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2019年07月07日

仏教:天部 仏教の中の神様とは?

6月26日に投稿で、「足の速い神様」である韋駄天(いだてん)を紹介しました。今回は、韋駄天を含む〇〇天、即ち仏教の神様である「天部」についてまとめてみました。仏教なのに神様?という素朴な疑問を持つ方もいるのではないでしょうか?神様と仏様の関係についても説明します。

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5月10日の投稿、「如来と菩薩、四神と四天王とはどう違う?」でも少し述べましたが、仏教の仏様は、役割の違いによって、如来、菩薩、明王、天部に分類されます。上下関係ではなく、仏格の順位を示すとされています。

 

如来とは、最高の境地に至った存在で、「真理に目覚めた者」のことを言い、仏と同じ意味で使われます。阿弥陀如来や大日如来などが有名です。

次の菩薩とは、人々を救いつつ、仏(如来)になることを目指して修行する人、悟りを求める者のことを言います。弥勒菩薩や観音菩薩などが知られています。

如来、菩薩に次ぐ明王は、如来の化身とされ、間違ったことをするものに厳しい態度で教えを授け存在です。それゆえ明王の代表的な存在である不動明王をみてもわかるように、明王は剣を持ち怒りの形相をしています。

 

では、今回の主役である天部に話しは移りましょう。

 

  • 天部とは

天部は、仏教では如来、菩薩、明王の下に説かれ、彼らが生きとし生けるものの救済を目的としているのに対して、仏教世界の天上界に住んで、仏法を守護する役目を持つ仏法の守護神です。

 

前回、紹介した韋駄天(いだてん)も以外にも、梵天(ぼんてん)や帝釈天(たいしゃくてん)、多聞天(たもんてん)、持国天(じこくてん)など、〇〇天と称するものから龍王や夜叉なども天部に含まれます。もともと「天」という言葉は、サンスクリット語で神(デーヴァ)という意味で、「部」は「集まり」という意味で、天部を直訳すれば、「神様の集合」ということになります。

 

もっとも、天部の諸天は、元々仏教の神だったわけではなく、インドで、仏陀の生まれる前から信仰されていたバラモン教やヒンドゥー教の神様(古代インドの神々)で、仏教の誕生で、仏教に取り込まれていきました。仏教の観点から言えば、仏の圧倒的な慈悲や力に屈服/感服して、仏教に帰依し、如来や菩薩、明王を守る役目を果たしているとされています。

 

ですから、天部は神様で、仏を守る守護神ではありますが、如来・菩薩・明王の域には達しておらず、六道では私たち人間と同様、苦しみ悩むこともある存在で、私たちを救う力はないとされています。

 

(参考)六道(六界)とは:仏教で説かれる六つの世界

天道(てんどう|天上界):天部(神々)の住む世界

人間道(にんげんどう):人の住む世界。悩みや苦しみもあるが楽しみも感じられる世界

修羅道(しゅらどう):常に争いや戦いがあり苦しみ怒りにあふれる世界

畜生道(ちくしょうどう):動物の世界。

餓鬼道(がきどう):常に食べられない苦しみの世界。

地獄道(じごくどう):常に苦しみに襲われる世界。

 

天部の諸天も天道という仏の世界に近いところの住人ですが、欲や悲しみ、苦しみもある六道の世界の住人であると仏教では教えています。

 

 

  • 天部の神々

 

天部の諸天は、すべて全く同じ位であるわけではなく、天上界の上位にいる神様から、人間界に近い神様まで存在しています。代表的な天部を紹介します。

 

梵天(ぼんてん)

梵天は、インド神話上の宇宙の創造神のブラフマン(梵語で梵天はブラフマン)で、インドでは最高位の神様です。後にシヴァ神やヴィシュヌ神と共に、三神一体の一柱に数えられています。

梵天は釈尊(釈迦)の守護神とされ、釈尊は、梵天の声を聞き、衆生の救済に立ち上がったという逸話もあります。

 

