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2019年10月23日

皇室:「即位の礼」を深ぼり

 昨日行われた「即位の礼」の中の最も重要な儀式である「即位礼正殿の儀」について、その歴史や仕組みについてまとめてみました。皇室の伝統に根ざしながら、現代的な工夫も取り入れられていることがわかりました。

 

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「即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)」は、古代からの皇室の歴史を今に伝える重要儀式で、天皇の国事行為である「即位の礼」の中心儀式です。儀式は、宮殿(皇居)で最も格式の高い「松の間」で挙行されました。

 

「松の間」には、皇族方が並ばれ、三権の長らも定められた位置につくと、天皇陛下が、歴代天皇に伝わる三種の神器のうち天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の複製品と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、そして、公務で使われる天皇の印章「御璽(ぎょじ)」、国の印章「国璽(こくじ)」とともに、「高御座(たかみくら)」と呼ばれる玉座に昇段されます。続いて、皇后陛下も「御帳台(みちょうだい)」と呼ばれる御座に昇られます。陛下が高御座から即位を宣言する「お言葉」を述べられた後、首相がお祝いの「寿詞(よごと)」を述べて万歳三唱し、参列者も唱和。儀式は約30分で終了します。

 

天皇陛下は、上皇陛下のご譲位により、令和(2019)元年5月1日に第126代天皇に即位されましたが、即位当日にも儀式はありました。これは「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」と呼ばれる儀式で、皇位継承の印である「三種の神器」のうちの剣(つるぎ)と曲玉(まがたま)を受け継がれました(投稿記事参照)。

 

そして、皇位継承から約半年を経た10月22日、「即位礼正殿の儀」で、国内外の代表が参列する中、天皇陛下が即位を公に宣言されたのです。歴史的にも、天皇の位と一体のものとされている神器を受け継ぐ「剣璽等承継の儀」は即位から間を置かずに行われてきましたが、即位を宣言する儀式は即位から一定の期間を置いて行われ、その期間は天皇によって異なっていました。

 

「即位の礼」の歴史

天皇の即位に伴う儀式(即位式)は、1300年以上前の飛鳥・奈良から平安時代にかけて整えられました。実際には、奈良時代後半、781年に即位した桓武天皇の時から行われているとされています(一説には、7世紀後半の天武天皇の時代には、即位の儀式が整ったとされる)。

 

この時から、新たな天皇が皇位の証しとして、神器(じんぎ)を受け継ぐ儀式(今の「剣璽等承継の儀」)と、即位を広く宣言する儀式(今の「即位礼正殿の儀」)とに分けて行われるようになったとされています。そうすると、古くは皇位を継ぐ「践祚(せんそ)」の儀式(皇位継承直後の践祚式)だけだったのが、平安時代前期から、十分に準備をして即位を内外に示す盛大な儀式(今の「即位礼正殿の儀」)が行われるようになったわけです。

 

儀式の変遷

儀式のあり方(様式)や雰囲気もさまざまな変遷を経てきました。即位式は、中国皇帝の即位儀礼を参考にして始まったこともあって、中国文化を色濃く反映した古代からの形式がそのまま受け継がれていました。遣唐使が唐の皇帝の豪華な即位儀礼を見て帰り、儀式の設備や装飾品、服装など、ほぼ唐の在り方に倣ったのです。平安時代後期ごろからは仏教色も加味され始めたそうです。

 

こうした様式は、江戸時代までの長い期間続いていましたが、1868年の明治天皇の即位式が大きな転機となりました。例えば、当初、「王政復古」を掲げていた明治政府は、それまで中国王朝「唐」の例にならった装束(しょうぞく)などのスタイルを一変させます。それまで、天皇や参列者は、「礼服(らいふく)」という中国風の装束や冠を身につけていましたが、明治天皇の装束に日本風の束帯である「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を採用しました。陛下がお召しになる「黄櫨染御袍」そのものは、平安時代、嵯峨天皇が天子の御服と定めて以来、天皇のみが着用できる色の装束として伝わっていました(現在も、「即位礼正殿の儀」だけでなく、宮中祭祀でも身につけられる)。また、陛下が頭にかぶられる「立纓(りゅうえい)の御冠(おんかんむり)」も天皇を象徴する冠として、唐風から和風の物に変わった一例です。

 

さらに、皇嗣(こうし)秋篠宮さまは皇太子の装束である「黄丹袍(おうにのほう)」を着用され、皇后さまをはじめとする女性皇族方は、十二単(ひとえ)を身につけられます。そのほか、宮内庁幹部や中庭に整列する職員らも古装束を身につけます。

 

このように、明治天皇以降、中国風(唐風)から、束帯や十二単など日本の風土に合わせて発展してきた独自の和様(和風)装束を、天皇や皇族が即位式で着用するようになりました。

 

