを見いだした。隕石や地下のマグマの活動が作るかんらん岩に多く含まれる元素だが、地層にかんらん岩は見つからなかった。また、中性子の数が異なるオスミウムの同位体の比率に宇宙で生じた特徴があり、地層の粒子に衝突の痕跡もあったことから、隕石の衝突に由来すると判断した。

 

オスミウム濃度の高さなどは、中生代三畳紀の2億1500万年前に地球に衝突し、直径100キロのクレーターが生じた直径3・3~7・8キロの隕石の痕跡に匹敵。そのため今回の隕石も直径数キロとみている。衝突時期は、オスミウムの年代測定で新生代中新世の1100万年前だった。大量絶滅が起きた時期とほぼ一致することから、隕石衝突が原因だった可能性があると結論付けた。

 

中新世の隕石衝突を示す陸上の大きなクレーターは2個見つかっているが、いずれも1500万年前ごろで今回と年代が合わないため、場所は不明だが海洋に落下したと推定。高温で海水が蒸発し、隕石に含まれる硫黄と反応して酸性雨が降り、地球環境の悪化をもたらしたとみられる。隕石が海に落下した痕跡の発見は難しく、これまで1件しか報告されていない。研究チームは「知られていなかった隕石の痕跡を発見した。今後は調査範囲を拡大し、詳しい落下地点や地球環境への影響を調べていきたい」としている

2019年11月22日

ニュース:両陛下、伊勢神宮に即位報告

天皇陛下「親謁の儀」で伊勢神宮外宮ご参拝

(2019.11.22、産経新聞)

 

三重県を訪問中の天皇、皇后両陛下は22日午前、伊勢神宮の外宮(げくう)(伊勢市)を訪れ、皇位継承に伴う一連の国事行為「即位の礼」と、一世一度の重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」を終えたことを報告する「親謁(しんえつ)の儀」に臨まれた。

 

両陛下は宿泊先の内宮行在所(あんざいしょ)を出発後、衣食住の神である豊受大神(とようけのおおみかみ)を祭る外宮にご移動。先に天皇陛下が祭儀の正装「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」姿で馬車に乗車し、「三種の神器」のうち剣と璽(じ)(勾玉(まがたま))とともに、正殿に通じる門に到着された。馬車は重要な皇室行事で使われる宮内庁の「儀装馬車2号」で、上皇さまが平成時の「親謁の儀」で乗られたものを修復した。

 

陛下は鳳凰(ほうおう)の飾りの付いたかさのような「菅蓋(かんがい)」が差し掛けられる中、歩いて正殿に昇り、玉串をささげて拝礼された。陛下のご拝礼後、十二単(じゅうにひとえ)姿の皇后さまが御料車で正殿へ向かい、同様の所作でご拝礼。両陛下は23日、内宮(ないくう)で拝礼後、帰京される。

 

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両陛下「親謁の儀」で伊勢神宮内宮ご参拝

(2019.11.23、産経新聞)

 

三重県を訪問中の天皇、皇后両陛下は23日午前、皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る伊勢神宮の内宮(伊勢市)を訪れ、皇位継承に伴う一連の国事行為「即位の礼」と、一世一度の重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」を終えたことを報告する「親謁(しんえつ)の儀」に臨まれた。

 

祭儀の正装「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」姿の天皇陛下は宿泊する内宮行在所(あんざいしょ)から、儀装馬車に乗車されて内宮・正殿に通じる門へ。正殿に昇り、玉串をささげ拝礼された。続いて十二単(じゅうにひとえ)姿の皇后さまが10日に行われた国事行為のパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」でも使用されたオープンカーで正殿に通じる門へ進み、同様の所作で拝礼された。両陛下は23日午後、帰京される。

 

一連の儀式を終えたことを報告される「親謁の儀」は今後▽27日に神武天皇陵(奈良県橿原市)、孝明天皇陵(京都市)▽28日に明治天皇陵(京都市)▽12月3日に昭和天皇陵、大正天皇陵(ともに東京都八王子市)-で行われる。