 

帝釈天(たいしゃくてん)

インド神話のインドラと言う神様で、インドラは阿修羅やその他鬼神、魔人と戦う雷神として描かれていました。

仏教において、帝釈天は、「須弥山(しゅみせん)」という仏教世界の真ん中にある山の頂上にある「喜見城」に住んでいるとされ、その四方をさらに四天王が守護しています。

仏法の守護神として、梵天と一対としてとらえられることもあり(その場合、両者を「梵帝」とひとまとめに呼ぶ)、釈迦如来像の脇侍となっている場合が多く見られます。

 

この帝釈天との関係で、阿修羅と、四天王について説明してみたいと思います。

 

阿修羅(あしゅら)

阿修羅は、インドの神話の中では、アスラという魔神で、帝釈天(インドラ)と、何度も戦い敗れました。しかし、阿修羅は何度倒されても、復活してまた戦いを続けたことから、戦いの絶えない苦しい世界の主とされます。「修羅場」や「修羅の道」と言う修羅は、戦いに明け暮れた阿修羅からきた言葉です。そんな阿修羅も、釈迦の説法によって心を改め、千手観音菩薩の守護神の一人に数えられます。

 

四天王

前回の韋駄天(いだてん)をまとめた投稿などでも示しましたが、四天王は、帝釈天の配下にいて、仏教の世界を守護する4柱の神様で、それぞれ東西南北に配置されています。歴史的にも「徳川四天王」など、四天王は様々な使われ方をされていますが、仏教の四天王が「本家」です。なお、四天王は、他の天部の神々と同様に、インドの神を由来しています。

 

東:持国天(じこくてん)(ドゥリタラーシュトラ)

西:広目天(こうもくてん)(ヴィルーパークシャ)

南:増長天(ぞうちょうてん)(ヴィルーダカ)

北:多聞天(たもんてん)(クベーラ、ヴァイシュラヴァナ)

 

なお、韋駄天(いだてん)は、増長天の配下にいましたね。

 

多聞天(毘沙門天)

四天王の中で、北方を守護する多聞天(たもんてん)は、むしろ、毘沙門天(びしゃもんてん)の名前で有名です。四天王の中では多聞天と呼ぶのが一般的ですが、多聞天が単独で呼ばれる時の名が毘沙門天です。

 

毘沙門天は四天王の中でも最も強い神様とされており、武神として知られ。戦国大名の上杉謙信は、毘沙門天を崇拝をしていたことは有名です。源義経が年少の時に育った鞍馬寺(京都府)は、毘沙門天を祀っています。加えて、毘沙門天(多聞天)は、本来、インド神話の財宝の神クベーラ、ヴァイシュラヴァナとして描かれていたことから、財運上昇、商売繁盛の神として、民衆の信仰を集めています。

 

このように、毘沙門天は、軍神(武神)として、財宝の神として民衆信仰を集めており、七福神(庶民の身近にあって暮らしに幸運をもたらす七柱の福の神)の中にも、その名を連ねています。

 

毘沙門天以外にも、七福神に関係のある天部(の神)がいます。それが、大黒天と弁財天、そして吉祥天です。

 

大黒天(だいこくてん)

大黒天は、インド(ヒンズー教)で暗黒を支配する神様であったマハーカーラ(「偉大な黒」を意味する)に由来し、創造と破壊を司るシヴァ神の化身とされています。日本では、「大黒=ダイコク」という言葉が、大国主命(オオクニヌシノミコト)につながることから習合されるようになり、大国主命=大黒様として定着しています。

 

弁財天(べんざいてん)

弁財天(弁才天)は、インド古代神話では、河の神様でサラスヴァティという水神で、ヒンドゥー教では梵天(ぼんてん)の妃です。七福神の中では、唯―の女神で、琵琶を弾いた天女の姿で描かれることが多く、音楽、芸能の神様としても知られています。その一方で、昔は刀や金剛杵を持った勇ましい姿で描かれていたこともありました。弁財天を祀っている場所としては、江島神社(神奈川県)が有名で、武装をした八臂弁財天像と、女性らしい柔和な妙音弁財天の二つの像があります。