儀式の場所

儀式が行われる場所はその時々で移り変わってきました。即位を宣言する儀式は、桓武天皇の即位以降、およそ1000年にわたって都が置かれた京都で行われ、当初、時の都の大内裏内の「大極殿(だいごくでん)」という建物を中心に行われていました。しかし、大極殿は火災による焼失と再建を繰り返し、平安時代の終わり頃に焼失したあとは再建されなくなったことから、大極殿の近くにあった別の建物で行われ、さらに室町時代の後期の後柏原天皇の即位式(1521年)以降は、天皇の私的区域内の「紫宸殿(ししんでん)」(現在、京都御所にある)で行われるようになりました。

 

明治時代に入ると、東京に遷都が決まり、天皇も京都から現在の東京に移られましたが、大日本帝国憲法とともに定められた1889年制定の旧皇室典範で、11条に「即位の礼および大嘗祭は、京都において行う」と明記されていました。従って、大正、昭和の儀式は京都御所の紫宸殿(ししんでん)で挙行されました。

 

こうした、旧皇室典範の中の天皇の践祚(せんそ=受け継ぐこと)、即位礼などについて、1909(明治42)年には、平安時代の儀式書などを参考にした「登極令(とうきょくれい)」が制定され、国風の儀式の確立が目指されました。とりわけ、調度品も日本風に改まりました。

 

「即位の礼」の調度品

高御座

即位礼正殿の儀で、陛下が昇られた玉座である高御座(たかみくら)は、飛鳥、奈良時代の文献に頻出していることから、遅くとも奈良時代から即位式で使われていたと推察されています。「登極令」にも、高御座の形状が詳しく規定されていました。例えば、「登極令」に基づき、西洋の王室儀礼を参考に、天皇と皇后が並び立つように規定され、「高御座(たかみくら)」だけでなく、一回り小さい皇后の「御帳台(みちょうだい)」も作製されました。

 

なお、現在の「高御座」は、「御帳台」とともに、1913(大正2)年に復元され、「高御座」は、大正、昭和天皇と上皇陛下の即位時に使用されました。「御帳台」の方は、大正天皇の貞明(ていめい)皇后は懐妊中で使われませんでしたが、昭和天皇の香淳(こうじゅん)皇后は皇后として初めて御帳台に立たれました。なお、天蓋(てんがい)もあり、約3千の部品からなる高御座と御帳台は、平成の即位の礼の後、解体され、宮内庁は京都御所の紫宸殿で保管していましたが、昨年9月、再び京都から皇居内へ陸送されました。

 

のぼり旗

また、即位式の際、前庭に並ぶ、「旛(ばん)」と呼ばれるのぼり旗があります。その「旛」も、奈良時代には朝廷の儀式に用いられたとされ、装束と同様、中国風のものが長く使われていました。とりわけ、江戸時代の即位式を描いた絵図には、中国で方角を司る霊獣である四神(東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武)の旛も見られました。しかし、明治以降は姿を消し、「八咫烏(やたがらす)」や「霊鵄(れいし)」といった神話に基づく図柄が刺しゅうされたのぼり旗や、榊(さかき)に5色の布を垂らす神式の旗が立てられるなど、こちらも、唐風から日本風に改められました。

 

そのほかにも、即位を宣言することばは、以前は「宣命使(せんみょうし)」という人物が代読していましたが、天皇みずからが読み上げる形に変わったことなども特筆できるでしょう。

 

明治になって、参列者も公家だけでなく、明治維新に貢献した武家出身者も加わりました。また、外国使節も招かれるようになり、さらに、全国各地で奉祝行事が行われるなど、国民にも広く歓迎されるようになりました。

 

戦後の「即位の礼」

戦後、旧皇室典範や登極令が廃止されて新憲法が施行され、皇室制度が現在のものに改められました。日本国憲法下で初となった平成の「即位礼正殿の儀」では、大正、昭和の儀式から、いくつかが変更されました。まず、160の国と機関の元首ら海外賓客が招かれたことから、警備などの理由から、儀式が京都ではなく初めて東京・皇居で行われました。のぼり旗に使われていた神話に由来する「八咫烏(やたがらす)」などの図柄は、政教分離を定めた新憲法のもとでふさわしくないとして姿を消しました。同じく、国民主権を原則とする現憲法の精神への配慮から、大正、昭和で紫宸殿の階段下からだった首相の万歳三唱は、天皇と同じ松の間で行われました。令和の儀式は、基本的には平成を踏襲された形です。

 

 

<参考>

即位式、奈良時代末から 明治以降、様式一変

(2019年10月21日、時事通信)

歴史伝える「即位礼正殿の儀」

(2019.10.21 産経)

即位の儀式の歴史

(2019年10月21日、NHK)

「即位の礼」進む国際化 「日本の国柄」示す好機に

(2019.10.21 産経新聞)

Wikipedia