 

吉祥天(きっしょうてん)

吉祥天は、インド神話の美・豊穣の神のラクシュミーが由来の女神で、弁財天の前の七福神に含まれていました。元々朝廷から民衆まで広く信仰された福や財をもたらす女神とひて人気があります。

 

その他の有名な天部の神様を紹介しましょう。

 

荼枳尼天(だきにてん)

荼枳尼天は、日本ではお稲荷様とも呼ばれる、もともとは、人を食べていたというインドの夜叉・羅刹のダーキニーが由来です。この怖い存在であったダーキニーは、大黒天に調伏されて、仏法の守護神(天部)に改心したとされ、現在では、豊穣の神としても知られています。

日本では、荼枳尼天は、同じ豊穣の神、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)と同一視されるようになります。この宇迦之御魂神が、お稲荷様として祀られていたことから、荼枳尼天もお稲荷様として信仰の対象となりました。

 

なお、夜叉(やしゃ)とは、インドの神話において鬼神とされる存在で、仏教に取り入れられて夜叉と呼ばれるようになりました(夜叉も天部に含まれる)。

 

閻魔天(えんまてん)

閻魔天(焔摩天)は、まさに、あの閻魔大王のことで、冥府の世界の神様です。インド神話のヤーマに由来し、始めて死ぬ人間と言われ、冥界に始めて訪れて、そのままそこで天部の神様になったと言われます。

 

金剛力士(こんごうりきし)

金剛力士は、仏や寺院に悪者や魔物が入ってこないように守護しています。金剛力士のサンスクリット語の意味は「金剛杵を持つもの」という意味で、帝釈天が魔物や鬼神を退治する際に利用した武器の金剛杵を持つ勇ましい神ということです。金剛力士は二体で一対の像として、山門に配置されています。正面向かって右に口を開けた「阿形像(あぎょうぞう)」、左に口を閉じた「吽形像(うんぎょうぞう)」と呼ばれる像が配置されます。金剛力士像は、運慶と息子の快慶が作った東大寺南大門の仁王像が有名です。

 

鬼子母神/訶梨帝母(きしもじん/からていも)

鬼子母神はインド神話でハーリーティーとされます。鬼女で、500人の子供を産んでいる母でしたが、人の子を食べて、自分の養分としていました。ある時、釈迦が鬼子母神の子一人を隠したところ、泣き叫び、発狂をしたとされます。釈迦に助けを求めたところ、釈迦に「多くの子を持っていながら、一人の子を失ってそれだけ悲しむのであれば、一人の子を持つ親の苦しみはいかほどか」と諭され心を改めて仏法に帰依することになりました。

 

韋駄天(いだてん)

大河ドラマでお馴染みの韋駄天(いだてん)については、6月16日の投稿で比較的詳しく解説したのでそちらを参照下さい(⇒韋駄天

 

 

<参考>

天部とは|仏教の守護神、天部衆の神様の種類や信仰,有名な仏像を紹介

(神仏ネット)

天/仏像ワールド

やさしい仏教入門など

2019年07月07日

ニュース:「仁徳天皇陵古墳」など世界遺産に正式決定

「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産に決定 国内23件目、陵墓は初

(2019.7.6、産経新聞)

 

アゼルバイジャンの首都、バクーで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は6日、世界最大級の墳墓である「仁徳天皇陵古墳」(大山(だいせん)古墳)を含む「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)を世界文化遺産に登録すると決定した。天皇や皇族の墓として宮内庁が管理する「陵墓」の登録は初めて。

 

日本国内の世界遺産は昨年の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎県、熊本県)に続き23件目で、7年連続での登録となる。内訳は文化遺産が19件、自然遺産が4件。

 

大阪で初の世界遺産となる百舌鳥・古市古墳群は、百舌鳥エリア(堺市)と古市エリア(羽曳野市、藤井寺市)にある計49基の古墳で構成。4世紀後半から5世紀後半、大陸と行き来する航路の発着点だった大阪湾を望む場所に築造され、墳丘の長さが486メートルもある国内最大の仁徳天皇陵古墳や425メートルの応神天皇陵古墳(誉田御廟山=こんだごびょうやま=古墳)など大規模な前方後円墳が集中している。ほかに数十メートルの円墳や方墳、帆立て貝形など多様な規模と形状を持つ古墳があり、被葬者の身分や権力を示すとされる。このうち陵墓は29基で、ユネスコ諮問機関のイコモスが今年5月、「傑出した古墳時代の埋葬の伝統と社会政治的構造を証明している」として登録を勧告していた。

 

一方、イコモスでは「都市における開発圧力が懸念される」とも指摘しており、今後は住宅地に密接する古墳の厳正な保存管理が求められる。陵墓も含まれるため、観光客の受け入れ態勢をどう整えていくかも課題になりそうだ。

 

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<詳説>

百舌鳥・古市古墳群

百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群は、百舌鳥エリア(堺市)と古市エリア(羽曳野市、藤井寺市)にある計49基の古墳で構成(全国に古墳は約20万基あるとされる)され、4世紀後半から5世紀後半の古墳時代の最盛期に築造されました。当時は、前方後円墳の巨大化が図られた時期に当たっていたとされ、大規模古墳が威容を誇っています。

 

百舌鳥・古市古墳群の中でも最大の古墳は、「仁徳天皇陵」(「大山(だいせん)古墳」の別名もある)です。仁徳天皇陵はクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵と共に「世界三大墳墓」に数えられており、堺市公式サイトによると、墳丘の長さは486メートルで、三重の濠(ごう)を巡らしており、その全長は840メートルにも及ぶ。墳墓としては世界最大級の大きさを誇ると言われています。現在は森のように見ますが、かつては、古墳の斜面には石が敷き詰められ、墳丘の平面に埴輪(はにわ)が置かれていたとみられています。工期は15年8カ月に及び、作業員数が延べ680万7000人(ピーク時で1日当たり2000人)、総工費は796億円に上ったとの試算もあります。

 

古墳群には仁徳天皇陵以外に、応神天皇陵(長さ425メートル)(応神天皇は仁徳天皇の父)や履中天皇陵(同360メートル)(履中天皇は仁徳天皇の子)などの巨大古墳(前方後円墳)が含まれています。(応神天皇陵古墳は誉田御廟山=こんだごびょうやま=古墳ともいう)巨大な前方後円墳以外にも、数十メートルの円墳や方墳、帆立て貝形など多様な規模と形状を持つ古墳があり、被葬者の身分や権力を示すとされています。

 

また、49基の古墳群のうち天皇家の墓とされる陵墓は29基で、被葬者も中国の歴史書「宋書」に記された「倭(わ)の五王」に関係すると考えられています。王墓の在り方から、当時の日本は、中国のような中央集権的な専制国家ではなく、「ヤマト政権」という首長連合の政治体制であったと見られています。200メートル以上の前方後円墳11基が河内(現在の大阪の藤井寺市、柏原市など)や和泉(和泉市)地域にあったことから、この地域の勢力が、当時、王権を掌握したとの見方もでています。

 

加えて、古墳群は、大陸と行き来する航路の発着点だった大阪湾を望む場所に築造され、金銅製の馬具や鉄製の甲冑(かっちゅう)、刀剣、ガラス器などが出土されています。朝鮮半島から中国、ペルシャの影響を受け、東アジアと交流があったことが推察されています。

 

<参考>

威容誇る大規模古墳=古代政権と密接に関係-世界遺産

(2019年07月07日、時事ドットコム)

「仁徳天皇陵」初の共同発掘へ。世界遺産指定を目指す「日本最大級の古墳」のミステリー

(Huffpost 2018年10月15日)